上賀茂神社(賀茂別雷神社) 京都観光

上賀茂神社(賀茂別雷神社)

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上賀茂神社

神代に神山に鎮座、葵祭で知られる格式高い賀茂の社

世界遺産。賀茂氏の氏神を祀り下鴨神社と葵祭を共同開催。神代に北北西の神山に鎮座し天武天皇7年現在地に社殿を造営、平安遷都後王城鎮護の社に。 本殿・権殿が国宝、重文も多数。細殿前の神山を模した立砂は清めの砂の起源。 一~二の鳥居の広場では競馬の神事や桜や紅葉、毎月第4日曜は手作り市も

上賀茂神社(賀茂別雷神社)とは?(基本データ)

名前
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)
エリア
北山・上賀茂
ジャンル

寺社 世界遺産 国宝建築 史跡 紅葉 名水 方除 交通安全 縁結び 五社めぐり 神仏霊場会 二十二社 門前名物 葵祭 鳳輦・神輿 ひな祭り・桃の節句 田植祭 夏越祓・茅の輪 重陽の節句 観月祭 初詣 節分祭 大根焚き 七草粥・小豆粥 成人式 蹴鞠 縁日・市 神楽・湯立神楽 御弓神事 駈馬・流鏑馬 蛍(ホタル)

建立・設立
鎮座年代不詳(本殿の北北西2kmにある神山に鎮座)
678年(天武天皇7年)、現在地に社殿が造営される
807年(大同2年)、最高位である正一位の神階を受ける(賀茂祭は勅祭に)
1994年(平成6年)12月、「古都京都の文化財」として世界遺産条約に基づく世界文化遺産に登録
創始者
不詳(賀茂県主の氏神として創建)
祭神
主祭神 賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
ご神体
神山(こうやま)
ご利益
厄除・方除・開運・八方除・雷除・災難除・必勝・電気産業守護
例祭
5/15(賀茂祭(葵祭))
他に武射神事(1/16)、賀茂曲水宴(4月第2日曜)、賀茂競馬(競馬会神事)(5/5)御阿礼神事(5/12)、烏相撲(9/9)などが知られる
神紋・社紋
二葉葵(ふたばあおい)
(双葉葵とも書く、別名「賀茂葵(かもあおい)」とも)
札所等
神仏霊場巡拝の道 第102番
アクセス
  • 京都市営地下鉄烏丸線「北大路」駅下車 徒歩約25分、車・タクシーで約5分
  • 京都市営地下鉄烏丸線「北山」駅下車 徒歩約25分、車・タクシーで約5分
  • 京都市営バス「上賀茂神社前」(4・46・67号系統)下車すぐ
  • 京都市営バス「上賀茂御薗橋」(9・37・北3号系統)下車 徒歩約5分
  • 京都バス「上賀茂神社前」(30・32・34・35・36急系統)下車すぐ
  • 京都バス「上賀茂御薗橋」(高野車庫行)下車 徒歩約5分
  • JR「京都」駅より車・タクシーで約30分
  • 名神高速道路「京都南IC」より約40分
駐車場
大型バス 無料
自家用車170台分 30分毎100円(境内維持管理協力金)
拝観料
境内自由
■国宝「本殿・権殿」特別参拝
└初穂料 500円(団体450円)
※同伴者の家族が中学生以下の場合無料
※団体割引は20名以上(要予約)
お休み
無休
■国宝「本殿・権殿」特別参拝
├5/5、5/9~17
└年末年始(12/21~1/16)
拝観時間
8:30~16:00
■国宝「本殿・権殿」特別参拝
├平日 10:00~16:00
└土日祝 10:00~16:30
住所
〒603-8047
京都府京都市北区上賀茂本山339
電話
075-781-0011
FAX
075-702-6618
公式サイト
上賀茂神社(賀茂別雷神社)
賀茂別雷神社(上賀茂神社) Facebook
葵祭 京都市観光協会
葵祭 京都新聞
上賀茂手づくり市

上賀茂神社(賀茂別雷神社)の地図

上賀茂神社(賀茂別雷神社)のみどころ (Point in Check)

京都市北区上賀茂、京都を流れる鴨川と高野川の合流地点より賀茂川をやや北上した所に位置し、下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社。
両社を合わせて「賀茂神社(賀茂社)」と総称され、両社で催す京都三大祭りの一つ「賀茂祭(通称 葵祭)」でよく知られています。

正式名称は祭神の名前より「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」で、玉依姫命の丹塗矢の伝承の際に賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が雷とともに天に昇っていったことに由来しています。
ちなみに「賀茂別雷大神」の「別雷」とは若雷=若々しい力に満ちた雷(神鳴り)という意味もあり、雷を神様と考えていた古来日本人の信仰を伝えているといいます。

ただし賀茂神社が上社と下社に分かれた際に生まれたといわれる通称名「上賀茂神社」の方が一般的であり、地元民からは「上賀茂さん」と呼ばれて親しまれています。

平安京遷都以前に創祀された京都における最古の神社の一つで、古代より豪族・賀茂氏の氏神を祀る一方、「山城国一の宮」として朝廷より崇敬を集め、伊勢神宮と同様に現在も式年遷宮が行われ、また過去には「斎院」が置かれ神社に奉仕する未婚の皇女「斎王」が平安時代から約400年定められていたことでも知られています。

毎年5/15に開催され「葵祭」は祇園祭・時代祭とともに京都三大祭の一つで、多くの市民や観光客が見守る中、斎王の代わりを務める「斎王代」を主役に優雅な王朝絵巻が再現されます。

境内には北側を中心に国宝の本殿・権殿や41棟の重要文化財を含む社殿が立ち並び、その多くは江戸初期の1628年(寛永5年)に造替されたもの。

印象的なのは二ノ鳥居を入った正面、細殿の前に円錐形に盛られた立砂で、これは御神体である「神山」を模ったもので、鬼門にまく清めの砂や玄関に置く盛り塩の起源ともいわれています。

境内は史跡に指定されていて、一の鳥居から二の鳥居までの参道の両脇に広がる芝生や、境内東を流れるならの小川は市民憩いの場として市民に親しまれています。

祭神・賀茂別雷大神は雷(いかづち)の神威によりあらゆる災難を除く厄除けの神、または方除神として信仰されているほか、その賀茂別雷大神の母で下鴨神社の祭神でもある玉依姫命を祀る摂社・片岡社は24ある境内摂末社のうち第一社に定められる重要な社でハート型の絵馬が印象的な縁結びの神様として知られています。

行事やイベントも数多く開催されており、前述の葵祭のほか、平安装束に身を包んだ歌人たちが平安時代の宴を再現する「賀茂曲水宴」や重陽神事の際に地域の子どもたちによって奉納される「烏相撲」がよく知られています。

その他御所桜や斎王桜などの大きな桜がある桜の名所として知られているほか、境外摂社の大田神社の境内には国の天然記念物に指定されているカキツバタの群落があることで有名。

また門前名物として門前には2軒の焼きもち屋が対面しており、香ばしい風味で人気を集めています。

1994年(平成6年)12月には「古都京都の文化財」としてユネスコの「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産にも登録されました。

平安京遷都以前に創祀された京都における最古の神社の一つ

賀茂氏の氏神を祀る「賀茂神社」として創建

上賀茂神社と下鴨神社は元々一つの神社として「賀茂神社(かもじんじゃ)(賀茂社)」と総称されていました。

平安遷都よりもはるか昔、山城国北部のこの地には賀茂氏と呼ばれる一族が暮らしており、その氏神を祀る神社として創建されたのがはじまりです。

賀茂氏は日向国曾の峰に降臨し、初代・神武天皇が九州より大和へ東征するにあたり「八咫烏(やたがらす)」に化身して先導する功績をたて、後に賀茂の地に静まったとされる賀茂武角命(かもたけつぬみのみこと)(下鴨神社の祭神で上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神の祖父)の後裔とされ、早くより賀茂県主姓を賜り山城一円を治め、平安京以前より天皇家の側近として活躍していたこともあり、賀茂神社も古くから朝廷より信仰を集める神社の一つでした。

「丹塗矢伝承」

賀茂の地に静まった賀茂武角命は妻・伊可古夜日売命(いかこやひめのみこと)との間に後に賀茂県主の祖となる玉依比古命(たまよりひこのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)の2人の子供を授かります。

「山城国風土記」逸文では、玉依姫命が石川の瀬見の小川(ならの小川)で川遊びをしていた時、川上から流れてきた丹塗矢(化身していたのは乙訓神社の火雷神とも大山咋神とも)を取り床の間に置いて寝たところ懐妊し男の子が生まれました。

男の子が成人した日に賀茂武角命が盛大な宴を開き「自分の父親と思う者に酒を飲ませよ」と言った所、大きな雷が鳴り響き天上へと昇っていったといいます。賀茂武角命はその男の子を「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」と名付けました。

突然の出来事に悲しみにくれていた母・玉依姫命が我が子に会いたいと願うと、夢の中で「私に会いたいと願うのならば、葵の葉でかずら(冠)を編み祭をして待ちなさい」と告げたといいます。

そしてそのお告げどおりにすると、賀茂別雷命は神山に降臨、無事再会を果たすことができたのでした。

このうち賀茂別雷命は上賀茂神社に祭神として祀られ、玉依姫命の兄・玉依比古命の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎、そして玉依姫命とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祭神として祀られています。

平安遷都以前の歴史

社伝では初代・神武天皇の御代(紀元前660~585年)に本殿の北北西にある神山(こうやま)に賀茂別雷大神が降臨したと伝わっています(賀茂山の麓の御阿礼所とも)。

そして崇神天皇の紀元前90年頃(崇神天皇7年)に神社の瑞垣の修造したとの記録が残り、その後も祭や社殿、御神宝等の奉納などの記録が残っているといいます。

このことから創建の正確な年代は不明なものの、紀元前をはるかに遡る、京都の寺社の中では最も古い歴史を持つ神社といえます。

また欽明天皇の代の544年(欽明天皇5年)4月に「賀茂祭(葵祭)」がはじめて開催され、その後698年(文武天皇2年)には多くの見物人が集まる葵祭を警備するよう命令が出されたとの記述も残っており、この時期には既に盛大な祭が開催されていたこと考えられています。

社伝では677年(天武天皇6年)に官営神社となり、翌678年に上賀茂の地に現在の社殿の基礎が造営されたと伝わります。

下鴨神社の分立

そして上賀茂神社と下鴨神社が上社と下社の二つに分かれた時期については諸説ありますが、奈良中期の746年(天平18年)の頃ことと考えられていて、750年(天平勝宝2年)12月に賀茂御祖大社に御戸代田一町を充てて奉る」との記録があるのが初出とされています。

また二つに分かれた理由については明確には分かっていませんが、賀茂祭が盛大に行われるなど、強大な力を持つようになった賀茂社に脅威を感じた朝廷が、上賀茂神社の下流に下鴨神社を創建することで氏子の勢力を二分したとも考えられています。

ちなみに正式名称はどちらも「賀茂」ですが、通称名の上賀茂と下鴨で「賀茂」と「鴨」と違う字が使われるようになった理由についても現在でははっきりしておらず、通称名としていつの間にか定着してしまったというのが真相のようです。

平安遷都後は「皇城鎮護の神」として崇敬を集める

794年(延暦13年)、桓武天皇により都が平安京に移されると、賀茂神社は平安京の守護神として山城国一ノ宮となり、皇城鎮護の神「賀茂皇大神宮」として天皇家からもより一層の信仰を集め、さらに京都の人々から親しまれる神社となりました。

807年(大同2年)には最高位の正一位の神階を受けて伊勢神宮に次ぐ地位が与えられ、その前年には「賀茂祭(葵祭)」も勅祭に。

更に810年(弘仁元年)には「賀茂斎院の制」が定められ、伊勢神宮と同様に斎院が置かれ、約400年の長きにわたって神社に奉仕する未婚の皇女「斎王」が賀茂社に奉仕しました。

また一定の周期を定めて社殿を新しくし神様に遷って頂く「式年遷宮の制」等が定められ、2015年までに42回の正遷宮が行われています。

国宝の本殿にあらゆる災難を除く「賀茂別雷大神」を祀る

国宝の本殿および41棟の重要文化財を含む社殿

上賀茂神社では平安中期以降、21年毎に御神体を除き全ての建物を新しくする「式年遷宮」を行っているため、古い建物はあまり残されていません。
ただし現在は社殿のほとんどが国宝や重要文化財に指定されているため、すべてを新しくすることはできず一部を修復するのみとなっています。

現在の本殿と権殿は1863年(文久3)に造替されたもので、東西に並んで配され共に正面に向拝(庇)をつけた「流造」の典型として国宝に指定されています。
そしてその他の社殿は江戸初期の1628年(寛永5年)に造替されたものです。

あらゆる災難を除く「賀茂別雷大神」

祭神「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」は、雷(いかづち)の神威によってあらゆる災難を除く厄除の神とされています。

また八方除、落雷除・電気産業の守り神、必勝の神としても信仰を集めています。

斎王代を主役とする華やかな行列が印象的な京都三大祭の一つ「葵祭」

「葵祭」は正式には「賀茂祭」といい、上賀茂神社と下鴨神社が合同で5月に1か月かけて行う祭礼のことで、祇園祭・時代祭とともに京都三大祭にも数えられています。

一般的には5/15に行われる斎王代を主役とする平安装束に身を包んだ総勢約500名の人々や牛車の大行列が京都市内を巡行する「路頭の儀」を特に「葵祭」と呼んで、新聞やマスコミの報道でも採り上げられることが多いです。

「山城国風土記」によれば6世紀中頃の544年(欽明天皇5年)の4月に鴨の神の祟りで飢餓疫病が蔓延した際に賀茂県主一族が内々で祭を行ったのがその起源とされ、7世紀後半に現在地に社殿が造営された頃に国司が監督を行う公的な祭となり、更に平安遷都後に賀茂神社が皇城鎮護の社とされると勅祭とされます。

しかし経費が増大などの理由で室町時代の1502年(文亀2年)以降は中断、約200年経った江戸時代の1694年(元禄7年)、葵を家紋とすることから祭を重要視した徳川幕府の後援を受けた霊元上皇などの尽力で復興を果たすこととなります。

葵祭と呼ばれ始めたのはこの頃のことで、玉依姫命と賀茂別雷大神が再開を果たした伝承に基づき、7500本ともいわれる二葉葵(フタバアオイ)の葉を衣装や牛車に飾ったことに由来しているといいます。

第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)に行列(路頭の儀)は再度中止されますが、戦後1953年(昭和28年)に葵祭行列協賛会などの手で復興を果たし、更に1956年(昭和31年)に斎王代(さいおうだい)を主役とする女人列が加えられて今日の葵祭の行列の形となりました。

「葵祭(賀茂祭)」には斎王代を主役とする行列「路頭の儀」のほかにも様々な行事があります。行列と同日には京都御所を出発し「路頭の儀」の行列を経て上賀茂・下鴨神社へ到着した勅使が、祭の本来の目的である賀茂の神に進物を捧げる「社頭の儀」が厳かな雰囲気の中で行われます。

また5/15の前儀としては5/3に下鴨神社の糺の森で行われる「流鏑馬神事」、5/4に上賀茂神社と下鴨神社で1年交替で行われる斎王代と女人列50余名の穢れを祓う「斎王代御禊の儀」、5/5に上賀茂神社で行われる「賀茂競馬(競馬会神事)」と下鴨神社で行われる「歩射神事」などが知られています。

御神体「神山」を模して作られた「立砂」と「烏相撲」

二ノ鳥居を入った正面、細殿の前にある一対の円錐形に盛られた「立砂(たてずな)」は、本殿の2km後方に位置し、祭神・賀茂分雷大神が最初に降臨したという御神体の山「神山」を模ったものといわれ、神が招き寄せられここに乗り移るという一種の憑代(よりしろ)なのだといいます。

祭神が降臨すると人々は神山に登って祭祀を行っていましたが、神職が装束をまとい山を登るのも困難であったことから祭神を里に迎えて祭祀を営むことになります。

そして当初は神山から引いてきた松の木を立て祭神を迎えていましたが、678年(天武天皇7年)に社殿を建てて祭神を迎えるようになると、松の木の代わりに松の葉を用いると同時に、松の葉の立てられた場所に砂を大きく盛り立砂がされるようになったといわれています。

そのため頂上には松の葉が立てられているのですが、数が3本と2本になっているのは陰陽道における陰と陽の一対、奇数と偶数が合わさることで神の出現を願っているのだといいます。

また上賀茂神社が長岡京の鬼門である北東に位置していることから、その方除のために設けられたともいわれており、現在の鬼門や裏鬼門にまく「清めの砂」や玄関に置く「盛り塩」の起源ともいわれています。

毎年9月9日に行われる烏相撲においは、この立砂の前に土俵が造られ児童による相撲奉納が行われますが、相撲の前には神の力を頂こうと児童たちは行事に連れられて立砂を3度回ることになっています。

ちなみに立砂は細殿の前のもの以外に本殿の祝詞座(のりとざ)の前と背後にもあるといい、いずれも形が崩れるとその都度神職の手により整え直されているのだといいます。

祭神の母・玉依姫命を祀り、紫式部も参拝に訪れた縁結びの社「片岡社」

境内北側、楼門の右手前にある「片岡社」の通称で呼ばれる社は正式名称を「片山御子神社」といい、上賀茂神社の主祭神・賀茂別雷大神の母・玉依比売命(玉依姫命)を祀ることから境内にある24の摂末社の中でも第一摂社に定められています。

延喜式の古社で1591年(天正19年)には最高位の「正一位」の神階が授けられているなど、朝廷よりも篤く信仰されてきました。

賀茂県主一族の中でも最も権威の高い女性として祭祀の実権を握り、主祭神・賀茂別雷大神の母として常にその側に仕え祭祀を司っていた存在であることから、神社にとっても重要な社の一つであり、現在においても上賀茂神社で祭礼が行われる際には先ず片岡社で儀式を行う「片岡社先祭」が恒例となっています。

また玉依比売命(玉依姫命)は平安時代より縁結び・恋愛成就・家内安全・子授け・安産の神様として知られています。

「源氏物語」を書いた紫式部も縁結びを祈願して度々参拝したといい、新古今和歌集に「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」の歌を残しています。境内には近年この歌碑も建立されました。

このエピソードにちなんだ源氏物語の挿絵がある「縁結絵馬」の授与も行われており、境内の絵馬掛けにはハート型にも見える葵の形を模した数多くの絵馬を見ることができます。

斎王代も登場、平安時代の雅な宴を再現した「賀茂曲水宴」

上賀茂神社の境内東を流れるならの小川の美しいせせらぎは、子供たちが無邪気に水遊びをする姿を見ることもでき市民憩いの場となっていますが、その分水には平安末期の風趣に富んだ姿を残す「渉渓園(しょうけいえん)」と呼ばれる庭園があります。

その渉渓園で毎年4月の第2日曜日に開催されるのが「賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)」で、平安時代に歌人を招いて行われていた雅な宴を再現したものです。

平安後期の1182年(寿永元年)に当時の神主・重保(しげやす)が15、6名の歌人を招いて行われたことに起源を持ち、1960年(昭和35年)、皇太子誕生を記念して再興されたのち暫く中断、1994年(平成6年)に皇太子殿下御成婚、平安建都1200年を記念し、上賀茂神社第41回式年遷宮の奉祝行事として復活ました。

「曲水の宴」といえば京都では城南宮のものもよく知られていますが、上賀茂神社の一番の見どころは歌題を読み上げるのが斎王代であること。前年の葵祭で主役を務めた斎王代の最後の仕事となります。

本殿に参拝後、渉渓園に舞台を移してまず斎王代より本年の歌題が披露され、その後童子が盃を運ぶ鳥形の小船・羽觴(うしょう)を流します。

そして川の流れに沿って座る歌人たちは盃が目の前を通り過ぎる前に短冊に和歌を詠み上げ、その後流れてくる羽觴より盃を受けて飲み干します。

和歌が詠まれた短冊は神職により集められ、その後冷泉家時雨亭文庫の方々により朗詠されます。

雅楽や爭曲の調べの中で雅な雰囲気の中で行われ、当日は見学者へ向けた野点、市も開催されます。

「斎王桜」と「御所桜」の2つの枝垂桜で知られる桜の名所

上賀茂神社は桜の名所としても有名で、毎年3月末から4月下旬にかけて境内の各所で多彩な桜を楽しめます。

中でも一ノ鳥居から二ノ鳥居の間の参道の右手にある京都の三大祭の一つ「葵祭」でお馴染みの斎王にちなんだ「斎王桜」と孝明天皇が奉納したという「御所桜」の2つの枝垂桜がよく知られています。

各種イベントも開催する「芝生広場」と市民憩いの「ならの小川」

上賀茂神社の一ノ鳥居から二ノ鳥居までの参道の左右には約1万5000平方メートルの広大な芝生が広がり、東を流れるならの小川の清らかな流れとともに市民の憩いの場となっています。

芝生広場では毎年5/5に西側の馬場で葵祭の前儀である「賀茂競馬(くらべうま)」が開催されるほか、社会貢献や地域活性化につながる行事などに限定して開放されており、有料でコンサートやフットサル大会、地元自治会の催しなどにも活用されています。

中でも2015年から開催されている「京都パンフェスティバル」は府内各地の有名ホテルや人気ベーカリーなどが多数出展し、パンの消費量が日本一多いとされるパン好きの京都の人々の間で好評を博しています。

また2006年3月よりならの小川沿いにて毎月第4日曜日に定期開催されている「上賀茂手づくり市」では、毎月約250店を超える手づくり作品のみを販売する店が出展し、アクセサリーに布小物や衣料、陶芸品に木工品、新鮮な農産物から美味しい焼菓子やパンなど、幅広いジャンルの店が軒を連ねます。

2軒の老舗で楽しめる門前名物の「やきもち」

「焼きもち」は控えめな甘さのつぶあんの入ったお餅に鉄板で焼き色を付けたもので、その香ばしさが持ち味。
上賀茂神社の門前には少し離れて2軒の焼きもち屋があり、上賀茂神社の門前名物として人気を集めています。

西側にある「神馬堂(じんばどう)」は1872年(明治5年)で、販売されているのは白い焼きもちのみ。

一つ一つ手作りで手焼きされており、日持ちはしないためお土産には不向きですが、餠本来の美味しさが存分に味わえる作り立てをその場で食べようと、長い行列ができることもしばしば。
しかも売り切れた時点で閉店のため、昼頃には販売を終了する場合もあるという人気のお店です。

一ノ鳥居前にある「葵家やきもち総本舗(あおいややきもちそうほんぽ)」もテレビや雑誌、各メディアで取り上げらる人気店で、白とよもぎの2種類があり、保存が1週間ほど利くことからお土産にも向いています。デパートの京都物産展やインターネットの通販でも購入できるのも魅力の一つです。

「社家の町並み」と「上賀茂伝統的建造物群保存地区」

上賀茂神社の境内の東を流れる「ならの小川(楢の小川)」は境内の北から南へと流れ、境内の南を東西に通る上賀茂本通(藤ノ木通)に交差した所で分岐し、東へ向かう流れは「明神川」と名前を変えます。

その川沿いに形成されている町並みは「社家の町並み」と呼ばれていて、歴史的な集落・町並みの保存を図るため文化財保護法によって定められた「伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

ちなみに京都市内で伝統的建造物群保存地区に指定されているのは産寧坂・祇園新橋・嵯峨鳥居本と上賀茂の4つだけ。
京都府内でもこの4つに加えて南丹市の美山町北(かやぶきの里)、伊根町の伊根浦(伊根の舟屋)、与謝野町の加悦(丹後ちりめん街道)の7つです。

「社家」とは特定の神社に代々仕えて神職を世襲する氏族をいい、「上賀茂社家町」とは上賀茂神社に奉仕する神職一族の屋敷が集まる地区の総称です。

上賀茂神社では古くより賀茂氏一族の中から社務職が選ばれていましたが、鎌倉以降は後鳥羽天皇の血筋を組む一族「賀茂七家(松下・森・鳥居大路・林・梅辻・富野・岡本)」が賀茂一族にかわって社務職を独占しました。

そしてそれらの社務職に携わる一族を中心として室町期頃より社家町が形成されはじめ、江戸時代にかけて今日の町並みが完成。最盛期には300件ほどの社家が存在していたといいます。

明治期の1871年(明治4年)に政府による神職の世襲廃止の影響もあり社家の数は20件ほどに減少しましたが、まとまった規模の社家の町並みが残されている例は極めて少なく、特に貴重な社家町の例として1988年(昭和63年)に「重要伝統的建造物群保存地区」、更に1997年(平成9年)には「上賀茂郷界わい景観整備地区」に指定され景観の保全が図られています。

社家の屋敷群は明神川の清らかな流れに沿って立ち並んでおり、周囲を風情ある土塀で囲まれ、明神川に架かる小さな石橋を渡った先に瓦葺きの門、そして門や土塀越しに見える前庭の木々が一体となって、独特の景観が生み出されています。

社家町は住宅街で観光地でないため公開されていない家がほとんどですが、明神川沿いに並ぶ社家屋敷の中程にある「西村家別邸」は旧宅の一部と明神川の流れを引き込んで造られた庭園が公開されており、当時の社家の生活ぶりを窺い知ることができます。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)の施設案内

賀茂川と高野川の合流地点より賀茂川の上流、市内の主要な通りの一つである堀川通を北に突き当たった京都市北部に位置。

すぐ西側を賀茂川が流れ、神社の裏手には山がそびえる自然豊かな場所に約67万平方メートルの広大な境内地を有しています。

境内は史跡に指定されており、南側にある一ノ鳥居から二ノ鳥居までは開放的な芝生が広がり、賀茂競馬(くらべうま)などの五穀豊穣の神事やイベントなどが開催されることもあります。

二ノ鳥居をくぐると一番最初に目に入る円錐形に整えられた「立砂(たてずな)」は社殿の北2kmの所にある御神体の山・神山(こうやま)を模したもので、その北側を中心に国宝の本殿・権殿をはじめ重要文化財にも指定されている檜皮葺の多くの建造物が立ち並んでいます。

境内の東側には森の木々の間をならの小川が流れ、子供が水遊びをする姿を見ることができるなど市民の憩いの場にもなっています。

社務所は境内の西側、そしてバス停のある一ノ鳥居の前には門前名物の焼き餅や漬物などの店もあり、そこから東には明神川の流れに沿って伝統的建造物群保存地区にも指定されている上賀茂神社の社家の町並みが続いています。

一方一ノ鳥居の西、賀茂川に架かる御薗橋を渡った西詰の御薗橋通には、御薗橋801商店街が西へと続いています。

御薗橋・一ノ鳥居

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    御薗橋

     

  • 賀茂大社の石標
    賀茂大社の石標

     

    案内板
    案内板

     

    広場
    広場

    一の鳥居前の広場
    観光客緊急避難広場にも指定されている

  • 一ノ鳥居
    一ノ鳥居

     

  • 「山城国一ノ宮 厄除明神 上賀茂神社」の石標
    「山城国一ノ宮 厄除明神 上賀茂神社」の石標

    一ノ鳥居右

  • 世界文化遺産の石碑
    世界文化遺産の石碑

    一ノ鳥居左

  • 高札所
    高札所

     

  • 高札所
    江戸時代の文人 賀茂季鷹(かものすえたか)の駒札

     

  • 表参道
    表参道

     

  • 斎王桜
    斎王桜

    当神社に奉仕された斎王が愛でられた桜

  • 御所桜
    御所桜

    孝明天皇御下賜の枝垂れ桜を当神社社家・蒋池清山が奉納

  • 馬出しの桜
    馬出しの桜

     

  • 鞭打ちの桜
    鞭打ちの桜(むちうちのさくら)

    ここで鞭を打つ

  • 見返りの桐
    見返りの桐

     

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    斎場

     

  • 勝負の楓
    勝負の楓

    もうよいもみじ
    ここで勝ち負けが決まる

  • 神馬舎
    神馬舎

    神馬「神山号」
    神馬みくじの授与も

  • 樗(おうち)の木
    樗(おうち)の木

    外幣殿の右奥、センダンとも、「徒然草」に見ゆ

  • 御所舎(外幣殿)(馬場殿)
    外幣殿(御所舎)(げへいでん(ごしょのや))(馬場殿)

    1628年(寛永5年)造替で国の重要文化財
    法皇、上皇等の御幸、摂関賀茂詣の着到殿
    競馬会神事、葵祭の際も使用される
    馬場殿とも

  • 五葉松
    五葉松

    二ノ鳥居前、神馬舎の向かい

二ノ鳥居

  • 二ノ鳥居
    二ノ鳥居

       

  • 境内案内図
    境内案内図

    二の鳥居左

  • 世界遺産の碑
    世界遺産の碑

    二の鳥居右

  • 上賀茂神社と謡曲「賀茂」の駒札
    上賀茂神社と謡曲「賀茂」の駒札

    世界遺産の碑の右

  • 風流桜
    風流桜

    葵祭の時「風流傘・花傘」がこの桜を目印に並べられる

  • 楽屋(楽舎)
    楽屋(楽舎)

    1628年(寛永5年)の造替で国の重要文化財
    神仏習合時代に供僧方の用いたもので、一切経楽屋ともいう

  • 土屋(土舎)(到着殿)
    土屋(土舎)(到着殿)

    1628年(寛永5年)造替の国の重要文化財
    往古より神主以下社司の着到殿
    現在は祓所として使用されている

  • 舞殿(橋殿)
    舞殿(橋殿)

    1863年(文久3年)造替の国の重要文化財
    往古より勅使御拝の殿舎

  • 祝橋
    祝橋

     

  • 御手洗川
    御手洗川

     

  • 禰宜橋
    禰宜橋

     

  • 細殿
    細殿(ほそどの)

    1628年(寛永5年)の造替の国の重要文化財
    行幸の際および斎王の御着到殿

  • 立砂
    立砂(たてずな)

    盛砂ともいい、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉
    神代の昔に祭神・賀茂別雷大神が最初に降臨した本殿の北北西2km奥にある円錐形の美しい形の神山にちなんだもので、一種の神籬(ひもろぎ=神が降りられる憑代)
    鬼門・裏鬼門に砂を撒き清める「清めのお砂」はこの立砂信仰が起源といわれている

  • 手水舎(神山湧水)
    手水舎(神山湧水(こうやまゆうすい))

    祭神・賀茂別雷大神が降臨された神山のくぐり水を汲み上げているという名水
    歴史上徳に由緒深い境内の井戸水と同じ水脈の名水で飲料用水質基準にも適合している

  • 樟橋(長寿橋)
    樟橋(長寿橋)

     

  • 橋本社
    橋本社

     

  • 授与所(祈祷受付)
    授与所(祈祷受付)

     

  • みあれ桜
    みあれ桜

    5月12日の神迎えの神事「御阿礼」の時にこの下を神幸する

  • 社爼橋
    社爼橋

    これより先は関係者以外立ち入り禁止

  • 自動車お祓所
    自動車お祓所

     

  • 憩の庭
    憩の庭

     

  • 御幸桜
    御幸桜(みゆきざくら)

    1863年(文久3年)の孝明天皇行幸の際、咲き誇る見事さに手折られ持ち帰ったという桜

  • 手洗所
    手洗所

     

  • 西鳥居
    西鳥居

     

  • 祭器庫
    祭器庫

     

社務所・境内西側

  • 社務所
    社務所

     

  • 入口
    入口

     

  • 参集殿
    参集殿

     

  • 参籠殿
    参籠殿

     

  • 客殿
    客殿

     

  • 神山
    神山(こうやま)

    正面に拝する円錐形の美しいお山で当神社の御神体山(御祭神が降臨された山)で禁足地

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    手洗所

    2017年(平成29年)に建て替えリニューアル

  • 参道
    参道

     

  • 駐車場入口
    駐車場入口

     

  • 参拝者用駐車場
    参拝者用駐車場

     

  • NO IMAGE
    駐輪場入口

     

  • 駐輪場
    駐輪場

     

三ノ鳥居・境内東側

  • 内川橋
    内川橋

     

  • 池殿橋
    池殿橋

     

  • 酒殿橋
    酒殿橋

     

  • 門

    三の鳥居へ向かう出入口

  • 駐輪場
    駐輪場

     

  • 参道
    参道

     

  • 東便所
    東便所

    三の鳥居側の手洗所

  • 駐車場
    駐車場

     

  • 供物井
    供物井

     

  • 梶田社
    梶田社(梶田神社)

    末社18

  • 山森社
    山森社(山森神社)

    末社16

  • 校倉
    校倉

     

  • 三ノ鳥居(奈良鳥居)
    三ノ鳥居(奈良鳥居)

     

  • 奈良社
    奈良社

     

  • 庁ノ舎(庁屋)(北神饌所)
    庁ノ舎(庁屋)(北神饌所)

     

  • 藤棚
    藤棚

     

  • 神事橋
    神事橋

     

  • ならの小川
    ならの小川

    「小倉百人一首」の古歌で藤原家隆が平安の昔に神職がみそぎを修していた情景を詠んだ「風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける」の歌で有名

  • 藤原家隆の歌碑
    藤原家隆の歌碑

    傍らに「ならの小川について」の駒札

  • イチイガシ
    イチイガシ

    区民誇りの木

  • 夜具橋
    夜具橋

     

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    李朝式庭園

     

  • 渉渓園
    渉渓園(しょうけいえん)

    「賀茂曲水宴」開催の地

  • 渉渓園
    睦の木(スダジイ)

    300年以上昔よりこの大地に根ざしているという睦(むつみ)の木
    一つの根より大樹が何本も伸びていることから、一つに結ばれた仲睦まじい家族を表し、家族の絆や家内安全を見守る木として厚く信仰されている

  • 願い石(陰陽石)
    願い石(陰陽石(おんみょうせき))

    渉渓園内の山口社の拝殿すぐ右手にある
    渉渓園は古く龍の棲む池があったといわれ、池の底より出土した石は「陰陽石」といい、陰と陽が極まり融合した姿を現しているという
    両手で同時に触れて力を頂いてから賀茂山口神社へ参拝するのが習わし

  • 山口社(賀茂山口神社)(沢田社)
    山口社(賀茂山口神社)(沢田社)

    成長・実りの神様

  • 山口社拝殿
    山口社(沢田社)拝殿

     

  • 参道
    参道

     

  • 鳥居
    鳥居

    二葉稲荷神社の鳥居で分岐点になっている

  • 神宮寺跡
    神宮寺跡

     

  • 石段
    石段

     

  • 二葉稲荷神社
    二葉稲荷神社

     

  • 参道
    参道

    岩本社への参道

  • 岩本社
    岩本社

     

  • 紫式部歌碑
    紫式部歌碑

    ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに たちやぬれまし

本宮(楼門・本殿)

  • 岩上
    岩上(がんじょう)

    葵祭(賀茂祭)の際に宮司はこの岩の上に蹲踞、勅使と対面し、御祭文に対して神のご意志を伝える「返祝詞(かえしのりと)」を申す神聖な場所
    神山とともに賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所

  • 玉橋
    玉橋

    国の重要文化財
    木造反橋、高欄付

  • 楼門
    楼門

     

  • 賀茂桜
    賀茂桜

    悠久の時を経て楼門とともに社頭を飾る桜

  • 須波社
    須波社(須波神社)

     

  • 片岡社(片山御子神社)
    片岡社(片山御子神社)

     

  • 片岡社拝殿
    片岡社拝殿

     

  • 御物忌川
    御物忌川

     

  • 片岡橋
    片岡橋

    国の重要文化財
    木造廊橋、唐破風造

  • 東廻廊
    東廻廊

     

  • 幣殿
    幣殿

     

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    忌子殿(祈祷殿)

     

  • 西廻廊
    西廻廊

     

  • 授与所
    授与所

     

  • 高倉殿
    高倉殿

    特別参拝申込者への展示拝観を行っている

  • 棚尾社
    棚尾社(棚尾神社)

     

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    中門(ちゅうもん)

     

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    前廊

     

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    祝詞舎

     

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    透廊

     

  • 本殿
    本殿

     

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    権殿

     

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    杉尾社

     

  • 直会殿(西局)
    直会殿(なおらいでん)(西局)

    1628年(寛永5年)の造替で国の重要文化財
    祭典終了後に神職・参拝者が直会(御神酒)を頂く建物

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    楽所

     

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    西御供社

     

  • 御籍屋(東局)
    御籍屋(みふだのや)(東局)

    1628年(寛永5年)の造替で国の重要文化財
    現在は神前結婚式場などに使用

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    土師尾社

     

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    若宮社

     

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    東御供所

     

  • 川尾社
    川尾社(川尾神社)

     

  • 伊勢神宮遥拝所
    伊勢神宮遥拝所

     

  • 新宮門
    新宮門

     

  • 新宮社(新宮神社)
    新宮社(新宮神社)

    大きな力と癒しを与える龍の神を祀る

  • 新宮社拝殿
    新宮社拝殿

     

  • 山尾社
    山尾社

     

  • 唐門
    唐門

     

関連

周辺

上賀茂神社(賀茂別雷神社)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1
歳旦祭(さいたんさい)・初詣

年頭にあたり新年の安寧を祈願
5:00

1/5
新年竟宴祭(しんねんきょうえんさい)

 

1月初卯日
初卯神事(はつうしんじ)

正月初卯の日に平安時代に邪気を祓うものとして用いられた卯杖(うづえ)を奉る神事で、祈願した卯杖は宮中で献上する習わしとなっている
元旦から節分まで授与所にて厄除けの卯杖の授与も行われる
10:00

1/7
白馬奏覧神事・七草粥の接待(はくばそうらんじんじ)

年始に白馬(青馬)を見ると一年の邪気が祓われるという宮中の儀式「白馬節会(あおうまのせちえ)」に由来する神事
神前に七草粥を供え、神馬(神山号)をを神覧に供し除災招福を祈願
牽馬の儀は12:00、13:00、14:00、15:00にも
二ノ鳥居前にて上賀茂神社婦人会奉仕により厄除けを願う七草粥接待も(有料)
10:00

1/14
御棚会神事(みたなえしんじ)

古くから上賀茂神社の神領であった賀茂六郷から鰤や蛸などの神饌が奉納されたことにちなむ神事
14:00

1/15
御粥神事(みかゆしんじ)

「小豆粥神事」とも呼ばれ、小正月である1/15に小豆を食すことで邪気が祓われるという故事に則り行われる神事
春の木である樒(しきみ)で作られた「粥杖」を小豆粥とともに神前に供え、国家の安泰と年中の除災を祈願する
この粥杖でご張台の柱などを叩くことにより、社殿に春の気がもたらされるという
10:00

1/16
武射神事(むしゃじんじ)

外幣殿前の芝生に設けられた長さ40m余りの射場にて、神職が烏帽子・狩衣姿で裏に「鬼」と書かれた大的を射て邪気を払い五穀豊穣を祈願
その後小笠原流近畿菱友会による大的式、または次々に矢を射る百手式(ももてしき)の奉納が行われる
11:00

2月節分の日
節分祭・古神札焼上祭

除災を祈念して各家庭で一年間祀られていた御神札等のお焚上げや祈願木の御祈念が行われるほか、福豆の授与も
10:00

2/11
紀元祭(きげんさい)

2月11日は元々は「紀元節」といわれ、初代天皇である神武天皇が紀元前660年に橿原の地で即位した日を奉祝し、国家安泰と国民繁栄が祈願されていた
終戦後のGHQの政策により一度は廃止されたが、1967年(昭和42年)に佐藤栄作内閣により「建国記念日」が制定され、祝日となって現在に至る
上賀茂神社では古来より当日に祭典を行っており、当日は国旗掲揚・国歌「君が代」斉唱および神事のほか、奉祝行事として蹴鞠保存会による蹴鞠や、氏子の子供らが日頃から練習に励んでいる剣道や空手の武道の奉納も行われる
また神馬「神山号」も姿を見せてくれる

9:00~10:00
柊友会(しゅうゆうかい)による「剣道奉納」

10:00
二ノ鳥居横の国旗掲揚塔の前にて、神職と参列者全員による「国旗掲揚」および国歌「君が代」の斉唱

10:00~10:45頃
本殿において「紀元祭」斎行

10:15~10:50頃
「空手奉納」
白峰塾、柊野保育園空手教室、柊野拳友会による型の披露と板割り

11:00~11:50頃
蹴鞠保存会による「蹴鞠奉納」

2/24
幸在祭(さんやれさい)

上賀茂地域の農家で古くより行われている元服式(成人祭)
15歳の少年の氏子たちが羽織姿で太鼓を打ち鳴らしながら上賀茂神社、摂社・大田神社、田の神と山の神に元服を奉告 正午頃

2月第2の子の日
燃灯祭(乙子神事)(ねんとうさい(おとねのしんじ))

平安期に宮中行事として行われた子(ね)の日の遊びを神事化したもの
神職一同狩衣姿で御阿礼野(みあれの)に出て、新芽の松(小松)を引き、それに玉箒草(燃灯草)を添えて神前に献る
14:00

3/3
桃花神事(とうかじんじ)

神前に神饌の草餅と悪鬼を祓う桃の花・田の神への辛夷(こぶし)の花を供え、疫病の災いを祓い国家安寧を祈念
10:00

静岡まつり(4/5~4/7)の1週間前
葵使出発式

 

4月第2日曜
賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)

古の平安の宴を再現したもので、当日は斎王代の陪覧の下、雅楽や爭曲の調べの中で平安装束に身を包んだ歌人たちにより和歌が詠まれ、冷泉家時雨亭文庫の人々により雅に朗詠される
当日は野点や市なども開催
13:00

5/1
賀茂競馬足汰式

 

5/4
斎王代御禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)

葵祭の神事で、賀茂祭(葵祭)の斎行にあたり行列の中心となる斎王代と女人列に参加する約50人の女性たちが境内の橋殿にて身を清める儀式
毎年下鴨神社と交替で行われる(隔年)
10:00

5/5
賀茂競馬(かもくらべうま)(競馬会神事(くらべうまえしんじ)

葵祭の神事で、平安時代の1073(寛治7年)に堀河天皇が宮中の武徳殿の競馬の儀式を移して奉納したという古い歴史を持つ
赤装束(左方)と黒装束(右方)を身に着けた乗尻(のりじり)と呼ばれる騎手のまたがる馬がそれぞれ左右に別れ、約400mある馬場を駆け抜けて馬の速さと作法を競って天下泰平・五穀豊穣を祈願
14:00

5/12
御阿礼神事(みあれしんじ)

葵祭の神事で、上賀茂神社の祭儀の中で最も古く重要な神霊をお迎えする神事
深夜に行われ、秘儀として一般非公開

5/15
葵祭(あおいまつり)(賀茂祭)

京都三大祭の一つに数えられる祭
千四百年ほど前、凶作に見舞われて飢饉疫病が蔓延したときに欽明天皇が「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源
雅で華やかな平安装束に身を包んだ人々や牛車の大行列が京都市内を巡行する「路頭の儀」と賀茂の神に進物を捧げる「社頭の儀」で構成
現在では1956年(昭和31年)に追加された斎王に代わる「斎王代」を中心とした「女人列」が一番の見どころとなっている

5/15
上賀茂やすらい祭

 

6/6
紀州梅道中

紀州梅の会の主催で、6/6の梅の日にちなみ時代装束をまとった参列者が行列を組み紀州より青梅を奉納する
下鴨神社は10:30、上賀茂神社が13:30

6/10
御田植祭(おたうえさい)

平安遷都以前から行なわれていたという最も古い神事の一つ
本殿で祭典の後、稲の神とされる御歳神を祀る摂社・沢田神社(賀茂山口神社)へ向かい五穀豊穣を祈願
神事の終了後にならの小川に架かる神事橋にて川中に早苗を後ろ向きに投じる
10:00

6/30
夏越祓(なごしのはらえ)

10:00より無病息災を祈願して宮司以下の神職が二の鳥居内の巨大な茅の輪をくぐる夏越神事、参拝者はそれに引き続き茅の輪をくぐることができる
20:00よりかがり火が焚かれたならの小川に人形(ひとがた)を投じて1~6月の半年間の罪・穢れを祓い清める

7/1
御戸代会神事(みとしろえじんじ)・賀茂御戸代能「薪能」(かもみとしろのう「たきぎのう」)

御戸代とは神前に供する稲を作る神田のことで、10:00より田植えの終了後に害虫除けを祈願
御戸代能は農夫の労をねぎらう意味で田楽・猿楽などが行われたのがはじまりで、現在は18:00より細殿にて観世流能・大蔵流狂言が奉納される

7月第4日曜
賀茂の水まつり

水を司る摂社・新宮神社の竜神を境内の馬場殿に招き、水に感謝し酷暑を無事に過ごせるよう祈願する祭典
17時より神事・神楽「賀茂の舞」奉納の後、17時半より絵馬神輿と樽御輿が境内を巡行して「ならの小川」を渡る
その他当日は流し素麺やかき氷、ミニ鉄道搭乗体験、お茶席の縁日のほか、音楽・書道・和太鼓などのステージなど様々な催しも開催される
また境内のあちらこちらには願い事が書かれた短冊が数多く吊り下げられた笹が飾られ、七夕の雰囲気を味わうこともできる

10時~16時頃 縁日・ステージ
17時 祭典・神楽「賀茂の舞」の奉納
17時半 神輿渡御
同日は「上賀茂手づくり市」も開催 09:00~16:00

9月第2土曜
紅葉音頭(もみじおんど)

正式には「もみじ音頭大踊り」といい、もみじ音頭保存会の主催で上賀茂神社一ノ鳥居前の広場で毎年開催
元々はは御所の庭で踊られていたという由緒あるもので、江戸初期から中期にかけて上賀茂一帯に流行、現在は京都市の無形民族文化財にも指定されている
浴衣姿に前垂れをつけ、たすきがけをした女性達が音頭に合わせて踊り、一般参加も可能
20:00

9/9
重陽神事(ちょうようじんじ)・烏相撲(からすずもう)

五節句の最後を飾る「重陽の節供」の日に神水に菊の花びらを浮かべ、菊の香りを移した菊酒を飲むことによって邪気を祓い長命を祈願する神事
古代中国では奇数は良いことを表す陽数、偶数は悪いことを表す陰数と考えられ、中でも奇数の最大値「9」は陽の極まった数であり、その9が重なる9月9日には「重陽」として不老長寿を願う節供行事が行われてきた
また旧暦の9月9日は新暦の10月中旬~下旬頃にあたり菊の美しい季節であることから「菊の節供」とも呼ばれ、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲むのが風習となった
10:00より本殿に菊花を供え延命長寿・無病息災を祈願するほか、菊酒の無料接待も行われる
続けて地域の子供たちにより奉納される烏相撲は、祭神の外祖父で下鴨神社の祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が神武天皇東征に際し、八咫烏(やたがらす)に化身して先導した故事に基づくもの
白い装束を着た刀弥(とね)による烏の鳴き声がユーモラスな儀式の後、禰宜方(ねぎかた)と祝方(ほうりかた)に分かれて行われる

9/11
賀茂の馬まつり(かものうままつり)

神話の時代に神託に基づき馬に乗り賀茂別雷大神の降臨を願った事から日本乗馬発祥の地とされており馬と縁が深く、賀茂御祖神社(下鴨神社)で隔年でJRAや馬主たちと共に馬事安全祈願と慰霊を行う
牽き馬の儀式もあり神山号(こうやまごう)を神覧に供するほか、楼門内で氏子小学生による「馬の写真展」が期間の前後数日間実施される

9月中秋の名月
賀茂観月祭(かもかんげつさい)

芝生内の馬場殿にて神事の後、様々な奉納行事が行われ、にごり酒や月見団子が無料接待が先着順で行われる
17:30

10月第3日曜
笠懸神事(かさがけしんじ)

笠懸は日本書紀にも登場する日本古来の弓馬術
1214年(建保2年)に後鳥羽天皇の賀茂社行幸の際に行われた記録があるといい、2005年(平成17年)に800年ぶりに再興された
武田流弓馬道奉仕により境内の芝生にて疾走する馬上から的をねらう勇壮な神事
40cm四方の的を射る遠笠懸と、馬の足元に設けられた10cm四方の的を射る小笠懸がある
13:00

10月下旬頃
京都パンフェスティバル in 上賀茂神社

 

11/3
明治祭

明治天皇の御聖徳を偲び国家の安泰を祈念
10:00

11/3
きもの園遊会

 

11/13
相嘗祭(あいなめさい)

新嘗祭に先立ち71座の神々に新穀を奉られたとされる祭儀
10:00

11/23
新嘗祭(にいなめさい)

新穀を神前に供え、秋の実りを感謝する神事
毎年氏子中より野菜の奉献がある
10:00

11/23前後
鎧着初式(よろいきぞめしき)

平安鎌倉期の伝統儀式「鎧着初め」を行う
新調の手作り鎧兜を身に着けた武者行列も見もの

12月上旬
すぐき奉納報告祭

今上陛下の御生誕を奉祝し御代の弥栄を祈念

12/13
宝船御飾清祓式

今上陛下の御生誕を奉祝し御代の弥栄を祈念

12/23
天長祭(てんちょうさい)

今上陛下の御生誕を奉祝し御代の弥栄を祈念

12/31
御禊・大祓式(ぎょけい・おおはらえしき)

知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢を祓い清めるための神事
身代わりの人形を境内「ならの小川」に投流し「中臣祓詞」の奏上、「裂布」「解縄」の神事を行う

毎日・月並行事

毎月1日
月次祭(つきなみさい)

月初に際し國家安泰・皇室と國民の平安を祈願
1月と7月のみ15日に開催

花ごよみ

2~3月
梅(ウメ)

二ノ鳥居前に紅梅と白梅(風流桜の傍らに紀州から献上された南高梅)
2006年から6/6が「梅の日」と定められ、6/6と10/10に梅業界の発展を祈願して和歌山県田辺市の「紀州梅の会」より梅が奉納される

3月末~4月下
桜(サクラ)

紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)、白枝垂桜(シロシダレザクラ)、染井吉野(ソメイヨシノ)、山桜(ヤマザクラ)、緋寒桜(ヒカンザクラ)、蜂須賀桜(ハチスカサクラ)など約300本
緋寒桜(ヒカンザクラ)にはじまり、境内の各所で多彩な桜を3月中旬から5月上旬頃まで長期に楽しめるのが特徴
全体としては4月中旬くらいが一番見頃の時期だが、白枝垂桜の「御所桜」は早咲きで4月上旬に開花する

中でも一ノ鳥居から二ノ鳥居の間の参道の右手(東側)にある「斎王桜」「御所桜」の2つの枝垂桜が最も有名
ただし両者の満開の時期には若干差があるため、同時に満開を見るのは難しい

「斎王桜」(参道東・南側)
皇室からの崇敬篤かった賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)は、平安時代には「賀茂斎院の制」が定められて、伊勢神宮と同様に斎院が置かれ、約400年の長きにわたって神社に奉仕する未婚の皇女「斎王」が賀茂社に奉仕
京都の三大祭の一つ「葵祭」では斎王に代わる斎王代が主役を務めるが、この桜はかつて神社に奉仕された斎王にちなんだ桜で樹齢約150年
紅枝垂桜で、濃いピンク色の花が斎王を彷彿とさせ美しく、4月中頃に見頃を迎える

「御所桜」(参道東・北側)
孝明天皇が京都御所より奉納した枝垂桜ということからこの名がついたといい、樹齢約180年
白い花が咲き、他の桜より1週間早く開花
3月下~4月上旬が見頃

芝生の広がる参道の左手(西側)の馬場の方に葵祭の前儀となる5/5の「賀茂競馬」の際に乗尻(騎手)の目印となる山桜が2本がある
「馬出しの桜」(参道西・南側)
「鞭打ちの桜」(参道西・北側)
このうちスタート地点(南側)にある馬出しの桜は樹齢100年以上、高さ約5m、幹周りが約2mの大木だったが、2011年(平成23年)5月29日に台風2号から変わった温帯低気圧による強風のため根元から折れてしまい、新しい桜が植樹された

「風流桜」
二の鳥居の隣で咲く紅枝垂桜

「みあれ桜」
葵祭の5/12の神迎えの神事「御阿礼神事」の際に、桜の下を神幸する
二の鳥居をくぐり立砂が盛られた細殿の左に奥にあり、紅い花を咲かせる
JR東海の「そうだ京都行こう」の2007年春のポスターではみあれ桜と立砂のカットの写真が使用されている

「賀茂桜」
朱塗りの楼門前に咲く少し遅咲きの八重桜
悠久の時を経て楼門と共に社頭を飾る桜と説明板にある

「御幸桜」
西鳥居のそばにある孝明天皇ゆかりの山桜

他に
本殿楼門前の中洲に「緋寒桜」
一の鳥居前に「蜂須賀桜」

5~6月
杜若

東にある境外摂社・大田神社にカキツバタの群落があり天然記念物にも指定
5月初旬から中旬にかけて25000株

5~6月
花菖蒲

日本庭園「渉渓園」内で多く見られる
庭園は通常非公開だが、花菖蒲開花中のみ特別公開される

8~10月
萩(ハギ)

ならの小川の川沿いや本殿前のみたらし川付近

11月中~12月上
紅葉(こうよう)

広々とした境内の随所が色づき、常緑樹の緑と紅葉の赤やオレンジとのコントラストが楽しめる
例年11月中旬から色づきはじめ、見頃は11月下旬から12月上旬頃
境内で最初に色づき始めるのは日当たりの良いニノ鳥居付近で、錦絵のような真っ赤な紅葉が楽しめると評判
またならの小川沿いはカエデの木が多く、オレンジと黄色のグラデーションが見事な紅葉のトンネルを満喫できる

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