岩佐家住宅 京都観光

岩佐家住宅

岩佐家住宅

 

 

岩佐家住宅とは?(基本データ)

名前
岩佐家住宅(いわさけじゅうたく)
エリア
北山・上賀茂
ジャンル

邸宅・屋敷・別荘

建立・設立
[主屋] 宝暦年間(1751-64)には既に建てられていたものと推定
アクセス
駐車場
なし
拝観料
 
お休み
通常非公開
拝観時間
 
住所
〒603-8074
京都府京都市北区上賀茂南大路町78
電話
-
FAX
-
公式サイト
京都市指定・登録文化財 - 建造物(北区) 京都市情報館

岩佐家住宅の地図

岩佐家住宅のみどころ (Point in Check)

京都市北区上賀茂南大路町、世界遺産・上賀茂神社の一の鳥居前から上賀茂本通の南側に並行して東へと流れる明神川沿いに続く「上賀茂社家町」にある旧社家の邸宅。

この点、賀茂神社の境内を流れ出た「ならの小川」は、直後に流れは2つに分岐して、一つは南西へと流れて賀茂川へ、もう一つは上賀茂神社の前を東西に通る上賀茂本通(藤ノ木通)の南側を並行する形で東へと流れていき、以降は「明神川」の名前となります。

そしてこの上賀茂神社前から明神川に沿って東へと続く上賀茂本通(藤ノ木通)の道沿いには、室町時代から代々上賀茂神社に神官として仕えた社家(しゃけ)と呼ばれる人たちの屋敷が立ち並び、「社家町(しゃけまち)」と呼ばれる町並が形成されていることで知られています。

神職は仕える神社のすぐ側に家を構えることが多いため、特に大きな神社ともなれば数多くの神職たちの屋敷が建ち並び大規模な社家町が形成されることも珍しくはありませんが、江戸時代の上賀茂神社の社領は2500石余とかなりの広大な規模であったため、その規模は大きく275軒あったといわれています。

明治以降は世襲制が廃止されたために社家の数は徐々に減少していき、明治の終わり頃にはおよそ150となり、現在は20数軒が残るのみとなっていますが、それでも全国的には社家町がまとまって残っているのは島根県の出雲大社と奈良県の春日大社ぐらいで、上賀茂の社家町のようにまとまった規模で残されているのは全国的にみても珍しいといいます。

それに加えて上賀茂神社の社家町においては建物が上賀茂神社の本殿より高くなってはならないとされていたことから、平屋ないしは二階建ての建物までに抑えられてきたことで、整然とした美しい街並みが形成され、

更に「豕扠首(いのこさす)」と呼ばれる独特の妻飾りを持つ主屋を、上部に鳥居の貫(ぬき)に似た横木を付け鳥居に見立てた門と土塀とで囲い込み、前庭や生垣の樹木と門前を流れる明神川、そして川に連続して架かる門前の小さな橋などが独特の趣ある景観を構築しており、歴史的かつ文化的に保護する価値の高いものとして、1988年(昭和63年)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

また伝統的建造物群保存地区の周辺地域22hが1997年(平成9年)に京都市より「界わい景観整備地区」の指定を受け、景観保全の取り組みが進められています。

このうち「上賀茂伝統的建造物群保存地区」の指定範囲は2.7haで、上賀茂神社一の鳥居の東側の三叉路から、上賀茂本通(藤ノ木通)を東へ進んだ約300m、上賀茂神社の境外末社で、明神川の守護神として信仰されてきたという樹齢500年の楠が印象的な藤木社(ふじきのやしろ)までの間までの建物が対象となっています。

対象となっている屋敷は土産物屋や料亭などの店舗や病院、そして普通の民家となっているものもあり、その多くは観光目的での見学はできませんが、一般開放を行っている社家として「西村家別邸」がよく知られています。

その一方で「上賀茂伝統的建造物群保存地区」の指定範囲の外にも社家の遺構とされる建物は残されていて、そのうち「井關家住宅(井関家住宅)」「梅辻家住宅」「岩佐家住宅」の3つが京都市指定登録文化財に登録されています。

「岩佐家住宅」は、伝統的建造物群保存地区の東端にあたる藤木社のあるT字路から南へと続く南大路辻子を南へとやや下がった所にあり、上賀茂南大路町の南方に位置し、社家の建物の中では最南端ともいえる場所にあります。

鎌倉時代まで上賀茂神社の世襲制の神職は賀茂県主の後裔という「氏・平・清・能・久・俊・直・成・重・幸・季・保・宗・弘・顕・経」のいわゆる「賀茂十六流」の中からのみ選ばれていたといいいますが、「岩佐家」は代々上賀茂神社に仕えていた社家の一つで、このうち「氏」の流に属している家柄だといいます。

現在の邸宅は江戸中期までに建築されたと推定されており、主屋のほか土蔵、表門、土塀に加え主屋の南に庭園が残されています。

このうち最も古いとされる「土蔵」は江戸中期の1764年(宝暦14年)の建造。

そして「主屋」は宝暦年間(1751-64)には既に建てられていたものと推定され、主屋の南側に付け足された「座敷」は1772年(明和9年)に普請願が出されており、遅くとも1785年(天明5年)にはほぼ現在の間取りとなっていたといいます。
鳥居形の玄関や供待ち、束と貫で飾る妻面の外観などの社家住宅としての特徴を色濃く残しており、上賀茂の社家住宅の成立の歴史を知る上で貴重な建物です。

一方、「庭園」は主屋の座敷南側にあり、藤木社の所で分岐し南進してくる明神川の支流を西側から引き込む形で池に水を取り入れ、再び川に戻す形式という社家庭園に特徴的な構造となっています。

この池庭は作庭年代は不明であるものの、1782年(天明2年)に南隣の土地を購入して敷地を広げたことが当家の所蔵文書から判明しており、この時に現在の庭園の原型が造られ、その後何度か手直しがなされたものと推測されるといいます。

特徴としては水垢離(みずごり)の場として造られたことを裏付けるみそぎの三宝を供えたという石が残るほか、池の西側に梅の古木、更にはかつて社家の家では神事などに使うため譲葉(ゆずりは)、榊(さかき)、小賀玉木(おがたまのき)の3つを必ず植えていたといううちの一つで、注連縄飾りや三方飾りに使われる「譲葉(ユズリハ)」の植栽が社家庭園であることを特色づけています。

そしてこれらの邸宅を構成する構造物のうち、主屋以下の建物と庭園が1986年(昭和61年)6月2日に「京都市指定有形文化財」および「京都市指定名勝」に指定されています。

内部は通常非公開でなかなか目にすることはできませんが、表門のそばに見事な枝垂れ桜の木があり、見頃の時期には美しい花を咲かせているのを目することはできます。

岩佐家住宅の施設案内

 

邸内

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    表門

     

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    土塀

     

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    枝垂桜

     

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    主屋

    1785年(天明5年)にはほぼ現在の間取りとなっていたという
    屋根のみ当初は棟を南北に通した寄棟造であったものが、1824年(文政7年)に現在の形に改められている

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    土蔵

    1764年(宝暦14年)の建造で邸内で最も古い建造物

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    主屋南庭

     

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    南大路辻子

     

周辺

岩佐家住宅の主な年間行事・カレンダー

年中行事

 
 

 

月並行事

 
 

 

花ごよみ

 
桜(サクラ)

 

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