琵琶湖疏水
琵琶湖疎水とは?
「琵琶湖疏水(びわこそすい)」は琵琶湖の水を京都市へ流すため明治初期に作られた全長11.1kmの水路。
滋賀県大津市からトンネルや水路を開削して京都市まで水を引くという一大プロジェクトで、京都への飲料水の供給や水運、水力による発電、灌漑を目的として計画され、1890年(明治23年)に完成した第1疏水と、1912年(大正2年)に完成した第2疏水を総称したものを指します。
現在は蹴上浄水場への供給が主目的とされていますが、明治における日本の土木技術の水準の高さを示す画期的な事業であり、1996年(平成8年)には国の史跡に指定されています。
琵琶湖疏水の歴史
「禁門の変」で京都市内の大半が焼け、また明治初期に東京に都が移り衰退しかかった京都の復興を図るため、第3代京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち 1836-1916)が琵琶湖の豊かな水源に着目し計画。
主任技師として選任されたのは工部大学校(現在の東京大学)を卒業したばかりの青年技師・田辺朔郎(たなべさくろう 1861-1944)で、 卒業論文「琵琶湖疎水工事の計画」で世界的に脚光を浴び、わずか21歳で工事責任者として抜擢され、後に近代日本の土木工学の祖といわれる存在となった人物です。
建設には当時の金額で約125万円、京都府の年間予算の約2倍という膨大な費用が投じられ、まず現在「第一疏水」と呼ばれている部分が1885年(明治18年)の着工の後、1894年(明治27年)に完成。
琵琶湖疏水工事は当時の日本における重大な建築工事は全て外国人技師の設計・監督に委ねていた時代にあって、全て日本人の手によって行った我が国最初の大土木事業であったといいます。
用いられた資材はレンガ約1400万個、木材300万才(300万立法尺)、セメント3万樽、ダイナマイト類7000貫目に及んだと記録されていて、このうちレンガはすべて国産のもので、京都府が疎水建設のための煉瓦製造工場を建設し供給されたといい、工場跡であることを示す石碑が地下鉄御陵駅の出入口付近に建てられています。
この琵琶湖疏水の主な目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車を動力とした紡績業、そして潅漑用水や防火用水などでしたが、水力発電の有利性も注目されるようになり、1889年(明治22年)に日本初の水力発電所として「蹴上発電所」が建設され、1891年(明治24年)に送電を開始すると、この電力を用いて1895年(明治28年)には京都~伏見間で日本初となる電気鉄道「京都電気鉄道(京電)」の運転も始められ、京都の近代化と文明の発展に大いに貢献することとなります。
更に水力発電の増強と水道用水確保のため、第一疏水の開通から20年後の明治後期から大正初期にかけて「第二疏水」も整備されることとなり、1908年(明治41年)に工事がはじまり、1912年(大正2年)に完成していますが、流路はほぼトンネル(暗渠)となっているため、流れを実際に目にすることはないといいます。
琵琶湖疏水が開通し、水力発電が採用されたことで、新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し、京都は再び活力を取り戻すとともに、今日の京都のまちづくりの基礎が出来上がったといえます。
琵琶湖疏水は今日においても京都に琵琶湖の水を供給し続け、科学技術等の発達によってその役割は減ったものの、蹴上浄水場へ供給する上水道の水源とという重要なインフラとしての役割を担い続けていますが、これとは別に建設から100年以上が経過し、その歴史的価値に着目し新たな観光資源としての役割も担うようになっています。
明治における日本の土木技術の水準の高さを示す画期的な事業であり、第1~第3トンネルの各出入口、第一・第二竪坑、日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡11号橋)やコンクリートアーチ橋(山ノ谷10号橋)、そして蹴上インクラインと南禅寺水路閣の計12か所が1996年(平成8年)に「国の史跡」に指定。
2020年(令和元年)には「京都と大津を繋ぐ 希望の水路 琵琶湖疏水」として文化庁選定の「日本遺産」にも認定されています。
また1989年(平成元年)8月9日には竣工100周年を記念し、疏水の意義を1人でも多くの方に伝え先人の偉業を顕彰するとともに、将来に向かって発展する京都の活力の源となることを願って、琵琶湖疏水のすべてが分かる資料館として「琵琶湖疏水記念館」も開館されました。
そしてその遺構はレンガ造りのレトロな雰囲気の近代建築であるものが多く、南禅寺の「水路閣」や「哲学の道」など新たな景勝地も誕生しているほか、近年は「蹴上インクライン」や「山科疏水」なども桜の名所として有名なスポットとなっています。
また2003年(平成15年)3月に京都府・大阪府・滋賀県の琵琶湖・淀川流域で開催された「第3回世界水フォーラム」の記念行事として開催されたのをきっかけとして始められ、近年は春の風物詩としてすっかり定着した岡崎疏水での「岡崎さくら・わかば回廊 十石舟めぐり」や、一時期は休止していた琵琶湖疏水の船運事業を2018年(平成30年)春に67年の歳月を経て新たに観光船として復活させた「びわこ疏水船」など、琵琶湖疏水を船で巡る乗船体験も楽しめるようになっています。
「琵琶湖第一疏水」について
滋賀県大津市三保ヶ崎の琵琶湖取水点から長等山をトンネルで抜け、山科北部の山麓をめぐり(山科疏水)、蹴上に出ると約36mの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下り、蹴上の南禅寺船溜から西へと流れて平安神宮の南を通り(岡崎疏水)、夷川ダム、夷川発電所を経て鴨川へと出ます。
鴨川合流点から下流は鴨川沿いに南下していき、深草を経て伏見で濠川につながり、そのまま宇治川に放流されます。
このうち南禅寺船溜から鴨川合流点までを「鴨東運河」と呼び(1890年完成)、
それより下流は「鴨川運河」と呼ばれます(1894年完成)。
「琵琶湖疏水分水」について
蹴上からは「疏水分線」が出ており、大文字の山麓に沿って南禅寺水路閣から北へ、哲学の道沿いに若王子から銀閣寺道まで流れた後、そこから西に転じて、松ヶ崎(松ヶ崎疏水)、吉田山の東北、高野、下鴨を経て、最後は堀川に合流します。
1890年(明治23年)に完成した琵琶湖第一疏水の支線水路として、沿線各地への水車での動力や灌漑、防火などの利用を目的に建設され、建設当時は約8.4kmありましたが、現在はその大半が所管替えされて京都市上下水道局において約3.3kmが管理されています。
「琵琶湖第二疏水」について
第2疏水は1908年(明治41年)に着工し、1912年(大正2年)に完成。
ただし、ほぼトンネル(暗渠)で、流れを実際に目にすることはほとんどありません。
琵琶湖疎水本線界隈のスポット
スポット名 | エリア | ポイント | |
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琵琶湖築地 | 滋賀県 大津市 |
琵琶湖の南岸、滋賀県大津市三保ヶ崎(浜大津の大津港付近)にある琵琶湖から第一疏水への入口 琵琶湖疏水が開通するまでは琵琶湖を源流とする川は瀬田川のみだった 1881年(明治14年)8月に量水標が設置され、琵琶湖の水位観測を開始した |
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新三保ケ崎橋 | 滋賀県 大津市 |
県道558号に架かる |
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琵琶湖第一疏水揚水機場と第一疏水取水口 | 滋賀県 大津市 |
第一疎水は三井寺のある長等山を第一トンネルで抜け京都府へと向かう |
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第二疏水取水口と洞門 | 滋賀県 大津市 |
第二疏水は取水口からすぐに暗渠(地下トンネル)となる 取水口入口に久邇宮邦彦王の揮毫による扁額「萬物資始(ばんぶつとりてはじむ)」が残る 全てのことがこれによって始まるという意味で、出典は易経「乾為天」 |
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大津運河 | 滋賀県 大津市 |
滋賀県大津市における琵琶湖疏水の流れ |
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大津絵橋 | 滋賀県 大津市 |
道のあちこちに大津生まれの民画「大津絵」があしらってあるほか、橋台がレンガ造なのが特徴 |
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京阪石山坂本線の橋梁 | 滋賀県 大津市 |
すぐ東側に京阪三井寺駅 |
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北国橋 | 滋賀県 大津市 |
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大津閘門 | 滋賀県 大津市 |
1889年(明治22年)10月30日竣工(史跡) 閘門とは高低差のある水路に船を通すために水位を調整するための門で、日本初のレンガ造りの閘門として注目を集めたという |
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びわこ疏水船 大津閘門乗下船場 | 滋賀県 大津市 |
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鹿関橋 | 滋賀県 大津市 |
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第一トンネル東口 | 滋賀県 大津市 |
滋賀県大津市三井寺町字筒井 伊藤博文の揮毫による扁額「気象萬千(きしょうばんせん)」が残る 千変万化する気象と風景の変化は素晴らしいという意味 すぐそばに三井寺(園城寺)の境内入口がある |
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第一トンネル (第一隧道) |
滋賀県 大津市 |
主任技師・田邊朔郎によって1885年(明治18年)8月~1890年(明治23年)4月の工事で完成(史跡) 当時日本最長のトンネルで、取水口から700mほど地上を流れていた疏水は、ここから暗渠となる トンネルのそばを通る約4kmの「小関越え(小関峠)」に沿って第一竪坑、几号水準点、第二竪坑などの遺構が残る |
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第一竪坑 | 滋賀県 大津市 |
滋賀県大津市稲葉台字小関 工事の要となった日本初の竪抗(シャフト)方式 |
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几号水準点 | 滋賀県 大津市 |
滋賀県大津市藤尾奥町 琵琶湖疏水を建設するための測量に用いられた小関峠の測量点 |
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第二竪坑 | 滋賀県 大津市 |
滋賀県大津市藤尾奥町字割石 |
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第一トンネル西口 | 滋賀県 大津市 |
滋賀県大津市藤尾奥町字大谷 ここから疏水は再び地上を流れる 周辺は紅葉の名所 山県有朋が揮毫した扁額「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」が残る 悠久の水を称え、悠然とした疏水の広がりは、大きな人間の器量を表しているという意味 |
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山科疏水 | 山科・醍醐 | 第一トンネルを出た疏水の流れは再び開渠となり、山科盆地の北辺に沿って西へと流れていく 琵琶湖疏水の流路のうち、山科区の四ノ宮から日ノ岡までの約4.2kmを通る部分の通称で、一帯は四季折々に楽しめる豊かな自然環境が多く残るほか、多くの史跡や寺社仏閣、それに琵琶湖疏水に関する遺構なども残されている 第一トンネル西口から諸羽トンネル入口(四ノ宮船溜)までは散策道となっている |
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緊急遮断ゲート | 山科・醍醐 | 1999年(平成11年)の建造 1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の教訓から、大地震発生による堤防決壊に備えて水流を自動で停止させる装置 |
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藤尾橋 (第1号橋) |
山科・醍醐 | 1887年(明治20年)9月建造の疏水最古の橋で、橋自体はその後建て替えられているが、赤レンガと石造りの土台は当時のまま残されている |
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測水橋 | 山科・醍醐 | 疏水の水位や流量を量る目的で建造された橋 |
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洛東用水取水口 | 山科・醍醐 | 1892年(明治25年)に完成した山科東部地区の灌漑用水の取水口 |
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柳山橋 (第2号橋) |
山科・醍醐 | 1889年(明治22年)の建造で、現在の橋は1968年(昭和43年)に鉄筋コンクリートに改修されたもの 明治末期に社会事業家で参議院議員も務めた西田天香によって設立された懺悔奉仕団体・一燈園の前に架かる |
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四ノ宮船溜 (諸羽トンネル東口) |
山科・醍醐 | 諸羽山の東麓、諸羽トンネルの東側入口にある船溜 「船溜」とは積み荷の揚げ降ろしや人の乗降などのため設けられた船の停泊所のこと 第一疏水の大津から蹴上の間には四ノ宮・諸羽・御陵・日ノ岡・蹴上の5か所に「船溜」が設けられており、その最初の船溜で1888年(明治21年)に完成 四ノ宮船溜は形が四角いことから「重箱ダム」の愛称がついているという 現在はびわこ疏水船の山科乗下船場にもなっている |
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諸羽トンネル | 山科・醍醐 | 1970年(昭和45年)5月に完成した新しいトンネルで全長520m、扁額はなし 建設当時の疏水は四ノ宮船溜から安朱東谷まで諸羽山を南に迂回し途中には諸羽ダムがあったが、現在のJR湖西線を通すために新たにバイパス(暗渠)化された 流路および諸羽ダムは埋め立てられて現在は東山自然緑地公園の遊歩道と疏水公園として整備されている |
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第一疏水旧水路跡 | 山科・醍醐 | 東山自然緑地公園の遊歩道 |
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第2疏水トンネル試作物 | 山科・醍醐 | |
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3号橋跡 | 山科・醍醐 | |
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疏水公園 (諸羽船溜跡) |
山科・醍醐 | |
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新諸羽船溜 (諸羽トンネル西口) |
山科・醍醐 | 諸羽山の西麓 すぐ南に諸羽神社の境内がある |
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山科母子地蔵 | 山科・醍醐 | 安朱橋やや東の疏水のほとりにある小祠 現在のように安全施設がなかったため、過って疏水に落ちて命を失う子供が何人か出たといい、当時船頭であった善兵衛という人が子供の命を守るために地蔵を建立ることを提案 安朱北部の住人20余名が相談し、近江舞子雄松の石を使い、名工甚助が精魂込めて疏水完成から9年後の1903年(明治36年)に完成させたといい、現在も子供たちを守護している |
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安朱橋 (第4号橋) |
山科・醍醐 | 1889年(明治22年)に建造され、2000年(平成12年)に改修 山科駅から北にある名刹・毘沙門堂へと続く道と疏水との交差する部分に架かる 山科疏水の散策路は桜の名所となっているが、中でも安朱橋の周辺は菜の花が植えられていて、黄色い花とのコントラストが美しい |
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安朱西橋(安朱三角橋) (第5号橋) |
山科・醍醐 | |
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安祥寺水路閣 (安祥寺川交差地) |
山科・醍醐 | 安朱小学校および洛東高校のすぐ側で山科を北から南へと流れる安祥寺川と疏水が立体交差する部分には、安祥寺川の流れを遮らないように南禅寺の水路閣同様に水路橋が設けられている 橋台部分に当時のレンガ造りが残る |
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洛東橋 (洛東高校前疏水) |
山科・醍醐 | 洛東高校入口の橋 1954年(昭和29年)に通学用に建造されたもので、比較的新しい橋であるが、第一トンネルから御陵の第三トンネル東口までの間にある14の橋の一つ |
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安祥寺橋 (第6号橋) |
山科・醍醐 | 1889年(明治22年)の建造 山科を代表する古刹・安祥寺の門前に架かる橋 |
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安祥寺船溜 | 山科・醍醐 | 安祥寺橋の西側が川幅が広くなっている部分で、停船場が設けられ、荷物の積み下ろしや船頭たちの休憩場所として利用されていたという |
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展望広場 | 山科・醍醐 | 山科の玄関口である山科駅の西側に位置する疏水沿いの散策路で唯一といっていい景色の開けた場所で、ベンチも設けられ山科の街を一望できる ただ山科駅から向かうにはいったん北の安祥寺方面へ迂回する必要 |
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妙応寺橋 (第7号橋) |
山科・醍醐 | 1889年(明治22年)9月に建造された三角橋 橋のすぐ南側に妙応寺という名前の寺院がある |
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天智天皇陵への分岐 | 山科・醍醐 | |
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天智天皇山科陵 | 山科・醍醐 | 陵墓への参道の途中に琵琶湖疏水の遊歩道への分岐があり、散策の途中に立ち寄る人も多い |
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第8号橋 | 山科・醍醐 | 明治中期の建造と伝わり、天地天皇陵に沿って進んだ陵墓の北側に架かる橋 |
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正嫡橋 | 山科・醍醐 | 1983年(昭和58年)の建造 天智天皇陵の北西にある戦国武将・加藤清正ゆかりの日蓮宗寺院・本圀寺への参道入口に架かる朱色の橋 |
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大岩橋 (第9号橋) |
山科・醍醐 | 1924年(大正13年)建造の三角橋 |
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山ノ谷橋(黒岩橋) (第10号橋) |
山科・醍醐 | 京都市山科区黒岩町、第二トンネルの入口手前に架かる 1899年(明治22年)に封山橋として建造された後、鉄筋を古レールで代用した「第11号橋」を試作品として1904年(明治37年)に竣工(史跡) 日本初の本格的なアーチ型鉄筋コンクリート橋 |
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第二トンネル東口 | 山科・醍醐 | 京都市山科区御陵黒岩 井上馨の揮毫による扁額「仁以山悦智為水歓(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)」が残る 仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ(仁者は知識を尊び、知者は水の流れをみて心の糧とする)という意味 |
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第二トンネル (第二隧道) |
山科・醍醐 | 1887年(明治20年)12月の完成 全長124mは第一疏水で最も短いトンネル(史跡) |
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第二トンネル西口 | 山科・醍醐 | 京都市山科区御陵封ジ山町 西郷従道の揮毫による扁額「隨山到水源(やまにしたがいて、すいげんにいたる)」が残る 山に沿って行くと水源にたどりつくという意味 すぐそばに封ジ山北児童公園 |
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琵琶湖疏水煉瓦工場跡 | 山科・醍醐 | 三条通沿いにある地下鉄御陵駅2番出口付近に石碑が建つ |
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新山科浄水場 日ノ岡取水池 (日ノ岡船溜跡) |
山科・醍醐 | 第三トンネル東口手前にある京都市上下水道局の施設 ここで取水した水は延長500mの導水管および延長約4kmの導水トンネルによる自然流下で、4kmほど南にある新山科浄水場まで導水しているという |
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日ノ岡第11号橋 (日本最初の鉄筋コンクリート橋) |
山科・醍醐 | 京都市山科区日ノ岡堤谷町、第三トンネル東口の手前に架かる 田邊朔郎の指導の下、1903年(明治36年)7月に建造(史跡) 傍らには「本邦最初鉄筋混凝土橋」の石碑が建つ |
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第三トンネル東口 | 山科・醍醐 | 京都市山科区御陵封ジ山町 ドイツの鉄道トンネルがモデルともいわれている 松方正義の揮毫による扁額「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」が残る 時雨が過ぎると、一段と鮮やかな松の緑を見ることができるという意味 |
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第三トンネル (第三隧道) |
山科・醍醐 | 1889年(明治22年)3月の完成(史跡) 全長850m |
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第三トンネル西口 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 京都市山科区日ノ岡夷谷町 トンネルを出るとすぐに九条山浄水場ポンプ室 三条実美の揮毫による扁額「「美哉山河」が残る なんと美しい山河であることよという意味 |
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蹴上船溜 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | この付近で「疏水本線」と南禅寺水路閣を経て哲学の道方面へ流れていく「疏水分線」に分岐 |
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九条山浄水場ポンプ室 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 第二琵琶湖疏水の建設に伴って京都御所へ水を送るために1912年(明治45年)に竣工された旧御所水道ポンプ室 レンガ造の重厚感ある建造物は迎賓館赤坂離宮や京都国立博物館などで知られる建築家・片山東熊の設計によるもの |
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びわこ疏水船 蹴上乗下船場 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 1890年(明治23年)の開削後に開始された琵琶湖疏水における舟運は、現代に入ると鉄道網の発達などによってその需要は減少 1951年(昭和26年)9月に大津から4.5tの砂が山科まで輸送されたのを最後に、その姿を消すこととなりましたが、2018年(平成30年)春に67年の歳月を経て新たに観光船「びわこ疏水船」として復活を遂げた |
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疏水合流トンネル北口 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 蹴上で琵琶湖からほぼ暗渠だった第二疏水と合流 田邊朔郎の揮毫による扁額「藉水利資人工(すいりをかりてじんこうをたすく)」が残る 自然の水を利用して人間の仕事に役立てるという意味で、明治天皇の勅語から採ったもの |
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大神宮橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 京のお伊勢さんとして知られる日向大神宮の境内へ向かう途中に架かる橋 |
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インクライン船着き場 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 蹴上発電所へ琵琶湖の水を現在も送り込み、最大4,500kWの発電が行われているという |
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蹴上疏水公園 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | インクラインに隣接する形で整備されている 疏水工事の主任技師・田邉朔郎博士像と顕彰碑、琵琶湖疏水工事殉職者碑、山ノ内浄水場導水管などの遺構が残るほか、源義経ゆかりの義経大日如来が祀られている |
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蹴上発電所導水管 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 蹴上発電所へ琵琶湖の水を現在も送り込み、最大4,500kWの発電が行われているという |
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蹴上インクライン | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 蹴上と南禅寺の船溜りとを結び、約36mの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下った 1977年(昭和52年)に当時の姿が復元され、線路や船なども残り、春は桜の名所として多くの見物客が線路内を歩きながら撮影を楽しむ姿を見ることができる |
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蹴上浄水場 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 1912年(明治45年)に急速濾過式を採用して建設された日本初の浄水場 躑躅(ツツジ)の名所で、近年は「蹴上のつつじ」としてゴールデンウィークに合わせて一般公開している |
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ねじりまんぽ | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | インクラインの下を通るトンネルで、地下鉄蹴上駅のある三条通側から南禅寺方面への近道となっている 強度を増すために渦を巻くような形で螺旋状にれんがが積まれているのが特徴的 両側のそれぞれの入口に北垣国道の揮毫による扁額「雄観奇想(ゆうかんきそう)」「陽気発処(ようきはっするところ)」が残る |
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蹴上発電所 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | インクラインの落差の有効活用法として作られた日本初の事業用水力発電所 アメリカ視察でヒントを得たという田辺朔郎の提言により1891年(明治24年)に稼働を開始し、水力発電によって得られた電力は工業生産や鉄道などに利用され、京都の再生に多大な貢献を果たした 1942年(昭和17年)からその管理は京都市から関西電力に移管 入口の扁額は久邇宮邦彦の揮毫で「亮天功(てんこうをたすく)」と刻まれている 他に「水力発電事業発祥之地」の石碑が建つ |
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南禅寺橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 白川通と仁王門通と南禅寺参道と蹴上インクラインが交差する南禅寺前交差点に架かる橋 |
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琵琶湖疏水記念館 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 1989年(平成元年)8月9日に竣工100周年を記念し、疏水の意義を多くの方に伝え先人の偉業を顕彰するとともに、琵琶湖疏水のすべてが分かる資料館として開設 約23,000点もの琵琶湖疏水に関する古文書や疏水工事の設計図や絵図、工事に関係した人々の紹介などの疏水建設当時の資料や、疏水関係の書画や写真、美術品、インクラインなどのジオラマ模型、発電に用いた水車など、琵琶湖疏水の歴史を語る様々な資料を所蔵し、テーマ毎に展示する |
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南禅寺船溜 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | ここから平安神宮の南を通り鴨川の東へと向かう(そのため鴨川東岸までの流れは「鴨東運河」とも呼ばれる) そばには京都市動物園やむりんあんなどのスポット |
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白川合流地点 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | ここからしばらく琵琶湖疏水と白川は流路を共用することに |
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岡崎十石舟めぐり乗船場 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 2003年(平成15年)3月に京都府・大阪府・滋賀県の琵琶湖・淀川流域で開催された「第3回世界水フォーラム」の記念行事として就航されたのがはじまりで、好評を博したため翌年に京都市の事業として実施 2005年(平成17年)からは「京都府旅行業協同組合(京旅)」が「岡崎十石舟めぐり」として運営を担当、年々バージョンアップを図り、京都の春の風物詩として定着している 鴨東運河(岡崎疏水)の両岸は約400本のソメイヨシノの桜の木が植えられる桜の名所で、南禅寺船溜から平安神宮大鳥居前を通り、夷川船溜までの約1.5kmの流路を往復3km、約25分かけて運航する |
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無鄰菴 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 元々は明治の元勲・山県有朋の別邸で、後に京都市に寄贈されたもの 琵琶湖疏水が開通するとその豊富な水資源を使った池泉式の庭園を持つ別荘が南禅寺界隈に次々に建てられた 個人や企業が保有し非公開の庭園が多い中、常時公開されている 日露戦争開戦前夜の無鄰菴会議が行われた洋館があるほか、庭園は7代目小川治兵衛の作 |
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岡崎疎水 (十石舟) |
岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 平安神宮の大鳥居を眺めつつ神社の南を西へ流れていく 途中右手(北側)に見えるのは京都市動物園、京都市京セラ美術館>、平安神宮の大鳥居を挟んで京都国立近代美術館、みやこめっせ、北へ折れてロームシアター京都と続き、京都市武道センターの横で西へ折れて夷川ダムへと向かう 付近は桜の名所としても有名で桜と新緑の時期には十石舟も運航される |
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広道橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 京都市動物園と京都市京セラ美術館の間、岡崎通沿いに架かる橋 |
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慶流橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 平安神宮の正面、大鳥居が立つ神宮道に架かる橋 |
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白川分岐点 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 慶流橋のすぐ西側 白川はここで再び分派し南西へと流れる、祇園の名所・巽橋のある祇園白川を経て川端四条のやや北で鴨川に注ぐ |
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二条橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | みやこめっせとロームシアター京都の間、二条通に架かる |
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冷泉橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | ロームシアター京都と京都市武道センターの間、冷泉通に架かる |
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疏水弁才天 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 京料理 六盛の前 |
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徳成橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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熊野橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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夷川船溜 (夷川ダム) |
岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 「岡崎疏水十石船」の折り返し地点 |
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夷川発電所 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 1890年(明治23年)に琵琶湖疎水の第一疏水が竣工し、翌年に水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設されて以来、年々増加する電力需要に対応するため 「第二疏水」が作られることとなり、1912年(明治45年)に竣工、これらの計画の一環として下流の伏見発電所(墨染発電所)とともに新設された 3.4mというわずかな落差で発電できる街中にある日本最小の発電所で現在も関西電力の発電所として機能 対岸の中島には琵琶湖疏水事業に尽力し京都の再生を推進させた第3代京都府知事・北垣国道の銅像が建つ 隣接する夷川船溜(夷川ダム)は「岡崎疏水十石船」の折り返し地点となっている |
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田辺橋 (鴨川出合) |
岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 冷泉(冷泉通と川端通が交差する地点)、ここで一部が鴨川と合流、一部は鴨川東岸に沿って南下し伏見へ(そのためここからの流れは「鴨川運河」とも呼ばれる) |
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田辺小橋と賀茂川四季の歌碑 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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冷泉放水路 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 「鴨川運河」の起点 運河には古くは1919年(大正8年)に造られたものから、道路整備に伴って新しく架け替えられたものも含めて30の橋が存在している |
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仁王門放水口 | 祇園・東山 | 川端御池より北へ約50m |
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川端御池~塩小路 (暗渠部分) |
東山七条 | 鴨川運河はここから塩小路まで鴨川の東岸(左岸)を並行するが、川端御池付近から塩小路までは1989年の京阪本線の地下化及び三条駅~出町柳駅(京阪鴨東線)の開設に伴い川端通の下を通る暗渠になっている この間閘門は8つ、仁王門(御池通)・孫橋(三条通)・三条(団栗通)・四条(四条通)・松原(松原通)・五条(五条通)・正面(正面通)・七条(七条通) 緊急用放水口として冷泉放水路・仁王門放水口・塩之小路放水口・三ノ橋放水口がある |
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塩小路橋東詰 (塩之小路放水口) |
東山七条 | 塩小路通に架かる塩小路橋の東詰南側で御池から暗渠となっていた疏水の流れはここで再び開渠となる |
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JR琵琶湖線・湖西線・東海道新幹線の高架 | 東福寺・稲荷 | |
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一之橋 | 東福寺・稲荷 | 1924年(大正13年)11月の竣工 |
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JR奈良線のトラス橋梁 | 東福寺・稲荷 | |
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岸上橋跡 | 東福寺・稲荷 | 九条通のやや北の東岸にある三洋化成工業へ通じる橋だったというが現存せず橋台のみが残る |
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疏水二ノ橋 | 東福寺・稲荷 | 1993年(平成5年)6月の竣工 九条通の高架北側に架かる |
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九条通の高架 | 東福寺・稲荷 | |
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柿本橋 | 東福寺・稲荷 | 1994年(平成6年)3月の竣工 九条通の高架南側に架かる |
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御所之橋 | 東福寺・稲荷 | 1991年(平成3年)3月の竣工 |
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中央橋 | 東福寺・稲荷 | 1978年(昭和53年)3月の竣工 |
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松風橋 (しょうふうばし) |
東福寺・稲荷 | 1985年(昭和60年)2月の竣工 東詰に歯科医院・歯科技工所向けに歯科器材の製造販売を行う企業・松風(しょうふう)がある |
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三之橋 | 東福寺・稲荷 | |
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三ノ橋制御所 (三ノ橋放水口) |
東福寺・稲荷 | 東山区福稲上高松町、三之橋そばにある 京都市上下水道局の水道部疏水事務所 |
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上高松橋 | 東福寺・稲荷 | 1919年(大正8年)の竣工 |
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高松橋 | 東福寺・稲荷 | 十条通に架かる 1922年(大正11年)に建造されたが本町下高松通の拡幅に伴って2014年(平成26年)に解体、2016年(平成28年)に新しい橋に架け直された 橋の東詰南側に「高松橋ひろば」東詰北側に京阪鳥羽街道駅がある |
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高松橋ひろば | 東福寺・稲荷 | 旧高松橋の名残りである橋脚のマークと石製高欄、石製親柱と選奨土木遺産認定プレートがある |
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京阪本線橋梁 | 東福寺・稲荷 | 十条通の南で京阪が疎水を渡る ここから京阪本線と並行してまっすぐ南へと流れていく |
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相深橋 | 東福寺・稲荷 | 1924年(大正13年)の竣工 |
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横縄橋 | 東福寺・稲荷 | 1923年(大正12年)の竣工 伏見稲荷駅のやや北に架かる 橋脚にある六芒星のマークは疏水臚発電事業の管理などを行っていた水利事務所や電気局の水利徽章として用いられていたもだという 横縄橋の他にも綿森橋、野田橋、下極楽橋、北新橋、出雲橋にも同じマークがあるほか、師団橋には五芒星マークが残る |
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稲荷橋(市電稲荷停留所跡) | 東福寺・稲荷 | 1961年(昭和36年)の竣工 京阪伏見稲荷駅そばにある疏水にかかる伏見稲荷大社への参道に架かる橋 かつてここにあった京都市電稲荷線の終着駅・稲荷停留所は疏水に架かる橋の上にあったという |
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ススハキ橋 | 伏見・桃山 | 1925年(大正14年)の竣工 |
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深草橋 | 伏見・桃山 | 1994年(平成6年)8月の竣工 京阪龍谷大深草駅の東口前に架かる |
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砂川橋 | 伏見・桃山 | 1973年(昭和48年)3月の竣工 府道201号(中山稲荷線)に架かる |
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綿森橋 | 伏見・桃山 | 1923年(大正12年)9月の竣工 橋脚に六芒星のマークがある |
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町通橋 | 伏見・桃山 | 1924年(大正13年)7月に竣工 |
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野田橋 | 伏見・桃山 | 1956年(昭和31年)12月の竣工 橋脚に六芒星のマークがある |
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師団橋 | 伏見・桃山 | 1974年(昭和49年)10月の竣工 第二軍道に架かる橋 橋脚に五芒星マークがある |
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きとろ橋 | 伏見・桃山 | 1924年(大正13年)7月に竣工 京阪藤森駅の東口前に架かる |
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堀田橋 | 伏見・桃山 | 1928年(昭和3年)7月の竣工 京阪藤森駅の東口前に架かる |
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名神高速道路の高架 | 伏見・桃山 | |
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極楽橋 | 伏見・桃山 | 1922年(大正11年)11月の竣工 |
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下極楽橋 | 伏見・桃山 | 1923年(大正12年)8月の竣工 府道35号(大岩街道)に架かる 橋脚に六芒星のマークがある |
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中之郷橋 | 伏見・桃山 | 車道橋は1928年(昭和3年)、側道橋は1967年(昭和42年)に建造され、2020年7月から2021年2月にかけて補修補強工事が行われている 府道35号(大岩街道)に架かる |
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七瀬川との交差 | 伏見・桃山 | 京阪藤森駅の南で七瀬川との交差がある |
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藤ノ森橋 | 伏見・桃山 | 1925年(大正14年)12月の竣工 橋の南東に藤森神社がある |
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高田橋 | 伏見・桃山 | 1924年(大正13年)12月の竣工 |
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北新橋 | 伏見・桃山 | 1923年(大正12年)9月の竣工 橋脚に六芒星のマークがある |
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墨染橋 | 伏見・桃山 | 1964年(昭和39年)10月の竣工 大和街道に架かる 東詰に京阪墨染駅 |
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出雲橋 | 伏見・桃山 | 1974年(昭和49年)3月の竣工 墨染発電所北側の上流にある 橋脚側面に六芒星のマーク 橋のすぐ南で流れが2つに分かれ、右側は取水口へ、左側は墨染船溜となる |
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墨染発電所・墨染ダム | 伏見・桃山 | インクラインの建設に伴い疎水と濠川の落差を利用した発電を目的に建設 1912年(明治45年)5月に起工、1914年(大正3年)5月に運転開始 桜名所で現役の発電所でもある |
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伏見インクライン跡 (国道24号) |
伏見・桃山 | 伏見の舟運を支えた傾斜鉄道(ケーブルカー) 鴨川運河と濠川とは高低差があったため、両川を連結するため落差15mのインクライン(傾斜鉄道)が造られることとなり、1895年(明治28年)に完成 鴨川を南下した船は伏見堀詰町で伏見城の外堀である濠川とつながれるることとなった 船運の利用の減少とともに1943年(昭和18年)8月にインクラインは運行中止となり、1959年年(昭和34年)に国道24号線改築のために廃止され、現在インクライン跡には国道24号が通る 蹴上は形態保存されたのに対し、1960年(昭和35年)にレールも撤去されて跡形もなくなっているが、濠川側から鴨川運河方面の坂を見上げると落差を感じることができる |
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京都市上下水道局疎水事務所伏見分所 | 伏見・桃山 | 国道24号と師団街道(府道35号)の交差点北東側 |
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伏見インクライン下ダム | 伏見・桃山 | 近鉄伏見駅の東方、伏見区堀詰町で暗渠が終わり、開渠となって濠川として南へと流れていく |
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濠川 | 伏見・桃山 | 元は豊臣秀吉が伏見城の築城時に外堀として開削した旧伏見城の外堀 |
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近鉄京都線の橋梁 | 伏見・桃山 | 橋台がレンガ造り |
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津知橋 | 伏見・桃山 | 下ダムすぐ南の久我へ抜ける府道202号にかかる |
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伏見新放水路 | 伏見・桃山 | ここから西へ放水される水は西へと流れていき東高瀬川に合流する(東高瀬川は濠川の西を並行して宇治川に注ぐ) |
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伏見制水門 | 伏見・桃山 | 1931年(昭和6年)の完成 |
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上板橋 | 伏見・桃山 | この橋を過ぎると、濠川は数回クランクしながら南下していく |
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常盤橋 | 伏見・桃山 | |
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いものや橋(鋳物屋橋) | 伏見・桃山 | 堀詰町 |
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丹波橋 | 伏見・桃山 | 丹波橋通にかかる この辺りから酒蔵がそこここに散見 |
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毛利橋 | 伏見・桃山 | 毛利橋通にかかる |
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大手橋 | 伏見・桃山 | 大手筋通にかかる 西詰に坂本龍馬 避難の材木小屋跡の碑、西へやや進んだ所に菜の花の眺望で知られる松本酒造がある |
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であい橋 | 伏見・桃山 | ここで宇治川派流を分派 |
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旧高瀬川 | 伏見・桃山 | 松本酒造と東高瀬川堤の間にある運河で西丹波橋から三栖まで開渠 であい橋の南付近で濠川に注ぐ |
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三栖洗堰 | 伏見・桃山 | |
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三栖閘門で宇治川に注ぐ | 伏見・桃山 |
琵琶湖疏水分線界隈のスポット
蹴上から北へ、南禅寺境内を「水路閣」で横切り、若王子神社から銀閣寺までは有名な「哲学の道」に沿って流れ、高野川・賀茂川を横切って「堀川」に至ります。
この点、開通当時は小川頭(現在の紫明通小川)を分線の終点とし、堀川に合流させていましたが、戦後の河川整備によって水路はいったんは閉じられていました。
しかし2002年(平成14年)度から「堀川水辺環境整備事業」という名称で、琵琶湖疏水分線の水を使った親水公園を紫明通の中央分離帯に整備する計画がスタートし、2009年(平成21年)3月29日に通水が開始され、堀川の水流が復活。
疏水の経路には含まれないものの、堀川通も併せて「親水公園」として水路が復活・整備されるに至っています。
スポット名 | エリア | ポイント | |
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蹴上船溜 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | この付近で「疏水本線」と哲学の道方面へ流れる「疏水分線」に分岐 |
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第四トンネル (南口洞門笠石) |
岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 1888年(明治21年)9月の完成で、延長136m 建造当時は南口に他のトンネル同様に城郭のような洞門があったというが、第二疏水が造られた際にトンネルが使われなくなったため取り除かれたという 現在、南口洞門の笠石が琵琶湖疏水記念館に屋外展示物として展示されている 第4トンネルを経た流れは水路閣を経て第5・第6トンネルと南禅寺トンネルの2つの流れとなり、熊野若王子神社の手前で合流する |
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南禅寺水路閣 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 1888年(明治21年)8月30日の完成 分線の遺構として都の北部へと通じる用水路で、その水を通すために南禅寺の境内につくられた送水橋 疏水は南禅寺境内に設けられたこの水路橋上を通過し北へと流れていく 全長93.2m、高さ9mの風格ある建物で、レンガ造りのレトロな雰囲気は南禅寺の歴史的な景観にもしっかりと溶け込んでいる |
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第五トンネル南口 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 1890年(明治23年)1月の完成 全長102mで南禅寺水路閣の上の流路の奥に南口があり、これより先は若王子橋で再び水路が現れるまでは見ることができない |
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扇ダム放水路 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 南禅寺から永観堂へと向かう途中にある東山高校の脇に放水路があり、扇ダムから南禅寺船溜へと水が流れていくのが見える 扇ダムは岡崎周辺にある別荘群にも配水を行っている |
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第六トンネル北口 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 1888年(明治21年)9月の完成 全長182mで、水路閣から来た流れは第五・第六トンネルを通って若王子取水池に出る |
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松ヶ崎浄水場 若王子取水池 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 若王子橋の南側にあり、ここで取水した水は松ヶ崎浄水場まで管路で送水されるという |
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若王子橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 哲学の道の熊野若王子神社側始点 |
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哲学の道 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 若王子橋から銀閣寺橋まで琵琶湖疏水分線に沿って約2km続く散策路 哲学者・西田幾多郎や文化人がこよなく愛し瞑想にふけったと伝わり、現在も多くの市民や観光客の憩いの場となっている 桜の名所であるほか、蛍も生息 |
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お玉橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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大豊橋での立体交差 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 大豊神社の社前に架かる橋にて、谷を下る自然河川との立体交差が見られる |
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寺ノ前橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 霊鑑寺へと続く橋 |
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第2寺ノ前橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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桜橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 冷泉天皇桜本陵へと続く橋 |
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法然院橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 法然院へと続く橋 |
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西田幾多郎歌碑 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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洗心橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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弥勒橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 弥勒院(幸せ地蔵尊)の北側に架かる橋 |
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銀閣寺南橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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銀閣寺橋と「哲学の道」の石碑 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 哲学の道の銀閣寺側始点に1972年(昭和47年)に設置された ここから西へ700mほど今出川通の北側を今出川通と並走し北白川の市街地の方へ このあたりから高野川に突き当たるまで道が並行し「白川疏水通」と呼ばれる |
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銀閣寺西橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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橋本関雪記念館 (白沙村荘) |
岡崎・吉田・鹿ケ谷 | |
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西田橋 (白川との立体交差) |
岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 川端警察署銀閣寺交番の西側で南北に流れる白川と交差する |
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浄土寺橋 (白川通今出川交差点) |
岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 白川通との大きな交差点では一時暗渠となる |
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浄土寺小橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 浄土寺橋の西、神楽岡通との交差に架かる この橋を過ぎて吉田山の北あたりから今出川通とは別れ、流路が北上していく |
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小倉橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 北白川小倉町 このあたりは流路が狭く橋も小さい |
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新小倉橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 北白川小倉町 ここから京都大学吉田キャンパスの東側を通りさらに北の一乗寺へと流れていく |
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東御蔭橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 御蔭通に架かる |
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平井橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 北白川東平井町 駒井家住宅の南側に架かる |
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西伊織橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 東鞍馬口通に架かる |
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高原橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 左京区田中東高原町 |
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梅ノ木橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 左京区一乗寺染殿町 |
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河原田橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 左京区一乗寺河原田町 |
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一乗寺西橋 | 岡崎・吉田・鹿ケ谷 | 北大路通との交差に架かる この橋の手前あたりから流路は北西を向いて流れていき、やがて高野川にぶつかる |
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叡山電鉄と交差 | 一乗寺・修学院 | 北大路通を過ぎてすぐ |
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大原田橋 | 一乗寺・修学院 | 叡電橋梁の北側 |
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大原田西橋 | 一乗寺・修学院 | 左京区一乗寺大原田町 |
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大新開橋 | 一乗寺・修学院 | 左京区一乗寺大新開町 地蔵本公園の北東側 |
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地蔵本橋 | 一乗寺・修学院 | 東大路通に架かる 地蔵本公園の北西側 |
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赤の宮橋 | 一乗寺・修学院 | 賀茂波爾神社(赤の宮神社)前に架かる |
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高野川立体交差の入口 | 一乗寺・修学院 | 高野川に突き当たる少し手前から暗渠に |
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高野川との交差 | 一乗寺・修学院 | |
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高野川立体交差の出口 | 一乗寺・修学院 | |
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松ヶ崎浄水場 | 北山・上賀茂 | 高野川立体交差の出口の北側にある |
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松ヶ崎疏水 | 一乗寺・修学院 | 暗渠の間に高野川を越えて対岸の松ヶ崎に流路が続き、その後松ヶ崎を横断して下鴨地区へと入る |
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泉柳橋 | 北山・上賀茂 | 松ヶ崎通に架かる |
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泉川橋 (泉川との交差) |
北山・上賀茂 | 下鴨に入って間もなく泉川は松ヶ崎の北方で高野川から取られた水路で南下し疏水分線と直角に交わる |
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岸本橋 | 北山・上賀茂 | 左京区下鴨岸本町 |
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西岸本橋 | 北山・上賀茂 | 左京区下鴨北園町 |
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北溝橋 | 北山・上賀茂 | 左京区下鴨梅ノ木町 |
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洛北橋 | 北山・上賀茂 | 下鴨本通に架かる ここから流路は南西へ |
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北園橋 | 北山・上賀茂 | 左京区下鴨西梅ノ木町 |
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梅ノ木橋 | 北山・上賀茂 | 下鴨中通手前で暗渠となる直前の橋 |
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下鴨中通東側の暗渠入口 | 北山・上賀茂 | 京都府立植物園の南東、洛北高校の西あたりの下鴨中通やや東側で暗渠となる |
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賀茂川との立体交差 | 北山・上賀茂 | かなり手前で暗渠となっているため分からないが、賀茂川の下をサイフォン方式で西へと流れていく |
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堀川取水口 (紫明せせらぎ第一公園) |
北山・上賀茂 | 賀茂川以西は紫明通の中央分離帯に作られたせせらぎ公園の中を流れる(第一公園から第七公園まである) 第一公園に堀川の取水口があり、やや高い所から滝のように流れ出る |
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紫明せせらぎ公園 | 二条城 | 第一公園の取水口で流れ出た水は、その後は紫明通の中央分離帯のせせらぎ公園の中を開渠と暗渠を繰り返して流れ、堀川通と交差する「堀川紫明」交差点まで流れていく |
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堀川せせらぎ公園 | 二条城 | 堀川紫明交差点からは堀川通を南へ流れていき、その間は中央分離帯の堀川せせらぎ公園の中を開渠と暗渠を繰り返しながら「堀川今出川」交差点まで流れていく |
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堀川今出川交差点 (疏水分線最終地点) |
二条城 | 堀川今出川交差点のやや北の中央分離帯にある流入口に水が吸い込まれていき 疏水分線はここに終着を迎える |
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堀川への流出口 | 二条城 | 堀川今出川交差点の南東側あたりで再び開渠となり、ここからは堀川として南へと流れていく |
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堀川 | 北野・西陣 二条城 |
堀川通に沿って南下し、二条城の東大手門前あたりで暗渠となる その後は西本願寺の東側を除いてはずっと暗渠が続き、近鉄上鳥羽口駅そばで開渠となり、その南側で鴨川に合流する |