京都市東山区粟田口華頂町、地下鉄東西線・蹴上駅の出口の向かい、蹴上の交差点から山科に向かう坂道の西側に位置する浄水場。
現在現役で活躍している3つの浄水場の中で最も古い歴史を有し、主に琵琶湖第2疎水から引き入れた原水をきれいにして水道水として供給する役割を担っています。
明治の中頃、東京・大阪・横浜といった他の大都市はすでに安全な上水道を整備していましたが、京都ではまだ多くの家庭が井戸水を利用しており、衛生面での問題が多く伝染病も多かったといいます。
そこで新市長の西郷菊次郎は1906年(明治39年)、水道水源と発電用水を確保することを目的とする「第2疏水の建設」、「道路拡築および電気鉄道敷設」とともに「京都市の三大事業」の一つとして市民の健康と安全を確保するための「水道事業(上水道新設)」の案を打ち出し、市会で可決されます。
その実現のためにはまず琵琶湖疏水の水量を増やすために第2疏水を作った上で浄水場を新設し、道路を広げて導水管を埋めなければなりませんでしたが、京都市はこれらの事業経費をフランス外債でまかない、京都市街の大改造に乗り出します。
第2疏水の水源は滋賀県大津市観音寺で琵琶湖から引水することとなり、1908年(明治41年)に水路(隧道)の建設に着手し、1912年(明治45年)に完成。1890年(明治23年)に完成した第1疏水の北側にほぼ平行して建設され、全長は約7.4kmで、蹴上で第1疏水に合流する形で整備が完了します。
その一方で1909年(明治42年)には「蹴上浄水場」の建設および配水管の敷設工事にも着手しますが、東山山麓の用地不足に対応するため、日本で初めて「急速ろ過方式」が採用されることになります。
沈澱池、ろ過池、配水池、ポンプ室などが建設されたほか、幹線52km、 支線139kmにおよぶ配水管が敷設され、1912年(明治45年)3月に竣工すると、4月より京都市で初めての給水が開始され、京都市民は蛇口から流れ出る水道水を安心して飲めるようになったのです。
その後京都市では人口増加などに伴って水道事業の拡張事業が幾度にもわたって行われ、蹴上以外にも松ケ崎浄水場(1927- )、山科浄水場(1936-75)、伏見浄水場(1945-77)、山ノ内浄水場(1966-2013)、新山科浄水場(1970- )などが新設されてきました。
蹴上浄水場の方は当時の計画給水人口は50万人、最大給水量は1日68,100mでしたが、その後,水需要の増加に対応するため1962年(昭和37年)11月には創設期の第1系統の改良に加えて新たに第2系統が新設され、給水能力が1日198,000mにまで向上。
しかし創設当初からの施設である第1系統は老朽化し、第2系統も原水の水質悪化時や処理水量の急激な変動時に対処できなくなったため、1997年(平成9年)9月から2012年(平成24年)9月にかけ浄水施設の全面的なリニューアル工事が行われました。
そして現在の京都市では蹴上浄水場に加え、大文字五山送り火の妙法の南にある松ケ崎浄水場、勧修寺の西にある新山科浄水場の3つの浄水場が現役で活躍し、きれいな水を届けることで健康で安全・安心な市民生活を支えています。
蹴上浄水場には普段は一般市民は入る事が出来ませんが、丘陵にある浄水場には山の傾斜面を中心にオオムラサキ、リキュウツツジが約3400本、キリシマツツジ他が1200本の合計約4600本ものツツジが植えられていて名所となっており、毎年見頃の時期の5月のゴールデンウィークに「蹴上のつつじ」と題して一般公開されて入場することができ、4月下旬の鳥羽水環境保全センターの一般公開「鳥羽の藤」とともに春の恒例企画として定着しつつあります。
普段は目にすることができない浄水場施設を見学し上下水道施設の大切さを楽しく学ぶことができるほか、高台にあるため見晴らしも良く、新緑の東山をはじめ、市内が一望できるのもおすすめポイントです。
また同日には水道水とミネラルウォーターの利き水が試せるコーナーや、クイズラリー、京都市上下水道局のマスコットキャラクターである澄都くん・ひかりちゃんと一緒に施設を見学するツアーなど様々なイベントも開催され、多くの来場者で賑わいます。