石清水八幡宮
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「やわたのはちまんさん」として親しまれる厄除けの社
日本三大八幡社の一つ。王城鎮護のため平安京の裏鬼門(西南)にあたる男山山頂に大分宇佐八幡を勧請。厄除けのほか源氏が氏神とし必勝祈願のご利益。 徳川家光寄進の朱塗りの社殿は本殿や楼門など16棟が重文。 楠木正成手植えの大楠、信長塀も見所。表・裏参道に3つのハイキングコースもあり桜と紅葉が見事
石清水八幡宮とは?(基本データ)
- 名前
- 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
- エリア
- 八幡
- ジャンル
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寺社 国宝建築 史跡 府天然記念物 自然環境保全地域 桜 紅葉 楠・松 名水 厄除け 必勝祈願 八幡宮 神仏霊場会 二十二社 門前名物 鳳輦・神輿 田植祭 夏越祓・茅の輪 七夕 初詣 節分祭 茶会・献茶祭 生け花展・献花祭 縁日・市 放生会 開山忌・御忌 神楽・湯立神楽
- 建立・設立
- 859年(貞観元年)、南都大安寺の僧・行教が豊前国(大分県)の宇佐八幡宮にて八幡大神より託宣を受け男山に神霊を奉安したのがはじまり
翌860年(貞観2年)、清和天皇の命により王城鎮護のため大分より宇佐八幡を勧請し平安京の裏鬼門(西南)にあたる男山山頂に社殿が建立される - 祭神
- 以下の三座を総称し「八幡三所大神(八幡大神)」と呼ぶ
[中御前] 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
→実在する中では最古といわれる第15代・応神天皇(おうじんてんのう)の本名
[西御前] 比咩大神(ひめおおかみ)
→多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)・市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)の宗像三女神
[東御前] 息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)
→応神天皇の母・神功皇后(じんぐうこうごう)の本名 - ご利益
- 厄除け・必勝祈願・国家鎮護
- 例祭
- 9/15(石清水祭)
他に厄除大祭(1/15~1/19)、鬼やらい神事(2/3の節分前日曜日)、湯立神事(2/1・2/3)などが知られる - 神紋・社紋
- 流れ左三つ巴
橘 - 札所等
- 神仏霊場巡拝の道 第81番
- アクセス
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■下院(山麓)まで
- 京阪本線「石清水八幡宮」駅下車 一の鳥居まで徒歩約5分
- 石清水八幡宮参道ケーブル「ケーブル八幡宮口」駅下車すぐ
- 京阪バス「石清水八幡宮駅」(32・33・41・73・73A・73C・74・74A・74B・75C・76・76B・77・79系統)下車 一の鳥居まで徒歩約5分
- 名神高速道路「大山崎IC」より国道171・478号経由で約10分
■上院(山上)まで
- 駐車場
- 山麓駐車場(一ノ鳥居駐車場、頓宮駐車場)
├普通車 500円
└大型バス10台 1,000円
※終日8:30~16:00
※山上駐車場は無料 ※正月期間(1/1~2/3)は料金変動の場合あり - 拝観料
- 境内自由
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 4~9月 5:30~18:30
10月 6:00~18:00
11~3月 6:30~18:00
※正月期間は時間変動の場合あり - 住所
- 〒614-8588
京都府八幡市八幡高坊30 - 電話
- 075-981-3001
- FAX
- 075-981-9808
- 公式サイト
- 石清水八幡宮
石清水八幡宮 Facebook
石清水八幡宮 Instagram
手づくり門前市「はちまんいち」
石清水八幡宮青少年文化体育研修センター
石清水八幡宮の地図
石清水八幡宮のみどころ (Point in Check)
元々男山の一帯は京都を流れる木津川・宇治川・桂川の三川が合流して淀川となる場所で、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と明智光秀の戦いで知られる天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の水陸交通および経済上・軍事上の要衝として重要視される場所でした。
平安時代初期の859年、真言宗の祖である弘法大師・空海の弟子だった南都大安寺の僧・行教が大分の宇佐神宮で「吾れ都近き男山の峰に遷座して国家を鎮護せん」との神託を受け男山の峰に神霊を奉安。
それを受け清和天皇が翌960年に男山に社殿を造営したことにより、石清水八幡宮の歴史がはじまることとなります。
以後は朝廷から京都の南西・裏鬼門を守護する都の守護・国家鎮護の社として、東北・鬼門を守る比叡山延暦寺とともに厚く崇敬されようになり、天皇や上皇の行幸も64代・円融天皇以来240を超え、遠方の大分・宇佐神宮に代わり、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟と称されました。
その一方で武家からの崇敬も厚く、特に源氏とは源義家がこの地で元服し「八幡太郎義家」を名乗ったほか本拠地・鎌倉に鶴岡八幡宮を勧請するなど深い繋がりがありました。
そのためその後の源氏の広がりとともに全国各地に八幡社が建立され、八幡宮は全国津々浦々に4万社はあるといわれています。
その後も清和源氏の流れを汲む足利・今川・武田などが氏神とし「必勝」の神社として崇拝、織田信長や秀吉、徳川幕府からも庇護を受けました。
ちなみに元々この地にはは男山の中腹に湧き出る霊泉にちなみ、行基が「石清水寺」を創建しており、八幡神鎮座後も幕末までは「石清水八幡宮護国寺」と称する神仏習合の官寺でした。
しかし明治時代に入ると1868年「神仏分離令」をきっかけに廃仏毀釈が巻き起こり仏像・仏具の廃棄や宿坊の移転が相次ぐこととなり、そんな中で1871年には官幣大社に列せられ、社号も「男山八幡宮」と改称することとなります。
もっとも「石清水」の社号は1000年以上の創建以来の由緒深いものであることから、1918年には元の「石清水八幡宮」に戻され現在に至っています。
京都を代表する「厄除け」の神社
清和天皇が平安京を守護するため、都の裏鬼門(西南)にあたる男山山頂に厄除けの神として知られる八幡大神(応神天皇・神功皇后(安産)・比咩大神(交通安全)の3柱)を大分宇佐八幡宮より勧請し創建。朝廷から伊勢神宮に次ぐ宗廟として厚い崇敬を集めています。
社名は元々この地にあり男山中腹より涌き出る霊泉に因んで名付けられた「石清水山寺」に由来。
このため現在においても厄除けの社として多くの参拝客が訪れます。特に厄年の厄払いでは「女は立木さん(滋賀県の立木観音)、男は男山」といわれるほど信仰を集めています。
源氏の氏神として信仰を集める「必勝」の社
朝廷のみならず武士からも厚い信仰を集め、源義家がここで元服し八幡太郎と呼ばれ後に源氏の氏神となった経緯から「必勝」の神社としても知られています。また境内には鎌倉幕府を開いた「源頼朝ゆかりの松」も残されています。
ちなみにのちに源氏の本拠地・鎌倉に鶴岡八幡宮が創建されるなど、その台頭とともに全国に八幡社が建てられましたが、その中で石清水八幡宮は大分宇佐八幡宮、鶴岡八幡宮とともに「日本三大八幡社」とされています。
徳川家光が寄進、本殿など国宝・重文指定の貴重な建築物が多数
徳川家光の寄進で江戸初期の1634年(寛永11年)に再建された朱塗りの社殿は動物彫刻などで装飾された豪華絢爛な造りを誇ります。
そのうち本殿、外殿、楼門など18棟の貴重な建築物が国の重要文化財に指定されています。
更に2016年2月には本殿を含む10棟が新たに国宝にも指定されました(本殿、摂社武内社本殿、瑞籬、幣殿および舞殿、楼門、東門、西門、廻廊3棟)。
八幡造の本殿形式で現存最古かつ最大規模という歴史的価値のほか、古代の荘厳な社殿形式を保持しつつも、織田信長・豊臣秀吉・豊臣秀頼・徳川家光などの天下人たちにより施された近世的な装飾も兼ね備えた完成度の高い神社建築で、広く浸透した八幡信仰の象徴としても文化的意義があると評価されたといいます。
国指定史跡の男山全体が境内、参拝用のケーブルも設置
2012年(平成24年)に国の史跡に指定された男山全体が境内で山上の上院へは表参道・裏参道より徒歩で参拝できるほか、参拝用のケーブルも設置され数分で山上まで到着することもできます。
府指定天然記念物の楠木正成手植えのクスノキに桜、紅葉など豊かな自然
広大な境内には豊かな自然が残り、南北朝時代に活躍した楠木正成手植えと伝わる樹齢600年を超える大楠が京都府指定天然記念物に指定されています。
その他にも春は桜、秋は紅葉の名所としても有名で桜は男山全体で2000本あるほか、山上の展望台からは桂川、宇治川、木津川の三川が眺望でき、またせせらぎ、ひだまり、こもれびの3つのハイキングコースが設定され豊かな自然を満喫できます。
織田信長奉納の「黄金の樋」と「信長塀」
本殿を囲むように築かれた築地塀は戦国武将・織田信長の奉納、また本殿内には同じく信長の寄進と伝わる「黄金の樋」が残されています。
例祭・石清水祭は三大勅祭の一つ
毎年9/15に開催される例祭・石清水祭は清和天皇時代の863年より続く歴史と伝統を誇り、賀茂の葵祭・奈良春日大社の春日祭とともに日本三大勅祭の一つに数えられています。
白熱電球の実用化に八幡市の竹が貢献、発明王エジソンの記念碑も立つ
発明王として有名なトーマス・アルバ・エジソン(1847-1931)は男山の真竹を用い白熱電球の長時間点灯に成功したことから、境内にはエジソンの記念碑が立ち、その生誕日と命日にはエジソンの遺徳を偲ぶ行事も行われています。
また境内では竹製のエジソン合格祈願絵馬の授与も行われており、受験合格を祈願する多くの参拝者が訪れます。
パナソニックの創業者・松下幸之助が深く信仰
世界的家電メーカーとして知られるパナソニックの創業者で「経営の神様」とも称された松下幸之助が深く信仰したことでも知られています。
石清水八幡宮の施設案内
境内は全体が国の史跡に指定され、山上の本宮(本殿)のある「上院」と山麓の頓宮や高良神社のある「下院」とに大きく2つに分かれています。
本殿をはじめとする16の建造物が重文指定、山上へは「表参道(大坂)」「裏参道(太子坂・奉行坂)」の坂道を登っていくほか、男山ケーブルで「男山山上駅」まで向かい「西ケーブル参道」または「東参道」を通る方法があります。
なお男山山中には近代になり廃仏毀釈のため撤去された宿坊跡の碑だけがいくつも残されています(かつては「男山四十八坊」といわれる宿坊・寺院・堂塔・僧房が立ち並んでいた)。
下院
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石標
一ノ鳥居のある下院入口にある石標。
ケーブルを使って男山山頂まで行く場合は通ることはない。
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一ノ鳥居(いちのとりい)
表参道の入口にあたる高さ約9m、幅11mで石造の八幡鳥居。元々は木製だったが、1636年(寛永13年)に松花堂昭乗(1584-1639)の発案で石鳥居に建造し直した。
「八幡宮」の銅製の額は一条天皇の勅により三蹟の藤原行成が書いたものを1619年(元和5年)に松花堂昭乗が書写し打ち出したもの。
八の字は一対の鳩が顔を外に向けた形をしている。「鳩嶺」と呼ばれるほど多くの鳩がいたことから、現在鳩は八幡神の使いとされている。
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境内図
一ノ鳥居をくぐってすぐ右手にある、石清水八幡宮の境内案内図。
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放生池(ほうしょういけ)
約270坪(約89㎡)、1998年までここで放生行事が行われていた。
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筒井(つつい)
北門の手前左に位置する井戸。
石清水井、藤井、山ノ井、閼伽井とともに「八幡五水」の一つの名水。
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頓宮北門(とんぐうきたもん)
四脚門、昭和天皇の即位に際し御所の春興殿の正門として建てられたものを大礼終了後1928年に下賜。
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回廊
1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失、1969年再建。
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斎館・参集殿
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頓宮殿(とんぐうでん)
1868年鳥羽伏見の戦いで焼失し1915年に再建、石清水祭(9/15)の御旅所(神輿の待機所)として使用。
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頓宮南門(とんぐうみなみもん)
1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失、1939年に上院の南総門を移築、前に勤番所。
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勤番所(頓宮授与所)
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高良神社(こうらじんじゃ)
高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)を祀る摂社だが、旧八幡町の氏神(産土神)として篤く信仰されている。
860年(貞観2年)または869年建造で、豊前国(大分県)の宇佐八幡宮より八幡大神を勧請した行教が社殿を建立したと伝わる。
有名な吉田兼好の「徒然草」で、仁和寺の老法師がこの社のみを詣でて八幡宮に詣でたと勘違いして帰る記述が残されているほど、当時は荘厳だったと想像される。
1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦いで焼失、現在の社殿は1884年(明治17年)の再建。例祭は7月17・18日で、「太鼓まつり」は有名。
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タブの木
高良神社の御神木で樹齢約700年を数える。
クスノキ科の木で、古来より「厄除の木」として信仰されてきた。
京都の自然二百選にも選定。
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藤井(ふじい)
高良神社の左手前にある井戸。
石清水井、筒井、山ノ井、閼伽井とともに「八幡五水」の一つの名水。
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手洗所
高良神社の向かいにある手洗所。
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頓宮駐車場
高良神社の向かいにある駐車場。東高野街道沿いの駐車場入口の所には安居橋(たいこ橋)が架かる。
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安居橋(あんごばし)(たいこ橋)
境内東を南北に流れる放生川にかかる。
現在の放生会はここで開催されている。
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頼朝手植え松(頼朝公ゆかりの松)
鎌倉幕府を開いた源頼朝は1195年(建久6年)に妻・北条政子らとともに参拝。この際に鎌倉から持参した6本の松の苗木を植え、代わりにこの地から持ち帰った松を鶴岡八幡宮に植えたという。
その「六本松」の唯一の生き残りも1947年(昭和22年)の落雷で焼失。現在の松は1955年(昭和30年)に奉納された2代目。
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表参道・裏参道
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二ノ鳥居(にのとりい)
ここで道は二手に分かれ、まっすぐ進む道は表参道(大坂)、右に曲がる道は裏参道(太子坂・奉行坂)と呼ばれている。
表参道は三ノ鳥居へ、裏参道は石清水社を経て本殿の側面にあたる東総門へと続いており、どちらからも上院へ向かうことはできるが、裏参道の方がやや近い(表参道は約20分、裏参道は約15分)。
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裏参道入口
二ノ鳥居手前で右に曲がりしばらく石段を上がっていき東総門へと続く。
年始は裏参道は下りの一方通行となる。
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神馬碑
二ノ鳥居の脇に立つ石碑で「奉納 神馬」と刻まれている。
現在三ノ鳥居前にある神馬舎は1959年に新築されたもので、それ以前はこの場所にあった。
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神幸橋(しんこうばし)
二ノ鳥居をくぐって表参道を約100mほど行った先にある小さな石橋。
男山の岸壁を深く削ってできた細い谷「祓谷(はらいだに)」に架かる。
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相槌神社(あいづちじんじゃ)・山ノ井戸
二ノ鳥居をくぐって表参道を進み七曲がりの石段が始まる付近の山麓にある小さい社。
平安期に活躍した刀匠・三条小鍛冶宗近ゆかりの社で、槌を打つ時に用いたという八幡五水の一つ「山ノ井戸」が残る。
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七曲がり
二ノ鳥居をくぐり表参道をしばらく進むと訪れる石段が九十九折に折り返す形で何回か続く坂道。
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影清塚(かげきよづか)
表参道を七曲がりの石段を上がり切った分岐点にある
かつてこの場所には瀬織津姫を祀る祓谷社があり、現在は山上の祓所で行われている6月30日の夏越大祓と12月31日の年越大祓の2つの大祓神事もこの地で行われていた。
影清とは姿を清めるという意味で、参拝者は谷筋の祓谷の流れに自らを映し身を清めてから本宮へと向かったという。
分岐点を左に向かうと表参道から三ノ鳥居へ、右へ曲がると松花堂跡や石清水社を経由して裏参道へと合流し本殿の東側へと到着することができる。
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大扉稲荷社(おおとびらいなりしゃ)
末社、表参道を七曲がりの石段を上がり切った影清塚のある分岐点にある。
1829年(文政12年)の創建で、この稲荷社に祈った人が富くじにより富を得たと伝わり信者を増やし、その寄進で改築されたといわれることから宝くじにご利益があると密かに人気。
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駒返し橋(こまかえしばし)
松花堂跡の手前にある。
上り坂が急峻なため馬がここで引き返したという。
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松花堂跡(しょうかどうあと)
表参道の途中、影清坂の分岐を右に曲がり石清水社へと向かう途中に位置。
かつて参道には「男山四十八坊」といわれる宿坊や寺院・堂塔や僧房が立ち並んでいたが、「松花堂」はその一つとして江戸時代を代表する文化人・松花堂昭乗が営んでいた草庵。 明治初期の「神仏分離令」の際にも破却を免れ、幾度かの移転を経て1977年に八幡市の所有となり、現在の松花堂庭園の位置に落ち着いたが、男山山内の松花堂跡も1957年に国の史跡に指定されている。
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石清水社(重文)・石清水井
境内摂社、八幡神が鎮座し石清水八幡宮が創建される以前からあった石清水寺を起源とする。
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祀る。
藤井、山ノ井、閼伽井と並ぶ「八幡五水」の一つ、霊泉「石清水」が湧き出る
石造の神明鳥居は1636年京都所司代・板倉重宗の寄進で建造され、境内に残る鳥居の中で最古。
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豊蔵坊跡地(ほうぞうぼうあとち)
鳩茶屋の少し下付近にあったとされる。
徳川家康が三河の一大名だった頃よりの祈願所で、家康が本厄の際に自身を写した等身大の像を豊蔵坊本堂の神殿に祀ったと伝わり(現在は等持院に安置)、その後も将軍家の祈願所として神仏分離令により破却されるまで男山四十八坊の中でも有数の規模を誇っていたという。 1863年には孝明天皇の攘夷祈願もこの地で行われ勤皇派の討幕に大きな影響を与えた。
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鳩茶屋(はとちゃや)
表参道を進み三ノ鳥居近くまで上がった所にある茶店、旧愛染堂(盛輪院)跡に店を構える。
表参道には依然はいくつかの茶店があったが、現在残っているのはここ一軒のみ。
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竹林
鳩茶屋のそば、石段の途中に左手に見える。
京都府歴史的自然環境保全地域として1983年(昭和58年)に指定された石清水八幡宮境内地の一画で、山城地域振興計画に基づき市やボランティアの協力で整備されている「モデル竹林」。
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神馬舎(しんめしゃ)
馬場末の南端、三ノ鳥居の手前に位置、元々は二ノ鳥居の脇にあった(現在その場所には石碑が立っている)。
1959年に新築に際し、木下喜太郎により四代目彌櫻号が奉納。
その後1983年(昭和58年)に息子の木下喜昭により五代目彌櫻号が奉納され飼育されていたが2004年8月に死去、現在は建物のみ残る。
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門
三ノ鳥居のすぐそばにある出入口で、男山に3つあるハイキングコースの一つである「男山散策路せせらぎルート」へと続いている。
「走上り」バス停まで約20分との表記。
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細橋(ささやきばし)
裏参道の途中、東総門の少し手前に位置する注連縄を張られた小さな橋。
橋のすぐそばに伊勢神宮遥拝所がある。
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伊勢神宮遥拝所(いせじんぐうようはいじょ)
細橋のすぐそばある遥拝所。
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上院(参道「馬場前」・神苑)
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三ノ鳥居(さんのとりい)
1645年(正保2年)に建造されたが、1961年(昭和36年)9月16日の第二室戸台風で倒壊。
現在のものは1962年(昭和37年)の再建。
ここからまっすぐ南総門まで馬場前と呼ばれる参道が続く。
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馬場前
三ノ鳥居から南総門までの100mの参道で、両脇には楠などが植えられ約400基の石灯籠が立ち並ぶ。
これらはかつであった宿坊などから奉納されたもので形も寸法もまちまち。
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鳩峯寮庭園(鳥居の庭)
三ノ鳥居をくぐってすぐ、一ツ石の手前左あたりにある。
1966年(昭和41年)5月11日、昭和を代表する作庭家・重森三玲による造園。
1961年(昭和36年)9月16日の第二室戸台風で倒壊した三ノ鳥居の石材を再利用して造られた。
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一個石(ひとついし)
三ノ鳥居から続く石畳の参道「馬場前」の途中中央にある。
かつて南総門下にあった「五個石」に対する呼称で「一ツ石」、願いが切実な場合に百日詣の代わりに一日に百度参るという「お百度参り」の目標物となったことから「お百度石」、あるいはこの石が走馬・競馬の出発点になっていたことから「勝負石」とも。
この石と本宮の間でお百度・お千度が行われ、元寇の際にも民衆がお千度参りしたという。
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御鳳輦舎(ごほうれんしゃ)
御鳳輦とは御神霊の乗り物、神輿の原型のことで、9/15の石清水祭では八幡大神を乗せた三基の御鳳輦が山上の御本殿から山麓の頓宮へと向かい、儀式が厳修されたのち山上へと還幸する。
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御羽車舎(おはぐるましゃ)
元は経蔵だったが明治期の神仏分離令で名を改め羽車2基を納める。
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書院石庭(社務所の庭)・六角灯籠(重文)
重森三玲により1952年に造園、南北8m、東西6mの中に14個の石が配されている。
東南角にある灯籠は鎌倉期1295年にあたる「永仁三年未乙三月」の銘があり重文指定。
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社務所
書院石庭(社務所の庭)があるほか、秋は紅葉スポットの一つで社務所前の猩猩楓・野村楓が見事に色づく。
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石翠亭(せきすいてい)
山上休憩所、1階が休憩所で2階にはレストラン(喫茶・軽食)もあり食事をすることが可能。
厄除大祭の時期には厄除けうどんを食べることができる。
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走井餅(はしりいもち)
一ノ鳥居門前にある「走井餅本舗」の境内販売所。
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涌峯塔(ゆうほうとう)
神苑広場の真ん中に立つ高い塔で、高さは18.3mあるが、本殿より高くならないよう配慮されて設計されている。
1984年(昭和59年)に研修センターと同時に建設され、彫刻・陶芸家として知られる清水九兵衛により神刀や神職の使用する笏・冠などをイメージしたデザインとなっている。
単なるモニュメントではなく給水塔の役割があり、山上では水圧が低いため、ポンプで塔の高い所まで水を上げた上で落下する勢いを利用して各所に配水しているという。
傍らには八幡市の観光地図が立つ。
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供御井(くごい)
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手洗所
ケーブル男山山上駅から西参道を歩いて上院に入りすぐの所、休憩所の石翠亭のすぐそばにある手洗所。
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エジソン記念碑(えじそんきねんひ)
1934年(昭和9年)に境内北隣に建立された後、エジソン彰徳会の手で1958年(昭和33年)に現在地に移転、更に1984年(昭和59年)10月にデザインを一新し現在のものに建て替えられる。
発明王として知られるエジソンが1880年(明治13年)に白熱電球を発明した際、フィラメントの改良に際し境内の竹を利用した縁による。
なお毎年2/11にはエジソン生誕祭も開催されている。
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平成の御代奉祝 石清水八幡宮崇敬者大会記念植樹碑
皇紀2651年(平成3年)11月23日の記念植樹碑。
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ボーイスカウト像
第3駐車場やエジソン記念碑のすぐ近く、国旗掲揚棒の横にある。
石清水八幡宮の社務所内にはボーイスカウト綴喜第一団事務局があり様々な活動を行っている。
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第3駐車場
涌峯塔のある広場にある駐車場。
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鳩嶺茶園跡の石碑
清峯殿の入口左側に立つ石碑。
青少年文化体育研修センターの建物ができる前には、ここに茶園があったという。
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清峯殿(せいほうでん)(本館)
藍峯館(宿泊棟)・楠峯館(体育館)・鳩峯庵(茶室)とともに青少年文化体育研修センターの施設の一つ。
式場・会議室・宴会場として利用されるほか、生まれて初めてのお宮参り「初宮参り」や「七五三」「十三参り」、古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿といった「祝歳参り」などの際の写真撮影や着付けなどもここで行うことができる。
秋は紅葉スポットの一つで清峯殿前の楓が見事に色づく。
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藍峯館(らんぽうかん)(宿泊棟)
清峯殿(本館)・楠峯館(体育館)・鳩峯庵(茶室)とともに青少年文化体育研修センターの施設の一つ。
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茶室 鳩峯庵
清峯殿(本館)・藍峯館(宿泊棟)・楠峯館(体育館)とともに青少年文化体育研修センターの施設の一つ。
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楠峯館(なんぽうかん)(体育館)
清峯殿(本館)・藍峯館(宿泊棟)・鳩峯庵(茶室)とともに青少年文化体育研修センターの施設の一つ。
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御文庫のクスノキ(楠木正成の大楠)
清峯殿とエジソン記念碑の間、南北朝時代の武将・楠木正成が1334年(建武元年)に必勝を祈願し参拝した際に植えた7本の一つ。
「神楽殿のクスノキ」とともに府の天然記念物で京都の自然200選にも指定、高さ30m、根回り18mで男山に現存するもので最大、樹齢600~700年。
なおこの木のそばにあった御文庫は老朽化のため2005年(平成17年)に撤去された。
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尺八都山流流祖 中尾都山顕彰碑(しゃくはちとざんりゅうりゅうそ なかおとざんしょうとくひ)
中尾都山(1876-1956)は大阪府枚方市生まれの尺八家で、虚無僧行脚の後1896年に都山流を創始。 その業績を讃え流祖七回忌記念事業として1962年(昭和37年)9月に同門有志により建立されたもの。
同流門人の究極の目標「萬象盡蔵一管中(万象をことごとく一管中におさむ)」の文字が刻まれている。
中尾都山は没年まで75年間にわたり石清水八幡宮を守護神として崇敬したという。
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雄徳山茶園(おとこやまちゃえん)
2004年に石清水献茶講設立60周年記念し21年ぶりに復活。
毎年八十八夜の頃に茶摘みを行い、手もみ製茶をした茶葉は天皇陛下にも献上されている。
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青雲寮(せいうんりょう)
石翠亭のすぐそばにある建物で、神社本庁指定の神職養成機関の一つである京都國學院の男子学生寮となっている。
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手水舎(ちょうずや・てみずや)
参詣者が手や口をすすぎ清める場所。
朱塗りに八脚が特徴。
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カヤの木
南総門前の東側に立つ樹齢700年を超える巨木、高さ20m、根回り7m。
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供御所(くごしょ)
南総門手前の左側に位置。
建物内で祀られている末社・竈神殿(そうじんでん)は台所の守護神。
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上院(本殿内)
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南総門(みなみそうもん)(重文)
本殿への入口にあたり1634年、徳川3代将軍・徳川家光の寄進。
東寄りに造られているのは大神の正面を通るのは失礼とされるので、それを避けるため。
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回廊
長さ180mで信長塀とともに本殿の四方を囲む。
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本宮楼門(ろうもん)(国宝)
江戸前期の1634年、徳川3代将軍・徳川家光の修造。
正面拝所となっており、門の内側には葵の紋。
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本殿(ほんでん)(国宝)
応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)を主神としてその母・神功皇后(じんぐうこうごう)と比売大神(ひめのおおかみ)の三柱(総称して八幡神)を祀る。
859年(貞観元年)の創建以降14回造営、17回の修理を数え、現在の建物は1634年(寛永11年)徳川3代将軍・徳川家光の寄進による、2009年(平成21年)に平成の大改修。
朱塗りに極彩色の彫刻が施された壮麗な造りが特徴で、内殿・外殿の前後二棟からなる「八幡造」の社殿建築様式も珍しい。
本殿の内殿と外殿の間の「相の間」には織田信長寄進の「黄金の雨樋」が架けられている。また本殿を囲む瑞籬(みずがき)に施された150点以上といわれる極彩色の欄間彫刻は江戸期の名工・左甚五郎一派の作と伝わるもの。
2016年(平成28年)には瑞籬を含む本殿、本殿と楼門とをつなぐ幣殿および舞殿、そして楼門、東門、西門、さらにこれらをつなぐ廻廊3棟など10棟が一括して国宝に指定された。御本殿昇殿口は東門側。
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武内社(たけうちしゃ)
唯一社殿内部にある摂社、大和朝廷の初期に活躍し第12代景行天皇から成務・仲哀・応神・仁徳天皇までの5代に仕え大臣となったという伝説の人物・武内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)を祀る。
860年(貞観2年)の鎮座で本宮鎮座より古い。本殿は2016年(平成28年)に八幡宮の本殿などとともに国宝に指定されている。
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お札・お守り授与所(じゅよしょ)
厄除開運・家内安全のお札やお守り、絵馬やおみくじなどを授与してもらえる。
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東総門(ひがしそうもん)(重文)
本殿東側、裏参道および東参道から来た場合に最初にたどり着く門。
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水分社(みくまりしゃ)
末社、東外門のすぐ外側の石段の途中にあり、子守の神である国之水分神を祀る。
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信長塀(築地塀)
織田信長が1580年(天正8年)に寄進した土塀のためこの通称で呼ばれる。
瓦と土を幾重にも重ね鉄砲による銃撃や耐火性・耐久性に優れていたことから、本殿を取り囲むように築かれた、案内板は本殿東側。
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水若宮社(みずわかみやしゃ)(重文)
摂社、本殿東北に位置、江戸前期の建築。
宇治神社・宇治上神社として知られる宇治稚郎子命(ウジノワキイラツコ)を祀る。
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気比社(けひしゃ)
末社、本殿東北に位置。
北陸の交通の要衝であった福井県敦賀にある気比神宮の主祭神・気比大神を祀る。
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若宮殿社(わかみやでんしゃ)(重文)
摂社、本殿北東側に位置。
869年鎮座、女性の守護神・応神天皇皇女を祀る。
本殿でお祓いを受けた後、女性は清め衣に氏名・願い事を記してこの社に納める。
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若宮社(わかみやしゃ)(重文)
摂社、本殿北東側に位置
869年鎮座、男性の守護神・仁徳天皇を祀る。
本殿でお祓いを受けた後、男性は清め衣に氏名・願い事を記してこの社に納める。
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鬼門封じ(きもんふうじ)
丑寅(東北)の方角は古来より牛の角を持ち虎の毛皮を身にまとった鬼が来るといわれ「鬼門」とされる。
その「鬼門」を封じるため、石清水八幡宮でも回廊の北東の角(丑寅の方角)は石垣が斜めに切られている。
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おがたまの木
本殿北東にある木で「招霊の木」と書く。
古くより霊力の宿る神木として多くの神社に植えられ、1円玉の表面にも描かれている。
その実の形から神楽鈴が作られたともいわれている。
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貴船社・龍田社(きふねしゃ・たつたしゃ)
末社2社の相殿で本殿北側に位置、1191年鎮座。 それぞれ水の神として知られるタカオカミ神と風の神として知られるシナツヒコ神・シナツヒメ神を祀る。
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北総門(きたそうもん)(重文)
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一童社(いちどうしゃ)
末社、本殿北西側に位置、海の神で航海安全をつかさどる磯良神(阿曇磯良)を祀る。
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住吉社(すみよししゃ)(重文)
摂社で本殿北西側に位置、869年の鎮座。
大阪市住吉区にある住吉大社の主祭神で海の神、航海の神として知られる住吉三神、すなわち底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀る。
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校倉(あぜくら)(宝蔵)
本殿北西に位置、江戸中期に建造。
珍しい校倉造りの建築として2009年に京都府指定文化財に指定。
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廣田社・生田社・長田社(ひろたしゃ・いくたしゃ・ながたしゃ)
末社3社の相殿で本殿西北側に位置、1055年の鎮座。
順番に天照大御神・稚日女命・事代主命を祀る。
いずれも兵庫県にある神社からの勧請で勧請元は西宮市の廣田神社、神戸市の生田神社と長田神社。
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西総門(にしそうもん)(重文)
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神楽殿のクスノキ(楠木正成の大楠)
本殿西側、南北朝時代の武将・楠木正成が1334年(建武元年)に必勝を祈願し参拝した際に植えた7本の一つ。
「御文庫のクスノキ」とともに府の天然記念物で京都の自然200選にも指定、樹齢600~700年。
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おみくじ
神楽殿の北側にあるおくみじ授与所。
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神楽殿
南総門をくぐってすぐ左側に位置。
建物の左側には八幡御神矢を授与する受付があり、厄除まいり(正月~節分)の際にはまずこちらで御神矢の授与を受け、神楽殿にて巫女による御神矢の清め祓いを受ける。
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お札御守り・八幡御神矢納め所
神楽殿の左に隣接する、1/1~2/3の正月期間中はここで特別厄除御神矢・八幡御神矢の授与を受け、隣の神楽殿で巫女による御神矢の清め祓いを受ける。
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男山ケーブル側
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ケーブル男山山上駅
京阪ケーブルの駅で、山麓の石清水八幡宮駅とは3分でつながる。
駅から西ケーブル参道を経由して徒歩6~7分で本殿へと到着できる。
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境内図
ケーブル男山山上駅の駅を出てすぐの所にある境内案内図。
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地蔵
ケーブル男山山上駅の駅を出てすぐの所にある地蔵の小祠。
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男山京都府歴史的自然環境保全地域
859年に男山山上に石清水八幡宮が創建されて以来、男山の森林は歴史の中で育まれ本殿などの歴史的遺産と一体となって立派な天然林となっており、周辺の都市化が進む中で事前の保存庫として貴重な存在となっていることから、1983年(昭和58年)3月15日に歴史的自然環境保全地域に指定された。
樹齢600年から700年と推定されるクスノキの巨木をはじめ、アラカシやアオキ、ツブラジイやムクノキ、孟宗竹など様々な植物が生育している。
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男山の野鳥たち
この近辺で見られる主な野鳥についてイラスト付で書かれた説明板。
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展望台(てんぼうだい)
本宮の北側、男山山上駅すぐにあるスペースで、案内板のほか有料の望遠鏡も設置されている。
三川、天王山、愛宕山、比叡山、京都市街地、醍醐などがパノラマで眺望でき一望絶賛の景色が楽しめる、桜と紅葉も、敷地内に谷崎潤一郎文学碑「蘆刈抄」。
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谷崎潤一郎文学碑「蘆刈抄」
展望台の一角に立つ、谷崎潤一郎(1886~1965)の生誕100年にあたる1986年除幕、碑文の字は1933年(昭和8年)に刊行された谷崎潤一郎自筆本による。
関東大震災を契機に関西へ移住し純日本的、古典的なものを主題とする作品を多数発表、このうち「蘆刈(あしかり)」は中期の名作の一つで大山崎から橋本へ渡る淀川の中州が小説の舞台となっている。
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NPO法人八幡たけくらぶ集会所
展望台広場にある男山の散策ルートなどにある放置竹林の整備活動を目的とするボランティア団体「八幡たけくらぶ」の集会所。
伐採した八幡の竹を使用し「竹炭焼き」や「竹細工」の製作なども行っている。
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石鳥居
ケーブル男山山上駅から東参道を通り三ノ鳥居へ向かう途中、展望台への分岐付近にある石の鳥居。
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鳥居
ケーブル男山山上駅から西参道を通り三ノ鳥居へ向かう途中にある朱色の鳥居。
1980年頃奉納されたものだが、2014年の台風18号の被害で倒壊、修復については検討中とのこと(写真は倒壊前のもの)。
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三女神社(さんみょうしんしゃ)
末社、西ケーブル参道から本殿へ向かう途中に位置、玄界灘の宗像大社の祭神で航海安全をつかさどる海の神・宗像三女神を祀る。
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神応寺・杉山谷不動尊
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石標
石清水八幡宮の一ノ鳥居の脇道にある神応寺の石標で、この道を奥へ進むと神応寺の山門へと到着できる。
また男山に3つあるハイキングコースの一つ「男山散策路こもれびルート」の入口にもなっており、鳩ヶ峰・男山クレセンを経て石清水八幡宮の上院へ約40分で到達することが可能。
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神応寺(神應寺)
男山の谷筋を隔てて北側・鳩ヶ峰の山腹にある寺院。
石清水八幡宮の門前、一ノ鳥居を右へ、谷川に沿って進むと五輪石塔の横に山門がある。
石清水八幡宮を勧請した行教が同じ860年に創建、行教の尊像を安置。
大阪の「淀屋橋」を架けたことでも知られる江戸時代の豪商5代目淀屋辰五郎の墓もある。
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分岐
神応寺の境内にある分岐で、片方は京阪石清水八幡宮駅まで約10分、神応寺不動堂まで約5分。
もう片方は鳩ヶ峰・男山クレセンを経て石清水八幡宮の上院まで約35分。
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門
一ノ鳥居脇から続く神応寺の参道を通らなくても、この門をくぐると頓宮より不動堂道へとすぐに向かうことができる。
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五輪塔(航海記念塔)(重文)
頓宮脇に立つ五輪石塔(下から地輪・水輪・火輪・風輪・空輪)で、「忌明塔」ともいい高さ6m、幅2.4mは日本最大級。
平安末期の高倉天皇の時代に摂津国尼崎の豪商が宋との貿易の帰途、石清水八幡宮に祈願して海難を逃れたことから寄進したとの伝承あり。
元々は石清水八幡宮の宮寺だったが廃寺となった極楽寺跡に立つ。
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谷不動堂道
五輪塔(航海記念塔)のところから杉山谷不動尊(谷不動)へと続く参道。五輪塔のすぐそばに石標が建っている。
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鳥居
杉山谷不動尊(谷不動)の一ノ鳥居にあたる。
正面左手が自転車・バイク置場になっている。
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分岐
杉山谷不動尊(ひきめの滝)の参道途中にある分岐点。
そのまままっすぐ進むと杉山谷不動尊(ひきめの滝)だが、右に曲がって坂道を上がっていくと神応寺へと向かうことができる。
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鉄橋
杉山谷不動尊(谷不動)の参道の途中にかかっている京阪男山ケーブルの鉄橋。
参道を歩いているとケーブルカーが上部を通過していくのを目撃することができる。
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鳥居
杉山谷不動尊(谷不動)の参道の石段を上がって二番目に遭遇する赤色の鳥居。
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杉山谷不動尊(すぎやまたにふどうそん)(ひきめの滝)
石清水八幡宮の頓宮の西側の坂道を登った先にあり、男山と鳩ヶ峰の谷筋にあり不動明王を祀ることから「谷不動」の別名。八幡神を男山に勧請した行教がその鎮守として建立したとも伝わる。
本堂の不動明王は平安初期に弘法大師空海が危害を加える悪鬼を法力によって封じ、一刀三礼により不動明王を刻んで安置したもので「厄除け不動」として篤く信仰されている。悪魔降伏のために憤怒の形相をしており、両脇に善悪を掌るコンガラと制咤迦(せいたか)の童子を従える(60年に一度しか公開されないという秘仏)。
また不動堂の横の谷川には「霊泉瀧(ひきめの瀧)」が流れている。
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関連
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松花堂(しょうかどう)(史跡)
1637年松花堂昭乗が石清水八幡宮参道の宿坊に構えた草庵が起源。
境内にあったが明治初期の廃仏毀釈を経て男山南方に移築、男山の境内跡とともに史跡に指定されている。
庭園のほか美術館、松花堂弁当を生み出した料亭京都吉兆も営業する。
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狩尾社
境外摂社で男山の西方に位置する橋本地区の狩尾山に鎮座(京阪「橋本」駅より東へ約500m)。
石清水八幡宮の鎮座以前よりこの地にあり1877年に摂社となる。
橋本地区の氏神で天照大神・大己貴命・天児屋根命の三柱を祀る。
本殿は1601年に建てられた境内最古の社殿で重文。
10/25に例祭・狩尾社祭を開催、子供神輿が町内を練り歩く。
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泰勝寺(たいしょうじ)
男山の東麓、七曲がりの参道のそばに位置、1918年(大正7年)建立の臨済宗妙心寺派の寺院で寺号は熊本藩・細川家の菩提寺である泰勝寺より。
松花堂昭乗の墓がある昭乗ゆかりの寺院で門前には「松花堂旧跡」の石碑も立つ。
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善法律寺(ぜんぽうりつじ)
東高野街道沿いの寺院、律宗の寺院で石清水八幡宮検校だった善法寺宮清が正嘉年間(1257~1259)に奈良・東大寺より実相を招き開山、室町期に善法寺通清の娘・良子が将軍・足利義詮に嫁ぎ3代将軍・足利義満の母となった縁もあり足利家の庇護を得て隆盛を極めた。
本堂安置の八幡大菩薩は明治初期の神仏分離令まで石清水八幡宮殿内にあったもので平安期の作。
また良子が好きだったという紅葉の木が多く寄進されたことから「紅葉寺」の別名を持つ紅葉の名所。
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八角堂
松花堂庭園の西側に位置、市内最大の前方後円墳である西軍塚古墳の円頂部に建つ。
鎌倉時代に石清水八幡宮13代検校・善法寺祐清が男山山上(西谷)に建立、その後大破し江戸時代の1607年(または1611年)に豊臣秀頼が再建。
明治初期の神仏分離令に伴い移築され、現在は正法寺の境外仏堂となっている、巨大な阿弥陀如来像を安置する。
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正法寺(しょうぼうじ)
東高野街道沿いに位置、石清水八幡宮の社家・志水氏の菩提寺。
江戸時代には志水宗清の娘・亀女(相応院)が徳川家康の側室となり尾張徳川家の祖・義直を出産したことから、尾張徳川藩の庇護を受けて隆盛を極めた。
現在の伽藍は1630年(寛永7年)に再建され本堂・方丈・唐門・鐘楼など七堂伽藍を備える。
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周辺
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京阪石清水八幡宮駅(けいはんいわしみずはちまんぐうえき)
石清水八幡宮の最寄駅でここから徒歩で表参道・裏参道を通って参道を上がっていく方法と、ケーブルを使って男山山上駅まで向かう方法とがある。
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ケーブル八幡宮口駅
京阪石清水八幡宮駅の出入口を出て右に曲がってすぐ、15~30分間隔で運行されている。
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八幡市観光協会
京阪石清水八幡宮駅前にある観光案内所で、八幡市の観光地の案内やPR、パンフレットの配布、レンタサイクルの貸し出しなどを行っている。
またやわた観光ガイド協会の主催で「石清水八幡宮パワースポット巡り」が開催されることもあり、航海記念塔(航海・交通安全)・一ノ鳥居(文化・教養)、高良神社(長寿)、源頼朝手植えの松(武運)、大扉稲荷社(商売繁盛)、一個石(勝負運)、エジソン記念碑(ひらめきと努力)、本殿(国家鎮護)、楠木正成奉納のクスノキ(必勝)の9つのパワースポットを巡る。
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駅前ロータリー
八幡市の玄関口・京阪石清水八幡宮駅前のロータリー。
中心にエジソンの功績を称えた竹のモニュメント、非核平和都市宣言碑などが設置されている。
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一ノ鳥居駐車場
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走井餅本舗(はしりいもちろうほ)
一ノ鳥居の手前にある門前茶屋で門前名物の「走井餅」で知られる。
1764年に大津で創業、名は湧水「走井」を用い餡餅を作ったことにことにちなむ、1910年(明治43年)に八幡の地に引き継がれた。
刀の荒身を模したという独特の形は、平安期の刀鍛冶・三條小鍛冶宗近が走井で剣を鍛えた故事にちなみ剣難を逃れ開運出世の縁起を担いだもの。
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淀川河川公園背割堤地区
淀川河川敷にある国営公園20か所のうちの一つで桂川、宇治川、木津川が淀川となる三川合流の地に位置。
春は桜の名所として有名で、染井吉野が作る約1.4kmの桜並木のトンネルは圧巻。
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飛行神社(ひこうじんじゃ)
日本航空界の先駆者・二宮忠八が創建、世界中の航空事故殉難者の霊を祀る。
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単伝庵(らくがき寺)
安居橋(たいこ橋)を渡って東へまっすぐ進んだ突き当たりに位置する寺院で「らくがき寺」の別名で知られる。
大黒堂の堂内には願いが込められた落書きで埋め尽くされている。
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石清水八幡宮の主な年間行事・カレンダー
年間100を超える様々な祭典や行事が開催されています。
年中行事
- 1/1~1/3
初詣(はつもうで)
例年10万人以上
1日3時より歳旦祭で供える御神水を男山中腹の霊泉「石清水」に汲みに行く「若水神事」。
5時から「歳旦祭」、3日7時半より「元始祭」にて皇室の弥栄と国の発展ならびに氏子崇敬者と地域社会の平和と繁栄を祈願。- 1/15~1/19
厄除大祭(やくよけたいさい)
厄年の男女や1年間の除災招福を祈願。
19日には前年の古い札やお守りを焚き上げる焼納神事、炎で清められた約1500個の「厄除開運餅」が配られる(無料・先着)。- 1/18
青山祭(あおやまさい)
山麓の頓宮殿の前庭に造られた祭場にてかがり火の灯りを灯し国家安泰・厄除開運を祈願。
明治以前は「道饗祭(みちあえのまつり)」ないし「疫神祭」とも呼ばれた。
17:00~- 2/3の節分直前の日曜
鬼やらい神事(おにやらいしんじ)
節分行事の一つで、13:00と14:00の2回本殿前にて宮中に伝わる古式に則り行われる。
鬼やらい人が邪気を祓うといわれる桃の枝で作られた桃弓と桃剣(とうけん)で四方と恵方を打った後、年男・年女とともに勇ましい和太鼓の音とともに境内に現れた赤鬼・緑鬼たちに「鬼やろう」の掛け声とともに豆をき退散させる。
鬼が逃げた後は豆まきが行われ、参拝者には「福豆」が振る舞われる。
境内の特設会場ではB級グルメなど約25の屋台を集めた「新春うまいもの市」も開催するほか、前日には大阪府枚方市樟葉のくずはモールで節分の豆の無料配布や鬼との撮影会などのイベントも開催- 2/1・2/3
湯立神事(ゆだてしんじ)
節分行事の一つで、12:00より男山の霊泉・石清水から汲み上げた御神水を、本殿前に設けられた3つの大釜で沸かし、米と塩、酒で神水を清めてから少量を器に移して三座のご神前に献上。
その後、神楽女(かぐらめ)が湯煙の立ち上る熱湯に笹の葉を浸し、笹の葉を使って熱しぶきを周囲に激しく振りまく
この湯しぶきを浴びることで厄除開運・無病息災・五穀豊穣にご利益があるという
最後に神事で使った笹の葉が無料で配られる。- 2/11
エジソン生誕祭(えじそんせいたんさい)
境内にあるエジソン記念碑前にて発明王エジソンの遺徳を偲び行われる。
日米両国の国歌を奉奏し国旗を掲揚する。- 2/17
祈年祭(きねんさい)
五穀豊穣を祈願するほか、日本の産業の発展と国力の充実を祈願する。
11月の収穫に感謝する「新嘗祭」とは対をなす。- 旧暦の2月初卯日
初卯祭(はつうさい)
旧暦2月初卯の日は大分の宇佐に八幡大神が初めて顕現した縁日にあたり、平安時代より祭典が執り行われている秘祭(一般参拝者への案内なし)。
10時より「初卯祭」、17時より「御神楽」の奉納。- 3月春分日
春季皇霊祭遥拝(しゅんきこうれいさいようはい)
「皇霊祭(こうれいさい)」は、歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式で、宮中祭祀の一つ。
その皇室の春の先祖祭りを、石清水八幡宮にて遥かにお参りする- 3月春分日~4/30
男山桜まつり(おとこやまさくらまつり)
男山一帯は平安時代より桜の名所として知られる。
期間中は土日を中心に本殿前特設舞台にて民謡奉納・神賑芸能奉納・舞楽奉納・尺八奉納・武道奉納演武・島原太夫道中・煎茶お茶席接待・抹茶お茶席接待・献花展・茶花展など様々な祭典行事が執り行われる。- 5/1~5/3頃(八十八夜)
雄徳山茶園 茶摘み(おとこやまちゃえん ちゃつみ)
2004年に復活した境内の「雄徳山茶園(おとこやまちゃえん)」にて、立春から数えて88日目のいわゆる「八十八夜(はちじゅうはちや)」の頃に茶摘みが行われ、手もみ製茶を行った茶葉はその後天皇陛下に献上される。
- 5月上
石清水灯燎華(いわしみずとうりょうか)
春の夜間特別参拝として本殿や夜桜のライトアップをはじめ、境内一帯の数百基に及ぶ石灯籠や釣灯籠、石畳参道にあかりを灯し、幽玄の世界を演出する。
その他にも神主による本殿拝観案内や貴重な文化財の特別公開、祈りのともしびを捧げる献灯(祈願ろうそく奉納)や書院での茶席接待など様々なイベントを開催する。
19:00~21:00- 5/5
端午節供祭
5/3より菖蒲を用いて社殿の飾り付け。
5/5当日は「端午節供祭」を行い神前に粽を供える。- 6月上
御田植祭
地元献穀者の稲田(場所は毎年決まっている訳ではない)に斎田を設け神職や巫女が稲を植える。
10月中旬に「抜穂祭」が行われ、収穫された稲穂は11月の「新嘗祭」で新穀として神前に献上される。- 6月下
鎮護八幡神火祭
- 6/30
夏越大祓(水無月大祓)(なごしのおおはらえ)
半年間のうちについた罪や穢れを人形(ひとがた)に移して祓い清める神事。
名前と年齢を記入した後、体の悪い所を人形で撫で、心を込めて息を3回吹きかける。
南総門前の参道には大きな「茅の輪」が設置され「茅の輪くぐり」が行われるほか、茅の輪まもりの授与も。- 7/7
七夕節供祭
7/1より南総門に笹竹を設置し飾り付け。
7/7に「七夕節供祭」を行い御神前に索餅を供える。- 7/18より前の日曜・7/18
高良社祭(太鼓まつり)(こうらしゃさい(たいこまつり))
摂社・高良神社の例祭で町内ごとに太鼓を乗せた屋形神輿が作られ町内を練り歩く様から「太鼓まつり」の名で親しまれる。
例祭当日までの7日間は約600の「提灯献灯」が毎夜参道に灯される。
宵宮と本宮に分かれ本宮の日の夕刻に高良神社に各神輿が一堂に集まる「宮入」は迫力満点で最大の見所。- 9/15
石清水祭(例祭)(いわしみずさい(れいさい))
清和天皇時代の863年より続く歴史と伝統を誇り、年間で最も重要視されている行事。
948年より天皇陛下からの勅使が遣わされる「勅祭」となり、賀茂の葵祭・奈良春日大社の春日祭とともに日本三大勅祭の一つに数えられる。
真夜中の2:00に本殿より「御鳳輦」と呼ばれる神輿3基が約500人のお供と共に山麓の頓宮へと下る「神幸の儀」からはじまり。
下院・頓宮前にこの祭の時にだけ設けられる絹屋殿にて里神楽の奉納などが行われる「絹屋殿の儀」。
早朝5:30より天皇陛下からの勅使を迎え賜った奉納品を神前に奉献する「奉幣の儀」。
その後8:00より放生川にて生ける魚鳥を放ち、生きとし生けるものの平安と幸福を願う「放生会」。
最後に夕方17:00より3基の神輿が山上の本殿へと還幸する「還幸の儀」で終了。
9/14・15の両日には縁日も立つ。- 9月秋分日
秋季皇霊祭遥拝(しゅうきこうれいさいようはい)
「皇霊祭(こうれいさい)」は、歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式で、宮中祭祀の一つ。
その皇室の秋の先祖祭りを、石清水八幡宮にて遥かにお参りする- 10月中
抜穂祭(ぬきほさい)
6月の「御田植祭」で植えられた稲を刈り取る行事。
収穫された稲穂は11月の「新嘗祭」で新穀として神前に献上される。- 10/17
神嘗奉祝祭(かんなめほうしゅくさい)・神嘗祭遥拝
「神嘗奉祝祭」は、皇室のご祖先である天照大御神にその年の新穀を奉る「神嘗祭」が伊勢神宮で行われるのに際し、各神社で行う奉祝の祭典
- 10/18
エジソン碑前祭
エジソンの命日にあたる10/18に境内にあるエジソン記念碑前にて発明王エジソンの遺徳を偲び行われる。
日米両国の国歌を奉奏し国旗を掲揚するほか、カーネーションの花輪も捧げられる。- 11/23
新嘗祭(にいなめさい)
古くより全国の神社で行われている行事で、新穀を神前に供え収穫に感謝する収穫祭。
2月に五穀豊穣を祈願する「祈年祭」とは対をなす。- 12月の冬至の日
八幡御神矢・神符・守札遷霊祭および「ジャンボ御神矢」設置
翌年の新春元旦より授与するお札やお守りなどの授与品の遷霊祭を行う。
遷霊を受け八幡大神の神威をの蒙った御神矢やお札・お守りは年明けより参拝者に授与される。
祭典の終了後に本殿前に正月の風物詩である高さ7~8mの孟宗竹で作られた「ジャンボ御神矢」も設置される。- 12/31
年越大祓・除夜祭(としこしのおおはらい・じょやさい)
半年間のうちについた罪や穢れを人形(ひとがた)に移して祓い清める神事。
名前と年齢を記入した後、体の悪い所を人形で撫で、心を込めて息を3回吹きかける。
16時半より除夜祭。
毎日・月並行事
- 毎月第3日曜日
はちまんいち
東高野街道活性化実行委員会の手により石清水八幡宮の表参道で開催される「手づくり門前市」
花ごよみ
- 3月下~4月中
桜(サクラ)
平安時代より桜の名所として知られる。
男山山上のケーブル沿いに山桜(ヤマザクラ)を中心に染井吉野(ソメイヨシノ)や八重桜(ヤエザクラ)など山上の境内に200本。
男山全体が桜に包まれるが、神苑の枝垂桜(シダレザクラ)が特に有名。
4月上旬から染井吉野(ソメイヨシノ)や山桜(ヤマザクラ)。
4月中旬から下旬にかけては枝垂桜(シダレザクラ)や八重桜(ヤエザクラ)。
期間中は「男山桜まつり」を開催し様々な祭典行事が執り行われる。
春の夜間特別拝観「石清水灯燎華」として本殿や夜桜のライトアップも行われる。
エジソン記念碑と中尾都山顕彰碑の間にはスペースシャトル・エンデバー号に搭載され宇宙の旅をした「宇宙桜」が植樹されていr。- 5月中~6月中
皐月(サツキ)●
涌峯塔やエジソン記念碑の前など、山上の神苑の周辺や展望台などに生垣がある。
- 5~9月
睡蓮(スイレン)●
山麓の頓宮の一ノ鳥居付近にある放生池において、夏に蓮(ハス)や浅沙(アサザ)などとともに花を咲かせる。
白色のものが中心- 5~9月
紫陽花(アジサイ)●
山上の茶室・鳩峯庵のそばに西洋アジサイ。
エジソン記念碑の周辺や清峯館の入口付近でガクアジサイが見られる。- 7~8月
蓮(ハス)●
山麓の頓宮の一ノ鳥居付近にある放生池において、夏に睡蓮(スイレン)や浅沙(アサザ)などとともに花を咲かせる。
白色で大ぶりのものが中心- 7月中~9月下
百日紅(サルスベリ)●
山上の神苑や、頓宮の一ノ鳥居付近にある放生池の奥などで見られる。
- 11月中旬
紅葉(こうよう)
男山一帯が数千本の紅葉に包まれ常緑樹のコントラストが美しい。
本殿のある山上の上院でも参道や本殿、エジソン記念碑のある広場や展望台などで約100本のカエデが紅葉する。
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