城南宮
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曲水の宴と枝垂れ梅で有名な厄除方除と交通安全の社
平安遷都時に都の南方・裏鬼門を守護する方除の神とされ、平安後期白河上皇が鳥羽離宮で院政を敷くと鳥羽・後白河・後鳥羽の4代150年にわたり繁栄。幕末は鳥羽伏見の戦いで薩摩軍本陣に。 神苑の源氏物語花の庭では梅や桜など四季の植物が楽しめ春と秋には平安時代の貴族の遊びを再現した曲水の宴も開催
城南宮とは?(基本データ)
- 名前
- 城南宮(じょうなんぐう)
- エリア
- 鳥羽・竹田・淀
- ジャンル
-
寺社 茶室 桜 紅葉 新緑 梅 椿 馬酔木 藤 山吹 躑躅 沙羅双樹 石蕗 山茶花 名水 伏見名水 方除 交通安全 五社めぐり 神仏霊場会 門前名物 鳳輦・神輿 夏越祓・茅の輪 火焚祭 初詣 節分祭 七草粥 生け花展・献花祭 神楽・湯立神楽 御弓神事 駈馬・流鏑馬
- 建立・設立
- 創立年代不詳、この地にあった真幡寸神社に神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのがはじまりとされる
794年(延暦13年)、平安遷都の際に国常立尊を併祀し都の南方の守護神とする
816年(弘仁7年)、官社となる
1086年(応徳3年)、白河天皇が退位後の居所として鳥羽離宮(城南離宮)の造営を開始、完成後は院政を敷き、その後鳥羽・後白河・後鳥羽の4代150年にわたり鳥羽が政治文化の中心となり天皇や上皇の行幸も相次ぐ
1221年(承久3年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して倒幕の兵をこの地で挙げる、のち応仁の乱で荒廃するが江戸期に再建され中世以降は上鳥羽・下鳥羽・竹田三村の産土神として信仰を集める
1868年(慶応4年)、鳥羽・伏見の戦いの主戦場となり薩摩軍の本陣が置かれる
1876年(明治10年)、式内社「真幡寸神社」とされ改称
1968年(昭和43年)、「城南宮」に復し真幡寸神社はその境内摂社となる - 祭神
- 主祭神「城南大神」
├息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后(じんぐうこうごう)
├八千矛神(やちほこのかみ)=大国主命(おおくにぬしのみこと)
└国常立尊(くにのとこたちのみこと)
他に以下の神を祀る
├天照皇大神(あまてらすおおみかみ)(伊勢神宮の祭神)
├品陀別命(ほんだわけのみこと)=応神天皇(八幡大明神)
├別雷神(わけいかずちのかみ)(上賀茂神社の祭神)
├大山咋神(おおやまくいのかみ)(滋賀日吉大社・松尾大社の祭神)
├天児屋根命(あめのこやねのみこと)=春日権現(奈良春日大社の祭神・藤原氏の氏神)
└宇気毛智神(うけもちのかみ)(同じ食物神である宇迦之御魂神(稲荷神)とも同一視) - ご利益
- 方除(ほうよけ)(建築工事や引越・通勤・通学・営業・旅行・交通安全)
家庭円満・人間関係円満 - 例祭
- 7/20
他に釿始式(1/5)、湯立神楽(1/20)、方除大祭(4月第2金土日)、曲水の宴(4/29・11/3)、城南祭(10月第3日曜)などが知られる - 神紋・社紋
- 三光の紋(日・月・星)
- 札所等
- 神仏霊場巡拝の道 第83番
- アクセス
- 駐車場
- バス20台分 無料
自家用車200台分 無料 - 拝観料
- 境内無料
■神苑「楽水苑」拝観料
├高校生以上 600円(団体500円)
└小中学生 400円
※障がい手帳提示者は300円
※団体割引は20名以上
※曲水の宴(4/29・11/3)の日のみ無料開放 - お休み
- 無休
- 拝観時間
- 境内自由
■神苑「楽水苑」拝観
└9:00~16:30(受付16:00まで) - 住所
- 〒612-8459
京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7 - 電話
- 075-623-0846
- FAX
- 075-611-0785
- 公式サイト
- 方除の大社 城南宮
城南宮の地図
城南宮のみどころ (Point in Check)
京都市伏見区下鳥羽(しもとば)に鎮座し、引越・建築・工事・旅行の際の不安や交通安全などの心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」として有名な神社です。
元々は式内社「真幡寸神社」という名前の神社があった場所で、794年の平安京遷都の際に神功皇后(じんぐうこうごう)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を合祀し、都の南方に鎮まり平安京を守護する「城南宮」として創建。以後皇城鎮守の社ととして篤く信仰されるようになります。
平安後期に白河上皇がこの地に壮大な鳥羽離宮を造営して「院政」を開始すると、鳥羽・後白河・後鳥羽の4代150年にわたって政治・文化の中心地となり、城南宮もその鎮守の社として崇敬を集め、祭礼も大いに賑わったといいます。
そしてこの頃盛んに行われていた熊野詣においては出立の地として旅の安全が祈願され、また後代になると京都御所の裏鬼門となったため貴族の「方違(かたたがえ)」の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになります。
その後承久・応仁の乱で荒廃しますが江戸期には復興され、中世には上鳥羽・下鳥羽・竹田三村の産土神として地元の人々からも深く信仰を集めたといいます。
幕末には明治時代の幕開けとなった「鳥羽・伏見の戦い」では薩摩軍本陣が置かれた激戦の地で、その加護により旧幕府軍と対峙した薩摩藩を勝利に導きました。
現代においてはとりわけ「交通安全」のご利益で知られていて、町では城南宮の名前の入った交通安全のステッカーを貼っている車をよく目にすることができるほか、7月に自動車の茅の輪くぐりも行われています。
境内には本殿を取り囲むようにして春・平安・室町・桃山・離宮の趣の異なる5つの庭を持つ神苑「楽水苑(らくすいえん)」が広がり、「源氏物語」に登場する100種類以上の植物が植えられていることから「源氏物語花の庭」とも呼ばれ、四季折々の草花を楽しむことができます。
しだれ梅、椿、桜、藤、躑躅、青もみじ、秋の七草や紅葉など見どころは満載ですが、特に枝垂梅の名所として知られ、2月下旬には春の山にて150本余りのしだれ梅が咲き誇り、それに続いて300本もの椿が見事な花を咲かせ参拝客で賑わいます。
また行事も多種多様で、中でも春と秋の年2回、神苑にて行われる「曲水の宴」は平安時代の貴族の遊びを再現したもので、白拍子の舞や和歌が雅に朗詠され、王朝の雅を現代に伝える行事として人気を集めています。
都の南方に鎮まり平安京を守護する皇城鎮護の社として創建
平安遷都前にこの地にあった「真幡寸神社」
創立年代は不詳。
社伝では平安京のできる以前、第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の時代に元々この地にあった式内社「真幡寸神社(まはたぎじんじゃ)」に、神功皇后(じんぐうこうごう)の「三韓征伐」の際に船上に立てた旗に息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)・八千戈神(やちほこのかみ)(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのがはじまりと伝わります。
ちなみに真幡寸神社はこの地が平安京遷都以前から秦氏の勢力圏でであったことから秦氏氏神と考えられているものの、詳しい創建の由緒は不明です。
平安京の南方を守護する「皇城鎮護」の社
794年(延暦13年)の平安京遷都に際しては、平安京の南にあることから都の守り神として国常立尊(くにのとこたちのみこと)を併祀して「城南大神」とし、都の守護と国の安泰を願う朝廷や貴族の信仰を集めます。
ちなみに「城南宮」とは平安京の南に鎮まる宮の意味とされています。
「院政」の舞台として政治・文化の中心に
平安後期の1087年(寛治元年)、白河天皇は自らの退位後の居所として、鳥羽の地に2平方キロメートルにも及ぶ「鳥羽離宮(城南離宮)」の造営を開始します。
そして離宮の完成後は鳥羽の地は「院政」の舞台として、鳥羽・後白河・後鳥羽の4代150年にわたって政治・文化の中心地として大いに繁栄しました。
城南宮は離宮の鎮守としてその一部に取り込まれて一層崇められるようになり、祭礼も大いに賑わったほか、代々の天皇や上皇の行幸もしばしばあったといいます。
「方除け」や「厄除けの神としての信仰
平安後期に浄土信仰が盛んになると、古来より修験道の修行の地であった紀伊国の熊野は浄土とみなされるようになり、都の朝廷や貴族の間で「熊野詣」が盛んに行われるようになります。
特に院政期には上皇による参詣が頻繁に行われますが、その際城南宮は「熊野詣出立の地」とされ、度々上皇方の「方除(ほうよけ)」の精進所(しょうじんどころ)にあてられ、旅の安全が祈願されました。
また後代になると京都御所の裏鬼門(西南)を守る神となったことから、方位の災厄から無事であるよう祈願する貴族の「方違(かたたがえ)」の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになります。
院政の終焉と武士の時代
その後源氏と平家の台頭と源平合戦を経て、鎌倉幕府が成立すると武士の時代が到来します。
しかしこれを良しとしない後鳥羽上皇は、朝権を回復すべく1221年(承久3年)、鎌倉幕府との間に「承久の乱」を起こしますが失敗。
ここに白河上皇から4代150年にわたって続いた院政は終焉を迎えることとなります。
ちなみに承久の乱の際に後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集めたのはこの地だったといわれています。
その後応仁の乱などの戦乱で荒廃するも江戸時代になって復興。
江戸時代には「大日本不易太大神宮(おおやまと ふえきだい だいじんぐう)」とも呼ばれ、上鳥羽・下鳥羽・竹田三村の産土神として地元の人々からも深く信仰を集めたといいます。
また城南祭においては3基の神輿が氏子地域を渡御するなどし「餅祭り」とも称され大いに賑いました。
幕末の「鳥羽・伏見の戦い」の戦跡
幕末の1863年(文久3年)に外敵を撃ち払う「攘夷」を強く望んだ孝明天皇による攘夷祈願の行幸があった際には、吹き散り(吹き流し)を賜ったといいます。
その後1868年(慶応4年)に明治維新を決定づけた「鳥羽伏見の戦い」が勃発すると薩摩軍(新政府軍)の本陣が置かれ、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟き開戦。
新政府軍の掲げる錦の御旗の前に、旧幕府軍は総崩れとなり新政府軍は大勝利。戦いの後、薩摩勢は城南宮の加護によって勝利を得られたと御礼参りに訪れたといいます。
城南宮の現在
明治維新の後は京都が日本の都でなくなったこともあり、1876年(明治10年)には式内社「真幡寸神社」に比定され、社名も城南宮から「真幡寸神社」に改称されます。
その後現代に入り、1968年(昭和43年)に「城南宮」の名前に復し、「真幡寸神社」は城南宮の境内摂社として境内に新たに社殿を設けて奉祀されることとなり現在に至ります。
「方除けの大社」および「交通安全」の祈願所
「方除け(ほうよけ)」とは?
「方除け(ほうよけ)」とは、方位・方角の障りや家相(家の構造や位置などの地相)からくるあらゆる災いを取り除くよう祈願することをいいます。
日々の暮らしの中で、知らず知らずのうちに悪い方位に行ってしまうことや、家の間取り(家相)が良くないために災いが降りかかるということはよくあります。
方除けが必要なケースは建物の建築・改築工事や引越(転居)、または通勤や通学、営業、旅行など様々ですが、こういったケースで災いが起こるのを未然に防ぎ、不安のない生活が送れるように祈願します。
また家族間においても生まれ年などによって方角の良し悪しはそれぞれ異なるため、なかなか家族全員の吉方位が揃うことはありません。
そのため方位除けのお祓いを受けることで災いを少しでも無難に収め、家庭や人間関係の円満が図れるようにと祈願します。
「方除の大社」としての城南宮
平安後期に浄土信仰が盛んになると、古来より修験道の修行の地であった紀伊国の熊野は浄土とみなされるようになり、都の朝廷や貴族の間で「熊野詣」が盛んに行われるようになります。
特に院政期には上皇による参詣が頻繁に行われますが、その際城南宮は「熊野詣出立の地」とされ、度々上皇方の「方除(ほうよけ)」の精進所(しょうじんどころ)にあてられ、旅の安全が祈願されました。
また後代になると京都御所の裏鬼門(西南)を守る神となったことから、方位の災厄から無事であるよう祈願する貴族の「方違(かたたがえ)」の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになったといいます。
このように城南宮は古来より東西南北の四方および北東・南東・南西・北西の四角(よすみ)の八方に加えて、天地を合わせた十の方向を守護する十方円満(じっぽうえんまん)のご利益がある「方除けの大社」として、広く信仰を集めています。
「交通安全」の祈願所
近年では転居や旅行の厄除けから転じて「交通安全」の神としても広く信仰を集めています。
鳥羽の地は都の玄関口である羅城門から真南へ下り淀まで伸びる「鳥羽街道」の途中にあり、また鳥羽街道と鴨川が接する河岸には鳥羽の津が築かれ、鴨川から淀川水運を通じて西国と結ぶ交通の要衝でした。
そして現代においても名神高速道路や阪神高速、国道1号線などの幹線道路が走る交通の要衝であり、交通安全を願う多くの参拝者が訪れ、では城南宮の名前の入った交通安全のステッカーを貼っている車をよく目にすることができます。
境内にある交通安全祈祷殿では一年を通じて交通安全祈祷や車のお祓いの受付を行っており、また毎年7月上旬には全国的にも珍しいという直径5mにも及ぶ大きな茅の輪をくぐる「自動車の茅の輪くぐり」も行われています。
作中に登場する100種あまりの草花が楽しめる「源氏物語の庭(楽水苑)」
昭和を代表する作庭家・中根金作が生涯をかけて作庭
城南宮には本殿を囲むようにして「神苑」が整備されており、正式名称は「楽水苑(らくすいえん)」といって、1961年(昭和36年)に開園された庭園です。
ただし大きな一つの庭になっている訳ではなく、各時代の作庭様式を取り入れた趣きの異なる5つのエリアで構成されおり、それぞれの庭園の情趣を楽しむことができるのが大きな魅力です。
「楽水苑」は「昭和の小堀遠州」と称えられた日本の造園家で作庭家の中根金作(なかねきんさく 1917-95)が設計・施工した庭園です。
島根県の足立美術館庭園やアメリカのボストン美術館の天心園など国内外で300もの庭園を手がけ、京都では城南宮の楽水苑のほかに二条城の「清流園」や妙心寺退蔵院の「余香苑」がよく知られています。
楽水苑は修行の場としての庭ではなく「参拝に来た人々の休息・憩いの場としてほしい」という城南宮の希望に沿って造られたといい、まず初めに作られたのが中根金作が造園家として最初に手掛けた庭園という「室町の庭」と「桃山の庭」で1954~60年(昭和29-35年)の間に造られました。
そしてその後「平安の庭」や「春の山」、そして晩年に「城南離宮の庭」と、生涯をかけて神苑の作庭に携わりました。
「源氏物語花の庭」
また神苑内には有名な紫式部の「源氏物語」の作中に登場するほとんど全ての植物100余種が植栽されており「源氏物語花の庭(げんじものがたりはなのにわ)」と通称され、四季折々の草花が楽しめる庭園として多くの人々に愛されています。
この点、源氏物語の主人公である光源氏は、その大邸宅「六条院」の中に四季の移り変わりを楽しめる庭園を造り様々な遊びを行いました。
そして平安後期に鳥羽の地で院政を行った白河上皇はこれをモデルとして城南離宮を造営したといわれており、城南宮でもこの由緒にちなんで「源氏物語」ゆかりの花が植栽されています。
神苑の見どころ
主な見どころとしてはまず2月下~3月中旬にかけて「春の山」で見られる「枝垂れ梅」。早咲きの白から紅梅の順に150本が次々と咲き乱れ息を飲むような美しさです。
見頃の時期に合わせて同じ時期に境内の各所に咲く椿と合わせた「しだれ梅と椿まつり」も開催されます。
また「平安の庭」は曲水の中に苔の庭が広がり、春にはアヤメや山吹、秋には萩やススキなどが楽しめるほか、苔とのコントラストが絶妙な新緑の時期や秋の紅葉の時期がおすすめです。
春と秋には「曲水の宴」が開催され、平安貴族の雅な宴が再現され多くの見物客で賑わいます。
南側に移動しまず「室町の庭」は池泉回遊式の池を泳ぐ鯉が優雅で、4月から5月にかけて藤とツツジが競演するように咲き、秋の紅葉の時期も見逃せません。
「桃山の庭」はソテツの木と刈り込みを中心とした芝生の庭が映える新緑の時期がおすすめで、4月には桜、5月にはつつじも美しい花を咲かせます。
また室町の庭と桃山の庭の間にはお茶席「楽水軒」が設けられており、巫女さんが出してくれるお菓子とお抹茶を味わいながら庭園を楽しむことができます。
城南離宮の庭へ向かう途中の参道には新緑の頃にカキツバタが見頃になり、最後の「城南離宮の庭」では院政時代に栄えた離宮のたたずまいを再現した枯山水の庭園をじっくり見届け、庭園を後にします。
平安貴族の雅な宴を再現した「曲水の宴」
「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」は、奈良から平安にかけて宮中で催されていた風流な歌会を再現した行事です。
古くは中国大陸や朝鮮半島でも行われていた行事で、京都では上賀茂神社のものもよく知られていますが、城南宮では約40年ほど前から春と秋の年2回、4/29の昭和の日と11/3の文化の日に神苑・楽水苑内の平安の庭にて開催されています。
平安王朝の雅を伝える行事として新聞やテレビなどでも取り上げられる、京都を代表する年中行事の一つです。
平安の庭を緩やかな曲線を描きながら流れる遣水(やりみず)のほとりに、色とりどりの平安時代の装束を身につけた7名の歌人が間を開けて座ります。
次いで水干(すいかん)姿の2人の童子が盃にお神酒を注ぎ、おしどりの姿を象った「羽觴(うしょう)」と呼ばれる盃台に載せて川上から次々に流していきます。
琴の音色が雅に響く中、歌人たちは歌題にちなんだ和歌を盃が目の前を通り過ぎる前に詠み、短冊にしたためた後、目の前に流れて来た羽觴を取り上げて盃を飲み干します。
全員が盃を飲み干すと童子によって短冊が集められ、その後神職たちにより平安時代さながらに節をつけて朗詠され、次々神様に奉納されていきます。
歌会の始まる前には白拍子の舞も披露され、また当日は神苑「楽水苑」も無料公開されます。
一年間の建築工事の無事を祈願して年の始めに開催される「釿始式」
方除けで知られる城南宮は、建築の守護神でもあり、毎年年始の1/5に一年間の建築工事の無事と会社・企業の繁栄を祈願して「釿始式(ちょうなはじめしき)」と呼ばれる建築道具の使い初めの儀式が行われます。
神事は正午12時頃より神楽殿表舞台にて開始され、烏帽子姿の宮大工が様々な大工道具を使って一本の大きな柱を仕上げていく工程が、古式に則った所作で表現されていきます。
最初は「鋸(のこぎり)」で柱を切って長さを揃え、次に「指金(さしがね)」で寸法を測って墨を入れ、それから儀式の名前の由来にもなっている荒削道具の「釿(ちょうな)」で木を削り、最後に槍鉤(やりかんな)で木材の表面を整えていきます。
釜の湯を笹の葉で飛ばし無病息災を願う新春恒例の「湯立神楽」
「湯立神楽(ゆたてかぐら)」とは、煮えたぎる大釜の湯を笹で散らす事によって邪気を祓い、無病息災を祈願する神事です。
この神事で使用される大釜には「文政六年癸未(1823年)」の銘と城南宮の神紋「三光の紋」が刻まれており、また現在は使われていないものの神社には更に古い「元禄4年(1691年)」の銘をもつ大釜も残っているといい、歴史の古さが窺えます。
戦後に一時中断した時期があったものの1979年(昭和54)に再興され、以後は毎年行われいて新春恒例の行事として人気を集めています。
神事は14:00より開始となり、まず拝殿にて神楽鈴や扇を手に4人の巫女が祓神楽「扇の舞」と「鈴の舞」を奉納します。
その後本殿前に設けられた斎場にて襷(たすき)掛けをした巫女が大釜を清めた後、釜の湯を笹の葉で勢いよく散らす「笹の舞」でクライマックス。
この湯しぶきを浴びると邪気が祓われ、無病息災で過ごすことができるといわれています。
また使用された笹の葉を持ち帰れば幸運に恵まれるともいわれており、湯立神楽終了後に笹にはお守りをつけた「福笹」の特別授与も行われ、参拝者は競うように行列を作ります。
毎年2/11に開催されるのが珍しい「城南宮七草粥の日」
1/7の人日の節句の日の朝に無病息災・延命長寿を願って7種類の野菜(春の七草)を刻んだお粥を食べる伝統行事のことで、御存じのとおり現在も正月の食べ過ぎ・飲み過ぎで弱った胃袋を整える意味も込め広く食されています。
この点「城南宮七草粥の日(じょうなんぐうななくさがゆのひ)」は日にちが一般的な新暦の1/7ではなく、旧暦の正月である節分(現在の2/3)を基準とし、旧暦の正月7日(現在の2/10)に近い祝日の2/11に行われています。
セリ、ナズナ、スズナ、スズシロなど昔ながらの春の七草が神前に供えられた後、斎館にて神様のお下がりの七草を粥にした「七草粥」が参拝者に有料にて授与されます。
ちなみに春先に若菜を贈り息災を願う風習は「源氏物語」の若菜の巻にちなんだもので、熱々の七草粥を食べて植物のみずみずしい力を体内に摂り入れることで、春の気病、夏の疫病、秋の痢病、冬の黄病を予防し、無病息災・延命長寿を祈願します。
館内では七草を刻む時に歌われるという「唐土(とうど)の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に 七草なずな テッテッテロロロ…」という囃子歌が繰り返し流れており、和やかな雰囲気の中で粥を食すことができます。
また別途神苑の拝観料金が必要ですが、神苑「楽水苑」こと「源氏物語花の庭」では、春の七草を見ることもできます。
城南宮の施設案内
アクセス
城南宮のある鳥羽の地は古くより平安京の正面玄関である羅城門から南へ伸びる鳥羽街道と鴨川に築かれた鳥羽の津が交差する交通の要衝でしたが、現在も姿形は大きく変わったものの名神高速道路の京都南インターや阪神高速、国道1号線などの幹線道路が付近を通過する交通の要衝です。
城南宮はその名神高速南インターのやや南側に、東西を国道1号線と阪神高速に挟まれるようにして鎮座しており、また東側には徒歩圏内に地下鉄・近鉄竹田駅もあるため、交通の便には困らない位置にあるといえます。
アクセスについては、まず鉄道を利用する場合は、竹田駅の西口を出るとターミナルの所に城南宮の道標が立っているので、それに従って名神高速の高架沿いをまっすぐ西へ進んでいきます。するとほどなくして油小路通と交差する広い交差点に出るので、そこを左折して油小路通を上を通過する阪神高速の高架に沿って南へと進んでいきます。
油小路通の西側の歩道を歩いていくとほどなく白河天皇の御陵の前を通り過ぎ、新城南宮道との交差点に出るのでそこで右折して西へ進みます。数分歩くとほどなく左手にコンビニのローソンが見えてきますので、その手前にある道標に従って左折すると、すぐに城南宮の東鳥居が見えてきます。
バスを利用する場合は油小路通沿いの「城南宮東口」バス停で下車した場合は、前述の新城南宮道の一筋南にある油小路通と城南宮道の交差点(角に城南宮の道標がある)を西にまっすぐ進むと、東鳥居へと到着できます。
国道1号線沿いの「城南宮」バス停で下車した場合は北側に門前茶屋の「おせきもち」と向かい合うように西鳥居が見えるので、迷うことはないと思われます。
また車の場合は東鳥居前には第2駐車場、国道1号線沿いの西鳥居側にも鳥居をくぐってすぐの所に第1駐車場があるので、どちらかを利用することになると思います。
ちなみに古くは境内西側の国道1号線より更に西側を南北に走る鳥羽街道(現在の千本通)を通って西鳥居側から参詣するのが一般的だったのだとか。
境内
東鳥居・西鳥居どちらからも鳥居をくぐって参道をまっすぐ進むと、ほどなくして大きい城南鳥居が目の前に現れるので、更に鳥居をくぐると目の前に拝殿、そして本殿が姿を現します。
本殿を取り囲むように北側に末社があり、拝殿の右手(東側)には各種神事が行われる神楽殿があります。そして拝殿の左手(西側)には授与所や神苑の拝観受付と入口があり、「源氏物語花の庭」にはここから入場することになります。
「源氏物語花の庭」はこの入口からまず境内北側の北神苑を時計回りに「春の山」、そして本殿の背後を通過して「平安の庭」と回っていき、一度東鳥居と西鳥居を東西に結んでいる参道へと出ることになります。
そしてすぐ目の前に南神苑への入口があるので、そこから入場すると、すぐに「室町の庭」そして「桃山の庭」が目の前に現れます。順路に従って進むと最後に「城南離宮の庭」を通過し、先ほど入場してきた入口より再び参道へ出ることができますので、右へ進めば東鳥居、左へ進めば西鳥居へと戻ることができます。
周辺
城南宮は平安後期の鳥羽離宮を舞台にした院政時代の数少ない現存する遺構ですが、境内周辺にはすぐ西側に整備されている「鳥羽離宮跡公園」をはじめ鳥羽離宮に関連した史跡が数多く残されているので、こちらを巡るのもおすすめです。
東鳥居~参道~西鳥居
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東鳥居
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参道改築碑
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三光の紋の石灯籠
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参拝者用参道
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社務所
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貴賓館
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真幡寸神社
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榎(エノキ)
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唐渡天満宮(芹川天満宮)
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絵馬舎
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説明板(鳥羽離宮と平清盛・佐藤義清(西行))
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手水舎(菊水若水)
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離宮茶屋
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三照宮
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城南鳥居
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案内図
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駒札(鳥羽伏見の戦い跡)
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斎館
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交通安全祈祷殿
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車の修祓所
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お手洗
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参道
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第1駐車場
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社務専用非常口
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参道
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西鳥居
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看板
本殿
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参道
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拝殿
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納札所
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祓所
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神輿舎
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建物
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神楽殿
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本殿
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翼廊
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春日社
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大国主社
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庚申社
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二社(妙見社・天満宮社・金刀比羅社)
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稲荷社
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三社(厳島社・住吉社・厳島社)
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粟島社
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翼廊
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一寸法師
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むすび殿
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守り札授与所
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城南宮神苑 源氏物語 花の庭の看板
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神苑入口
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駒札(熊野詣出立の地)
神苑「楽水苑」 春の山
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拝観受付
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参道
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春の山
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案内板
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禊の小川
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枝垂梅
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夏草の小径
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紫
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真竹
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淡竹
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参道
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藪椿
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参道
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カジノキ
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ポンプ室
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三子の松
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藤袴
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参道
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一位
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大杉さん
神苑「楽水苑」 平安の庭
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参道
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平安の庭
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八重山吹
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文目
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紅梅
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中之島
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キタヤマスギガウゴク
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石碑
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参道
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芒
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杉苔
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皐月
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曲水の宴・遣水
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藤棚
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萩
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山吹
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いろはかえで
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参道
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東屋
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神苑出口
神苑「楽水苑」 室町の庭
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南神苑出入口
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分岐
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室町の庭
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つつじ
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参道
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茶室楽水軒
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黒松
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赤松
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錦鏡池
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蓬莱島
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三尊石
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橋
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霧島躑躅
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男滝
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枝垂桜
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里桜
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つつじ
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藤棚
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石段
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お手洗
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水石亭
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枯れ瀧
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参道
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杜若
神苑「楽水苑」 桃山の庭
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桃山の庭
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枝垂桜
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つつじ
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蘇鉄
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さつき
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五葉松
神苑「楽水苑」 城南離宮の庭
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石標
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城南離宮の庭
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弦夢
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看板
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城南宮の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
歳旦祭(さいたんさい)
新年を祝い皇室の弥栄と国の益々の発展を祈るとともに、氏子崇敬者と地域社会の平和と繁栄を祈願する中祭
- 1/1~1/3
初詣・祓神楽(はらいかぐら) 神楽殿表舞台
鈴の音をさやさやと鳴らしながら巫女が祓神楽を舞い、初詣客の無病息災を祈願する
9:00~17:00までの間30分毎に奉納される
1/1~1/5まで初詣記念品の無料授与あり- 1/5
釿始式(ちょうなはじめしき) 神楽殿表舞台
方除けで知られる城南宮は建築の守護神でもあり、一年間の建築工事の無事と会社・企業の繁栄を祈願して年の始めに開催される建築道具の使い初めの儀式
烏帽子姿の宮大工が様々な大工道具を使って一本の大きな柱を仕上げていく工程を、古式に則った所作で表現する
最初は鋸(のこぎり)で柱を切って長さを揃え
指金(さしがね)で寸法を測って墨を入れ
儀式の名前の由来でもある荒削道具の釿(ちょうな)で木を削り
最後に槍鉤(やりかんな)で木材の表面を整える
12:00- 1/20
湯立神楽(ゆたてかぐら) 本殿前特設斎場
煮えたぎる大釜の湯を笹で散らす事によって邪気を祓い、無病息災を祈願する神事
14:00より拝殿にて、神楽鈴や扇を手に4人の巫女が祓神楽「扇の舞」と「鈴の舞」を奉納
その後本殿前に設けられた斎場にて襷(たすき)掛けをした巫女が大釜を清めた後、釜の湯を笹の葉で勢いよく散らす「笹の舞」で邪気を祓う、この湯しぶきを浴びると無病息災で過ごすことができるという
また使用された笹の葉を持ち帰れば幸運に恵まれるといい、湯立神楽終了後に笹にお守りをつけた「福笹」の特別授与も行われ、参拝者は競うように求めて帰る(有料)
戦後一時中断したものの1979年(昭和54)に再興され、以後は毎年行われ新春恒例の行事として人気を集めている- 2/3
節分祭(せつぶんさい) 本殿・神楽殿表舞台
方除・厄除・家内安全を祈願する神事
9:00より本殿での祭典の後、神楽殿表舞台にて追儺神事「弓矢の儀」「豆打の儀」を行う
「弓矢の儀」では表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に向かって矢を放ち邪気を祓う
「豆打の儀」では「十方円満 福は内 家内安全 福は内 方除け厄除け 鬼は外」と言いながら豆まきが行われる
2/1~2/3まで福豆の無料授与- 2/11
紀元祭(きげんさい)
神武天皇が即位した建国の日に際して、皇室の繁栄と国の益々の発展を祈る中祭
- 2/11
城南宮七草粥の日(じょうなんぐうななくさがゆのひ) 斎館
城南宮の七草は旧暦の正月である節分(現在の2/3)を基準とし、旧暦1月7日に近い祝日の2/11に行われる
セリ、ナズナ、スズナ、スズシロなど昔ながらの春の七草を神前に供える
10:00~16:00まで参拝者には神様のお下がりの七草を粥にした「七草粥」が有料にて授与される
春先に若菜を贈り息災を願う風習は「源氏物語」の若菜の巻にちなんだもの
熱々の七草粥を食べて植物のみずみずしい力を体内に摂り入れることで春の気病、夏の疫病、秋の痢病、冬の黄病を予防し、無病息災・延命長寿を祈願
館内に流れる七草を刻む時に歌われるという「唐土(とうど)の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に 七草なずな テッテッテロロロ…」という囃子歌が実に印象的
また神苑では春の七草を見ることもできる(別途神苑拝観料金が必要)- 2月中~3月下
しだれ梅と椿まつり
神苑「楽水苑」こと「源氏物語花の庭」の「春の山」には2月下旬には150本余りの紅白のしだれ梅が咲き乱れる
その後神苑入口から春の山、平安の庭にかけて300本もの椿が次々と開花する
期間中には神楽殿表舞台で、梅の花を手にした巫女が神楽を舞う「梅が枝神楽」や「梅の花守り」の特別授与も
また参道では慶樹園(けいじゅえん)によるしだれ梅や椿などの植木市の出店や、松甫堂(しょうふどう)による名物「椿餅(つばいもちひ・つばきもち)」の限定販売も行われる- 3/20
春祭(祈年祭)
皇室の弥栄と国家・国民の一年の安泰を祈願
五穀豊穣をはじめあらゆる産業の発展、国力の充実が祈願される- 4月第2金土日の3日間
方除大祭(ほうよけたいさい) 拝殿
城南大神の方除けの神恩に感謝し、更なるご加護を祈念して行われる年に一度の大祭
連日本殿にて祭典を斎行後、神賑行事として各地の伝統芸能などが奉納される(10:40頃、13:40頃の2回)
絵馬舎では甘酒の無料接待
奉献花展として嵯峨御流華道花展(飛鳥司所社中)も開催されるほか、神苑では紅枝垂桜も見頃を迎える- 4/29
曲水の宴(きょくすいのうたげ) 平安の庭
奈良から平安にかけて宮中で催されていた風流な歌会を再現した行事
春と秋の年2回、4/29の昭和の日と11/3の文化の日に神苑・楽水苑内の平安の庭の緩やかな曲線を描きながら流れる遣水(やりみず)のほとりにて開催される 男性は狩衣(かりぎぬ)、女性は小袿(こうちき)の色とりどりの平安貴族の装束を身につけた歌人たちが小川のほとりに座ると、川上から童子がおしどりの姿を象った「羽觴(うしょう)」と呼ばれる盃台に朱塗りの盃を乗せて流す 歌人は盃が目の前を通り過ぎる前に和歌を短冊にしたため、流れ来る羽觴の盃を飲み干し、その後集められた短冊は、神職たちによって雅な節を付けられて朗詠される 宴の間には白拍子の舞も披露され、宴に華を添える
14:00より約50分間、当日は神苑が無料公開されるが観覧者多数の際は入場制限される場合もあり
終了後には紙の人形に息を吹きかけ災厄を祓う「人形流し(ひとかたながし)」に希望者のみ有料で参加できる- 5月第4土曜日(不定期)
城南宮流鏑馬(じょうなんぐうやぶさめ)
流鏑馬(やぶさめ)は疾走する馬上から3枚の的に鏑矢(かぶらや)を射る日本の伝統行事の一つ
平安後期の1096年(永長元年)の藤原宗忠の日記「中右記(ちゅうゆうき)」に記された白河上皇が城南離宮で催した流鏑馬が、史料に残る最も古い記述とされることから、城南宮が「流鏑馬発祥の地」ともいわれている
また城南祭では平安後期には神輿の巡行だけでなく、流鏑馬や競馬も行われていたという
1221年(承久3年)年5月14日、鎌倉幕府より権力を取り戻そうとした後鳥羽上皇が「流鏑馬揃え」を名目に諸国の兵を集めたことが発端となった「承久の乱」を契機に途絶えていた
2005年(平成17年)に東京の倭式騎馬會(わしききばかい)によりおよそ800年ぶりに復活
その後は概ね3年に一度開催されており、直近では2016年に開催されている
参道201mに砂を盛った即席の馬場で時代装束をまとった射手が参道を疾駆しながら馬上から三つの的を目掛けて矢を放つ- 6/25~6/30
夏越の祓・茅の輪くぐり・人形流し
新年より半年の間、生活して行く上で知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れを祓い清める夏の恒例行事
境内に設置されている「芽の輪」をくぐることで身を清め、家内安全・無事息災を祈願する
城南宮では6/25より6日間の9:00~16:00
「茅の輪(ちのわ)」は本殿と拝殿の間に設けられ、さらに半年間の罪や穢れを移した人形(ひとかた)を禊(みそぎ)の小川に流して心身を清める「人形流し(ひとかたながし)」も行われる
くぐる際に唱える歌が一般的には「水無月の 夏越の祓 する人は 千歳の命 延ぶというなり」だが、「水無月の」の部分が「とはのもり(永遠の守・鳥羽の森)」になっているのが独特
6/30の「夏越の祓(なごしのはらえ)」の神事は15:00より開催- 7/1~7/7
愛車の茅の輪くぐり(おくるまのちのわくぐり)第一駐車場
第一駐車場に設けられた特別斎場にて行われる全国的にも珍しい自動車の「茅の輪くぐり」
茅の輪は直径5mにも及び、神職が1台ずつお祓いした後、交通安全を祈念しながら、車に乗ったままくぐり抜ける
9:00~16:00- 7/20
例祭(お涼み)(れいさい(おすずみ))神楽殿表舞台
9:00より本殿にて祭典を執行
夕刻より本殿前に「方除安全」「無病息災」の木札を収めた2本の氷柱が供えられ、参拝者たちはこの氷柱に触れ、暑気を払って願い事を祈願
18:00~20:30まで15分毎に神楽殿の表舞台にて福笹を手にした巫女が祓神楽「お涼み神楽」を奉納
終了後には福笹の授与も
夕方から夜にかけては参道に100軒近い夜店も出店し、夜遅くまで浴衣姿の人々で賑わう
土用入り(立秋前の18日間の最初の日)の夜を夕涼みを兼ねて宮参りをする風習より生まれたことにちなみ「お涼み」と呼ばれるようになったという- 10月第3日曜
城南祭(餅祭り)(じょうなんさい(もちまつり))
御輿渡御を中心とする神幸祭で、平安末期より盛大に行われていた記録の残る歴史ある祭礼
「松竹梅のみこし巡幸」で盛り上がる下鳥羽・竹田・上鳥羽の3つの地域で最大の祭り
祭りの別名である「餅祭り」は、江戸時代に祭りに訪れた人々に氏子の人々がたくさんの餅を用意し惜しげもなく振る舞った慣わしからきており、季語にもなっているという
また祭の前日の午後には餅つきの奉納のほか、子供たちの獅子舞奉納も行われる
御輿は氏子地域である下鳥羽の「松神輿」、竹田の「竹神輿」、上鳥羽の「梅神輿」の松竹梅の3基で、それぞれ重さ1.5トン近くあるという
このうち城南宮の宮元である下鳥羽の「松みこし」のみ、屋根の上には城南宮の神紋「太陽と月と星」が配置されている
9:00より本殿で祭典の後
正午12:00過ぎより神興の渡御を開始、神輿舎から担ぎ出され、拝殿の周りを威勢よく1周した後に城南宮を出発
それぞれの氏子区域を練り歩く(松は下鳥羽なので境内の南、竹は竹田なので境内の東、梅は上鳥羽なので境内の北を巡行していく)
夕刻に神輿が還御する頃には提灯と松明の明かりが灯され、提灯灯りの中で神輿が拝殿廻しをする様は壮観- 11/3
曲水の宴(きょくすいのうたげ)
春(4/29開催)と内容は同じ
- 11/20
火焚祭(ひたきさい)・火焚神事 交通安全祈祷殿前斎場
14:00より参拝者の祈願が込められた2万本に及ぶ火焚串を忌火で焚き上げ、参列者全員で「大祓の詞」を唱えて無病息災・家内安全を祈願する
巫女2名による優雅な「浦安の舞」の奉納も
昼の時間が短くなるこの時期に火を勢いよく焚いたり、赤飯やみかんなどの赤いものを供えて太陽の力の回復を願うという信仰に基づくものという- 11/24
秋祭(新嘗祭)
皇室の弥栄と国家・国民の安泰を祈願
祈年祭と対をなす祭で、一年間の収穫や発展・充実を感謝する- 12/23
天皇誕生祭
天皇陛下の誕生日に際して行われる
奉祝の意を表すと共に、陛下の長寿と益々のご健康を祈願- 12/31
大祓(おおはらえ)・除夜祭(じょやさい)
「大祓」は人々がこの1年の間、生活して行く上で知らず知らずのうちに犯してしまった罪・穢れを祓い清め、来る新年の家内安全・無事息災を祈願する
「除夜祭」は大晦日の夜から元旦にかけて執り行われる除夜の神事で、行く年の無事に感謝し来る年の安全を祈願
巫女神楽
- 2月中~3月下
梅が枝神楽
神楽殿の表舞台もしくは拝殿にて、巫女が季節に合わせた梅の花を冠にさし、梅の枝を手に持ち神楽を舞う
「梅の花守り」の特別授与あり- 5月初旬・中旬
藤の巫女神楽
神楽殿の表舞台もしくは拝殿にて、巫女が季節に合わせた藤の花を冠にさし、藤の枝を手に持ち神楽を舞う
「藤の花守り」の特別授与あり- 9月中
菊の巫女神楽
神楽殿の表舞台もしくは拝殿にて、巫女が季節に合わせた菊の花を冠にさし、菊の枝を手に持ち神楽を舞う
「菊の花守り」の特別授与あり
花ごよみ
- 12月下~3月下
椿(ツバキ)
「源氏物語花の庭」とも呼ばれる神苑の入口や春の山、平安の庭などで約300本が次々と開花
古くから自生するヤブツバキに加え、12月から咲き始める中輪白色の「初嵐(はつあらし)」、ピンク椀咲き大輪の「曙(あけぼの)」、愛らしい真紅の藪椿「城南椿」など、珍しい椿が3月にかけて順に咲く
2月中~3月下にかけて「しだれ梅と椿まつり」が開催され150本の枝垂れ梅と同時に楽しめる- 2月中~3月下
梅(ウメ)
「源氏物語」に登場する光源氏の邸宅・六條院をモデルにした神苑「楽水苑(源氏物語花の庭)」を整備
中でも「春の山」にある「枝垂れ梅」150本は息を飲む美しさで、早咲きの白から紅梅の順に2月下~3月中旬まで楽しめる
見頃に合わせて2月中~3月下旬には「しだれ梅と椿まつり」も開催される
その他に室町の庭の楽水軒付近や城南鳥居付近、唐渡天満宮付近でも梅を見ることができる- 2~4月
馬酔木(アセビ)
- 3月下~4月中
桜(サクラ)
緋寒桜(ヒガンザクラ)、山桜(ヤマザクラ)、紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)
中でも神苑「楽水苑(源氏物語花の庭)」の「桃山の庭」の広い芝生上に点在する色鮮やかな4本の紅枝垂桜は見事で、4月中旬頃に見頃を迎える
その他に境内の北側を通る新城南宮道には街路樹として陽光桜が植えられている- 5月上
藤(フジ)
室町の庭に樹齢約150年の古木がありツツジとの競演を楽しめる
- 4月中~5月上
山吹(ヤマブキ)
神苑「楽水苑」の「平安の庭」付近
- 3月中~3月下
4月中~5月上 躑躅(ツツジ)
神苑「楽水苑」の「春の山」に三つ葉つつじ(見頃は3月中~下)
境内各所につつじ(見頃は4月中~5月上)- 5月上~5月中
文目(アヤメ)●
神苑「楽水苑」の「平安の庭」付近
- 5月中~5月下
皐月(サツキ)●
- 5~6月
杜若(カキツバタ)●
神苑「楽水苑」の「室町の庭」から「城南離宮の庭」向かう参道の途中左手に群生
- 6月上~6月中
桔梗(キキョウ)●
神苑「楽水苑」の「春の山」から「平安の庭」へ向かう途中、本殿の裏
- 6月上~6月中
沙羅双樹(サラソウジュ)
神苑「楽水苑」の桃山の庭と室町の庭に夏椿
- 7~8月
真竹(マダケ)●
神苑「楽水苑」の「春の山」の出口付近
- 9月中~9月下
萩(ハギ)●
神苑「楽水苑」の「平安の庭」の遣水付近
- 10月上~11月中
藤袴(フジバカマ)●
神苑「楽水苑」の「春の山」から「平安の庭」へ向かう途中、本殿の裏
- 10月中~11月上
竜胆(リンドウ)●
神苑「楽水苑」の「平安の庭」付近
- 11月上~11月下
石蕗(ツワブキ)
神苑「楽水苑」、見頃の時期には平安王朝時代を偲ばせる秋の「曲水の宴」が開催され、ツワブキの黄色い花が緑の苔に彩りを添える
- 11月下~12月上
紅葉(こうよう)
11月中旬頃より「平安の庭」「室町の庭」「桃山の庭」の3つのエリアでイロハモミジなど約100本が色づき始める
公式サイトでは「紅葉八景」として8つのビューポイントが紹介されている
他に境内西側の西鳥居付近の参道でも紅葉を見ることができる
見頃の時期には特別呈茶席「もみじのお茶席」で紅葉を見ながら抹茶を楽しめる- 11月中~12月下
山茶花(サザンカ)
入口の鳥居付近は神苑「楽水苑」入ってすぐ
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夏越の祓・茅の輪くぐり2017 城南宮
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京都の紅葉2016 城南宮
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