東福寺 京都観光

東福寺

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東福寺

「東福寺の伽藍面」と呼ばれる大伽藍を持つ紅葉の名所

臨済宗東福寺派大本山で京都五山四位。1236年摂政九條道家が創建、奈良東大寺、興福寺に比肩する寺院をと1字ずつ取って命名。 20万m2の敷地に国宝で現存最古の三門など七堂伽藍と25の塔頭を有する。 洗玉澗に架かる通天橋を中心に京都屈指の紅葉の名所で、東西南北に庭をめぐらした方丈の八相の庭も見所

東福寺とは?(基本データ)

名前
東福寺(とうふくじ)
エリア
東福寺・稲荷
ジャンル

寺社 東山連峰 国宝建築・絵画 名勝 市天然記念物 紅葉 射干 皐月 杜若 京都五山 三門 雲龍図 坐禅体験 除夜の鐘 涅槃会 茶会・献茶祭 生け花展・献花祭

正式名
東福禅寺(とうふくぜんじ)
建立・設立
1236年(嘉禎2年)、「浩基を東大に亜ぎ、盛業を興福に取る」との発願により創建、1255年(建長7年)まで19年の歳月をかけ七堂伽藍を完成
創始者
[開基] 摂政・九條道家(くじょうみちいえ)
[開山] 円爾弁円(えんにべんえん)(聖一国師(しょういちこくし))
宗派
臨済宗東福寺派大本山
山号
慧日山(えにちさん)
本尊
釈迦如来
寺紋
九條家下がり藤
札所等
京都五山 第四位
アクセス
  • 京阪本線「東福寺」駅下車 南東へ徒歩約10分
  • JR奈良線「東福寺」駅下車 南東へ徒歩約10分
  • 京都市営バス「東福寺」(202・207・208号系統)下車 徒歩約10分
  • 名神高速道路「京都東IC」より約17分(7km)
  • 名神高速道路「京都南IC」より約12分(4km)
駐車場
バス6台分(北駐車場)
自家用車30台 無料
※秋の特別拝観期間中は閉鎖
拝観料
境内自由
■通天橋・開山堂
├一般 400円
└小中学生 300円
■方丈八相庭園
├一般 400円
└小中学生 300円
お休み
無休
拝観時間
4~10月 9:00~16:30(受付16:00まで)
12~3月 9:00~16:00(受付15:30まで)
■秋の特別拝観期間(10月下旬~12月上旬)
└8:30~16:30(受付16:00まで)
住所
〒605-0981
京都府京都市東山区本町15丁目778
電話
075-561-0087
FAX
075-533-0621
公式サイト
臨済宗大本山 東福寺
慧日山 東福寺 臨黄ネット
臨済宗東福寺派 全日本仏教会

東福寺の地図

東福寺のみどころ (Point in Check)

京都市東山区本町にある禅宗寺院で、臨済宗東福寺派の大本山。

鎌倉初期に時の摂政で鎌倉幕府第4代将軍・藤原頼経の父でもある九条道家により九条家の氏寺として創建。奈良の東大寺と興福寺を範とし、それぞれから一字ずつ取って「東福寺」と命名されました。

20万平方メートル以上といわれる広大な寺域に典型的な禅宗伽藍を有し、多くの塔頭寺院が立ち並ぶ壮観な姿は「東福の伽藍面(がらんづら)」と称されました。

惜しくも明治期に火災に遭い現在の本堂、方丈、庫裏などは明治以降の再建ですが、禅宗寺院最古の三門(国宝)をはじめ、月下門や仁王門、また浴室・東司(便所)、禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が現存しており、その多くは国宝や国の重要文化財に指定されています。

古来より京都屈指の紅葉の名所として知られ、境内の通天橋からの眺めは絶景。毎年秋には多くの参拝客や観光客で溢れ返ります。

また方丈庭園は重森三玲の初期の作品で、東西南北にそれぞれに枯山水の庭園をめぐらせ、苔と石の市松模様が印象的。サツキ刈り込みが見応えがあるほか、紅葉や新緑も楽しめます。
2014年(平成26年)6月には国の名勝に指定され、同年10月には「東福寺本坊庭園」として完成当時の姿が復元されました。

応仁の乱の戦火を免れた貴重な寺宝が数多く存在しており、絹本着色無準師範像(国宝)や宋版「太平御覧(ぎょらん)」103冊、宋刊本「義楚(ぎそ)」6帖(じょう)12冊、無準師範墨蹟(ぼくせき)、禅院額字・牌字(以上国宝)など鎌倉・室町期を中心に5000点を超える文化財を所蔵しています。

25を数える塔頭寺院にも多くの見どころがあり、現存最古の方丈建築で国宝の方丈を持つ龍吟庵や「虹の苔寺」と呼ばれ窓越しの紅葉も見事な光明院、雪舟の作と伝えられる鶴亀の庭の芬陀院(ぶんだいん)、桔梗と紅葉の名所として名高い天得院、九山鉢海の名園をもつ霊雲院などが知られています。

また東福寺からは歴代多くの名僧を輩出しており、「元亨釈書」の著者である虎関師錬や、室町時代に画僧として活躍しその後の仏画や水墨画に多大な影響を及ぼした吉山明兆などが著名です。

鎌倉初期に九條家の菩提寺として創建

浩基を東大に亜ぎ、盛業を興福に取る

元々東福寺の寺地には平安中期の924年(延長2年)に藤原忠平の建立した法性寺の巨大な伽藍があり、藤原氏の隆盛とともにその氏寺として繁栄しましたが、後に衰微。(その後再建され現在はJR・京阪東福寺駅近くに小さな寺院として存続)

その後鎌倉初期の1236年(嘉禎2年)、法性寺の跡地に鎌倉幕府第4代将軍・藤原頼経の父でもある摂政・九條道家が祖父・九條兼実の菩提寺の建立を発願。工事半ばの1243年(寛元元年)には宋から帰国した円爾(聖一国師)を開山に迎え、天台・真言・禅の三宗兼学とします。

七堂伽藍が完成し、19年の歳月をかけた大工事が完了したのは道家の没後3年経った1255年(建長7年)のことで、寺名は「浩基を東大に亜ぎ、盛業を興福に取る」と奈良で最大の寺院である東大寺および奈良で最も盛大を極めた興福寺に比肩する大寺院をと、ぞれぞれより「東」と「福」の字を一字ずつ取って「東福寺」と命名されました。

東福の伽藍面と呼ばれる壮大な伽藍に京都五山第四位の寺格

創建当時の仏殿には高さ15mの本尊・釈迦如来立像、左右には7.5mの観音・弥勒両菩薩像が安置され、「新大仏寺」の名で喧伝されたといいます。

また広い境内に三門、法堂、仏殿、方丈などの七堂伽藍や塔頭が並ぶ壮観な姿は「東福の伽藍面(がらんづら)」とも称されました。

室町時代には京都五山の第四位に列せられ栄えますが、その間1319年(元応元年)(本尊の釈迦像も焼失しのち14世紀半ばに再興)、1334年(建武元年)、1336年(延元元年・建武3年)と度重なる火災に遭遇しており、大部分を焼失するも直ちに復興。1346年(正平2年・貞和3年)には前の関白・一条経通(つねみち)により仏殿が再建され、完全な禅宗寺院としての寺観が整えられました。

度重なる焼失と再建

中世以降も足利義持、豊臣秀吉、徳川家康ら時の治世者の庇護を受けて諸堂が重修され、明治期に入るまで兵火を受けることなく堂塔伽藍が維持されてきましたが、明治期に入り1881年(明治14年)12月の大火で惜しくも仏殿・法堂・方丈・庫裡を焼失。

この時には14世紀に再興された本尊の釈迦像も再度焼失しており、火災の際に救い出されたものと推定されている長さ2mの巨大な「仏手」のみが現存しています。ちなみに現在の本尊は塔頭寺院となった万寿禅寺より移されたものです。

明治期の火災の後、1890年(明治23年)にまず方丈が、1910年(明治43年)には庫裡が再建され、本堂(仏殿兼法堂)は1917年(大正6年)より再建に着手し、1934年(昭和9年)4月に落成しています。

明治の廃仏毀釈で規模が縮小され、中古以来53院あった塔頭も合併し数こそ減少していますが、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有し360余の末寺を統括する大寺院として法灯を灯しつづけています。

「通天橋」からの絶景で知られる京都屈指の紅葉の名所

東福寺は東山の永観堂と並ぶ京都でも随一の紅葉スポットとして知られており、毎年秋には全国からたくさんの観光客が訪れ長い行列ができます。
ちなみに昔は桜の名所でしたが、あまりにも桜が綺麗で修行の妨げになることから、全て伐採してしまったというエピソードは有名です。

境内には約2000本ものカエデが植えられていますが、中でも数十本ある「通天紅葉」は開山の円爾弁円が中国の宋から持ち帰ったと伝わる三つ葉楓で、葉先が3つに分かれて黄金色に色づくのが特徴。その珍しさから「秋のすゑ」「洛陽の奇観」として知られいます。

一番の見どころは東福寺の伽藍の中央を貫く渓谷・洗玉澗に架かる橋で、本堂と開山堂を結ぶ「通天橋」。
赤・オレンジ・黄・緑と色とりどりの紅葉を見下ろすことができる絶景スポットとして有名で、毎年長蛇の列ができるほど人気を集め、時代劇やCMなどのメディアでもよく登場するお馴染みの場所です。

他にも通天橋とともに東福寺三名橋の一つに数えられる「臥雲橋」から見上げる「通天橋」も見どころの一つ。
こちらは有料拝観エリアではない一般道に架かる橋ということもあって、紅葉の時期には大変な混雑となります。

例年の見頃は11月下~12月上旬ですが、立地条件の環境の関係から色づく時期が遅い事もあり、通天橋から眺める紅葉の景観は「秋の京都における最後の紅葉」として秋の名残りを惜しむ人々に愛されています。

東西南北に4つの庭がある国指定名勝「東福寺本坊庭園」

「東福寺本坊庭園」は大方丈にある枯山水の庭園で、昭和を代表する作庭家・重森三玲(しげもりみれい 1896-1975)により1939年(昭和14年)に造営されました。

広大な方丈の東西南北に四庭が配置されているのが非常に珍しく、2014年(平成26年)には国の名勝に指定されています。

以前は釈迦の生涯における8つの重要な出来事「八相成道(はっそうじょうどう)」が表現された「八相の庭」と呼ばれていましたが、名勝指定とともに名前が変更されました。

枯山水の石庭が印象的な南庭、井の字に刈り込んだサツキが美しい西庭、市松模様の敷石と丸刈りのサツキと背後の通天紅葉が美しい北庭、そして円柱の石で北斗七星を象った東庭と、いずれもが個性的で参拝者の目を楽しませてくれます。

現存最古最大の国宝「三門」とこれを支える「太閤柱」

東福寺の三門は室町初期の1405年(応永12年)に再建されたもので、現存する禅宗寺院の三門としては最古であり、1897年(明治30年)12月28日に国宝に指定されています。

正面2階の扁額「?雲閣(みょううんかく)」は室町幕府第4代将軍・足利義持の筆によるもので、また大屋根の四隅に見られる柱は豊臣秀吉による大修理の際に補足されたもので通称「太閤柱」と呼ばれています。

楼上からは洛南一帯を一望でき、涅槃会の行われる3月14~16日に公開されています。

大涅槃図が公開される「涅槃会」と本堂天井の「雲龍図」

「涅槃会」とは、仏教の開祖である釈迦の亡くなった命日である陰暦2月15日にその遺徳を偲んで行われる法要のことで、全国各地の寺院で行われています。

涅槃会の際には文字が読めない人々にも仏教の教えを説くことができるようにと、釈迦の入滅の姿を描いた「涅槃図」を掲げられるのが一般的。

この点東福寺の涅槃図は室町期の画家・吉山明兆の作で縦12m、横幅6mの大涅槃図で、「魔除けの猫」が描かれているのが珍しいといわれています。

ちなみに涅槃図ではあらゆる生きものが嘆き悲しむ場面が描かれますが、猫は描かれていない場合が多いといいます。
その理由としてはネズミが釈迦の使いとされその天敵であるからとか、ネズミが薬袋を取りに行ったのを邪魔したために釈迦が薬を飲めず亡くなったとか、あるいは猫のルーツは中東で釈迦入滅の時代にインドに存在していなかったなど諸説あるようです。

東福寺の涅槃会は毎年3/14~3/16に開催され、通常非公開の本堂にて大涅槃図が公開されます。

同時に本堂の天井の堂本印象筆の巨大な蒼龍図(雲龍図)を堂内から見ることができるほか、国宝三門や塔頭・龍吟庵の特別公開や方丈庭園で寺宝展も開催。

期間中は食べると無病息災で過ごせるという涅槃会定番のあられ菓子「花供御(はなくそ)」を販売するほか、東福寺未生流による献花展・呈茶、尺八献笛、甘酒の接待も行われます。

東福寺の施設案内

東山区の東南端、伏見区との境に位置し、東山の月輪山の麓に広々とした寺域を有しています。
にもかかわらず京都駅からJRで1駅の所にあり、また京阪電車も接続しているため交通アクセスの便が良いのも魅力の一つです。

境内には三門、本堂、方丈、庫裏などからなる主要伽藍が立ち並び、主に北、西、南側を中心に25の塔頭寺院が立ち並んでいます。

東福寺境内へは東福寺駅からの場合は東福寺交差点から北駐車場を経由して臥雲橋を渡り、境内西側参道沿いの日下門から入場することになります。
南側の鳥羽街道駅から南大門を経由して南門から入場することもできます。

主要伽藍の北側、境内の中央には洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷が東西を貫いており、西から東へ「東福寺三名橋」と称される臥雲橋、通天橋、偃月橋の3つの橋が架かっています。

このうち本堂と開山堂を結ぶ通天橋は本堂から通じる回廊がそのまま屋根付きの橋となったもので、周辺は古くから紅葉の名所として有名。橋を渡った先には開山・円爾を祀る常楽庵など東福寺開山にまつわる史跡が多く残っています。

臥雲橋・本堂

  • 臥雲橋
    臥雲橋(がうんきょう)

    境内西の琵琶湖疏水へと流れる三ノ橋川の流れに沿って本坊の北側を東西に横断する洗玉澗と呼ばれる渓谷に架かる橋。
    同じく洗玉澗に架かる通天橋、偃月橋とともに東福寺三名橋の一つに数えられ、京都府指定文化財にも指定されている。
    この橋から東方に見える通天橋の眺めが見事で、新緑や紅葉の時期は写真撮影の定番スポットとして大変な人気を集める。普段は一般生活用の通路にもなっている。

  • 日下門
    日下門(にっかもん)

    境内西、臥雲橋を渡り通天橋道を南へ進んだ先、あるいは中門をくぐり東へまっすぐ進んだ先にある四脚門で、京都府指定文化財。
    くぐるとすぐに本堂や通天橋の拝観受付の前に出ることができるため、通常の東福寺への拝観はこの門から入場する。

  • 殿鐘楼
    殿鐘楼(でんしょうろう)

    境内西側、日下門をくぐり禅堂の北側、経蔵や通天橋の受付のそばに位置。三門の東にある大鐘楼と区別して西の鐘楼とも呼ばれる。
    鐘楼は室町後期の建物で、京都府指定文化財。白い漆喰壁で囲まれてるのが特徴的。
    銅鐘は平安初期を下らない時期に鋳造されたもので国の重要文化財。現在は収蔵庫に収納。元々は西寺のもので、廃寺後に東福寺の創建者・九條道家が求め、その後東福寺に寄進したと伝わる。

  • 経蔵
    経蔵(きょうぞう)

    境内西側、日下門をくぐり禅堂の北側、殿鐘楼や通天橋受付のそばに位置。
    江戸中期の1793年(寛政5年)のもので、宝形造が特徴的。京都府指定文化財。
    蔵の中には開山・聖一国師(円爾弁円)が宋から持ち帰った1000点余りの典籍や貴重な書物を多数収蔵する。

  • 案内板
    案内板

    日下門をくぐって本堂(仏殿)の東側、通天橋受付の手前にある東福寺の境内図。

  • 禅堂
    禅堂(ぜんどう)

    1347年(貞和3年)の再建で、日本における最古最大、中世より残る唯一の坐禅道場として1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財にも指定。
    禅堂とは、別名・選佛場とも呼ばれる通り坐禅を通じ自己究明と自己の心の佛を撰ぶ場所で、禅宗の叢林では重要な場所。
    僧侶になるための修行道場で、修行僧である雲水が坐禅はもとより寝食を行う場所で、昔は400名以上の僧が修行を行ったこともあったという。
    切妻造・本瓦葺で、鎌倉風の華頭窓が美しく、内陣にある扁額「選佛場」は東福寺の開山・聖一国師の師である宋の無凖師範(佛鑑禅師)、入口の「禅堂」は東福寺303世・福島慶道の筆による。

  • 東司
    東司(とうす)

    禅堂の南側、境内の南西に位置。通称は「百雪隠(ひゃくせっちん)」といい、いわゆる便所のことで、禅堂の横に必ず置かれた。
    東司としては日本最古最大、室町前期のもので現存する唯一の遺構として、1902年(明治35年)6月31日に国の重要文化財に指定。
    禅僧にとっては用便も修行のうちであり、東司へ行く際にも厳しい作法が定められていたという。
    また当時の排出物は貴重な堆肥肥料でもあり、京野菜の生産には欠かせない存在であると同時に、寺にとっても現金収入の大きな糧となっていたと言われている。

  • 本堂(仏殿兼法堂)
    本堂(仏殿兼法堂)(ほんどう)

    1881年(明治14年)に焼失後、1934年(昭和9年)に再建。
    高さ25.5m、間口41.4m、奥行が33.3mで重層入母屋造、竣工まで17年を要したといい昭和期の木像建築としては最大級。
    本尊の釈迦三尊立像は元々は塔頭・万寿寺にあったもので、鎌倉期の作で重文。脇侍に阿難尊者と迦葉尊者を従える。
    ちなみに創建当初は高さ15mの釈迦像と7.5mの両脇を固める観音菩薩・弥勒菩薩像があり「新大仏寺」の名で喧伝されていたが、1881年の火災で焼失し、釈迦像のものと思われる約2mの仏手のみが残され保存されている。
    天井の蒼龍図は堂本印象の作。また「毘盧寳殿(びるほうでん)」の扁額は九条敏子を妃とした賀陽宮恒憲王(かやのみやつねのりおう 1900-78)の揮毫。 春の涅槃会には猫がいることで有名な明兆の大涅槃図が本堂にて公開される。

  • 蒼龍図
    蒼龍図(そうりゅうず)

    本堂(仏殿)の天井に描かれた画龍で、画家・堂本印象の筆によるもの。
    東西22m、南北11mの天井板に描かれ、龍の大きさは体長54m、胴回り6.2mもあるという。
    通常内部拝観はしていないが、建物の外からもその姿を目にできる。また春の涅槃会では堂内に入り巨大な涅槃図とともに龍を真下から見上げることができる。
    龍は「龍神」と呼ばれ仏教を守護する八部衆、そして水を司り法の雨((仏法の教えを雨のように)を降らすと同時に火災から寺を守るという意味も込め、禅宗寺院の本山の多くでは法堂の天井に龍が描かれることが多い。

  • イブキ
    円柏(イブキ)

    国宝の三門と本殿(仏殿)との間、西寄りにある東福寺の開山・聖一国師(円爾弁円)ゆかりの木で、高さ16.5m、胸高の周囲3.36m、枝張りは東西10.5m、南北に8mある巨木。
    江戸時代の1700年前後に土佐光高により描かれた東福寺境内図や、1780年(安永9年)に刊行された「都名所図会」にも「開山国師、宋国より携へ来る」という記述とともに鳥瞰図の中に「唐木」として描かれており、江戸時代より古樹として知られていた。
    明治年間の仏殿焼失の際の損傷で主幹の北側に枝の切断が多く見られるものの、東福寺の歴史を知る上で欠かせないものとして1988年(昭和63年)5月2日に京都市登録天然記念物にも指定されている。

  • 献茶木
    献茶木

    本堂(仏殿)前の庭園に植えられた献茶木とそれを記念する石碑。
    東福寺の開山である聖一国師(円爾)は静岡県葵区の栃沢(旧大川村)の出身であり、国師が宋から帰国する際に持ち帰った径山茶(きんざんちゃ)の種子を栃沢に伝えたのが静岡茶の起源になったといわれている。
    石碑は2006年(平成18年)11月に聖一国師生誕地・栃沢茶を育てる会により建てられ、石碑の前には静岡市の中高校生により献茶木としてチャノキが植えられている。

  • 日蓮柱之碑
    日蓮柱之碑(にちれんばしらのひ)

    本堂(仏殿)の前に立つ石碑。
    鎌倉仏教の一宗派である日蓮宗の開祖・日蓮が他宗より迫害を受ける中で東福寺の開山・聖一国師(円爾)から庇護されたという。
    その報恩に報いるため、東福寺造営の際の1245年(寛元3年)に日蓮は本堂の巽(南東)の柱を寄進、この柱は「日蓮柱」と呼ばれるようになった。
    その後1881年(明治14年)に本堂は焼失するが、1934年(昭和9年)に再建された際にも日蓮宗の宗徒により巽の柱が寄進されている。

  • 三門特別拝観受付
    三門特別拝観受付(さんもんとくべつはいかんうけつけ)

    東福寺の国宝・三門の内部は通常非公開だが、期間限定で特別公開される(現在は3月の涅槃会の時などに公開)。
    内陣の須弥壇上に安置されている宝冠釈迦如来像や十六羅漢などの諸仏や、天上や柱に描かれている明兆とその弟子たちによる鮮やかな極彩画が見られるほか、楼上から洛南一帯を一望することもできる。
    特別拝観の期間中は三門の左右にある階上へ向かうための階段を覆う山廊のうち、西側の所に受付が設けられる。

  • 三門
    三門(さんもん)

    室町初期の1405年(応永12年)の再建で、現存最古最大の三門として1897年(明治30年)12月28日に国宝に指定。
    棟高22m、五間三戸の二階二重門で入母屋造・本瓦葺、左右に階上へ向かうための階段を覆う山廊を有し、大仏様(天竺様)の構造だが外観は禅宗様を彷彿とさせる。 なお大屋根の四隅に見える柱は豊臣秀吉による大修理の際に補足されたもので、通称「太閤柱」と呼ばれている。
    正面2階の扁額「玅雲閣(みょううんかく)」は室町幕府第4代将軍・足利義持の筆によるもの。
    他方楼上の内部には宝冠釈迦如来像や十六羅漢などの諸仏が並び、天上や柱に明兆と弟子たちによる極彩画が描かれている(通常非公開)。
    ちなみに寺院の入口の門は一般的には「山門」と表記されるが、「三門」は、「三解脱門(げだつもん)」の略で、禅において悟り(涅槃)の境地に達するために通らなければならない3つの門「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無作門(むさもん)」の境地を表し、主として禅宗寺院の伽藍に多い。

  • 思遠池
    思遠池(しおんち)

    国宝・三門の前にある放生池で、中央に三門へとつながる石橋が懸けられている。
    夏には「思遠の蓮」と呼ばれる見頃を迎えた白色の蓮が美しい花を咲かせるほか、池の南側には2~3月にかけて紅白の梅が楽しめる。

  • 勅使門
    勅使門(ちょくしもん)

    境内南側に西に向かって立つ門。桃山時代の1590年(天正18年)に塔頭の南明院にて建造された後、1885年(明治18年)に現在地へ移築された。
    四脚門、切妻造、本瓦葺で、1993年(平成5年)4月9日に京都府指定文化財に。
    勅使参向の際の出入に使用した門だが、現在は使われておらず通常は閉ざされている。

  • 六波羅門
    六波羅門(ろくはらもん)

    境内南側の通用門。一間一戸・切妻造・本瓦葺。
    鎌倉前期のもので、1221年(承久3年)に後鳥羽上皇により起こされた「承久の乱」の後、朝廷を監視する目的で執権北条氏により京都に置かれた六波羅探題の遺構を移築したものと伝わる。
    月下門とともに寺内で最も古い建築物の一つで、国の重要文化財に指定。
    1333年(元弘3年)に後に室町幕府を開く足利尊氏と赤松円心が六波羅探題を攻め落とした際にできたという矢疵が残されている。

  • 防長忠魂碑
    防長忠魂碑(ぼうちょうちゅうこんひ)

    三門の東側に建つ「維新戦役忠魂碑(いしんせんえきちゅうこんのひ)」。
    1868年(慶応4年)正月に勃発した「鳥羽伏見の戦い」の際に長州藩兵が東福寺に本陣を置き、伏見・淀方面で会津藩を主力とする幕府軍と戦った経緯から、この時の戦没者48名は東福寺の境内(東の山上にある仲恭天皇九条陵の西隣)に葬られている。
    そして鳥羽伏見の戦いの50回忌にあたる1917年(大正6年)11月に山県有朋ら長州藩出身者の寄付によってこの石碑が建立されている。

  • 浴室
    浴室(よくしつ)

    境内の南、山門の東側に位置。一重正面入母屋造・背面切妻造・本瓦葺。
    国内最大にして、室町時代の1459年(長禄3年)の瓦銘が残り、禅宗伽藍としては現存最古、奈良・東大寺の湯屋に次いで古い浴室であることから、1907年(明治40年)8月28日に国の重要文化財にも指定。
    当時は現代以上に貴重だったお湯を沸かすための水や薪を節約するため、いわゆるサウナ(蒸し風呂)形式が採用され、これは現在でも使用できるほどの近代的なシステムだという。

  • 石鳥居
    石鳥居

    五社成就宮の入口にある石の鳥居、この鳥居をくぐって石段を上がった先に本殿がある。

  • 五社成就宮
    五社成就宮(ごしゃじょうじゅきゅう)

    国宝・三門の東側にある東福寺の鎮守社。石清水八幡・賀茂・稲荷・春日・日吉の五社を祀ることから「五社明神社」とも呼ばれる。
    元は925年にこの地に摂政・藤原忠平(のちに関白太政大臣)により藤原氏の氏寺として創建された法性寺の鎮守社で、巨大な伽藍が広がる中で祭礼・総社祭は祇園会に匹敵するほどの賑やかさだったといわれているが、現在は毎年11月の第2日曜日にお火焚祭が開催され、家内安全・無病息災・商売繁盛・学業上達の祈願が行われる。
    現在の社殿は1594年(文禄3年)のもので一間社流造、檜皮葺き。1993年(平成5年)4月9日に京都府の有形文化財に指定。

  • 十三重石塔
    十三重石塔(じゅうさんじゅうせきとう)

    五社成就宮の鳥居群をくぐって石段を上がり、本殿へ向かう途中左手の広場ににある高さ4.5m、花崗岩製の石塔。初重に梵字が刻まれている。
    正式名称は「比良山明神塔」といい、比良の魔王(比良明神=天狗)を祀ったもので、1343年(康永2年)に東福寺の創立祈願のために建立。国の重要文化財にも指定されている。
    東福寺の創建者・九條道家が病になった際に藤原家の先祖という比良の魔王が降臨、病の原因が怨霊であることとその鎮め方を教えられ病が完治。
    その後東福寺建立を決心した際に比良明神のお告げがありこの石塔を建立したという。

  • 魔王石
    魔王石

    十三重石塔の傍らにある祠に祀られている石。
    東福寺の創建者・九條道家が病になった際、この石に鞍馬山の魔王が降臨したといわれている。

  • 大鐘楼
    大鐘楼

    境内東側の五社成就宮のある広場の左奥(北東)にある鐘楼。境内西、経蔵のそばにある殿鐘楼と区別して東の鐘楼とも呼ばれる。
    鐘楼は江戸時代の1671年(寛文11年)のもので、京都府指定文化財。
    一方梵鐘は1954年(昭和29年)の刻印。

  • 荒熊大神
    荒熊大神(あらくまおおかみ)

    大鐘楼の裏に鎮座。
    荒熊大神は伊勢国宇治の里に鎮座し、猿田彦大神の甥にあたる神で、伏見稲荷大社の稲荷山の熊鷹池に鎮座する熊鷹大神の霊場で修行を積み十万巻以上の心経の功徳により大いなる神力を会得したといい、諸願成就にご利益があるという。

  • 茶所
    茶所(ちゃどころ)

    本堂(仏殿)の東側にある休憩所で、観光トイレも併設する。

  • 光明宝殿
    光明宝殿(枚蔵庫)

    本堂(仏殿)の東側、本坊の隣にある文化財収蔵施設で、東福寺やその塔頭寺院の文化財を収蔵。1981年(昭和56年)に完成。
    通常非公開だが、4月下~5月上旬の新緑の時期の約3週間、「特別名宝展」として収蔵する仏像や仏画が特別公開される。

通天橋・開山堂

  • 通霄門
    通霄門(つうしょうもん)

    通天橋拝観受付のそば、通天橋へと続く回廊の途中にある門で、受付側からこの門をくぐると本堂(仏殿)の北側、方丈や庫裡の前に出ることができる。
    紅葉の時期にはこの手前に臨時の通天橋拝観受付所が設けられる。

  • 通天橋拝観受付
    通天橋拝観受付(つうてんきょうはいかんうけつけ)

    通霄門のすぐそばにある通天橋・開山堂の拝観受付。
    紅葉の時期は北駐車場内および通霄門の手前付近に臨時の拝観受付所が設けられ、この拝観受付の前は出口専用となる。

  • 回廊
    回廊(かいろう)

    拝観受付を通り通天橋へ向かう間にある回廊。
    紅葉の見頃の時期には大変な人で賑わう。

  • 通天橋
    通天橋(つうてんきょう)

    本堂(仏殿)から開山堂に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、同じく洗玉澗に架かる臥雲橋、偃月橋とともに東福寺三名橋の一つに数えられる。
    1380年(天授6年)に春屋妙葩(普明国師)(しゅんおくみょうは)が谷を渡る労苦から僧を救うため南宋径山(きんざん)の橋を模して架けたと伝わる。
    1959年(昭和34年)の伊勢湾台風の際に倒壊。現在の橋は1961年(昭和36年)に再建されたもので、橋脚部は鉄筋コンクリート製。入口の「通天橋」の扁額は春屋妙葩の筆による。
    京都を代表する紅葉の名所として名高い東福寺の中でも随一の紅葉スポットとして名高く、また新緑の時期も見事。

  • 洗玉澗
    洗玉澗(せんぎょくかん)

    境内西の琵琶湖疏水へと流れる三ノ橋川の流れに沿って本坊の北側を東西に横断する渓谷で、この渓谷に沿って東福寺三名橋と呼ばれる臥雲橋・通天橋・偃月橋の3つの橋が架かる。
    一帯には約2000本と言われる楓の木が植えられており、京都でも有名な紅葉の名所として名高い東福寺の中でも随一の紅葉スポットとして知られる。
    これらの紅葉は東福寺の開山・聖一国師(円爾弁円)が宋の国から伝えたものといわれていて「通天紅葉」とも呼ばれている。

  • 石橋
    石橋(いしばし)

    通天橋から洗玉澗の石段を下った先に流れる三ノ橋川に架かる石橋。
    周辺では一番低い場所となっているため、ここから見上げる通天橋の眺めは高さがあり見事。

  • 通天橋前庭
    通天橋前庭(つうてんきょうぜんてい)

    通天橋から洗玉澗の石段を下り、三ノ橋川にかかる橋を渡って石段を登ると通天橋の前庭へと出る。
    この前庭を通ると通天橋からぐるっと一周回ったことになり、出口のある拝観受付へ戻ってくることができる。一帯も非常に紅葉の美しい場所の一つ。

  • 愛染堂
    愛染堂(あいぜんどう)

    通天橋から回廊を降り、西奥の月下門へ向かう途中に位置。愛染明王をを祀る丹塗りこけら葺の優美な八角形の円堂。
    仁王門や塔頭・万寿寺の入口にある東福寺鐘楼とともにもとは三聖寺、三聖寺廃寺後は万寿寺の建築物だったものを、1934年(昭和9年)の室戸台風で倒壊したのを機に1937年(昭和12年)に現在地に移築。
    唐様を主とした鎌倉末期の建築様式、京都では貴重な八角円堂の遺構の一つとして国の重要文化財に指定。

  • 月下門
    月下門(月華門)(げっかもん)

    境内の西側、臥雲橋のすぐ手前(北側)にある門で、通天橋・開山堂の有料エリア内では愛染堂に近い、一番奥に位置する。
    鎌倉時代の1268年(文永5年)に一条実経の常楽庵建立の際に、亀山天皇より下賜された御所の月華門で、板蟇股(かえるまた)など細部にわたり鎌倉時代の特色がよく残り1902年(明治35)7月に国の重要文化財に指定。
    四脚門、切妻造、檜皮葺。現在は開山堂(常楽庵)にある客殿・普門院の総門。

  • 回廊
    回廊(かいろう)

    通天橋から開山堂まで続いている回廊。

  • 門

    開山堂(常楽庵)および普門院(客殿)の正面入口の門。

  • 開山堂(常楽庵)
    開山堂(常楽庵)(かいざんどう(じょうらくあん))

    境内の北側に位置し、通天橋から回廊でつながる東福寺の開山塔院で、1280年に入定した開山・聖一国師(円爾)を祀る。
    旧堂を1819年(文政2年)に焼失後、1823年(文政6年)頃までに一条忠良により再建され現在に至る。
    1階部分に開山堂とその前にある拝所の昭堂(しょうどう)が相の間でつながれ、昭堂の2階部分に「伝衣閣」と呼ばれる楼閣があるのが特徴的で、通常の開山堂にはあまり見られない形式。
    内部には聖一国師や一条実経の像を安置。

  • 伝衣閣
    伝衣閣(でんねかく)

    開山堂(常楽庵)の2階部分に造られた楼閣。
    鹿苑寺の金閣、慈照寺の銀閣、西本願寺の飛雲閣、大徳寺塔頭・芳春院の呑湖閣と並び「京の五閣」と称される。
    また開山・聖一国師(円爾)が招来したという三国伝来の布袋像は伏見人形のルーツといわれている。

  • 普門院(客殿)
    普門院(客殿)(ふもんいん)

    開山堂の西側に隣接する客殿で、開山・聖一国師(円爾)が常住した方丈と伝わる建物。
    寝殿造風の外観に内部は三室に仕切られ、襖絵は七十四面は桃山から江戸期にかけ狩野山楽・海北友松ら各派の画家たちによって描かれたもので、国の重要文化財に指定(現在は収蔵庫に収納)。

  • 開山堂庭園
    開山堂庭園(かいざんどうていえん)

    普門院前に広がる、1674年(延宝2年)の開山堂修理の際に作庭された庭園で、江戸中期を代表する名園として名高い。
    開山堂への参道を挟み枯山水庭園と池泉式の2つに分かれており、このうち池泉式の方は築山風に作られ、細長い池に石橋、池中に亀島を作り、枯滝もある庭園となっている。

  • 枯山水
    枯山水(かれさんすい)

    開山堂庭園の左側の枯山水庭園は約100坪330平方メートルの平庭式で、築山はなく市松の砂紋上に鶴島・亀島を象った石組みを配して蓬莱山を表現しているという。

本坊庭園(方丈庭園)

  • 庫裡
    庫裡(くり)

    本堂(仏殿)の北側に方丈に接続する形でその東側に建つ。
    庫裡(庫裏)とは寺院における台所=食事を調える建物を指すが、住職やその家族、あるいは僧侶の生活する場所であったり、寺務などが執り行われる場合もある。
    1881年(明治14年)12月に仏殿などとともに焼失し、1910年(明治43年)に再建。
    唐門とともに明治天皇皇后であった昭憲皇太后の恩賜建築。白壁が映え、切妻造正面とする禅宗寺院の典型的な建築。

  • 本坊入口
    本坊入口

    庫裡の南側にある、東福寺本坊への入口。

  • 方丈拝観受付
    方丈拝観受付(ほうじょうはいかんうけつけ)

    近代日本を代表する作庭家・重森三玲が1939年(昭和14年)に完成させた国指定名勝・方丈八相庭園(東福寺本坊庭園)、いわゆる「八相の庭」の拝観受付。

  • 大方丈
    大方丈(おおほうじょう)

    方丈とは禅宗寺院における僧侶の住居を指すほか、相見(応接)の役割も持つ建築物。
    1881年(明治14年)の火災により仏殿や庫裡とともに焼失したが、1890年(明治23年)に再建。
    内部は3室2列の6室あり、前庭のある南面には広縁が設けられている。
    また方丈の周囲に東西南北に配された4つの庭「方丈八相庭園(東福寺本坊庭園)」は1939年(昭和14年)、昭和の作庭家・重森三玲(1896-1975)によるもので、2014年(平成26年)10月に国の名勝にも指定されている。
    鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基調に近現代芸術の構成美を見事に融合させた枯山水庭園で、釈迦の生涯における8つの重要な出来事「八相成道(はっそうじょうどう)」にちなみ8つの造形美を見事に表現した名園。サツキや紅葉など四季折々に美しい。

  • 南庭(八相の庭)
    南庭(八相の庭)(なんてい(はっそうのにわ))

    方丈の南側にある広さ210坪の枯山水庭園。釈迦の生涯における8つの重要な出来事「八相成道(はっそうじょうどう)」の「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壺梁」「八海」「五山」を表現する。
    中国大陸の蓬莱神仙思想に登場する仙人が住むといわれる「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壺梁」の四仙島を18尺の長石を基本に巨石を剛健に配し、渦巻く砂紋によって「八海」を表現。西方に「五山」になぞらえた築山が置かれている。

  • 恩賜門(唐門)
    恩賜門(唐門)(おんしもん(からもん))

    方丈の南正面にある、方丈前庭(南庭)に入るための表門。
    明治天皇の皇后・昭憲皇太后が寄進したことから「恩賜門」ともいわれる。
    向唐破風の門で、南庭「八相の庭」の枯山水庭園にも趣きを添える、明治・大正期の唐門の代表作。

  • 西庭(井田の庭)
    西庭(井田の庭)(せいてい(せいでんのにわ))

    方丈の西側にある庭園で、釈迦の生涯における8つの重要な出来事「八相成道(はっそうじょうどう)」の「井田市松(せいでんいちまつ)」を表現。
    皐月(サツキ)の刈り込みと砂地とを葛石(かずらいし)で区切ることで作られた市松模様は、井の字に等分した古代中国の田制「井田」にちなんだもの。
    普段は緑色と白色のコントラストだが、皐月が見事の時期には鮮やかなピンク色との対比が楽しめる。

  • 西唐門
    西唐門

    西庭にある唐門。

  • 三尊石
    三尊石(さんぞんせき)

    西庭の南西角、西唐門の脇にある石組み。
    「石組み」とは、自然石を組み合わせて庭園内に配置・構成したものをいい、「三尊石」は日本庭園の石組の基本パターンで、中央に背の高い大きな石(中尊石)、その左右に小さめの石(脇侍石)を組む方法。

  • 通天台
    通天台(つうてんだい)

    西庭から北庭へと続く途中に設けられた舞台。
    遠方に通天橋を望み、眼下には「洗玉澗」を一望できる。通天橋同様に紅葉と新緑が美しい。

  • 北庭(市松の庭)
    北庭(市松の庭)(ほくてい(いちまつのにわ))

    方丈の北側にある苔と石の庭園で、緑色のウマスギゴケと元は恩賜門から方丈に向けて敷きつめられた切石を再利用して作られた色鮮やかな市松模様は「小市松」と呼ばれる。
    皐月(サツキ)の丸刈りとの調和の妙から彫刻家イサム・ノグチから「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評される。
    また秋には背後の紅葉が美しく、赤い紅葉と開山・聖一国師が宋から持参したと伝わる「通天紅葉」の黄金色とのコントラストが絶妙。

  • 茶所
    茶所(ちゃどころ)

     

  • 東庭(北斗の庭)
    東庭(北斗の庭)(とうてい(ほくとのにわ))

    方丈の東側にある庭園で、釈迦の生涯における8つの重要な出来事「八相成道(はっそうじょうどう)」のうち「北斗七星」を表現。
    白川砂の雲文様の地割に円柱の石を配した北斗七星と、後方に二重生垣で表現された天の川が夜空が足元に広がるかのような小宇宙を創り出す。
    北斗七星の石は重文の東司の柱石の余石を利用したもの。

  • 書院
    書院(しょいん)

    方丈の奥にある。

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    洗耳泉庭園(せんじせんていえん)

    方丈の奥にある書院の前に2012年(平成24年)に新しく作られた庭園。
    高台寺や園徳院の庭園にも携わった京都の庭師・北山安夫の作で、名前は東福寺管長・遠藤楚石により耳を澄まし水の音で心を清めるという禅語の故事から付けられた。
    苔と三尊石の石組が美しい枯山水の庭園だが、庭の中央には珍しいガラスを使用した水路が設けられ、水が流れると光が反射し一層美しさを増す。

偃月橋

  • 鹿児島藩招魂碑
    鹿児島藩招魂碑(かごしまはんしょうこんひ)

    庫裡の南面から東へと進み、左へ折れて北へ進むと偃月橋および境内塔頭の龍吟庵・即宗院へ向かう参道となるが、その手前にある「旧鹿児島藩士招魂碑」の道標。
    1868年(慶応4年)正月に勃発した「鳥羽伏見の戦い」の際、東福寺に陣を敷いた長州藩に対し鹿児島県の薩摩藩は東寺に布陣しているが、即宗院が6代藩主・島津氏久の菩提寺である経緯からか、即宗院への参道に鹿児島藩招魂碑も建っている。
    また招魂碑左手前にある小さな石標は薩摩藩士でのちに京都府知事なども歴任、また欧化政策のシンボルであった「鹿鳴館(ろくめいかん)」の名付け親としても知られる中井桜洲(おうしゅう)の墓所を示す道標。

  • 偃月橋
    偃月橋(えんげつきょう)

    本堂や庫裡から境内塔頭の龍吟庵・即宗院へ向かう参道の途中、三ノ橋川の上流に架かる木像の橋廊で、同じく三ノ川橋(洗玉澗)に架かる臥雲橋、通天橋とともに東福寺三名橋の一つに数えられる。
    1603年(慶長8年)の建築で、単層切妻造に屋根は桟瓦葺。1967年(昭和42年)に三名橋の中では唯一国の重要文化財にも指定され、「日本百名橋」の一つにも挙げられている。ちなみに「偃月」とは弓張月のこと。

  • 龍吟庵
    龍吟庵(りょうぎんあん)

    境内の北東、偃月橋を渡った正面にある東福寺の境内塔頭。
    東福寺第3世で南禅寺の開山としても有名な無関普門(大明国師)の住居跡で、東福寺塔頭の第一位とされる。
    多くの文化財を有し、中でも方丈は応仁の乱以前の室町初期のもので現存する最古の方丈建築として国宝指定。また重森三玲作庭の「無の庭」「龍の庭」「不離の庭」の3つの枯山水庭園で知られる方丈庭園も名高く、中でも東庭の赤砂の枯山水が珍しい。
    紅葉の時期に合わせ毎年11月に一般公開されるほか、「京の冬の旅」で特別公開されることもある。

  • 即宗院
    即宗院(そくしゅういん)

    境内の北東、偃月橋を渡った右手、龍吟庵の隣にある東福寺の境内塔頭。
    1387年(嘉慶元年)に鹿児島薩摩藩の島津氏久が、東福寺第54世・剛中玄柔(ごうちゅうげんじゅう)を開山として建立。寺名は氏久の法名「齢岳玄久即宗院」に由来。
    それ以来薩摩藩の菩提寺として手厚く庇護され、 1569年(永禄12年)に焼失した後、1613年(慶長18年)に島津家久により現在地に再興されている。
    幕末の戊辰戦争では薩摩藩士の宿所の一つとなったほか、西郷隆盛とのゆかりが深く、清水寺の月照と密談したとされる茶室「採薪亭」跡や「東征戦亡の碑」などが残されている。
    庭園は市の名勝にも指定されており、紅葉や千両で有名。通常非公開だが、毎年紅葉の時期に合わせ11月上~12月上旬に特別公開される。

宗務本院・最勝金剛院

  • 石標
    石標

    本堂(仏殿)の東側より最勝金剛院へと続く参道の入口にある。
    それぞれ右に「月輪殿下兼実公本墓」、左に「東福寺内山霊廟 最勝金剛院」の石標。

  • 大慧殿(宗務本院)
    大慧殿(宗務本院)(だいえでん)

    東福寺派宗務本院の事務所があるほか、東福寺派惠日会本部、慧日流東福教会本部、東福寺未生流華道総司庁も置かれている。

  • さざれ石
    さざれ石

    大慧殿(宗務本院)入口の脇にある。「細石」と書き、学名は石灰質質角礫岩。日本の国家・君が代にも詠まれていることで知られている石。
    元々は小さな石の意味だが、石灰石が長い年月をかけて雨水によって溶かされ、他の小石を次々と接着して1つの大きな岩の塊となったものをいう。
    京都では他に下鴨神社、護王神社、北野天満宮、勧修寺、福知山の元伊勢内宮皇大神社などに見られる。

  • 山門
    山門

    本堂(仏殿)の東から伸びる参道を進んだ先にある最勝金剛院の山門。

  • 藤棚
    藤棚

     

  • 最勝金剛院
    最勝金剛院(さいしょうこんごういん)

    本堂(仏殿)の東に位置、九条家一族の墓の管理するために創建された東福寺派の特別由緒寺院。
    元々は東福寺の創建以前の1150年(久安6年)に摂政・藤原忠通の夫人・宗子が藤原氏の氏寺である法性寺の域内の東に建立した寺院で、広大な寺地を有していた法性寺の中でも最大の面積を有していた。
    しかし鎌倉初期、藤原氏の弱体化とともに法性寺も衰退し、その後1250年(建長3年)に法性寺の跡地に創建された東福寺の子院となるも、室町時代には衰退したという。
    その後現代に入った1971年(昭和46年)の秋に東福寺の創建者・九条道家を含む九条家一族の墓の管理ため、旧地に近い場所に再興された。

  • 九条兼実廟(八角堂)
    九条兼実廟(八角堂)(くじょうかねざねびょう(はっかくどう))

    最勝金剛院の山門をくぐって参道を東へ進むと一般の墓所があり、さらにその奥にある「月輪殿」「後法性寺殿」と呼ばれた九条家の祖・九条兼実を祀る廟所。その八角形の形状から「八角堂」とも呼ばれている。
    九条(藤原)兼実は平安後期から鎌倉時代にかけて活躍した公卿で、関白、摂政、太政大臣を歴任し「法性寺殿」と呼ばれた藤原忠通の三男。そして東福寺を創建した九条道家の祖父にあたる。
    鎌倉時代に成立した藤原氏の嫡流で公家の家格の頂点とされた五摂家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)のうち、九条家の祖となる。家名の由来は京都九条にあった九条殿に住んでいたため。
    また兼実が源平争乱の時代を含む40年間書き綴った日記「玉葉」は、より史実に近い記述と考えられ一級史料といわれている。

  • 九条家墓地宝篋印塔
    九条家墓地宝篋印塔(くじょうけぼち ほうきょういんとう)

    九条兼実廟所(八角堂)のすぐ南東にあり、東福寺を創建した九条道家(1193-1252)を含む九条家歴代の墓所となっている。
    九条道家は九条家の祖・九条兼実の孫にあたり、摂政・関白・左大臣を歴任した人物で、鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経の父、5代将軍・藤原頼嗣の祖父にあたる。
    道家とその妻・倫子はともに源頼朝の同母妹・坊門姫の孫にあたり、その間に生まれた頼経は父母双方から源氏の血を引いており、また祖父の兼実が源頼朝の推挙により摂関の座に就いたことから源氏との結びつきが強く、公武協調策の間で繁栄を極めるが、後に幕府の実権を握った北条氏との不和が原因で権勢が衰えることに。

北大門周辺

  • 万寿寺(萬壽禅寺)
    万寿寺(萬壽禅寺)(まんじゅじ(まんじゅぜんじ))

    東福寺の塔頭寺院。平安後期の1097年(永長2年)に白河上皇が六条内裏に建てた六条御堂を起源とし、かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山のひとつ(第5位)として栄えた。その後衰微し1591年(天正19年)に現在地の東福寺北側に移転。
    境内入口の鐘楼門は室町期の建築で、現在は東福寺が所有し「東福寺鐘楼」として重文指定。また現在東福寺の本堂(仏殿)に安置されている本尊・釈迦三尊像は元々は万寿寺のもので、1881年(明治14年)に東福寺の仏殿および本尊が焼失した後に万寿寺より移されて新しい本尊となった。

  • 東福寺石標
    東福寺石標

    九条通沿い、東福寺の交差点の南側に建つ。
    ここから南へ伸びる道を進むと東福寺北駐車場から、臥雲橋、西側通用門である日下門へと通じている。

  • 仁王門
    仁王門(におうもん)

    境内北東、伏見街道(本町通)より北大門をくぐってすぐ左(北)側にある門。
    元々は1597年(慶長2年)に三聖寺の仁王門として建造され、三聖寺廃寺後は現在東福寺の塔頭である万寿寺の仁王門となりその後東福寺の仁王門に。三間一戸の八脚門で切妻造、本瓦葺。
    仏堂の古材を再利用して建てられたものといわれ、門の両脇に通常見られる仁王像も安置されていないが、様式が珍しく国の重文にも指定。
    門の向こうに慧日幼稚園があったが、現在は閉園。

  • 北大門(北門)
    北大門(北門)(ほくだいもん)

    境内北東、東福寺駅より伏見街道(本町通)を南に進み、交番の角を曲がってすぐの所にある門。 桃山時代の建築の四脚門で、切妻造、本瓦葺。
    1993年(平成5年)4月に京都府指定文化財に指定。

  • 交番
    交番

    東福寺駅より伏見街道(本町通)を南に進んだ北大門のある角に位置。

  • 退耕庵
    退耕庵(たいこうあん)

    東福寺境内北西、北門から西へあるいは九条通の石標から南へ進んで最初に姿を見せる塔頭寺院。
    1346年(貞和2年)に東福寺第43世住持・性海霊見(しょうかいれいけん)により創建。
    その後応仁の乱により一時荒廃するも桃山時代の1599年に(慶長4年)に毛利家に仕えた僧・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)により再興。
    再興時に恵瓊が建てた客殿には、豊臣秀吉の没後に恵瓊・石田三成・宇喜多秀家らが関ヶ原の戦いの謀議を行ったと伝わる茶室・作夢軒がある。
    書院を挟み南に杉苔に覆われた枯山水、北に池泉式の2つの庭園がある。
    境内の地蔵堂(小町堂)にある地蔵菩薩像は白い顔に赤い唇が特徴的で、その体内に小野小町に寄せられた多数の艶書が納められ「玉章地蔵(たまずさじぞう)」の別名。堂の傍らには「小野小町百歳井」もある。
    また1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦いでは長州藩が東福寺に陣を置いたことから戦死者の菩提所ともなっている。拝観は要予約。

  • 盛光院
    盛光院(じょうこういん)

    東福寺境内北西、北門をくぐって西へ、あるいは九条通の石標から南へ進んだ先にある塔頭寺院。
    鎌倉期の文永年間(1264-75)、豊後国(大分県)で万寿寺を開山し、豊後に勢力を築いた東福寺第10世・直翁智侃(佛印禅師)(じきおうちかん)により創建。 現在の本堂は1930年(昭和5年)の再建で、本尊・白衣観音坐像と仏印禅師坐像を安置。庫裡は1808年(文化5年)に豊後・万寿寺の宝勝院本堂を移築したもの。
    境内の池泉式庭園にはカエデも植栽され、紅葉の時期の11月に特別公開されるほか、ユーモラスな狸像も見どころ。

  • 霊源院
    霊源院(れいげんいん)

    東福寺境内北西、北門をくぐって西へ、あるいは九条通の石標から南へ進んでしばらくの所にある塔頭寺院。
    観応年間(1350年頃)に後醍醐天皇の皇子・龍泉令淬により天護庵と号し創建され、応永年間(1400年頃)に在先希譲により現在の名前に改められる。
    布の一寸地蔵さんを奉納する「くぎかけ水子供養」や石の四寸地蔵さんを奉納する「永代水子供養」で知られるほか、永代供養の墓地・霊園がある。通常非公開。

  • 龍眠庵
    龍眠庵(りゅうみんあん)

    東福寺境内北西、北門をくぐって西へ、あるいは九条通の石標から南へ進んでしばらくの所にある塔頭寺院。
    南北朝時代の正平年間(1346-1369)、東福寺37世・檀渓心凉(だんけいしんりょう)の創建。
    1591年(天正19年)に毛利家に仕えた僧・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)により本堂が再建されている。
    境内には樹齢200年ともいわれる椿の古木がある。通常非公開。

  • 海蔵院(洛東園)
    海蔵院(洛東園)(かいぞういん(らくとうえん))

    東福寺境内の北側にある塔頭寺院で、境内には1952年(昭和27年)に東福寺により設立された社会福祉法人「洛東園」がある。
    鎌倉後期、日本初の仏教通史「元亨釈書」を著したことでも知られ、東福寺15世で南禅寺の住持も務めた虎関師錬(こかんしれん)の退隠所として創建され、1346年(正平元年)の没後はその塔所となる。
    南北朝時代の絹本著色「虎関和尚像」は重文だが、現在は京都国立博物館に寄託。

  • 東福僧堂
    東福僧堂

    開山堂の北に位置し、通天橋の有料拝観エリア内に入口があるが、北駐車場の道を東へ少し進んだ勝林寺のすぐそばにもある。
    僧堂とは、仏教寺院にある建物の1つで、僧侶たちが集団生活を行いながら仏道修行に励む専門道場のこと。

  • 勝林寺
    勝林寺(しょうりんじ)

    東福寺境内北側にある塔頭。室町末期の1550年(天文19年)に東福寺第205世・高岳令松(こうがくれいしょう)が創建。
    東福寺の鬼門に位置し仏法と北方を守護する毘沙門天を本尊として祀ることから「東福寺の毘沙門天」と呼ばれる。
    毘沙門堂に安置するその秘仏・毘沙門天立像は平安時代の作で高さ145.7cmの一木造。長く東福寺仏殿の天井内に密かに安置されていたものを、江戸時代に開山・高岳令松の霊告により発見され勝林寺の本尊となった。脇侍の吉祥天・善膩師童子像はともに江戸時代の作。
    本堂は大檀那だった近衛家の大玄関を移築したもの。他に一切経を埋めた石塔なども見どころ。
    また無数の虎が月に吠える様子を表現したという「嘯月庭」をはじめ、境内には無数のカエデがあり紅葉の穴場スポットでもある。特にその美しさから吉祥天が宿るとされる「吉祥紅葉」は良縁・美縁を求める女性から人気を集めているという。
    通常拝観は団体予約のみだが、秋の11月上~12月上旬に特別公開。その他写経や写仏・坐禅体験なども行っている。

  • 栗棘庵
    栗棘庵(りっきょくあん)

    東福寺境内北側、北駐車場のすぐそばにある塔頭寺院。鎌倉時代の1294年(永仁2年)に東福寺4世・白雲慧暁(はくうんえぎょう)が洛北にて創建。応仁の乱の後に東福寺の山内に移された。
    通常非公開だが、11月の紅葉の時期のみ東福寺近くに店を構える京料理「高澤」が境内で営業。紅葉を眺めながら松花堂弁当「紅葉弁当」を楽しむことができる。

  • 善慧院(明暗寺)
    善慧院(明暗寺)(ぜんねいん(みょうあんじ))

    東福寺境内北西にある塔頭寺院。戦国時代の大永年間(1521~28)に東福寺第207世・彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)がその退隠所として開創。
    一方明暗寺は南北朝時代の1335年(建武2年)に天外明普が普化尺八の開祖・虚竹了円を開山として北白川に創建。
    臨済宗の系統だが虚無僧の姿で坐禅をせず尺八吹奏に終始するのが大きな特徴で、唐の禅僧・普化(ふけ)を開祖とすることから普化宗とも呼ばれた。
    江戸時代までは普化尺八の虚無僧寺の総本山の一つとして力を持っていたが、江戸幕府との深いつながりもあり1871年(明治4年)明治政府によりに普化宗は廃止され、明暗寺も善慧院に吸収された。
    現在は普化尺八明暗流の尺八根本道場として、11月の第1日曜日には尺八献奏大会も開催されている。

  • 大機院
    大機院(だいきいん)

    東福寺境内北西にある塔頭寺院。室町時代の1420年(応永27年)に九条家で初めて足利将軍家から偏諱(3代将軍足利義満から「満」の字)を受けた関白・九条満家(満教)が創建。
    慶長年間(1596-1615)に焼失の後、江戸時代の1645年(正保2年)に摂政・九重道房が自身の旧殿を移し再興。
    永代供養墓を設置しており、境内には公卿・藤原忠通、九条良経、九条稙通らの墓もある。

  • 同聚院
    同聚院(どうじゅいん)

    東福寺境内北西にある塔頭寺院。室町中期の文安年間(1444-48)に文渓元作が師である東福寺第129世・琴江令薫(きんこうれいくん)を開山として創建。
    元々東福寺の一帯には平安中期の924年(延長2年)に藤原忠平が藤原氏の氏寺となる法性寺(ほっしょうじ)を建立した場所で、1006年(寛弘3年)には藤原道長が40歳を祝うにあたり境内に五大堂を建立し五明王を安置しているが、その中尊と伝わる不動明王坐像が本尊として残されている(他の四明王は散逸)。
    平安時代を代表する仏師・定朝の父である康尚の作といわれ重文。高さ265cmで忿怒相の中にも優美さをたたえた藤原時代の美術品の代表作。
    別名「じゅうまん不動」と呼ばれ、火難除けをはじめとする除災のご利益があるとして古くから厚く信仰されており、毎年2/2に授与される「じゅうまん」の字を書いた屋守護(やさご)を門戸に貼っておくと、諸難が除かれ、福徳円満、子孫繁栄のご利益が授かるという。
    その他祇園の名妓といわれ後にアメリカの大富豪モルガンと結婚したモルガンお雪(1881-1963)の墓があることでも知られている。近畿三十六不動尊の第21番霊場。通常公開で境内自由。
    ちなみに「じゅうまん」とは土地の守護を表す「土力」または十万の眷属を従えるという意味の「十万」の2文字を1字にした文字。

  • 霊雲院
    霊雲院(れいうんいん)

    東福寺境内北西にある塔頭寺院。1390年(明徳元年)に東福寺第80世で天龍寺や南禅寺でも住持を務めた高僧・岐陽方秀(きようほうしゅう)が開創し、江戸時代には肥後熊本藩・細川家の信仰を集めた。
    江戸中期に作庭され久しく荒廃していたものを昭和を代表する造園家・重森三玲が1970年(昭和45年)に復元した「九山八海の庭(くせんはっかいのにわ)」と同じく三玲の手による「臥雲の庭(がうんのにわ)」で知られる。
    九山の中心となる須弥山に見立てた須弥台の上に設けられた石船の上に置かれた「遺愛石」は寛永年間(1624-44)に細川家より寄贈されたもの。
    茶室・観月亭は豊臣秀吉の北野大茶会の時のものを移築したもので、珍しい二階建。また京都市内では珍しい文殊菩薩を本尊とする寺院で、京都十三仏霊場第3番霊場(文殊菩薩)。通常公開。

  • 一華院
    一華院(いっかいん)

    東福寺の北西、臥雲橋のすぐそばに位置する塔頭寺院。応永年間(1394-1427)に東漸建易(とうざんけんえき)により開創。寺名は禅宗の祖・達磨大師が二祖・慧可に伝えたといわれる「一華五葉を開き、結果自然に成る」の句に由来するという。
    通常非公開だが、秋の紅葉の時期にのみ特別お茶席が設けられ、「依稀松(いきまつ)の庭」を眺めながら抹茶と菓子で休憩できる。
    依稀松とは、禅語「依稀松屈曲彷彿石爛班」からきており、龍によく似ているがそうではない曲がった松のことで、ありのままその姿を観賞することを説いているという。

  • 三ノ橋川
    三ノ橋川

    伏見区の稲荷山に発し北西へと流れ、東福寺の境内を東西に横断して鴨川に注ぐ川。 東福寺の境内を通過する付近は洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷になっており、臥雲橋、通天橋、偃月橋と呼ばれる東福寺三名橋が架かることでも知られている。

中門周辺

  • 中大門(中門)
    中大門(中門)

    境内北東、東福寺駅より伏見街道(本町通)を南に進み、三ノ橋川に架かる橋を渡ってすぐの所にある門。
    門をくぐって参道を進むと芬陀院(雪舟寺)、天得院を経て境内東側の通用門である日下門に突き当たる。
    桃山時代の建築の四脚門で、切妻造、本瓦葺。
    1993年(平成5年)4月に京都府指定文化財に指定。

  • 芬陀院(雪舟寺)
    芬陀院(雪舟寺)(ふんだいん(せっしゅうじ))

    東福寺境内西側、中門から日下門へと続く参道の途中にある塔頭寺院。
    鎌倉後期の元亨年間(1321-24)に関白・一条内経が父・内経の菩提を弔うために創建した一条家の菩提寺。その後火災などで衰えたが、元禄年間(1688~1704)に一條兼輝により再興。
    室町期に水墨画を大成した雪舟の作と伝わる方丈南庭・鶴亀の庭があり「雪舟寺」の別名で知られている。東庭は昭和を代表する作庭家・重森三玲のもので、南庭の復元にも携わっている。庭園は通常公開。

  • 天得院
    天得院(てんとくいん)

    東福寺境内西側、日下門の門前にある塔頭寺院。室町初期の正平年間(1346-70)に東福寺第30世・無夢一清(むむいっせい)が開創。
    1614年(慶長19年)に住持となった文英清韓(ぶんえいせいかん)は豊臣秀吉・秀頼の学僧として遇され、有名な方広寺の「国家安康、君臣豊楽」の鐘名を撰文、徳川家康の名を分断しているとして怒りを招き大阪の陣につながったという話は有名。
    その際寺も取り壊されたが、1789年(天明9年)に現在の堂宇が再建され、1868年(明治元年)には山内塔頭・本成寺を合併して今日に至る。
    桃山時代の作庭と伝わる杉苔に覆われた美しい枯山水庭園が見所で、青と白の桔梗が美しく「桔梗寺」として有名なほか、紅葉も美しい。6月中~7月上旬の桔梗の時期と11月の紅葉の時期のみ特別公開される。

  • 東福寺保育園
    東福寺保育園(とうふくじほいくえん)

    東福寺境内の西側、日下門の門前にある塔頭・天得院の中にある保育園で、東福寺児童館を併設。
    自然や動植物と触れ合うことで命の大切さを学び、仏教保育を通して人や物を思いやる気持ちを育んでいる。

  • 摩訶阿弥の森
    摩訶阿弥の森

    境内南西、芬陀院(雪舟寺)や天得院の南に広がる森。
    一帯は竹林と木々に覆われ、その中央付近に「摩訶阿彌陀佛」と刻まれた石碑が建つ。
    殿鐘楼に吊るされていた「竜頭(りゅうず)のない鐘」のエピソードに登場する、摩訶阿弥陀仏の旧跡と思われる場所。

南大門周辺

  • 南大門(南門)
    南大門(南門)

    境内北東、東福寺駅より伏見街道(本町通)を南へ、あるいは京阪鳥羽街道駅より伏見街道(本町通)を北へ進んだ所にある門。
    門をくぐって参道を進むといくつかの塔頭寺院を経て境内南側の通用門である六波羅門などの前に到達する。
    桃山時代の建築の四脚門で、切妻造、本瓦葺。1993年(平成5年)4月に京都府指定文化財に指定。
    門前の参道の左右には夏から秋にかけて芙蓉がきれいなピンク色の花を咲かせる。

  • 荘厳院(荘嚴院)
    荘厳院(荘嚴院)(しょうごんいん)

    東福寺の境内南西にある塔頭寺院。元々は藤原氏の氏寺として栄えた法性寺の五大堂の一つ灌頂院が起源で、鎌倉中期の文永年間(1264-75年)に東福寺の開山・聖一国師の法弟である東福寺第11世・南山士雲(なんざんしうん)により禅刹に改められ開山。
    ちなみに南山士雲は現在もなお40余りの末寺を有する臨済宗聖一派の2大門派の一つ「荘嚴門派」の祖で、室町幕府を開いた足利尊氏の要請で鎌倉に入り建長寺、円覚寺の住持を歴住したほか祟寿寺、寿福寺を開創にも尽力した人物。
    境内には豊臣秀吉が寄進したと伝わる、「蝦蟇石」の別名を持ち左右に蛙の形をした大石「双峨石」がある。また近年は境内にて「樹木葬」を行っていることでも知られる。

  • 桂昌院
    桂昌院(けいしょういん)

    東福寺境内南西にある塔頭寺院。鎌倉後期の元亨年間(1321-24)に雙峰宗源(そうほうそうげん)が九条家の別荘に開創したと伝わり、明治期に現在地に移された。
    堂内正面に祀られている三面大黒天は正面が大黒天(福寿・商売繁盛)、左に弁財天(智恵・学芸)、右に毘沙門天(勇気・健康)という三つの顔を持ち、1つの像で七福神の3つのご利益がある。
    鎌倉期に在位した第91代・後宇多天皇の菩提所として知られるほか、枯山水庭園「双峰庭」でも有名。

  • 東光寺
    東光寺(とうこうじ)

    東福寺の境内南西にある塔頭寺院。鎌倉後期の1311年(応長元年)、東福寺第7世・無為昭元(大智海禅師)(むいしょうげん)により開創。
    創建時は現在地よりも少し北にあり、一時期は衰退ないし廃寺となるも、中興開山・古林智教により復興。1868年(明治元年)に堂宇を現在は廃寺となっている長慶院に譲り、東光寺を曹渓院に合併し現在に至る。
    本堂に本尊・文殊菩薩、開山・大智海禅師像、中興開山・古林智教禅師像を祀り、方丈の南から東にかけ広がる枯山水の庭園は苔に覆われ松やカエデの木々も多い。
    通常非公開だが、紅葉の時期の11月に公開されお抹茶付で拝観できる。

  • 願成寺
    願成寺(がんじょうじ)

    東福寺の境内南西にある塔頭寺院。平安初期、第51代・平城天皇の第一皇子で歌人・在原業平の父でもある阿保親王(あぼしんのう 792-842)創建の天台宗寺院「願成就院」が起源と伝わる。
    ちなみに阿保親王は810年(弘仁元年)に発生した「薬子の変(父・平城上皇と上皇の弟・第52代・嵯峨天皇の皇位争いを発端として発生し嵯峨天皇側が勝利)」に巻き込まれ大宰府に左遷、その後京に戻るも842年(承和9年)に発生した「承和の変(嵯峨天皇系と淳和天皇系の皇位争いに乗じ、淳和側に与する藤原良房が嵯峨側の伴氏・橘氏を排斥、藤原氏繁栄の基礎を築いた)」にも巻き込まれた悲運の皇子として知られる。
    その後戦乱により荒廃するも、鎌倉時代の1303年(乾元2年)に禅僧・宏海南州を開山に臨済宗寺院として再興。室町時代には3代将軍・足利義満により京師十刹の一つに列されるなど寺運は隆盛するが、応仁の乱(1467-77年)により再度荒廃。江戸中期の寛延年間(1748~51)に東福寺の塔頭として現在地に再興され、隣接していた大慈院も合併し現在に至る。
    「苦労消除の寺」として厚く信仰されており、11/3開催の「親王祭」では阿保親王の御霊を供養するとともに、無病息災を祈る火渡りの行に参拝者も参加できるという。 その他に池泉式の庭園でしだれ桜もあり、四季折々の草花が楽しめる奥庭も見どころ。

  • 正覚庵
    正覚庵(しょうがくあん)

    東福寺境内の南側にある塔頭寺院。鎌倉時代の1290年に有名な戦国武将・伊達政宗の祖先にあたる奥州伊達家4代当主・伊達政依(だてまさより)が東福寺5世・山叟慧雲(さんそうえうん)を開山として創建。
    絹本著色山叟恵雲像は重文。また「筆の寺」として毎年11/23の勤労感謝の日に「筆供養」が行われることで有名で、境内にある筆塚は江戸後期の文化年間(1804-18)に築かれたもの。通常非公開(団体予約のみ)

  • 光明院
    光明院(こうみょういん)

    東福寺境内の南側にある塔頭寺院。1391年(明徳2年)に金山明昶(きんざんみょうしょう)により開創。
    昭和期の作庭家・重森三玲による方丈前の「波心の庭(はしんのにわ)」で有名。1939年(昭和15年)作庭の枯山水で、海を表現した白砂と杉苔の間に無数の石を並べ、背後に雲紋を表すサツキやツツジの刈り込みを配する。
    また雲上を表現した茶亭・「蘿月庵(らげつあん)」からは庭を見下ろすことができる設計になっているほか、茶室の丸い窓は月を表現しており、庭から茶室を眺めると東の空に月が昇るかのように見える。
    杉苔の美しさから「杉の苔寺」とも呼ばれ、桜、ツツジ、新緑とサツキ、紅葉の時期が特に見事。境内には1962年(昭和37年)作庭の三玲の手によるもう一つの庭園「雲嶺庭」もある。通常公開。

  • 永明院
    永明院(ようめいいん)

    東福寺境内の南側にある塔頭寺院。1279年(弘安2年)、東福寺第6世・蔵山順空(円鑑禅師)(ぞうざんじゅんくう)による開創で、現在の本堂は1983年(昭和58年)の再建。
    本尊・釈迦如来坐像と円鑑禅師坐像は重文。通常非公開だが、2013年(平成25年)に一度特別公開されている。

  • 南明院
    南明院(なんめいいん)

    東福寺境内の一番南にある塔頭寺院で「南明禅院」とも呼ばれる。 室町時代の1414年(応永21年)に4代将軍・足利義持が東福寺111世・業仲明紹(ぎょうちゅうめいしょう)のために創建、その後義持の菩提寺にもなった。
    創建にあたっては現在北側にある同じく東福寺の塔頭・永明院の境内を割き、その南側を境内としたという。
    桃山時代の1590年(天正18年)には豊臣秀吉の実妹で徳川家康の正室となった旭姫(南明院)が葬られその菩提寺となり、現在も旭姫の墓(五輪塔)が残るほか、方丈(本堂)には徳川歴代将軍の位牌が安置されている。
    また南明院2世となった画僧・吉山明兆は国内最大級の「大涅槃図」で知られ、3月に東福寺の本堂(仏殿)で開催される「涅槃会」で一般公開される。

周辺

  • 法性寺
    法性寺(ほうしょうじ・ほっしょうじ)

    東福寺駅から伏見街道(本町通)に沿って南に進み、交番と北大門を過ぎてすぐの所にある浄土宗西山派の尼寺。
    元々この一帯は924年(延長3年)に左大臣・藤原忠平が創建した「法性寺」があった場所で、その後も平安時代に隆盛を誇った藤原氏の氏寺として繁栄し大伽藍を有していた。
    その後藤原氏の弱体化や兵火により堂宇はことごとく焼失(その跡地に創建されたのが現在の東福寺)。現在の寺は明治維新の後に旧名を継いで再建されたもの。
    本堂に安置する二十七面千手観世音菩薩像は藤原道長が建立した旧・法性寺の五大堂の一つである灌頂堂の本尊と伝わり「厄除観世音」の名で知られ国宝。洛陽三十三所観音霊場の第21番札所。

  • JR・京阪東福寺駅
    JR・京阪東福寺駅(JR・けいはん とうふくじえき)

    東福寺境内の北西にあり、京阪本線とJR奈良線の接続駅となっている。
    東福寺の最寄駅であるだけでなく、京都の玄関口である京都市と祇園や清水寺とをつなぐ駅として、多くの観光客にも利用されている。

  • 京阪鳥羽街道駅
    京阪鳥羽街道駅(けいはん とばかいどうえき)

    東福寺境内の南西にある京阪本線の駅。位置的には東福寺駅と伏見稲荷大社のある伏見稲荷駅の間にあり、駅のすぐ東、鳥羽街道(本町通)沿いには伏見稲荷大社の境外摂社である田中神社がある。
    東福寺の南側の塔頭寺院を拝観したい場合にはこちらの駅からの方が近い。

東福寺の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1~1/3
修正会(しゅしょうえ)

新年に当り国家泰平と仏法の興隆を祈願

2月初午
懺法会(せんぼうえ)

鎮守・五社成就宮の祭日にあたり、観世音菩薩に懺悔し加護を祈願

3/14~16
涅槃会(ねはんえ)

三仏会の一つ
仏教の祖である釈迦の入滅の日(亡くなった命日)である陰暦2月15日にその遺徳を偲んで行われる法要
通常非公開の本堂にて大涅槃図を公開、縦12m、横幅6m、室町期の画家・吉山明兆の作で「魔除けの猫」が描かれているのが珍しい
本堂の天井の堂本印象筆の巨大な蒼龍図(雲龍図)も間近で見ることができる
国宝三門と塔頭・龍吟庵を特別公開、方丈庭園で寺宝展も開催
期間中は「花供御(はなくそ)」を販売するほか、東福寺未生流による献花展・呈茶、尺八献笛、甘酒の接待も

3月春分の日
彼岸会(ひがんえ)

「彼岸(ひがん)」とは、太陽が真東から真西に沈むことから、西方浄土の「あの世」と「この世」が最も近づく春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とした7日間を指す
一般的にこの時期には日頃無事に過ごせていることに感謝し、先祖の墓参りをしたり、寺院では先祖の霊を慰め、成仏を祈る法要が執り行われる
檀信徒の先祖供養の法要

4/8
降誕会(ごうたんえ)

三仏会の一つ
釈迦の誕生日を祝う法要で、花御堂の中に誕生仏を安置し、甘茶をかけて供養を行うことから、俗に「花まつり」とも呼ばれる
ちなみに誕生仏は釈迦が誕生した際に右手で天、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えた姿を象ったものだという

4/18
佛鑑忌(ぶっかんき)

東福寺開山・聖一国師の先師である南宋の僧・無準師範(佛鑑禅師)(ぶじゅんしはん(ぶっかんぜんじ) 1177-1249)の毎歳忌

5月初
新緑遊行(しんりょくあそび)

毎年5月の青紅葉(あおもみ)が美しく色づく時期の特別公開
期間中は三門特別拝観や普段非公開の文化財を多数公開する名宝展、茶席など様々な催しも同時開催される

8/2~4
暁天講座(ぎょうてんこうざ)

早朝に僧侶や著名人の話に耳を傾ける京都の夏の風物詩
禅堂にて6:00より坐禅、6:30より法話
予約不要、無料

8/16
精霊送り(しょうりょうおくり)

「五山の送火」と同じく盂蘭盆の行事で、お盆の間、家にお迎えした先祖の霊を再びあの世へと送り返す行事

9月秋分の日
彼岸会(ひがんえ)

「彼岸(ひがん)」とは、太陽が真東から真西に沈むことから、西方浄土の「あの世」と「この世」が最も近づく春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とした7日間を指す
一般的にこの時期には日頃無事に過ごせていることに感謝し、先祖の墓参りをしたり、寺院では先祖の霊を慰め、成仏を祈る法要が執り行われる
檀信徒の先祖供養の法要

10/5
初祖忌(しょそき)

二祖忌の一つで「達磨忌(だるまき)」「少林忌(しょうりんき)」とも呼ばれる
ダルマ人形でも有名な達磨(だるま)大師はインドから中国に禅の教えを伝えた人物で、中国における禅宗の始祖とされている
その忌日(命日)である陰暦10/5に禅宗寺院で行われる法要

10/17
開山忌(かいさんき)

東福寺の開山である円爾弁円(聖一国師)の祥月命日の毎歳忌

11~12月初
看楓特別公開(かんぷうとくべつこうかい)

秋の紅葉が美しく色づく時期の特別公開
通常より30分早い8:30より通天橋・普門院庭園の拝観、さらに重森三玲作庭の国指定名勝「東福寺本坊庭園」を特別拝観可能
この期間に限り東福寺北駐車場は一時閉鎖されるので注意

12/8
成道会(じょうどうえ)

三仏会の一つ
釈迦がブッダガヤの菩提樹の下で成道、即ち「悟り」を開いた日を記念して行なう法要

12/31
除夜(除夜の鐘)(じょやのかね)

新年を迎えるにあたって旧年を送る法要
「除夜の鐘」は境内に2か所の鐘楼にて、事前予約不要だがそれぞれ当日整理券108枚を配布

毎日・月並行事

毎週日曜
日曜坐禅会(にちようざぜんかい)

禅堂にて通年6:30~7:30、参加無料
ただし本山の行事と重なる時は休む場合あり

毎月1・15日
祝聖(しゅくしん)

毎月2回、天皇陛下の寿命無窮を祝い、併せて国家国民の安寧を祈願

毎月17日
開山月忌(かいさんがっき)

東福寺の開山である円爾弁円(聖一国師)の毎月の法要

花ごよみ

2月~3月中
梅(ウメ)

三門前の思遠池の南側では2~3月にかけて紅白の梅が楽しめる
境内東側の最勝金剛院の参道両脇には「摩耶紅梅(マヤコウバイ)」「姫寒紅梅」など数種類の品種の梅が色鮮やかな花を咲かせる

4~5月
射干(シャガ)

偃月橋の下を流れる川の斜面

5月初~下
杜若(カキツバタ)

開山堂(常楽庵)の普門院庭園、短冊型の石橋と池の周辺

5月中~6月中
皐月(サツキ)

重森三玲の代表作として知られる国指定名勝「東福寺本坊庭園(八相の庭)」のうち、サツキの刈り込みと砂地で市松模様が描かれている西庭「井田の庭」は必見
また小市松模様の北庭「市松の庭」や、開山堂(常楽庵)でもサツキの刈り込みを鑑賞することができる
経蔵と殿鐘楼の前の参道脇にも

5~6月
花菖蒲(ハナショウブ)

庫裡の南側、本堂(仏殿)の東側の参道の脇

7~8月
蓮(ハス)

三門前の思遠池では「思遠の蓮」と呼ばれる見頃を迎えた白色の蓮が美しい花を咲かせる

11月下~12月上
紅葉(こうよう)

境内には約2000本のカエデが植えられ、京都でも随一の紅葉スポットとして知られており、毎年秋には全国からたくさんの観光客が訪れる
中でも境内に数十本あり、開山の円爾弁円が中国の宋から持ち帰ったと伝わる、葉先が3つに分かれて黄金色に色づく「通天紅葉」はその珍しさから「秋のすゑ」「洛陽の奇観」として知られいる 一番の見どころは東福寺の伽藍の中央を貫く渓谷・洗玉澗に架かる橋「通天橋」で、赤・オレンジ・黄・緑と色とりどりの紅葉を見下ろすことができる絶景スポットとして、毎年長蛇の列ができるほど人気を集め、時代劇やCMなどのメディアでもよく登場する 他にも「臥雲橋」から見上げる「通天橋」も見どころの一つ
立地条件の環境の関係から色づく時期が遅い事もあり、通天橋から眺める紅葉の景観は「秋の京都における最後の紅葉」として親しまれている

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