知恩院
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徳川秀忠寄進の巨大な三門が出迎える浄土宗の総本山
全国7000余の浄土宗寺院の総本山。 宗祖法然が吉水の地に結んだ草庵が起源。 江戸初期に徳川家の庇護で壮大な伽藍が整備された。 国内最大の木造門で2代秀忠寄進の三門、法然上人像を安置する御影堂は国宝。 日本三大名鐘の梵鐘は大晦日の除夜の鐘で有名。忘れ傘などの七不思議も
知恩院とは?(基本データ)
- 名前
- 知恩院(ちおんいん)
- エリア
- 祇園・東山
- ジャンル
-
寺社 山 東山連峰 国宝建築・絵画 市天然記念物 桜 紅葉 名水 縁結び 法然二十五 三門 京都三大門 写経体験 東山花灯路 灌仏会・花まつり 火焚祭 除夜の鐘 節分祭 涅槃会 茶会・献茶祭 放生会 開山忌・御忌
- 正式名
- 華頂山 知恩教院 大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)
- 建立・設立
- 1175年(承安5年)、法然上人43歳の春に浄比叡山を下り浄土宗を開宗。吉水(よしみず)の禅房、現在の知恩院御影堂の近くに移り住む(吉水御坊・大谷禅坊)
1212年(建暦2年)1月25日、法然上人80歳で入寂
1227年(嘉禄3年)、弟子たちの手で造られ守られていた法然の廟が延暦寺の衆徒によって破壊される
1234年(文暦元年)、2世源智上人が諸堂を建立し再興、知恩院大谷寺と号し法然上人を開山第1世と仰ぐ
1608~41年頃、徳川幕府(家康・秀忠・家光)の手で伽藍が整備される - 創始者
- [開基] 法然(円光大師)(ほうねん(えんこうだいし))
[中興] 勢観房源智(せいかんぼうげんち) - 宗派
- 浄土宗総本山
- 山号
- 華頂山(かちょうざん)
- 本尊
- 法然上人像(本堂=御影堂)
阿弥陀如来(阿弥陀堂) - 寺紋
- 知恩院寺紋「三つ葉葵(みつばあおい)」
浄土宗宗紋「月影杏葉(つきかげぎょよう)」 - 札所等
- 法然上人二十五霊場 25番札所
- アクセス
- 駐車場
- ■2019年まで御影堂の大修理中につき山内の駐車場が十分に確保できないため乗用車での来山不可
■京都市円山駐車場
├普通車134台 30分毎250円
└自動二輪 30分毎100円
24時間
TEL:075-541-6371 - 拝観料
- 境内自由
■有料友禅苑
├大人 300円(団体270円)
├小・中学生 150円
└障害者 本人無料
※団体割引は大人30名以上
■方丈庭園
└御影堂修理工事および御廟所防災設備工事に伴い拝観休止中
■桜の時期に夜間特別拝観とライトアップを実施
└拝観料1,000円(プロジェクションマッピングは無料) - お休み
- 無休
本山行事の為、変更・拝観停止の場合あり - 拝観時間
- 9:00~16:30(受付16:00まで)
- 住所
- 〒605-8686
京都府京都市東山区林下町400 - 電話
- 075-531-2111
- FAX
- 075-531-0099
- 公式サイト
- 浄土宗 総本山知恩院
知恩院 Twitter
知恩院 Facebook
知恩院 Instagram
総本山 知恩院 浄土宗
浄土宗 全日本仏教会
第25番 総本山 知恩院 法然上人二十五霊場
地図
知恩院のみどころ (Point in Check)
京都市東山区林下町(りんか)、東山三十六峰の一つ華頂山の麓に位置する浄土宗総本山の寺院。
浄土宗の宗祖・法然が1175年(承安5年)、東山の吉水(よしみず)に草庵を結んで浄土宗の布教をはじめたのがはじまり。
その後1212年(建暦2年)に入滅するまで半生を過ごしたゆかりの地に、1234(文暦元年)に弟子の源智が諸堂を建立し「知恩院大谷寺」と号しました。
たびたび比叡山の僧徒に破壊されるなど、当初は浄土宗の拡大を警戒した旧仏教勢力からの激しい迫害に遭い、室町後期にようやくその地位が確立。
更に江戸幕府が成立すると、浄土宗を信仰していた徳川将軍家より手厚い庇護を受けるようになり、徳川家康・秀忠・家光の時代に大規模な伽藍が整備されました。
現在の堂宇は三門、経蔵、勢至堂以外の大半は1633(寛永10年)の焼失後、徳川家光により再興されたもの。
以後も徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、現在も京都の人々からは「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれ親しまれています。
本尊は本堂(御影堂)に法然上人尊像、阿弥陀堂に阿弥陀如来像を安置し、徳川政権下で整備された伽藍のうち本堂(御影堂)と三門は国宝に指定されています。
とりわけ2代将軍・徳川秀忠の建造した「三門」は、国内に現存するものとしては日本最大級で、知恩院のシンボルにもなっています。
その他によく知られているものとしては大鐘楼で撞かれる「除夜の鐘」は大晦日の京都の風物詩として有名なほか、桜や紅葉の名所としても知られ、毎年春と秋にはライトアップも行われています。
また境内東側、長い石段を上がった先の高台は浄土宗開創当初の寺域で、宗祖・法然上人の御廟があるほか、徳川秀忠の娘で豊臣秀頼に嫁いだ千姫のお墓や、縁結びの神様として祇園の芸舞妓も参拝に訪れるという「濡髪さん」こと濡髪大明神が祀られています。
経典や絵画などの寺宝も豊富で、48巻にも及ぶ法然上人の伝記「法然上人行状絵図」や鎌倉時代の浄土絵画代表作「阿弥陀二十五菩薩来迎図」をはじめとする国宝、重要文化財指定のものを含む数多くの文化財を所蔵しています。
浄土宗開創の地に建つ浄土宗総本山
法然による浄土宗の開創
「浄土宗」は法然(法然房源空)を宗祖とする鎌倉新仏教の一つです。
1175年(承安5年)、比叡山を下った法然は、専修念仏の布教を行うため、その中心地として東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に草庵を結び住します。
これが浄土宗および知恩院のはじまりで、当時はその地名を取って「吉水御坊」「大谷禅坊」などと称していました。
その後法然は流罪となった晩年の数年間を除き、浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までのこの地で過ごし、1212年(建暦2年)に入滅します。
そしてその没後は法然の廟が造られて弟子たちにより守られていましたが、1227年(嘉禄3年)、比叡山延暦寺の衆徒によって破壊されそうになったため、弟子たちは亡骸を西山粟生野(せいざんあおの)(現在の粟生光明寺)に移して荼毘にふし、次いで湛空(たんくう)が小倉山に雁塔(がんとう)を建てたのでした。
この点、法然は如何なる者も一心に「弥陀(阿弥陀如来)」の名を唱え続ければ極楽往生できるとする思想、いわゆる「専修念仏」を唱えていましたが、この思想が専修念仏の隆盛を妬む延暦寺などの旧仏教派から激しく糾弾されることになり、法然自身も流罪を経験しています。
法然の弟子による堂宇の建立
1234年(文暦元年)、弟子で知恩院第2世の勢観房・源智(せいかんぼうげんち)は法然の住した南禅院(大谷禅房)の地に堂宇を建立して再興。法然を開山第1世とし、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜されます。
ちなみに「知恩」という名称は、弟子達が法然報恩のために行った「知恩講」に由来するものだといいます。
(法然が没すると弟子たちは禅房の東崖上に廟堂(墓)を造り、法然の御影(像)を置き、その命日にはこの廟堂で法然の遺徳を讃嘆する「知恩講」を営んだという)
その後も1431年(永享3年)の火災や応仁の乱などで度々焼失していますが、その都度再興されています。
(応仁・文明の乱の際には現在の滋賀県大津市にある金蓮寺に避難しており、その後現在の大津市内に新知恩院が建立されている)
徳川幕府の庇護の下で大伽藍を形成
知恩院の地位が確立したのは室町時代の後期とされており、更に現在の壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからのことです。
江戸幕府が成立すると、古くから浄土宗を篤く信仰していた徳川家は手厚い保護を与え、家康・秀忠・家光の時代に大規模な伽藍が整備されることとなり、現存するものはそのほとんどが国宝や重要文化財に指定されています。
1608年(慶長13年)、江戸幕府を開いた徳川家康は、まず生母・伝通院(でんつういん)の菩提を弔うため寺地を拡大して諸堂の造営を行います。
この諸堂の造営は2代将軍・徳川秀忠に引き継がれ、現存の国宝・三門は1621年(元和7年)に建設されました。
更に1633年(寛永10年)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼しますが、3代将軍・徳川家光の下でただちに再建が進められ、1641年(寛永18年)までには伽藍の整備はほぼ完了しました。
この点、徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が熱心な浄土宗徒であったことも一つの要因ですが、二条城や同じ浄土宗の金戒光明寺とともに京都における徳川家の防衛の拠点とする目的や、京都御所を見下ろし朝廷を牽制するといった政治的な背景もあったものと考えられています。
法然上人の生涯と御廟
法然上人の生涯
法然上人は平安末期の1133年(長承2年)4月7日、美作国(岡山県)久米南条稲岡庄に押領使・漆間時国(うるまのときくに)の長子として生まれました。
幼名は勢至丸(せいしまる)といい、13歳で比叡山に上り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)。
当初は「円明房善弘(えんみょうぼうぜんこう)」と名乗っていましたが、18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔・黒谷の慈眼房・叡空に師事し、源光と叡空の名前の1字ずつを取り「法然房源空」と名を改めます。
1175年(承安5年)の春、43歳の時に唐時代の高僧・善導の著作「観経疏」を読み「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下ります。
「専修念仏」とは、いかなる者も一心に弥陀(阿弥陀如来)の名を唱え続ければ極楽往生できるとする思想ですが、この思想は旧仏教側から激しく糾弾・攻撃の的となり、1207年(建永2年)には四国の讃岐国(香川県)に流罪となっています。
上人の弟子の住蓮(じゅうれん)と安楽(あんらく)が後鳥羽上皇の怒りを買った「建永の法難(けんえいのほうなん)」がその発端で、弟子の2人は死罪に。
法然も4年後の1211年(建暦元年)には許されて都に戻りますが、翌年1月25日に80歳で没しました。
法然上人御廟
法然の入滅後、弟子たちによって浄土宗開創の地に廟堂が建てられ、遺骨が奉安されました。
その御廟は現在の知恩院の境内の東側、長い石段を上がった先の高台にあり、上人に間近に拝することができることもあって、全国から多くの檀信徒が訪れ念仏が捧げられています。
また御廟の手前にある拝殿では、毎月法然上人の命日である25日に「別時念仏会」が行われています。
将軍徳川秀忠が建立、知恩院のシンボルとして有名な国宝「三門」
江戸幕府第2第将軍・徳川秀忠による造営
東大路通沿いの新門をくぐり、知恩院道を進んだ先にある、知恩院の門前にそびえるようにして建つ「三門(さんもん)」は、1621年(元和7年)に江戸幕府第2第将軍・徳川秀忠の寄進によって建立されたもので、知恩院のシンボル的な存在として知られています。
高さ約24m、横幅約50m、屋根には約7万の瓦が使われているといい、正面に掲げられている霊元天皇宸筆の「華頂山」の扁額は畳2畳分以上の大きさ。
現存する木造二重門としては国内最大級で、2002年(平成14年)には国宝にも指定されました。
ちなみに寺院の正門は通常は「山門」ですが、知恩院のものが「三門」と表記されるのは「空門」「無相門」「無願門」という、悟りに通じる三つの解脱の境地に達するための関門「三解脱門」を意味しているためだといいます。
三門の周辺は桜の名所としても有名で、春には見事な花を咲かせた桜と堂々たる風格の三門がコラボした写真を撮影しようという参拝客で溢れ返ります。
三門楼上特別公開
三門の上層部は仏堂となっており、宝冠釈迦牟尼仏像を中心に脇壇には十六羅漢像を安置。
天井や柱、壁などには迦陵頻伽(かりょうびんが)や天女、飛龍などが極彩色で描かれており、堂内は荘厳な空気に包まれています。
また七不思議の一つである白木の棺があり、三門造営の命を受け完成させたものの、予算超過の責任を取って自刃した造営奉行・五味金右衛門夫妻の木像が納められています。
この点三門の上層部は通常は非公開ですが、「三門楼上特別公開」として特別公開された際には仏堂の内部に加え、三門楼上からの京都市内を一望できる景色を楽しむことができます。
宗祖・法然の御影を祀り、知恩院の中核をなす「御影堂(大殿)」
三門をくぐり男坂と呼ばれる急な石段を上り切ると、伽藍の中心にそびえるように建つ巨大なお堂が姿を現します。
宗祖・法然の御影が祀られていることから「御影堂(みえいどう)」と呼ばれる知恩院の中核をなす本堂で、「大殿(だいでん)」とも呼ばれています。
盆会や彼岸会、毎年4月に行われる法然上人の命日に行われる知恩院で一番大きなかつ重要な法要「御忌大会(ぎょきだいえ)」、12月の清い心で新年を迎えるために法然上人の尊像を真新しい羽二重で拭う「御身拭式(おみぬぐいしき)」などの行事の際には、広い外陣が多くの参拝者で埋め尽くされます。
三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼した1633年(寛永10年)の火災での焼失後、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の時に6年かけて再建され、1639年(寛永16年)に完成しました。
2002年(平成14年)に国宝にも指定され、2011年(平成23年)に法然上人800年大遠忌を迎えたのを機に8年をかけた大修理が行われています。
唐様を取り入れた和様の建築様式で、間口45m、奥行35m、周囲に幅3メートルの大外縁をめぐらし、外縁と本殿を区切る大扉の落とし金の意匠にも、河童や亀などのきめ細かい趣向が凝らされています。
他にも御影堂正面の右手、軒下の上部を見上げると目に飛び込んでくる知恩院七不思議の一つ「忘れ傘」や、完成すれば後は滅びるだけという「満つれば欠くる世の習い」の故事にちなんで、あえて4枚の瓦を屋根上に残すことで今も知恩院が発展途上あるとを示す「葺き残しの瓦」も見逃せないポイントです。
京都の年末年始の風物詩として知られる大鐘楼の「除夜の鐘」
知恩院の大鐘楼には国内最大級といわれる高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70tに及ぶ大鐘があり、京都の方広寺、奈良の東大寺とともに日本三大梵鐘の一つにも数えられるほか、国の重要文化財にも指定されています。
江戸初期の1636年(寛永13年)、知恩院第32世・雄誉霊巌上人のときに鋳造されたもので、鐘が鳴らされるのは毎年4月に行われる法然上人の命日に行われる知恩院で一番大きなかつ重要な法要「御忌大会(ぎょきだいえ)」の時と、12/31の大晦日の「除夜の鐘」の時のみ。
特に大晦日の「除夜の鐘」は京都で除夜の鐘といえば知恩院と言われるほど有名で、参詣者は見学のみですが、親綱1人・子綱16人の合計17人の僧侶が、独特の撞き方で巨大な鐘を鳴らす姿はNHKの大晦日の番組「ゆく年くる年」で中継されることもある京都の大晦日の風物詩です。
また大晦日に先立って12/27の14時からは鐘の試し撞きが本番さながらに行われ、こちらもニュースなどマスコミで大きく報道される恒例行事となっています。
知恩院の七不思議
知恩院には古くから伝わる七不思議があり、「知恩院の七不思議」として知られています。
方丈庭園の拝観コース内(大方丈展示ブース)にて「七不思議」を紹介する展示コーナーが設けられています。
「鶯張りの廊下(うぐいすばりのろうか)」
御影堂から法然上人御堂(集会堂)を経て大方丈・小方丈へ至る約550mの廊下では、歩くと鶯の鳴き声に似た音がする
静かに歩こうとすればするほど音が出るため曲者の侵入を知らせる一種の忍び返しともいわれている
「白木の棺(しらきのひつぎ)」
三門楼上に安置されている二つの棺
中には将軍家より三門造営の命を受けた造営奉行・五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められており、三門完成後に工事の予算超過の責任を取り自刃した夫婦の菩提を弔うために置かれているという
「忘れ傘(わすれがさ)」
御影堂正面右手の軒下から上を見上げると庇の間に見える傘
名工・左甚五郎が魔除けのために置いたとも、御影堂建立の際に棲みかを追われた白狐の化身・濡髪童子が濡髪大明神を建立したお礼に置いたとも伝わる
ちなみに濡髪大明神は火伏せの神で、傘も水と関係あることから堂を火災から守ってくれていると信じられている
「抜け雀(ぬけすずめ)」
江戸初期の画家・狩野信政が描いた大方丈菊の間の襖絵
紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていたものが、あまりに上手に描かれたので雀が生を受けて飛び去ったと伝わる
「三方正面真向の猫(さんぽうしょうめんまむきのねこ)」
大方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵
子猫を守る親猫が、どちらから見ても見る人の方を正面から睨んでいるように見えるため、その名がついた
親猫が子猫を慈しむ姿は、いつでも我々を見守ってくれる仏の慈悲を表しているとも
「大杓子(おおしゃくし)」
大方丈入口の廊下の梁の上に置かれ、長さ2.5m、重さ30kgあるという
大坂夏の陣で真田十勇士の一人として知られる三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)が兵士に飯を「掬(すく)い」振舞った際に用いられたものとも、得物にして暴れまわったものとも伝わる
全ての人を「救い」取るという阿弥陀様の慈悲の深さを表しているという
「瓜生石(うりゅうせき(かしょうせき))」
華頂道と神宮道の交差する黒門前の路上にある大きな石
誰も植えた覚えがないのに突然瓜の蔓が伸び、花が咲いて実をつけたことからこの名がついたという
知恩院が建立前よりあると伝わり、八坂神社の祭神・牛頭天王が降臨した際、一夜にしてこの石から蔓が延びて花が咲き、瓜が実ったとも伝わる
また石の下には二条城まで続く抜け道がある、隕石が落ちた場所であるなど様々な伝説を持つ
このうち
「白木の棺」は三門楼上特別公開の際に拝観可能。
「瓜生石」は華頂道と神宮道の交差する黒門前にあるためいつでも見学可能。
「忘れ傘」は御影堂平成大修理中は拝観不可。
三門前など境内の各所で桜が楽しめる「桜の名所」
知恩院は桜の名所としても知られていて、華頂山から東大路までの境内の各所で桜の花を楽しむことができます。
見どころは三門前、御影堂前、そして有料エリアの庭園・友禅苑など。特に三門の両脇のソメイヨシノは重厚な造りの三門を背景に桜がよく映え、人気の撮影スポットにもなっています。
また三門横の南門をくぐれば、すぐに京都を代表する桜の名所として名高い円山公園の桜も堪能できることから、合わせて鑑賞する観光客も多く見られます。
祇園の芸舞妓も縁結びの祈願に訪れる「濡髪大明神」
知恩院開創の地である境内の東側、御廟参道の石段を上がった先の高台には、法然上人の御廟や勢至堂などの法然上人ゆかりの建物が多く見られますが、さらにその奥の一角、江戸2代将軍・徳川秀忠の長女で豊臣秀頼に嫁いだ千姫の墓のそばには「濡髪大明神(ぬれがみだいみょうじん)」と呼ばれる社が祀られています。
御影堂ができたために住家を追われた狐が、代わりに用意してもらったのがものだといい、風変りな名前の由来は狐が童子に化けていた時に髪が濡れていたことに由来しているのだとか。
元々は知恩院を火災から守る火伏せの神様として祀られたもので、現在も毎年11/25には護摩焚きの大祭が行われていますが、「濡髪」が艶やかな女性を連想させることから、いつの頃からか縁結びの神様として、とりわけ祇園の芸舞妓などの間で信仰を集めるようになったといいます。
知恩院の施設案内
伽藍配置
東山の華頂山の麓にあり、7万3000坪の広大な境内に大小106棟の大伽藍が立ち並んでいます。
東大路通の東側にある境内は、西から三門や塔頭寺院のある下段、本堂(御影堂)などの中心伽藍のある中段、そして高台に建つ勢至堂や法然上人御廟などのある上段、と大きく3つに分けられます。
このうち上段が開創当初の寺域で、中段・下段の大伽藍は江戸時代に入り徳川幕府の全面的な援助で新たに造営されたものです。
江戸初期の建物である三門(さんもん)・経蔵(きょうぞう)・大方丈(おおほうじょう)・小方丈など、重要文化財も多く、中でも三門は国内最大、法然上人像を祀る御影堂(本殿)は国内最大級の大きさを誇りともに国宝に指定。
自然も豊かで御廟などに通じる長い石段では、広大な境内を見下ろしながら紅葉をめでることができるほか、庭園・友禅苑では四季折々の鮮やかな景色が楽しめます。
塔頭寺院は境内の西側、古門(総門)をくぐった先の華頂道の南北に集中して門を構えており、その途中には知恩院の開設した京都華頂大学などの教育施設、更に三門のそばには信徒の宿泊施設・修練道場としての和順会館など、付帯施設も充実しています。
拝観料
境内は概ね無料で拝観でき、本堂(御影堂)や勢至堂、阿弥陀堂や法然上人御堂(集會堂)の内部、および阿弥陀堂と集会堂を結ぶ渡り廊下なども無料で入場することができます。
ただし方丈庭園と友禅苑はそれぞれ庭園拝観料が必要なほか、特別公開されることのある三門楼上および大方丈・小方丈の建物内部も有料での一般公開となっています。
アクセス
四条通の突き当たり、八坂神社前の祇園の交差点からは、東大路通沿いの新門をくぐって知恩院道を進んで三門前へ
東大路通の知恩院前バス停からなら、菊屋橋を渡り古門(総門)をくぐって華頂道通を進んで黒門前へ
地下鉄東山駅や平安神宮方面からなら、三条神宮道の交差点から神宮道を通って黒門前へ
南側に隣接する円山公園からは、南門をくぐるとすぐに三門前へと出ることができます
三門~御影堂
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三門
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白木の棺
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小鍛冶が井
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男坂
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女坂
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石碑
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鎮守八幡社
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石碑
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瓦志納受付総合案内所
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案内図
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一葉松
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菩提樹
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御影堂(大殿)
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忘れ傘
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知恩院の七不思議展示パネル
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大香炉
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七百五十万霊塔
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御案内処
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手水鉢
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石碑
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阿弥陀堂
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回廊
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泰平亭(売店・朱印)
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自販機
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お手洗
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タクシー乗降場所(無料シャトルバスのりば)
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宝佛殿(寶佛殿)
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分岐
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石段
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大鐘楼(大鐘)
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殉難忠士之墓
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入口
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蓮池
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香炉
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石橋
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納骨堂
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九重の塔
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経蔵
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写経塔
黒門~法然上人御堂
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黒門
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史料編纂所(浄土宗学研究所)
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黒門坂
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石段
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北門
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お手洗
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寺務棟(寺務所)
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参道
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新玄関
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大庫裡(雪香殿)
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常行堂
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四脚門
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宝物収蔵庫
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高浜虚子の碑
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無銘五輪塔
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武家門
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法然上人御堂(集会堂)
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鶯張りの廊下
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小庫裡(月光殿)
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食堂
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古経堂
方丈庭園
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拝観受付
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唐門
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佛足石
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大方丈
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大杓子
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三方正面真向の猫
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抜け雀
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小方丈
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宝蔵
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方丈庭園
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青石橋
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慈鎮石
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二十五菩薩の庭
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権現堂
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葵庵
法然上人御廟
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石標
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参道入口
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法然上人像
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花壷
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石碑
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圓光大師本廟路(御廟参道)
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分岐
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一心院
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霊園入口
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御廟入口
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手水鉢
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石段
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蓮華蔵
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拝殿
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法然上人御廟
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参道
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鐘楼
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実桜(合格桜)
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別棟
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石碑
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石標
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一枚起請文
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勢至堂(本地堂)
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紫雲水
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参道
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影向石
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御廟所寺務所
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お手洗
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手水舎
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山亭
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山亭庭園
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参道
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千姫の墓
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濡髪大明神
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祠
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枝垂桜
南門・友禅苑
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南門
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師弟愛の像
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三門南阪道
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門
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拝観受付
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友禅苑
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宮崎友禅像
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聖観音像
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華麓庵
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白寿庵
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真葛庵
古門~華頂道
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菊屋橋
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行者橋(一本橋)
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古門(総門)
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華頂道
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光照院
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入信院
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松宿院(松風天満宮)
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浩徳院
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京都華頂大学
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葵校舎(3号館)
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勢至丸像
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浄土宗宗務庁
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華頂幼稚園
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保徳院
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信重院
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常称院
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華頂女子中学校
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先求院
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良正院
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戦友歌碑
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瓜生石
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神宮道
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元大谷崇泰院
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石標
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入口
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前田正名碑(鉄斎碑)
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解放運動戦士碑
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三門北駐車場
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参道
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光玄院
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樹昌院
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既成院
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源光院
新門~知恩院道(旧桜の馬場)
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石標
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新門
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知恩院道(旧桜の馬場)
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ムクロジ
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和順会館
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和食処花水庵
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案内図
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三門亭
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お手洗
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バス専用駐車場
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行事案内
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佛教大学建学之地碑
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境内図
関連
周辺
知恩院の主な年間行事・カレンダー
特別拝観
- 3月中~3月下
京都東山花灯路協賛 友禅苑ライトアップ(春のライトアップ)
例年3月に東山一帯で催される「東山花灯路」に合わせて、友禅染の祖・宮崎友禅斎にちなんだ庭園「友禅苑」がライトアップされる
国宝三門のライトアップや内部の夜間拝観、苑内ではお茶席も- 11月上~12月上
秋の紅葉ライトアップ
紅葉の時期に合わせて「三門」「友禅苑」「宝佛殿」「女坂」などがライトアップされる
年中行事
- 1/1
修正会(しゅしょうえ)法然上人御堂
6:00より、正月の初めに社会の平和と人々の幸福を祈願して行われる法会
無事に新年を迎えられたことに感謝するとともに、新しい年を健やかに過ごせるように祈りを捧げる- 1/6
新年互礼式(しんねんごれいしき)雪香殿
知恩院の各団体や知恩院に関係する寺院や業者などより集められた参列者たちがお互いに新年の挨拶を交わす行事
- 1/18
御忌定式(ぎょきさだめしき)大方丈鶴の間
法然上人の忌日法要「御忌大会」においてその年の御忌を務める導師の任命する儀式
- 1/25
法然上人御祥当忌月法要(ごしょうとうきげつほうよう)御廟所・勢至堂
法然上人の命日(御祥当忌日)に遺訓「一枚起請文」を拝読し営まれる法要
10:30より御廟所・勢至堂にて法然上人御祥当法要(ごしょうとうほうよう)、13:00より法然上人御堂にて聖日別時会(せいじつべつじえ)を開催- 2/3
追儺式(ついなしき) 法然上人御堂他
「福は内」「ごもっとも、ごもっとも」という独特の掛け声に合わせて「豆まき」が行われる
参拝者に招福祈願の福豆の授与(数に限りあり)- 2/13~2/15
涅槃会(ねはんえ) 法然上人御堂
三仏会の一つ
仏教の祖である釈迦の入滅の日(亡くなった命日)である陰暦2月15日にその遺徳を偲んで行われる法要
法然上人御堂の内陣に「涅槃図」を掲げ、釈迦が最後に説いたといわれる「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」を読経する- 3月春分の日の前後3日
春季彼岸会(しゅんきひがんえ)法然上人御堂
「彼岸(ひがん)」とは、太陽が真東から真西に沈むことから、西方浄土の「あの世」と「この世」が最も近づく春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とした7日間を指す
一般的にこの時期には日頃無事に過ごせていることに感謝し、先祖の墓参りをしたり、寺院では先祖の霊を慰め、成仏を祈る法要が執り行われる
知恩院では、法然上人御堂の内陣に「浄土三部経」の一つ「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」の世界を絵で解いた「観経曼陀羅(かんぎょうまんだら)」が掲げられる- 4/8
花まつり(灌佛会(かんぶつえ))法然上人御堂
三仏会の一つ
釈迦の誕生日を祝う法要で、花御堂の中に誕生仏を安置し、甘茶をかけて供養を行うことから、俗に「花まつり」とも呼ばれる
ちなみに誕生仏は釈迦が誕生した際に右手で天、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えた姿を象ったものだという
法然上人御堂の外陣に色とりどりの花を美しく飾った花御堂(はなみどう)が設けられ、誕生仏に甘茶を注いでその生誕を祝福する
釈迦誕生の際に天が甘露の雨を降らしてその生誕を祝福したことに由来しているという- 4月中
吉水講御忌詠唱奉納大会(よしみずこうぎょきえいしょうほうのうたいかい)法然上人御堂
「吉水流詠唱」は浄土宗のご詠歌のことで、「詠唱奉納(えいしょうほうのう)とは、ご詠歌や和讃、舞を研修することで念仏同心の和を広げるための法要
浄土宗では法然上人が現在知恩院のある東山吉水の地に草庵を結んでいた所から「吉水流詠唱」と呼ばれ、誰もが自然に念仏が称えられるように導くための念仏教化の柱となっており、全国で約5万人が励んでいるという
御忌大会に先立ち全国の吉水講講員により詠唱の奉納が行われる- 4/18~4/25
御忌大会(ぎょきだいえ) 山内各所
法然上人の命日に行われる忌日法要で、知恩院で一番規模が大きくかつ重要な行事
法然上人入滅後、その忌日に上人の門弟たちが修した「知恩講」に由来しているという
4/18の午後より4/25の午前中までの8日間、日中・逮夜の各法要が勤められるほか、期間中には様々な行事や催しも開催される
・鳳詔頂戴式(ほうしょうちょうだいしき)(4/18)
・御忌大会開白法要(かいびゃくほうよう)(4/18)
・献華式(けんかしき)(4/18)
・高齢者招待祝賀会(4/18)
・ミッドナイト念仏 in 御忌(4/18~4/19)
・華頂流花道展(4/18~4/25)
・御忌布教(4/18~4/25)
・宿舎伝道(4/18~4/25)
・全国青少年奉納書道展(4/18~4/25)
・楷定念仏奉納(4/19)
・一枚起請文写経会・納経法要(4/22)
・宗門学校合同音楽法要(4/23)
・御廟参拝(4/25)
・献茶式(供茶式)(4/25)
・放生会(ほうじょうえ)(4/25)- 4/18~4/19
ミッドナイト念仏 in 御忌三門
夜空に浮かぶようにして建つ国宝・三門の楼上にて、20:00~翌7:00まで法然上人の徳を慕う別時念仏会が開催される
- 7/15
盂蘭盆会(うらぼんえ)・交通事故遭難者追悼法要法然上人御堂
元々は中国において盂蘭盆経に基づいて苦しんでいる亡者を救うための仏事で7月15日に行われたという
現在は先祖の霊を家に迎えて供養する行事として8/13~15に開催される場合が多い- 7/17
祇園社法楽法然上人御堂
- 7/27~7/31
暁天講座(ぎょうてんこうざ)法然上人御堂
「暁天」とは明け方の空という意味で、「暁天講座」は、夏真っ盛りの早朝に静かで涼しい寺院に集い、僧侶や著名人の有難い話に耳を傾ける講座で、京都の多くの寺院で開催され夏の風物詩にもなっている
知恩院では7月の下旬の早朝6:00より5日間、各界の著名な講師を迎え約1時間の講座が開かれる
講座の終了後には泰平亭にて芋粥接待も- 8/5
勢至堂墓地施餓鬼会(せいしどうぼちせがきえ)御廟所
知恩院の墓地である「特別霊苑」ならびに「勢至堂墓地」に縁を結ぶ人々のための追善法要
「施餓鬼(せがき)」とは、お盆の時期に行われることが多い仏教行事の一つで、生前の悪行により餓鬼道に堕ち、常に飢えと乾きに苦しむ霊や魂に食事を施して供養する法会のこと- 8/13~8/15
盆会(ぼんえ)法然上人御堂
- 8/28
大日如来法楽
- 9月秋分の日の前後3日
秋期彼岸会(しゅうきひがんえ)法然上人御堂
「彼岸(ひがん)」とは、太陽が真東から真西に沈むことから、西方浄土の「あの世」と「この世」が最も近づく春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とした7日間を指す
一般的にこの時期には日頃無事に過ごせていることに感謝し、先祖の墓参りをしたり、寺院では先祖の霊を慰め、成仏を祈る法要が執り行われる
知恩院では、法然上人御堂の内陣に「浄土三部経」の一つ「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」の世界を絵で解いた「観経曼陀羅(かんぎょうまんだら)」が掲げられる- 10/4・10/5
吉水講詠唱奉納大会(よしみずこうえいしょうほうのうたいかい)法然上人御堂
「吉水流詠唱」は浄土宗のご詠歌のことで、「詠唱奉納(えいしょうほうのう)とは、ご詠歌や和讃、舞を研修することで念仏同心の和を広げるための法要
浄土宗では法然上人が現在知恩院のある東山吉水の地に草庵を結んでいた所から「吉水流詠唱」と呼ばれ、誰もが自然に念仏が称えられるように導くための念仏教化の柱となっており、全国で約5万人が励んでいるという
毎年10/4・10/5に全国から吉水講講員が集い、詠唱の奉納が行われる- 10月体育の日の前日
れいけん祭黒門前・瓜生石
粟田神社の「粟田祭」における「夜渡り神事」の一つ
神仏習合の珍しい形式で、粟田神社の神職と知恩院の僧侶により合同で行われる- 10/15
八幡社放生会(ほうじょうえ)八幡社・友禅苑
「放生会(ほうじょうえ)」とは、仏教の「不殺生戒(ふせっしょうかい)」の教えに基づき、捕えた魚や鳥獣などの生き物を解放して、子の世の生き物に感謝し殺生を戒める行事
知恩院では毎年鎮守・八幡社で法要が行われた後、友禅苑の池に鯉が放たれる(雨天の場合阿弥陀堂にて法要)- 10/23~10/25
萬部会(まんぶえ)法然上人御堂
過去5年間の特別納骨ならびに日牌・月牌の総回向を行う納骨供養の行事
- 11/25
濡髪大明神大祭(ぬれがみだいみょうじんたいさい)(御火焚) 濡髪大明神
「濡髪大明神(ぬれがみだいみょうじん)」は、御影堂ができたために住家を追われた狐が、代わりに用意してもらった社
風変りな名前の由来は狐が童子に化けていた時に髪が濡れていたことに由来
祇園の芸舞妓などの間で縁結びの神として信仰されているが、元々は知恩院を火災から守る火伏せの神様として祀られたもので、11/25には護摩焚きの大祭が行われる- 12/2~12/4
佛名会(ぶつみょうえ)阿弥陀堂
「仏名会(佛名会)」とは、年末12月に「仏名経」によって三世(過去・現在・未来)の三千の仏の名前を3日間唱えて、その年の罪障を懺悔し罪の消滅を祈る法会のこと
「仏名懺悔」ともいい、774年(宝亀5年)に宮中で初めて行われ、その後835年(承和2年)からは宮中の恒例行事となり、その後各地に広まり全国の寺院などでも行われるようになったという
知恩院では仏名経の功徳により納められた普通納骨・霊位(位牌)の供養が行われる- 12/8
成道会(じょうどうえ)
三仏会の一つ
釈迦がブッダガヤの菩提樹の下で成道、即ち「悟り」を開いた日を記念して行なう法要- 12/25
御身拭式(おみぬぐいしき) 法然上人御堂
法然上人の徳を偲び、罪を除き清い心で新年を迎えるため、御影堂に安置されている法然上人の尊像を、門跡が香染の真新しい羽二重で拭う
13:00より大勢の僧侶や参拝者により念仏が唱和される中で厳粛かつ華麗に行われ、京の師走の風物詩の一つとして知られている- 12/27
除夜の鐘試し撞き 大鐘楼
大晦日に先立ち、14:00より鐘の試し撞きが本番さながらに行われる
ニュースなどマスコミで大きく報道され年末の恒例行事となっている- 12/31
除夜の鐘(じょやのかね) 大鐘楼
大鐘楼の大鐘は国内最大級といわれ高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70t
京都の方広寺、奈良の東大寺とともに日本三大梵鐘の一つにも数えられるほか、国の重要文化財にも指定
除夜の鐘は大晦日に人間の持つ煩悩の数である108回鐘を鳴らし、1年間の煩悩を払い除けるとともに、清らかな心で新しい年を迎える伝統行事
知恩院のものは参詣者は見学のみだが、親綱1人・子綱16人の合計17人の僧侶が、独特の撞き方で巨大な鐘を鳴らす京都の大晦日の風物詩
毎日・月並行事
- 第2土曜日
おてつぎ文化講座佛教大学
毎月各界の様々な講師を招いて開催される、入場無料
8月は第1土曜日、12月は25日(法然上人御堂)- 第2日曜日
日曜法話寶佛殿
8月休み
- 毎週木・金曜日
サラナ親子教室(知恩院教室)和順会館
「サラナ」は、古代インドのパーリ語で「やすらぎ」を意味
子育て支援の一環として心穏やかにゆったりと親子で過ごすことができる教室、要申込- 第2・4金曜日
華頂流花道教室和順会館
要申込、1・8月は休講、9・12月変動あり
- 毎月13日
四誓偈写経会(しせいげ)和順会館
1・4・7・10月
- 毎月13日
発願文写経会(ほつがんもん)和順会館
2・3・5・6・9・11・12月、8月は3日
- 毎月23日
一枚起請文写経会(いちまいきしょうもん)和順会館
法然上人が最後に遺した教え「一枚起請文」を書写
4月は22日、8・9・12月は25日- 毎月25日
別時念仏会(べつじねんぶつえ)御廟
「別時念仏」とは、日々行う勤行(ごんぎょう)に対する言葉で、日頃の懈怠を償うため特定の期間を区切って行う念仏のこと
花ごよみ
- 3月下~4月上
桜(サクラ)
染井吉野(ソメイヨシノ)や山桜(ヤマザクラ)、枝垂桜(シダレザクラ)、四季桜(シキザクラ)、八重桜(ヤエザクラ)など約250本が華頂山から東大路通にかけての境内の各所で咲く
三門前、御影堂前、友禅苑などが特におすすめ 巨大な三門前の両脇に咲く染井吉野は一番の撮影スポット 三門くぐってすぐの男坂の入口両脇にも桜 男坂または女坂を上がって御影堂の周辺には七百五十万霊塔の前の桜や、阿弥陀堂前の八重桜、経蔵のそばなどにも桜 境内東側の御廟参道の入口や石段を上がった先の高台の法然上人御廟の崖下、勢至堂そばにも枝垂桜 また有料エリアの庭園・友禅苑に枝垂桜、方丈庭園でも桜を見ることができる 黒門を出てすぐの塀沿いにソメイヨシノの桜並木 南に桜の名所として知られる円山公園が隣接するので、合わせて観光するのがおすすめ- 11月中~12月上
紅葉(こうよう)
イロハモミジ約200本を中心に華頂山から山内全体まで広範囲で紅葉が鑑賞できる
とりわけ国宝・三門の周辺や、大鐘楼へと向かう参道、北門から黒門にかけての周辺、庭園・友禅苑の池の周辺などが見どころ
境内東側の高台の法然上人御廟へと通じる長い石段では広大な境内を見下ろすアングルでの紅葉、また御廟前でも色鮮やかな紅葉が楽しめる
見頃の時期に合わせて紅葉ライトアップが開催される年も
関連行事
- 3月初~3月中
東山花灯路(ひがしやまはなとうろ)
京都の夜の新たな風物詩となることを目指して、2003年(平成15年3月)から始められた「灯り」をテーマに始められたイベントで、北は青蓮院から知恩院、円山公園、八坂神社、高台寺を通り、二年坂や産寧坂を経て南は清水寺に至る約4.6kmの路地を行灯で照らす
その他にも公園や普段は夜間拝観は行っていない周辺の寺社などでもライトアップや様々な行事・イベントが開催される
知恩院では現存する木造建築で最大級の国宝・三門のライトアップのほか、友禅染の始祖・宮崎友禅ゆかりの昭和の名園・友禅苑の特別公開&ライトアップが行われ、また門前の神宮道の路地も行灯で照らされる
更に「狐の嫁入り巡行」のスタート地点にもなっている
[公式]- 3月初~3月中
狐の嫁入り巡行(きつねのよめいりじゅんこう)
高台寺周辺で行われる、狐のお面を付けた白無垢姿の花嫁が人力車に乗り込み、ライトアップされた東山の小路を拍子木を鳴らしながら、提灯を持った約30人の行列とともに巡行するイベント
昔の人々は遥か遠方に連なって見える青白い火のことを「狐火」と呼び、狐が嫁に行く際の提灯だと考えたという
そして狐火を多く見かけた年は豊作になるとも伝わり、縁起が良いとされている
ちなみに現在はその怪しい不思議な現象という意味から晴れているのに雨が降る「天気雨」のことを「狐の嫁入り」という
花灯路の期間中は毎日開催される
19:00からと20:00からの1日2回(変更の場合あり)
順路は知恩院三門→円山公園(枝垂桜)→長楽館→円山音楽堂→圓徳院→春光院→高台寺南側道路→高台寺天満宮→高台寺
知恩院のレポート・旅行記
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2017年03月12日
東山花灯路2017 狐の嫁入り巡行(知恩院前)
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2017年03月10日
東山花灯路2017 武人画師墨絵パフォーマンス
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2016年12月27日
知恩院 除夜の鐘試し撞き2016
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2016年10月9日
粟田神社 粟田祭夜渡神事2016 れいけん祭
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