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鴨川

鴨川とは?

「鴨川(かもがわ)」は京都市の東側を流れる川。
市の西部を流れる桂川とともに京都を代表する川の一つであり、淀川水系の一部を構成する全長約31kmの一級河川です。

京都市北部の雲ケ畑の出合橋付近付近を源流とする「賀茂川」が、出町柳の賀茂大橋付近で「高野川」と合流し「鴨川」となり、京都市中心部の東側を南北に流れ、伏見区下鳥羽付近で「西高瀬川」を吸収した後、そのまま「桂川」へと合流。
桂川はその後大阪府との府境に位置する大山崎付近で「宇治川」「木津川」と合流して「淀川」となります。

北山や東山を望む美しい景観と清らかな流れは「山紫水明」の京都の象徴として多くの人々に愛され親しまれており、河川敷は公園やグラウンドなども整備され、市民の憩いの場となっています。

その一方で有名な東海道の起点である三条大橋の周辺から河原町と祇園をつなぐ四条大橋を経て五条大橋にかけての一帯は、京都有数の繁華街となっており、春は桜並木、夏には川床も設置され、多くの観光客で賑わいます。

鴨川の流路

山城国と丹波国の国境にある標高896mの「桟敷ヶ岳(さじきがたけ)」を源流とします。

正確には桟敷ヶ岳東部の谷を源とする「祖父谷川」と、桟敷ヶ岳南部の薬師峠を源とする「岩屋川」が岩屋橋付近で合流して「雲ケ畑川」となり、府道61号に沿ってやや南へ下がったバス停「白梅橋」近くの河岸に「鴨川起点」の表示が設置されています。
(以前は雲ケ畑川が雲ケ畑の魚谷山南部の谷を源とする「中津川」と出合橋で合流する地点に「鴨川起点」の表示が設置されていた)

またこの鴨川本流とは別に、京都市右京区の芹生峠を源とする「貴船川」と、左京区の花脊峠を源とする「鞍馬川」があり、貴船川が「貴船口」で鞍馬川に合流した後、鞍馬川が「山幸橋」で鴨川と合流し、さらに大きな流れとなります。

ちなみに貴船神社の社伝においては、神武天皇の母である玉依姫命が、淀川、鴨川の源流を遡上した際にたどりついたのが貴船の地とされているため、日本神話では貴船川を鴨川の源流と見なすこともあるといいます。

鴨川は鞍馬川と合流の後、北区上賀茂付近で京都盆地に出て上賀茂神社・下鴨神社の脇を南南東に流れた後、「出町柳」の「賀茂大橋」の手前で京都市北東の大原・八瀬から流れてきた「高野川」と合流して南へと転じ、有名なY字の形の流路を形成すると、その後は京都市街の東側を南へと流れていきます。

二条大橋の近辺で西に「みそそぎ川」とみそそぎ川から分流する「高瀬川」を分けた後、しばらくは2つの川と並行して南へ流れ、四条大橋上流で「白川」を吸収し、五条大橋手前で「みそそぎ川」と再度合流。

その後「九条高架橋」を越えた後に南西へと流れを変え、十条手前で「高瀬川」と再度合流した後、京都南インターのやや北側で北から流れてきた「堀川」、鳥羽の西側を南流して「西高瀬川」を吸収し、伏見区下鳥羽の向島町付近で「桂川」へと注ぎます。

桂川はその後南西へと流れ、大阪府との府境の大山崎付近で「宇治川」「木津川」と「三川合流」して「淀川」となり、大阪湾へと注ぎます。

鴨川の歴史

古代より上流は賀茂氏、下流は秦氏の本拠地

古代の鴨川は上流域は賀茂氏が拠点としで、現在世界遺産に指定されている「上賀茂神社」および「下鴨神社」はそもそも賀茂氏の氏神を祀る神社でした。

賀茂氏にとって鴨川は神聖な川とされ、その水は古くから禊ぎや神事などの宗教的儀式に用いられたといいます。

ちなみに「鴨川」の名前の由来も、賀茂氏の本拠地として「賀茂」の地名が定着したことに由来していると考えられています。

また下流域の深草周辺には山背国に配置された渡来系の秦氏が定住し、「伏見稲荷大社」はその一族である秦伊呂具が建立したと伝わります。

平安京における「四神相応」の地と「青龍」

794年(延暦13年)に桓武天皇による平安京の遷都が行われた際、鴨川は「四神相応」の地相で東の「青龍」にあたる重要な川とされたといわれています。

「四神相応(しじんそうおう)」とは風水において好適地とされる地勢や地相のことで、古来よりこの条件を満たす土地に住むと長く繁栄すると考えられてきました。

【北】玄武 背後に高い山
【東】青龍 東に清き流れ
【南】朱雀 広く開けた湿地帯
【西】白虎 大きな道が続く

がその条件で、平安京では

【北】玄武 船岡山
【東】青龍 鴨川
【南】朱雀 巨椋池
【西】白虎 山陰道

がそれに該当するとされています。

暴れ川としての鴨川と白河法皇の「天下三不如意」

鴨川は現在、出町柳で高野川と合流しY字形になっていますが、京都盆地が東北に高く西南に低いという地形を考えると、上賀茂付近から南流して現在の堀川の筋に続くのが元々の流路であり、平安京遷都の際に都の東側に人為的に流路が変更され、そのため洪水被害が絶えなかったと主張する「鴨川つけかえ説」もありましたが、現在は古くから現状と大差のない流路であったことが証明され、つけかえ説は科学的に否定されています。

とはいえ、高さ55mの東寺の五重塔の頂上とその約8km上流に位置する北山通がほぼ同じ標高であることが象徴している通り、大都市を流れる河川としては急勾配であることに加え、平安京造営時に北山の木が伐採され、市街地の東への拡大にともない河原が市街地化したことなどの要因から、しばしば氾濫し洪水を起こしたのは事実です。

そのため鴨川の水害対策として、堤を修理するために824年(天長元年)には防鴨河使(ぼうがし)が設置されるなどしましたが、成果はあまりなかったといいます。

この点、平安後期に「院政」を開始し、その権力を思うままにした白河法皇でさえ、「平家物語」の中で「賀茂河の水・双六の賽(すごろくのさい)・山法師、是ぞわが心にかなはぬもの」と自らの意に沿わないもの「天下三不如意(てんかさんふにょい)」の第一に鴨川の水を挙げたほどです。

その後桃山時代には豊臣秀吉が築いた御土居の東側は鴨川に沿って造られたため、堤防としての役割も兼ね水害も減少しますが、戦前の1935年(昭和10年)6月29日に発生した集中豪雨では、死傷者83名を出したのみならず、鴨川にかかる26の橋のうち三条・五条大橋など15の橋が流失する大被害をもたらしたといいます(被害がなかったのは北大路橋・賀茂大橋・七条大橋の3つのみ)。

これを受けて1936年(昭和11年)より護岸の大改修事業が行われ、戦争による中断などはあったものの1947年(昭和22年)に鴨川工事は完成。

全体的に川底が2~3m掘り下げるとともに石張りの護岸を設け、西側にはみそそぎ川を新たに作り、五条大橋~塩小路橋間の京阪線の緑地帯を撤去して川幅の拡幅を図るなどの改修工事が行われました。

それまで堤防の上を走っていた京阪線の地下化や琵琶湖疏水の暗渠化を行い、川の幅を広げる工事についても1979年(昭和54年)に着工、1987年(昭和62年)5月に完成。その後も水害の起きにくい川へと改修が進められています。

合戦場にして処刑場

鴨川の河原は古来しばしば合戦場となり、平安時代以降近世初頭にかけて五条・六条・七条の河原では罪人などの処刑が行われたといいます。

水路としての鴨川

1610年(慶長15年)に豊臣秀頼にょる東山の大仏殿の再建工事のための建築資材を鳥羽から水路で運ぶための鴨川運河が疏通したのをきっかけとして、1614年(慶長19年)には角倉了以・素庵父子によって高瀬川が開鑿され、京都から伏見、大阪を結ぶ水路として活用されるようになります。

更に明治に入り1890年(明治23年)に琵琶湖疏水が完成すると琵琶湖とも結ばれるようになり、近代に入って鉄道網が整備されるまで、米や薪炭の生活物資などの輸送手段としてこれらの水運が大いに利用され、京都の発展に大きな貢献を果たしました。

寛文新堤による市街地化と歓楽地化

江戸初期の1663年(寛文3年)の洪水を機に1668年(寛文8年)に鴨川の両岸に新たな石堤が築造され完成しました。
この石垣を「寛文新堤(かんぶんしんてい)」といい、現在の先斗町の原型といわれています。

ちなみにこの護岸工事が行われるまでは鴨川は左右に河原が広がる自然河川でしたが,堤の完成により河原が市街地化され、現在の景観の基礎が作られたといいます。

そして中世に入ると市街に隣接する河原は歓楽地となり、能、芝居などの興行の場となり、三条、四条の河原には芝居小屋や見せ物小屋が立ち並び、観阿弥・世阿弥父子による能楽や、出雲大社の巫女であった出雲阿国が披露した歌舞伎おどりがきっかけとなってこの地で遊女歌舞伎が興行されるようになって現在の歌舞伎の基礎が築かれたことは有名です。

また近世初頭からは三条大橋から五条大橋にかけての河岸には芝居の客などを目当てとする旅館や料亭などが多く店を構えるようになり、夏になると河原には「川床(かわどこ)」が設けられ、京都の夏の風物詩として定着し現在に至っています。

豊かな自然と市民憩いの場としての鴨川

豊かな自然の残る鴨川には、上流の雲ケ畑に特別天然記念物のオオサンショウウオが生息していることや、多くの野鳥たちが飛来することでも有名です。

野鳥といえば鴨や青鷺のほか、冬には千鳥が多く見られましたが、現在は北方から渡来したユリカモメの群れを多く見ることができ、鴨川の新たな冬の風物詩となっています。

また鴨川の河川敷の多くは公園やグラウンドとして整備されており、散策やジョギングをする姿も多く見られ、市民の憩いの場となっています。

とりわけ三条大橋から四条大橋の間はカップルが等間隔で並んで座る「鴨川等間隔の法則」が見られることで有名なほか、出町柳の鴨川デルタでは飛び石を伝って川を渡る光景が、近年テレビドラマやアニメなどにもよく採り上げられ、新たな鴨川の名物となっています。

鴨川界隈のスポット

スポット名 エリア ポイント
NO IMAGE 桟敷ヶ岳 北山三村 源流
桟敷ヶ岳を源流とする祖父谷川と雲ケ畑岩屋川が岩屋橋で合流し「雲ケ畑川」に
雲ヶ畑界隈(雲ケ畑) 雲ヶ畑界隈
(出合橋)
北山三村 雲ケ畑川が出合橋で魚谷山南部を源流とする中津川と合流し「鴨川」に
NO IMAGE 山幸橋   鞍馬川と合流し「賀茂川」に(鞍馬川は花脊峠を源とし、芹生峠を源とする貴船川と貴船口で合流し山幸橋で鴨川に吸収される) 上賀茂の東を南南東へ流れる(Y字の左上の線)
NO IMAGE 御薗橋 北山・上賀茂 上賀茂神社へとかかる橋
NO IMAGE 北山大橋 北山・上賀茂 北山通にかかる橋
半木の道 半木の道 北山・上賀茂 北山大橋から南へ東岸に続く遊歩道で桜の名所として有名
NO IMAGE 北大路橋 北山・上賀茂 北大路通にかかる橋
NO IMAGE 出雲橋 京都御所 京の七口の一つ・鞍馬口へと通じる橋
NO IMAGE 葵橋 京都御所 下鴨神社へとかかる橋
NO IMAGE 出町橋 京都御所 賀茂川と高野川が交差し鴨川となる三角州の西側にかかる 三角州の東側には高野川に河合橋がかかり、これを渡ると京阪・叡山電車の出町柳駅
鴨川デルタ(鴨川三角州) 鴨川デルタ
(鴨川三角州)
京都御所 賀茂川と高野川の合流地点に形成された三角州
市民の憩いの場として親しまれ、「飛び石」で遊ぶ姿を見かけることも多い
ちなみに飛び石は「帯工(おびこう)」と呼ばれ、元々は河床の安定を図るために設けられた構造物だが、水位が低い時には人が渡ることもできるため、その姿はいつの間にか鴨川を代表する光景となった
8月の五山の送り火の鑑賞スポットとしても有名
NO IMAGE 賀茂大橋 京都御所 Y字に流れることで知られる鴨川のちょうど中央にあたるポイント 賀茂川と高野川の合流地点で高野川を吸収し再び「鴨川」に(高野川は滋賀県大津との県境を源に大原付近から南南西に流れる川) ここから京阪と並走する形で南へと流れていく(Y字の下の線)
NO IMAGE 荒神橋 京都御所 京都御所の西
京の七口の一つ・荒神口から続く橋
NO IMAGE 丸太町橋 岡崎・吉田・鹿ケ谷 丸太町通にかかる橋
京阪神宮丸太町駅 京阪神宮丸太町駅 岡崎・吉田・鹿ケ谷 丸太町橋の東詰にある京阪の駅
NO IMAGE 琵琶湖疏水合流地点
みそそぎ川
岡崎・吉田・鹿ケ谷 丸太町橋すぐ南の東岸で東の岡崎方面から来た「琵琶湖疏水」が合流し以後鴨川東岸に沿って南へ流れる)
西岸では「みそそぎ川」にが地上に姿を見せる(賀茂大橋下流で鴨川から分離後しばらく暗渠)
NO IMAGE 二条大橋 岡崎・吉田・鹿ケ谷 この下流でみそそぎ川が「高瀬川」を分離
NO IMAGE 御池大橋 岡崎・吉田・鹿ケ谷 御池通にかかる
NO IMAGE 孫橋通 岡崎・吉田・鹿ケ谷 三条大橋の一筋北
ここから東岸の琵琶湖疏水は暗渠に
三条大橋 三条大橋 祇園・東山 三条通にかかる、江戸と結ぶ東海道の終着点
NO IMAGE 弥次喜多像 祇園・東山 三条大橋西詰
京阪三条駅 京阪三条駅 祇園・東山 三条大橋東詰
地下鉄三条京阪駅 地下鉄三条京阪駅 祇園・東山 三条大橋東
先斗町歌舞練場(鴨川をどり) 先斗町歌舞練場
(鴨川をどり)
祇園・東山 西岸
先斗町通(先斗町のれん会) 先斗町通
(先斗町のれん会)
祇園・東山 西岸
鴨川納涼床 鴨川納涼床 祇園・東山 四条大橋を挟み三条から五条にかけての西岸、みそそぎ川上
鴨川(三条~七条西岸) 三条~七条西岸 祇園・東山 市民憩いの場でカップルが等間隔で座る「鴨川等間隔の法則」で有名
NO IMAGE 白川合流地点 祇園・東山 東岸
巽橋などの観光スポットで知られる石畳の白川南通に沿って流れる白川が、四条大橋のやや北側で鴨川へと合流
四条大橋 四条大橋 祇園・東山 四条通にかかる
阪急河原町駅 阪急河原町駅 三条寺町・四条河原町 四条大橋西側
京阪祇園四条駅 京阪祇園四条駅 祇園・東山 四条大橋東詰
南座 南座 祇園・東山 四条大橋南東詰南側
日本最古の劇場
ここでデビューした出雲阿国により遊女歌舞伎が人気を呼ぶ(歌舞伎の原型)
四条大橋交差点の北西側には出雲阿国像が建っている
NO IMAGE 花の回廊 祇園・東山 三条~七条にかけての西側に整備された散策路
1999年(平成11年)に完成した桜の新名所
NO IMAGE みそそぎ川が再び鴨川に合流 東山七条 五条大橋の手前
五条大橋 五条大橋 東山七条 弁慶と義経の像がある
京阪清水五条駅 京阪清水五条駅 東山七条 五条大橋西詰
七条大橋 七条大橋 東山七条 1913年(大正2年)4月に架橋され、現存する鴨川に架かる橋の中では最も古い橋
土木学会が2008年(平成20年度)の「推奨土木遺産」に選定
京阪七条駅 京阪七条駅 東山七条 七条大橋西詰
NO IMAGE 塩小路橋 東山七条 西へ進むと徒歩15分~20分ぐらいで京都駅
NO IMAGE 琵琶湖疏水が再び姿見せる 東山七条
NO IMAGE 東山橋 東福寺・稲荷 九条通
この辺りから流れは南西に
九条近辺で高瀬川が再び合流
NO IMAGE 陶化橋 東福寺・稲荷 十条通
NO IMAGE 鴨川西IC・鴨川東IC 東福寺・稲荷
NO IMAGE 勧進橋 東福寺・稲荷 国道24号
NO IMAGE 水鶏橋 鳥羽・竹田・淀 地下鉄くいな橋駅そば
NO IMAGE 鴨川橋梁
(近鉄橋)
鳥羽・竹田・淀
NO IMAGE 竹田橋 鳥羽・竹田・淀 南大橋のすぐ東
NO IMAGE 京都南大橋 鳥羽・竹田・淀 阪神高速8号京都線および油小路通に架かる
NO IMAGE 大宮大橋
(新大宮橋)
鳥羽・竹田・淀 このすぐ南側で近鉄上鳥羽口駅の南側で開渠となった堀川を吸収
NO IMAGE 鳥羽大橋 鳥羽・竹田・淀 国道1号
NO IMAGE 鴨川大橋
(名神高速道路橋)
鳥羽・竹田・淀
NO IMAGE 京川橋 鳥羽・竹田・淀
NO IMAGE 伏見区下鳥羽で西高瀬川と合流 鳥羽・竹田・淀
NO IMAGE 桂川合流地点 鳥羽・竹田・淀 伏見区羽束師・横大路境で「桂川」に注ぐ

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