京都市東山区四条大橋東詰、四条通と川端通の交差する四条大橋交差点の地下にある京阪本線の駅で、島式1面2線のホームを持つ地下駅。駅スタンプは鴨川の四条大橋や祇園といった京都有数の繁華街の最寄り駅にふさわしい舞妓さんと鴨川納涼床。
1915年(大正4年)10月27日、京阪電気鉄道(京阪の前身)の京阪本線の五条(現・清水五条駅)~三条間の延伸により「四條駅」として設置されたのがはじまり。
京阪電気鉄道は1943年(昭和18年)に京阪神急行電鉄(現在の阪急)と一時合併されましたが、戦後の1949年(昭和24年)に京阪神急行電鉄(阪急)から京阪電気鉄道(現在の京阪)が再度分離した際、再び京阪の駅となります。
設置当初には四条通を東西に走る京都市電の四条線が先に開通しており、北の三条方面から南の五条方面へと南北に走る京阪本線との間で平面交差が設けられていたといいます。
1935年(昭和10年)に発生した「鴨川水害」では四条大橋に上流より流されてきた三条大橋などの残骸などが引っかかって鴨川を堰き止めて溢れた水が四条駅一帯に大きな被害を与えたことから、以後、鴨川の洪水対策として川底を掘り下げや1942年(昭和17年)には四条大橋の架け替えなどが進められるとともに、京阪線を地下化し鴨川を拡幅する計画も作成されますが、戦時体制のため計画は事実上の一時中断。
しかし1960年代末からの自動車社会の到来に伴い、東西交通の妨げとなる京阪の踏切の撤去や、東大路通および河原町通の混雑を緩和の必要性から、また鴨東線の地下鉄道による新設計画もあり、京阪線の地下化と線路の跡地に川端通を新設する都市計画が決定され、1979年3月に着工、1987年5月に地下化が完了するとともに線路跡地に川端通が開通、駅も地上駅から地下駅となり現在に至っています。
駅名については1963年(昭和38年)4月に旧字体の「四條駅」から新字体の「四条駅」と表記が変更されましたが、四条烏丸地下に設置された市営地下鉄烏丸線の「四条駅」と混同されることもあり、2008年(平成20年)10月19日に「祇園四条駅」と改称されています。
その後、地下化より25年以上が経過した2015年(平成27年)からは京都でも随一の繁華街である祇園の玄関口としてふさわしい駅となるよう大規模な改修工事が開始され、内装が和風のデザインに変更されたほか、エレベータの移設やトイレの大改修に加え、コンコース内にスターバックスコーヒーや志津屋などの店舗や、観光案内所、外貨両替機なども設置されるなど、外国人観光客も意識した駅に生まれ変わっています。
四条大橋の東詰に位置し、駅周辺は橋から四条通の東の突き当たりにある八坂神社までに続く通り沿いには歌舞伎の興行が行われる南座をはじめ数多くの土産物店や飲食店の並ぶ祇園商店街が続いており、橋の西側の阪急京都河原町駅の設置されている四条河原町と合わせ、一年を通じて観光客の絶えない京都でも有数の繁華街を形成しているエリアです。
なお駅を含めた周辺地区を四条京阪と呼ぶことが多く、駅からの最寄りのバス停も「四条京阪前」という名前になっています。