京都市中京区行願寺門前町、京都御所の南側、寺町通沿いの寺町竹屋町にある天台宗の寺院。京都を代表する尼寺の一つでもあります。
平安中期、「革聖(かわひじり)」の名で知られる行円(ぎょうえん)上人の開基。
上人はまだ若く俗人であった頃に狩りをして、身ごもった母鹿を射止め殺生してしまったことを深く後悔、出家の後に「一条北辺堂(いちじょうほくへんどう)」を復興して、千手観音像を刻んで安置し「行願寺」と名づけたこのがはじまり。
「行願寺」という名前には、一切の人々の成仏を「願い行じる」という思いが込められているといいます。
そして上人は殺生してしまった母鹿の皮の衣を着て仏道を説き人々を救済したことから、いつしか「革聖(かわひじり)」と称され、寺も「革堂(こうどう)」と呼ばれるようになったといいます。
創建当初は、現在の一条小川付近にありましたが、戦乱や火災に遭って移転と焼亡を繰り返し、安土桃山時代の1590年(天正18年)、豊臣秀吉の都市改造政策に伴う寺地替えにより、御所東の寺町荒神口に移転。
その後、1708年(宝永5年)の大火を経て、寺町通丸太町を少し南に進んだ寺町竹屋町に移転し現在に至っています。
室町時代には六角堂(頂法寺)や因幡堂(平等寺)とともに「町堂(ちょうどう)」と呼ばれる町衆の集まる集会所的な役割を果たすなど、地元の町衆から篤い信仰を集めていたといいます。
現在は「西国三十三カ所(第19番)」や「洛陽三十三所観音巡礼(4番)」「神仏霊場114番(京都34番)」「都七福神(長寿・福徳を授ける寿老人)」など多くの寺社めぐりの札所として知られており、またとある女性にまつわる悲しい伝説を持つ「幽霊絵馬」が奉納されていることでも有名で、8月22日~24日の3日間に行われる「幽霊絵馬供養」の際にはその絵馬を拝観することができます。