御香宮神社 京都観光

御香宮神社

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御香宮神社

「御香水」で知られる伏見の産土神、安産守護の祈願所

伏見の産土神で神功皇后を祀る安産守護の祈願所。862年病に効く香水が涌き出たことから清和天皇より御香宮の名を賜る。御香水は名水百選にも選定。 秀吉が伏見城築城の際鬼門除けに勧請。大手門を移築した表門、家康造営の極彩色の本殿は桃山文化を代表し重文。10月の神幸祭(伏見祭)は洛南随一の規模

御香宮神社とは?(基本データ)

名前
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)
エリア
伏見・桃山
ジャンル

寺社 市天然記念物 椿 名水 名水百選 伏見名水 無病息災 安産・子授け 伏見五福 十六社朱印 神仏霊場会 珍しい狛犬 新撰組 夏越祓・茅の輪 火焚祭 初詣 七草粥 茶会・献茶祭 御弓神事

別名
「御香宮」「御幸宮」
建立・設立
創建年不詳、当初は御諸(みもろ)神社と称する
862年(貞観4年)9月9日、境内から香りの良い水が涌き出た奇端により清和天皇より「御香宮」の名を賜る
1590年(天正18年)、豊臣秀吉が伏見築城に際し鬼門除けの神として勧請(のち家康の代に元の場所に戻される)
1605年(慶長10年)、徳川家康の命により京都所司代・坂倉勝重を普請奉行に本殿を造営(極彩色で桃山文化を代表し重文)
1622年(元和8年)、徳川頼房(水戸黄門で知られる徳川光圀の父)が伏見城の大手門を拝領し寄進
1868年(慶応4年)、伏見鳥羽の戦いの際には薩摩軍の屯所となる
1985年(昭和60年)1月、御香水が環境庁より京の名水の代表として「名水百選」に認定
祭神
正中(主祭神):神功皇后(じんぐうこうごう)「日本第一安産守護大神」
左御間:仲哀天皇(ちゅうあいてんのう 神功皇后の夫)
右御間:応神天皇(おうじんてんのう 神功皇后の子)
東御間:瀧祭神他二柱
西御間:仁徳天皇他二柱
ご利益
安産守護・子育て・開運厄除・病気平癒
例祭
4/17
他に御香宮神幸祭(10月第2日曜日までの9日間)などが知られる
神紋・社紋
三つ巴
札所等
伏見五福めぐり
京都十六社朱印めぐり
神仏霊場巡拝の道 第82番
アクセス
  • 京阪本線「伏見桃山」駅下車 徒歩約4分
  • 近鉄京都線「桃山御陵前」駅下車 徒歩約3分
  • JR奈良線「桃山」駅下車 西へ徒歩約5分
  • 京都市営バス「御香宮前」(南8号系統)下車 徒歩約1分
  • 近鉄バス「桃山」(9・10系統)下車 徒歩約1分
駐車場
自家用車100台分 無料
※祭礼中は不可
拝観料
無料
■石庭拝観料
├大人 200円
└学生 150円
お休み
不定休(神社行事により臨時休館の場合あり)
拝観時間
境内自由
■社務所受付・石庭拝観
└9:00~16:00
住所
〒612-8039
京都府京都市伏見区御香宮門前町174
電話
075-611-0559
FAX
075-623-0559
公式サイト
御香宮神社
安産の社 御香宮神社 Facebook
御香宮神社 京都府神社庁
御香宮神社 京都十六社朱印めぐり

御香宮神社の地図

御香宮神社のみどころ (Point in Check)

酒どころとして有名な京都市伏見区に鎮座する神社で、通称は「御香宮」「御幸宮」。
伏見地区の産土神(総氏神)で、地元の人たちから「ごこんさん」の愛称で親しまれています。

また臨月の身で朝鮮へ出兵し帰国後無事に応神天皇を出産した神話に基づき神功皇后を主祭神としており、「安産の守護神」として厚く信仰されています。

創建年は不詳で当初は「御諸神社(みもろじんじゃ)」と称していましたが、平安初期の862年(貞観4年)に境内から良い香りのする水が湧出しその水を飲むと病気が治ったという奇譚により、清和天皇から「御香宮」の名を賜りました。

そして湧き出た水は「石井の御香水」として伏見の七名水の一つに数えられ、1985年(昭和60年)には環境省の「名水百選」にも選定されているほか、伏見の名水を巡る「伏見名水スタンプラリー」のうちの1か所にも選ばれています。

また御香水は桃山の伏流水(伏し水)で「伏見」の地名の由来にもなっており、病気平癒の霊水として、あるいは茶道・書道、生活用水などとして地元民より親しまれています。

豊臣秀吉の伏見城築城の際には鬼門除けの神として勧請し「伏見城の守護神」とされ、境内には伏見城跡残石が残されているほか、現在の表門は水戸光圀の父・徳川頼房の寄進で伏見城大手門を移築したもので国の重要文化財に指定されています。

また徳川家康が造営した絢爛豪華な極彩色の本殿は、桃山文化を代表する建築物としてこちらも国の重要文化財に指定されています。

幕末の「鳥羽伏見の戦い」では官軍(薩摩軍)の屯所となり、幸いにして戦火を免れたものの、老舗料亭「魚三楼」の格子に残る弾痕など、周辺には激戦を物語る史跡があちこちに残されています。

酒蔵が立ち並ぶ伏見という土地柄、酒造関係者との縁も深く、酒造りのための神事が行われているほか、境内には奉納された様々な銘柄の酒樽がずらりと並べられ壮観な雰囲気。

他にも社務所内の書院にある小堀遠州が伏見奉行所内に作ったとされる庭園を移設した「遠州ゆかりの石庭」、後水尾上皇命名の「ところがらの藤」、秀吉が伏見城築城の際集めたという五色の散り椿「おそらく椿」なども見どころです。

10月上旬に9日間行われる「御香宮神幸祭」は別名「伏見祭」とも呼ばる伏見九郷の総鎮守の祭礼で、洛南随一の大祭として知られています。

名水の地として知られる「伏見地区の産土神」

「伏見の御香水」の由緒と「御香宮」

御香宮神社の創建年については不詳であり、当初は「御諸神社(みもろじんじゃ)」と称したといいます。

平安初期の862年(貞観4年)に社殿を修造した記録があり、伝承によるとこの年の9月9日、境内から「香」の良い水が涌き出し、その水を飲むと病が治ったという奇譚により、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったといいます。

そして湧き出た水は「石井の御香水」として伏見の七名水の一つに数えられ、1985年(昭和60年)には環境省の「名水百選」にも選定。現在もボトルを持参して取水する地元民も多いといいます。

神功皇后の霊廟である筑紫国・香椎宮より香椎明神を勧請したとの説

1684年(貞享元年)に、江戸前期の歌人で国文学史研究にも詳しい北村季吟(きたむら きぎん 1625-1705)が著した神社などの由来や来歴を記した「菟芸泥赴(つぎねふ)」には862年(貞観4年)に「筑前国糟谷郡の香椎御宮から神功皇后を勧請し皇后御廟香椎宮を略し、御香の宮と申す」とあり、筑紫国の香椎宮(かしいぐう)より祭神を分霊し勧請したとの説もあるといいます。

そして御諸神社の「御」と香椎宮の「香」をとって「御香宮」と呼ばれるようになったといい、全国にある「香」の名前のつく神社は、古来より筑紫の香椎宮との関連性が強いとされていますが、同じ神功皇后を祭神とする御香宮神社ははその最も顕著な例なのだとか。

ちなみに「香椎宮」は、福岡県福岡市東区香椎にある第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)とその妻である神功皇后夫妻を主祭神とする神社。
仲哀天皇が橿日宮(かしひのみや)を営んだ場所に200年(仲哀天皇9年)、神功皇后が仲哀天皇の霊を祀ったのがはじまりです。

仲哀天皇は大和朝廷に服属しない九州中南部の熊襲(くまそ)を討つため皇后とともに筑紫に行幸しますが、まず新羅を討つべしという皇后への神託に背いたため神の怒りに触れて陣没。
その後神功皇后が神意に従い懐妊したまま新羅を攻め服従させる「三韓征伐」となり、新羅から筑紫へ凱旋の際に15代・応神天皇を無事出産したことから、後世に安産の神として信仰されるようになります。

また二人の子・応神天皇こと誉田別命(ホムタワケノミコト)は後に源氏の氏神・戦神として武士より広く信仰された八幡大明神であることから、香椎宮は八幡様の親神様ともいわれています。

豊臣秀吉築城の「伏見城の守護神」

その後応仁の乱で荒廃しますが、戦国時代には1590年(天正18年)に天下統一を果たした豊臣秀吉が朝鮮出兵を前に願文、太刀(備前長光)(重要文化財)を奉納し戦勝を祈願。これは祭神・神功皇后が「三韓征伐」を成功させた故事にあやかったものともいわれています。

更に伏見城築城の際にはその守護神(鬼門除けの神)として勧請され、社領300石を与えられています。

この際に社地は現在よりも東、国道24号線を越えた高台の大亀谷(現在の深草大亀谷古御香町)付近に移転されますが、秀吉の没後に天下を取った徳川家康は城下町の人心安定のため、1603年(慶長8年)に再び元の位置に戻し、本殿の造営へとつながっていきます。

ちなみに元に戻された後、秀吉時代の社地の移転先は古御香宮(ふるごこう)と呼ばれ、現在は「御香宮御旅所」になっています。

また御香宮には伏見城の遺構とされている大手門が「表門」として移築されています。1622年(元和8年)に初代水戸藩主・徳川頼房(水戸黄門の父)が拝領し寄進したもので、国の重要文化財にも指定されており、正面を飾る中国二十四考を彫った蟇股が実に印象的です。

他にも昭和になって出土したもののうち、約300個の伏見城跡の残石が境内に保管されていることでも知られています。

徳川家康による造営、桃山文化を象徴する絢爛豪華な「本殿」

江戸幕府を開いた徳川家康は城下町の人心安定のため、大亀谷に移されていた社地を1603年(慶長8年)に再び元の位置に戻して後、1605年(慶長10年)に現在の「本殿」を寄進しています。

五間社流造に豪華絢爛な極彩色の彫刻を特徴とし、桃山文化を代表する建築物として国の重要文化財にも指定されています。

また伏見城の大手門を表門として寄進した徳川頼房は、他に1625年(寛永2年)に軒唐破風(のきからはふ)が極彩色な彫刻によって埋められた「割拝殿」も寄進しており、こちらは京都府指定文化財に指定されています。

「伏見鳥羽の戦」の官軍(薩摩藩)の屯所

幕末の1868年(慶応4年・明治元年)正月に勃発した「伏見鳥羽の戦」においては、境内南側にあった伏見奉行所が会津藩や新選組などの幕府軍の拠り所となったことから、御香宮神社は薩摩藩を主とする新政府軍の屯所となりますが、幸いにして戦火は免れました。

その戦いにおける激戦の痕跡は境内のやや西にある京阪・伏見桃山駅近くの老舗料亭「魚三楼」の格子に弾痕として残っています。

神功皇后を主祭神とする「安産守護・子育て」の社

主祭神の神功皇后(じんぐうこうごう)は「日本書紀」において身重のまま朝鮮半島に出兵し、新羅の国を攻め新羅・百済の国を治めることに成功したいわゆる「三韓征伐」で知られています。

そしてその帰路にのちの応神天皇を無事出産した伝承を持つことから、「日本第一安産守護之大神」として全国の子育て・安産祈願をご利益とする多くの神社に祀られています。
(御香宮神社では他に夫の第14代・仲哀天皇、子の第15代・応神天皇ほか6柱の計9柱の神が祀られている)

このご神徳を示すように、御香宮神社の境内の本殿右手前には「安産の社」と刻まれた石碑とその横に「慈(いつくしみ)」というタイトルの母子像が建っています。

名水として名高い伏見の「御香水」

平安初期の862年(貞観4年)9月9日、境内から「香」の良い水が涌き出し、その水を飲むと病が治ったとの奇譚により、清和天皇から「御香宮」の名を賜った御香宮神社は、その後名水の地として知られるようになります。

「御香水(ごこうすい)」は「石井(いわい)の水」と呼ばれる井戸を水源に伏見の七名水の一つに数えられていましたが、明治以降涸れていたのを1982年(昭和57年)に再び地下150mまで掘り直して復元され、その後1985年(昭和60年)1月には環境省(当時は環境庁)の「名水百選」にも選定されています。

桃山の伏流水(伏し水)で「伏見」の地名の由来にもなっており、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家の藩祖である義直(家康の九男・尾張藩初代藩主)・頼宣(家康の十男・紀伊和歌山藩初代藩主)・頼房(家康の十一男・水戸藩初代藩主)がこの水を産湯に使ったと伝えられています。

病気平癒の霊水として薬と一緒に飲んだり、茶道や書道に使用したりと用途は様々。

まろやかな軟水でコーヒーやお茶などにも合い、あるいは炊飯やお菓子の仕込み用の水として、生活用水としても親しまれ、現在もボトルを持参して取水する地元民も多いといいます。

「御香水」の取水口は本殿の左手前にあり、また境内の絵馬堂には御香水の霊験説話を画題にした「社頭猿曳ノ図」が懸っています。
他にも社務所ではおみくじを水に浸すと運勢の文字が浮き出てくる「水かけ占い」の授与も行われています。

洛南随一の大祭として知られる「御香宮神幸祭(伏見祭)」

「御香宮神幸祭(伏見祭)」とは?

10月上旬に9日間行われる「御香宮神幸祭」は別名「伏見祭」とも呼ばれる伏見九郷(石井・森・船津・即成就院・山・北尾・北内・久米・法案寺)の総鎮守の祭礼で、洛南随一の大祭として知られています。

初日より多くのイベントや奉納行事が行われ、境内にはたくさんの露店も立ち並び、大勢の参拝者で賑わいます。

初日の「オイデマツリ」と最終日前夜の「宵宮祭」にて行われる「花傘総参宮」は、各氏子町内から参加する大小の花傘がお迎え提灯として伏見随一の繁華街である大手筋商店街のアーケードを練り歩き神社に参拝する厄除けの行事で、室町時代の風流傘の伝統を今に伝え「花傘祭」と称されるゆえんとなっています。

祭の中心である神輿渡御が行われる最終日の「神幸祭」では3基の神輿のほか、獅子若、猿田講社、武者行列(奴振りを伴う)、稚児行列の行列が、早朝より時間差をもって氏子地域を終日巡行していきます。

千姫神輿

神幸祭の中心は何といっても神輿渡御で、現在は3基で巡行していますが、以前は1基の神輿だったといいます。

旧神輿は徳川家康の孫娘・千姫の初延祝いに奉納されたもので、通称「千姫神輿」。
日本一重い神輿として氏子の自慢の一つででしたが、神輿の重さの平均が1~1.5tのところ2.2tと余りにも重いため今は担ぐことができず、1962年(昭和37年)に鵜鳥型と神明型(雁又)、1987年(昭和62年)にもう1基が作られました。

普段は境内の見所に保管され非公開ですが、10月の神幸祭の期間のみ特別公開されます。

社務所奥の書院にある「遠州ゆかりの石庭」

社務所奥にある書院の石庭には、小堀遠州が伏見奉行所内に造ったとされる庭園を戦後に移設したという「遠州ゆかりの石庭」があります。

小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579~1647)は江戸初期の大名で、茶人・作庭家としても知られた人物。
本名は政一といい、近江国の小堀村に生まれ、豊臣秀吉や徳川家康・秀忠らに仕えて遠江守に任ぜられ、のち伏見奉行を務めました。
作事奉行として建築・造園にも才を発揮し、二条城や仙洞御所なども手掛けています。
また古田織部に茶道を学び遠州流茶道の祖となったほか、松花堂昭乗に画を学び書画・古器の鑑定家としても知られています。

遠州は1623年(元和9年)に伏見奉行に着任すると庁舎の新築を命ぜられ、奉行所内に庭園を造ります。

1634年(寛永11年)7月、上洛し奉行所を訪れた3代将軍・徳川家光は立派な庭園に感心し、褒美として遠州に5千石を加増。一躍大名となり出世の糸口にもなったとされる庭園です。

御香宮神社の境内の南、京阪伏見桃山駅の東にあったという伏見奉行所の跡地は、明治以降、陸軍工兵隊、米軍キャンプ場と移り変わり、庭園が発見されたのは1957年(昭和32年)、市営住宅地(桃陵団地)建設の際のことで、その後造園家・中根金作の手によって、社務所の裏側に再現されました。

鶴亀式の枯山水の庭園で、書院手前にある手水鉢には「文明九年(1477年)」の銘があり、在銘のものとしては非常に珍しいらしいといいます。

また後水尾上皇が命名された「ところがらの藤」も移植されているほか、夏の新緑、秋の紅葉と四季折々の庭園の姿を楽しむことができます。

御香宮神社の施設案内

京阪伏見桃山駅を降りると、駅の北側を東西に通っているのが伏見のメインストリートともいえる大手筋通で、西側には大手筋商店街が続いていますが、これを反対の東へ進みます。

ほどなく近鉄桃山御陵前駅が高架下にある前を通過し、目の前に朱色の大鳥居が見えてきます。この鳥居をくぐり更に進むと左手に伏見城の遺構である表門が参拝者を出迎えます。

境内の東側には国道24号が南北に走り、国道24号と大手筋通の交差点には「御香宮前」の名前がついていて、この交差点の北西側に縦長に社地が広がっています。

表門をくぐると北へ向かってまっすぐの長い参道が伸びており、突き当たりに拝殿、その奥が徳川家康が寄進したという本殿となっています。名水として知られる御香水は本殿の手前左に取水所があります。

長い参道の東側には桃山天満宮、伏見城跡残石、駐車場とその出入口となる東門などがあり、西側には結婚式場となる儀式殿や貴賓館、参集館などの神社関連施設が並びます。

そして本殿・拝殿の西側に社務所や能舞台などがあり、遠州ゆかりの石庭は社務所の奥にあります。境内は基本無料で入れるエリアばかりですが、庭園は有料で拝観料を支払って中に入ります。

摂社・末社などは本殿の北側か北門にかけて固まって並んでいます。また秀吉時代の社地の移転先である御香宮御旅所は現在の境内のずっと北東、伏見桃山城運動公園の北東に位置しています。

表参道・本殿

  • 大鳥居
    大鳥居

     

  • 表門
    表門

     

  • 大手筋木鳥居旧基礎石についての駒札
    大手筋木鳥居旧基礎石についての駒札

     

  • 石鳥居
    石鳥居

     

  • 参道
    参道

     

  • 伏見義民事蹟
    伏見義民事蹟

     

  • 伏見義民の碑
    伏見義民の碑

     

  • 大杉社
    大杉社

     

  • 鳥居
    鳥居

     

  • 桃山天満宮
    桃山天満宮

     

  • 絵馬掛
    絵馬掛

     

  • 撫牛
    撫牛

     

  • 芭蕉・去来の句碑
    芭蕉・去来の句碑

     

  • 天満宮社務所
    天満宮社務所

     

  • 石碑
    石碑

     

  • 末社
    末社

    左の社は厳島社
    右の社は左から老松社・白太夫社・紅梅殿を祀る

  • 祠

     

  • 石碑
    石碑

     

  • 鳥居
    鳥居

     

  • 手水舎
    手水舎

     

  • 拝殿
    拝殿

     

  • 本殿
    本殿

     

  • 手水
    手水

     

  • 御香水
    御香水

     

  • ソテツ
    ソテツ

     

  • 境内図
    境内図

     

  • 社務所
    社務所

     

  • 授与所
    授与所

     

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    遠州ゆかりの石庭

     

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    手水鉢

     

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    ところがらの藤

     

  • 自販機
    自販機

     

  • 神馬
    神馬

     

  • 納札所
    納札所

     

  • お手洗
    お手洗

     

  • 見所(千姫神輿)
    見所(千姫神輿)

     

  • 能舞台
    能舞台

     

  • 鏡の間
    鏡の間

     

  • 九社殿
    九社殿

     

  • 伏見鳥羽の戦の碑
    伏見鳥羽の戦の碑

     

  • 祓所
    祓所

     

  • 絵馬堂
    絵馬堂

     

  • 石碑
    石碑

     

  • 石碑
    石碑

     

  • 絵馬掛
    絵馬掛

     

  • 安産の石碑・慈の母子像
    安産の石碑・慈の母子像

     

  • 御香水の碑
    御香水の碑

     

  • 枝垂桜
    枝垂桜

     

北門周辺

  • 末社
    末社

    左から住吉大明神・八阪社・蛭子社・八幡を祀る

  • 豊国社
    豊国社

     

  • 太神宮
    太神宮

     

  • 末社
    末社

    右から春日大明神、天満天神、新宮、熊野社、那智、金札宮を祀る

  • 鎮守の森
    鎮守の森

     

  • 稲荷社(菊姫社)
    稲荷社(菊姫社)

     

  • 弁天社
    弁天社

     

  • 弁天池
    弁天池

     

  • 松尾社
    松尾社

     

  • 東照宮
    東照宮

     

  • 参道
    参道

     

  • 北門
    北門

     

東門周辺

  • 東門
    東門

     

  • 石碑
    石碑

     

  • 車石
    車石

     

  • 白菊石
    白菊石

     

  • 伏見城跡残石
    伏見城跡残石

     

  • 駐車場
    駐車場

     

  • 日露戦争の碑
    日露戦争の碑

     

  • ポンプ室
    ポンプ室

     

  • 駐車場案内図
    駐車場案内図

     

西門周辺

  • 西門
    西門

     

  • 第二駐車場
    第二駐車場

     

  • 九香軒(参集館別館)
    九香軒(参集館別館)

     

  • 神輿蔵
    神輿蔵

     

  • 土蔵
    土蔵

     

  • 大倉垣吉翁の碑
    大倉垣吉翁の碑

     

  • 参集館
    参集館

     

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    おそらく椿

     

  • 貴賓館(迎賓館)
    貴賓館(迎賓館)

     

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    儀式殿(結婚式場)

     

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    婚礼センター

     

関連

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    御香宮御旅所(古御香宮)

     

周辺

御香宮神社の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1
若水神事(わかみずしんじ)

0:00頃より御香水の井戸の前にて神事を行い、御香水が神前に供えられる
元日の早朝に若水を汲み、その水で食事を作ったり茶を沸かすと邪気が祓われるという

1/7
七種神事(七草粥)(ななくさしんじ(ななくさがゆ))

6:00より神事の後、9:00より能舞台前広場にて「七草粥」の接待を行う(有料)
先着でなくなり次第終了

2/3
節分祭(古神札焚上神事)(せつぶんさい(こしんさつたきあげしんじ))

豆撒きではなく正月飾りや古いお札などを焼く「どんと焚き」を実施する
15:00~9:00には甘酒や長生きを祈願する「いのちあめ」の販売も

2月最初の卯日
御弓始め神事(おゆみはじめしんじ)

旧暦1月最初の卯日にあたる日に開催
江戸初期から行われているという鬼の字を裏返した文字の書かれた的に矢を射る神事で、一年の氏子区域内の平穏無事と厄除退散を祈願する
秋の10月の神幸祭に猿田彦命、天鈿女命のニ柱の神の役に当たる本役の氏子2人が、烏帽子・狩衣姿で拝殿南側に立てられた鬼の文字を裏返した形の「左鬼」の大的を命中するまで交互に射る
通常の鬼は豆で退散するが、「左鬼」は邪悪かつ凶悪なため、弓で射止めないと退治できないのだという
14:00または15:00頃より開始され2人も当たると神事が終了となる

4/17
例祭(れいさい)

10:00頃より神事の後、いちひめ雅楽会による舞楽、御香宮神能会による仕舞の奉納など

4月中の1日
御献茶祭(けんちゃさい)

10:00より本殿にて三千家家元持ち回りにより献茶式が行なわれる
境内各所にお茶席が設けられるほか、点心席では伏見の銘酒を飲むこともできる

7/31(15時・23時)
夏越大祓・茅の輪神事(なごしのおおはらえ・ちのわしんじ)

新年より半年の間、生活して行く上で知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れを祓い清める夏の恒例行事
境内に設置されている「芽の輪」をくぐることで身を清め、家内安全・無事息災を祈願する
本殿にて神事の後、神職を先頭に次々と本殿と拝殿の間に設置された茅の輪をくぐり、続けて氏子や地元住民たちがくぐる(神事が終わるまでは茅の輪はくぐれないので注意)
15:00と23:00

9月第3土曜日
御香宮神能奉納(ごこうのみやしんのうほうのう)

17:00より境内の能舞台で能・仕舞・狂言などが奉納される(観覧は有料)
御香宮神社と御香宮神能会が主催し京都府が後援し、氏子を中心に人気が高いという
御香宮のものは歴史が古く、600年ほど前から能楽の先行芸術「猿楽」が行われていたのが起源
また蝋燭(ろうそく)をともして能楽を上演することから「蝋燭能」の別名を持つ

10月上旬の9日間(第1土曜~第2日曜)
御香宮神幸祭(ごこうのみやしんこうさい)(伏見祭・花傘祭)

伏見九郷の総鎮守の祭礼で、洛南随一の大祭
初日より多くのイベントや奉納行事が行われ、境内にはたくさんの露店も立ち並び、大勢の参拝者で賑わう
初日の「オイデマツリ」と最終日前夜(8日目)の「宵宮祭」にて行われる「花傘総参宮」は、各氏子町の花傘がお迎え提灯として伏見随一の繁華街である大手筋商店街のアーケードを練り歩き神社を参詣
最終日(9日目)の「神幸祭」における神輿巡幸では、3基の神輿のほか、獅子若、猿田講社、武者行列(奴振りを伴う)、稚児行列の行列が時間差をもって氏子地域を終日巡行する
他に初日の「ちびっこ相撲大会」や8日目の「オクライモライ」も見どころ

11/15
御火焚祭(ひたきさい)

室町時代より行われているという
拝殿の南面両側に新穀の稲藁を立て点火
五穀の豊穣と火を生業にする諸産業の弥栄とを祈願
願い事を託して氏子崇拝者たちが奉納した御火焚串数千本を焚き上げる

12月中卯日
醸造初神事(じょうぞうはじめしんじ)

醸造に縁のある境内の松尾社にて醸造元が新酒の出来を祈願する神事

寺社めぐり

1/1~1/15
伏見五福めぐり(ふしみごふくめぐり)

伏見を代表する5つの社寺を巡拝し、干支が書かれた所定の色紙に朱印を集めていくご利益めぐり
初詣も兼ねて1/1より1/15まで開催され、色紙には購入時点で購入先の社寺の朱印が押してあり、残る4つを集めると記念に干支の土鈴が無料でもらえる
長建寺(開運・商売繁盛・諸芸上達)、藤森神社(勝運・学問)、乃木神社(学業・勝運)、大黒寺(出世開運・金運)、御香宮神社(開運・厄除)の5つの社寺で開催
洛南保勝会が主催し1985年(昭和60年)より開催されている

3月下~5月末
伏見名水スタンプラリー(ふしみめいすいすたんぷらりー)

伏水会が毎年主催しているスタンプラリー
古くから名水の地として知られ、酒どころとして知られる伏見区内の名水10か所を巡ってスタンプを全て集めると先着で記念品を進呈
また5か所以上のスタンプを集めて応募すると抽選で食事券や伏見の銘酒など伏見にちなんだ賞品が当たる

花ごよみ

3月下~4月上
椿(ツバキ)

参道左手横の参集館の傍らにある「おそらく椿」で有名
豊臣秀吉が伏見城築城の際に各地より集めた茶花のうちの一つと伝わり、樹齢は約400年といわれる
初代伏見奉行だった小堀遠州が「おそらくこれに勝る椿は他にない」と激賞したのにちなみ命名
紅白まじりの斑入りの散椿で高さ約3~4m、晩咲き

3月下~4月上
桜(サクラ)

境内には桜が多く、枝垂桜、染井吉野、山桜などが見られる
特に本殿の東側に数が多く、特に中心にある紅枝垂桜が見事で、色の薄いソメイヨシノとの共演が美しい
その他に本殿そばの鮮やかな緋色が特徴である「陽光(ようこう)」、本殿の裏、御香水石碑前に山桜、表門入ってすぐの両脇
隠れた桜の名所で、ゆったりと鑑賞できる

4月頃
藤(フジ)

江戸初期に後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)が命名したと伝わる
傍らには碑文も置かれている
第108代・後水尾天皇(1596-1680)は2代将軍・徳川秀忠の娘・和子(まさこ)(のちの東福門院)を中宮とし徳川家とは姻戚関係となる
ただ1613年(慶長18年)の「禁中並公家諸法度」で朝廷の権限が制限されるなど幕府との関係は良好であった訳ではなく、その後の「紫衣事件」や3代徳川家光の乳母・春日局が無官のまま参内した事件などを機にまだ5歳の娘・明正天王(めいしょう天王)に譲位(称徳天皇以来859年ぶりの女帝誕生となった)
以後は後光明(ごこうみょう)・後西(ごさい)・霊元(れいげん)天皇と計4代にわたり院政を敷いた

7月上
蘇鉄(ソテツ)●

社務所の前、拝殿の両側にあり、西側の大きな株が雌、東側の小さめの方が雄
1605年(慶長10年)の家康による本殿建築頃に植えられたといわれ、樹齢400年を越え1986年(昭和61年)に京都市天然記念物にも指定されている
南方系の裸子植物のため京都では冬期に覆いをする必要があるのが通常だが、この木は覆いなしで冬を越すことができ、開花結実するのは珍しいという

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