西本願寺(本願寺) 京都観光

西本願寺(本願寺)

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西本願寺(本願寺)

桃山文化の遺構が数多く残る世界遺産の「お西さん」

浄土真宗本願寺派本山。1272年に親鸞の末娘が建てた大谷廟堂が起源。 石山合戦では信長と対立し各地を転々後1591年秀吉の寄進で現在の七条堀川へ。 重文の御影堂と阿弥陀堂、国宝の唐門・書院・北能舞台・飛雲閣、特別名勝の虎渓の庭など桃山文化の遺構が多く世界遺産にも登録。 秋は大銀杏も見事

西本願寺(本願寺)とは?(基本データ)

名前
西本願寺(本願寺)(にしほんがんじ(ほんがんじ))
エリア
京都駅
ジャンル

寺社 世界遺産 国宝建築・絵画 史跡 特別名勝・名勝 市天然記念物 躑躅 銀杏 京の三閣 門前名物 灌仏会・花まつり 成人式 生け花展・献花祭 能・狂言 開山忌・御忌

正式名
本願寺(ほんがんじ)
建立・設立
1272年(文永9年)、宗祖・親鸞聖人の末娘覚信尼が京都の東山大谷に建立した「大谷廟堂(のち大谷影堂)」が起源
1321年(元亨元年)、第3世・覚如の時に本願寺と号する(大谷本願寺)
1471年(文明3年)、第8世・蓮如の時に越前(福井県)の吉崎に移り中興、その後河内(大阪府)の出口、京の山科と移転
1483年(文明15年)、山科本願寺が落成
1532年(天文元年)、拠点を大坂石山に移し「大坂本願寺(石山本願寺)」と号する
1570年(元亀元年)、第11世・顕如の時に天下統一を目指す織田信長と対立し約10年にわたる「石山合戦」が始まる
1581年(天正8年)、信長と和議が成立し石山本願寺から退去、紀伊(和歌山県)の鷺森へ退隠(鷺森本願寺)
1591年(天正19年)、豊臣秀吉より寺地の寄進を受け現在地に移る
1602年(慶長7年)、本願寺は東西に分立
1994年(平成6年)、国の史跡に指定
1994年(平成6年)12月、「古都京都の文化財」としてユネスコの世界文化遺産に登録
創始者
[大谷本願寺] 第3世・覚如(かくにょ)
[中興] 第8世・蓮如(れんにょ)
[西本願寺] 第11世・顕如(けんにょ)
宗派
浄土真宗本願寺派本山
山号
龍谷山(竜谷山)(りゅうこくざん)
本尊
阿弥陀如来
寺紋
西六条下り藤
アクセス
  • JR「京都」駅下車 中央口より徒歩約15分
  • 近鉄京都線「京都」駅下車 中央口より徒歩約15分
  • 京都市営地下鉄烏丸線「五条」駅下車 徒歩約10分
  • 阪急京都線「大宮」駅下車 徒歩約20分
  • 京福電鉄(嵐電)嵐山本線「四条大宮」駅下車 徒歩約20分
  • 京阪本線「七条」駅下車 徒歩約20分
  • 京都市営バス「西本願寺前」(9・28・75号系統)下車すぐ
  • 京都市営バス「島原口」(18・特18・71・206・207号系統)下車すぐ
  • 京都市営バス「七条堀川」(9・28・33・75・206・208号系統)下車 徒歩約3分
  • 京都バス「大宮五条」(81・83系統)下車 徒歩約12分
  • 京阪バス「大宮五条」(21・21A・27系統)下車 徒歩約12分
駐車場
北境内地駐車場(参拝者用)
拝観料
境内自由
お休み
無休
拝観時間
3~4月 5:30~17:30
5~8月 5:30~18:00
9~10月 5:30~17:30
11~2月 5:30~17:00
※法要行事等により変更となる場合あり
住所
〒600-8501
京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル
電話
075-371-5181
FAX
075-351-1372
公式サイト
浄土真宗本願寺派 本願寺(西本願寺)
大谷本廟(西大谷)
西本願寺 Twitter
浄土真宗本願寺派 西本願寺 Facebook
浄土真宗本願寺派 西本願寺 真宗教団連合
浄土真宗本願寺派 全日本仏教会

西本願寺(本願寺)の地図

西本願寺(本願寺)のみどころ (Point in Check)

京都市下京区堀川花屋町下ル、京都駅にもほど近い七条堀川にある寺院で、親鸞を宗祖とする浄土真宗本願寺派の本山。

浄土真宗は鎌倉中期に親鸞聖人によって開かれ、その後室町時代に第8世・蓮如(れんにょ)によって民衆の間に広く深く浸透して発展し、現在も日本における仏教諸宗の中でも代表的な教団の一つとなっています。
そして現在は本願寺の住職が浄土真宗本願寺派の門主を務めています。

「西本願寺」は所在する位置から付けられた通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」です。

ただし真宗大谷派の本山である「東本願寺(正式名称「真宗本廟」)」と区別するため、両派の本山は東西の通称で呼ばれることが多く、京都市民からも「お西さん」「お西」の愛称でも親しまれています。

鎌倉中期の1272年(文永9年)、浄土真宗の開祖・親鸞の娘・覚信尼により、親鸞の廟堂(墓所)として京都東山の吉水の地に創建されたのがはじまり。

その後、1321年(元亨元年)頃、第3代・覚如(1270~1351)(覚信尼の孫)のときに「本願寺」と公称するようになり、更に室町中期には第8代蓮如上人の尽力により大教団に発展します。

しかしそれを警戒した比叡山延暦寺からの迫害や、戦国時代の織田信長との「石山合戦」などを経て各地を転々。
1591年(天正19年)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から堀川通に面した七条堀川に移転し、現在に至っています。

1602年(慶長7年)には関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康の宗教政策により東西に分立、1633年(寛永10年)にはほぼ現在に近い姿となりました。

境内には華麗な桃山文化の粋を伝える建造物や庭園が多く残されており、境内の中心に並ぶようにして建つ巨大な御影堂と本堂(阿弥陀堂)はともに国宝。

その他にも書院や北能舞台、黒書院、京の三閣の一つにも数えられる飛雲閣や唐門と、多くの建造物が国宝に指定されているほか、境内全体が国の史跡、書院庭園が国の特別名勝・史跡、飛雲閣のある庭園・滴翠園が名勝に指定されています。

そして1994年(平成6年)には「古都京都の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産にも登録されました。

檀家が多いことでも知られ、教育機関も充実していて龍谷大学や高校野球の常連校として知られる龍谷大平安高校も系列校です。
ちなみに境内のすぐ南にある龍谷大学大宮キャンパスの龍谷大学本館は、洋風建築の先駆けとなる建物として重要文化財に指定されています。

堀川通を挟んだ境内の東側には西本願寺の門前町も広がり、また仏教の総合博物館として「龍谷ミュージアム」も開館。

境内の北側には宿坊として聞法会館があり、宿泊施設としてだけでなく研修施設、仏前結婚式、料理教室、法話や講演会、展示会など様々な用途で利用されています。

他にも赤いレンガ造りが印象的な近代建築である伝道院や、幕末には新撰組の屯所として使用されたという太鼓楼など、多種多様な見どころを有しています。

また京都市の天然記念物に指定されている大銀杏などイチョウの名所としても知られているほか、境内の外側に巡らされた堀にはツツジの生垣があり、春先には色とりどりの花を咲かせて道行く人々の目を楽しませてくれます。

親鸞の廟堂「大谷廟堂」から「山科」「石山」そして「西本願寺」へ

親鸞の廟堂「大谷廟堂」から発展

鎌倉中期の1263年(弘長2年)、浄土真宗を開いた親鸞(しんらん 1173~1263)が90歳で没すると、京都東山の鳥辺野(とりべの)の北にある大谷に石塔を建て、遺骨が納められます。

しかし墓所は極めて簡素なものであったため、1272年(文永9年)、親鸞の末娘・覚信尼(かくしんに 1224-83)が大谷の西、吉水(よしみず)の北(現在の知恩院付近)に関東の門弟の協力を得て六角の廟堂(御影堂)を建て、親鸞の影像を安置し遺骨を移しました。
これが「大谷廟堂(おおたにびょうどう)」で、本願寺のはじまりとされています。

1321年(元亨元年)頃、覚信尼の孫にあたる第3代・覚如(かくにょ 1270-1351)のときに「本願寺」と公称するように(大谷本願寺)。

また寺院化の流れの中で、本尊を安置する本堂(現在の阿弥陀堂)が並存するようになりました。

この経緯により本願寺派では、親鸞の御真影を安置する廟堂(現在の御影堂)と、本尊を安置する本堂(現在の阿弥陀堂)の両堂形式が採られています。

第8代・蓮如により大教団に発展(中興の祖)

室町中期の1457年(長禄元年)、43歳で法灯を継承した第8代・蓮如(れんにょ 1415-99)の時代にその勢力は急速に拡大し、近江をはじめとする近畿地方や東海、北陸ににまで及んだといいます。

しかしこれが比叡山を刺激し、1465年(寛正6年)に「大谷本願寺」は比叡山の衆徒によって破却されることとなり、その後は北陸の越前(福井県)吉崎(よしざき)や河内(大阪府)出口(でぐち)など各地を転々とします。

1478年(文明10年)に京都山科にて再興を果たした後は再び寺勢は増し、1480年(文明12年)に御影堂を再建し、次いで阿弥陀堂などの諸堂も整えられ、その教えは北海道から九州まで全国に拡大していきます(山科本願寺)。

大阪・石山本願寺と信長との対立

蓮如は1499年(明応8年)に85歳で山科本願寺にて没し、その後1532年(天文元年)に「山科本願寺」が六角定頼や日蓮衆徒により焼き払われると、蓮如が現在の大阪城付近に創建した大坂・石山御坊(いしやまごぼう)に寺基を移し、両堂や寺内町を整備が整備されて大いに発展します(石山本願寺)。

しかし1570年(元亀元年)、11代・顕如(けんにょ 1543-92)の時代に天下統一を目指す織田信長との「石山合戦」が始まります。

雑賀衆や各地の一揆勢とも協力し、「石山本願寺」を本拠に11年に及び激しく抵抗を見せますが、1580年(天正8年)、遂に信長と和議を結ぶこととなり石山から退去を余儀なくされます。

その後は紀伊(和歌山)の鷺森(さぎのもり)、和泉(大阪)貝塚の願泉寺を経て、「本能寺の変」の後、信長の後を継いだ豊臣秀吉の寺地寄進を受けて大坂天満と各地を転々としました。

秀吉による現在地への移転と東西分裂

1591年(天正19年)、豊臣秀吉の京都市街経営計画に基づき京都に寺地を寄進され、六条から七条堀川の現在地に移転。
翌年には阿弥陀堂・御影堂の両堂も完成しています。

同年顕如は50歳で没し、長男・教如(きょうにょ 1558-1614)が跡を継ぎますが、三男・准如(じゅんにょ 1577-1631)に宛てた譲状があったため、教如は隠退することに。

これには石山本願寺の退去に際し、講和を受け容れた顕如ら「退去派」と徹底抗戦を唱えた教如ら「籠城派」との対立が背景にあったといわれています。

そして秀吉の没後に天下を取った徳川家康は、本願寺の勢力を削ぐため、この分裂状態を上手く利用します。

1602年(慶長7年)、後陽成天皇の勅許を背景に、秀吉の命により本願寺内北方に隠居させられていた教如に対し本願寺のすぐ東、烏丸七条に寺地を寄進。

教如を門主とする「真宗大谷派本願寺(東本願寺)」が誕生し、立地関係から西と東という通称が付けられるようになりました(東西本願寺のはじまり)。

諸堂の整備

1596年(慶長元年)の大地震で御影堂をはじめ諸堂が倒壊しますが、この時には阿弥陀堂は被害を免れています。(御影堂は翌年には再建)

しかし1617年(元和3年)の失火の際には御影堂と阿弥陀堂の両堂や対面所などが焼失。
翌年阿弥陀堂を仮御堂として再建し、1636年(寛永13年)には御影堂が再建されました。
またこの頃に対面所などの書院や飛雲閣(ひうんかく)、唐門(からもん)も整備されています。

そして1760年(宝暦10年)に阿弥陀堂が再建され、現在の本願寺の姿となりました。

その後、御影堂は1800年(寛政12年)の「寛政の大修復」及び1999~2008年12月の「平成大修復」と2度にわたり大修復されています。

ちなみに「御影堂」は、東西本願寺では「ごえいどう」と呼称していますが、専修寺(真宗高田派)や知恩院(浄土宗)などでは「みえいどう」と呼称されています。

近現代

幕末期には境内北東角にある「太鼓楼」が京都を守る剣客集団・新選組の本拠地になりました。

また本願寺の寺域自体は400年以上に渡って移転していませんが、1876年(明治9年)に真宗興正派が独立した際に南境内地が割譲され、現在は「興正寺」として門を構えています。

西本願寺(本願寺)の施設案内

アクセス

「京都駅」のやや北西、「七条堀川」の交差点の北西側に広大な伽藍を有しており、京都駅の中央口からでも徒歩15分ぐらいで到着することが可能な立地の良い場所に位置しています。

また北東の烏丸五条の交差点にある地下鉄烏丸線「五条駅」からも近く、五条通を西へ進んで堀川五条で南へ向かうルートで徒歩10分ほどで到着することができます。

更に四条大宮にある阪急「大宮駅」や嵐電「四条大宮駅」からも徒歩20分ほどかかりますが、大宮通を五条大宮の交差点まで南へ歩いていくルートで辿り着くことができます。

伽藍は東向きを原則とする真宗建築の典型的な配置で、境内の東に面している堀川通沿いにある御影堂門と阿弥陀堂門側が正門にあたり、それぞれの門をくぐると名前の通り御影堂と阿弥陀堂の前へと出ることができます。

ただし車や自転車を利用した場合には、境内北側の花屋町通を挟んで更に北側の宿泊・食事施設などの入っている聞法会館のある広大な北境内地駐車場(参拝者は無料)に駐車・駐輪することになるため、出入口の向かいにある中門を通り境内の北側から入場するのが近道となります。

中門をくぐるとすぐに左折し、伝道本部とブックセンターの安穏殿の間を通って、阿弥陀堂の北側へと出ることができます。

境内

周囲には築地塀を巡らせ、堀川通沿いには通りとの間をお城の堀のように堀川が流れています。
その堀川通沿いににある「御影堂門」と「阿弥陀堂門」の大きな門をくぐると、目の前には巨大な「御影堂」と「阿弥陀堂」が姿を現します。

この点、建物の配置は東向きを原則とする真宗建築の典型で、中央に伽藍の中心をなす「御影堂」と「阿弥陀堂」が並ぶようにして建っています。

ちなみに本願寺がそもそも宗祖・親鸞の廟堂として始まった経緯もあり、親鸞聖人像が安置されている御影堂の方が本堂である阿弥陀堂よりも大きく作られているといいます。

境内全体が国の史跡にも指定されている西本願寺ですが、御影堂と阿弥陀堂の前の「白洲」は鳩もちらほら姿を見せさながら公園のような広場のようになっており、広々とした境内には基本的には拝観料なく入ることができることから、市民の憩いの場にもなっています。

この「白洲」を中心にして境内を見ていくと、まず境内の東側には、御影堂門と阿弥陀堂門の間に総合案内所やお茶所、手水舎などがあります。

次に境内の北側には、伝道本部やブックセンターの安穏殿、経蔵(転輪蔵)、防災センターなどの様々な施設や建造物があります。

一方南側には、まず南東側に京の三閣の一つである「飛雲閣」がそびえるようにして立つ庭園「滴翠園」がありますが、ここは普段は通常非公開で拝観には予約が必要なエリアになります。

そして南西側、御影堂の南側には参拝教化部の「龍虎殿」の奥に、こちらも通常非公開で拝観には予約が必要な「書院」があります。

最後に境内の北西部、御影堂と阿弥陀堂の裏には四季折々の草花が楽しめる「百華園」と呼ばれる広大な庭園がありますが、ここは法主の居宅もある場所で、一般にはほとんど公開されておらず、本願寺の清掃奉仕「念仏奉仕団」に参加するなどすれば見ることができることもあるようです。

拝観

境内および国宝の御影堂や阿弥陀堂は拝観料は必要なく、自由に入ることができます。

国宝の書院および飛雲閣(外観のみ)の拝観については、通常一般公開されていませんが、前日までに予約をすれば拝観が可能です。

定員制で拝観料は志納(300円以上)、当日予約は一切不可
時間は14:30の1日1回で、所要時間は約80分、途中離脱不可
受付集合場所は「龍虎殿」で、案内役の僧侶による説明付で、自由行動もできない

この点、行事等により一方または両方の拝観を休止している場合があったり、春・秋の法要時には法要終了後に予約なしで自由に拝観できることがあったり、また京都の寺社の特別公開に合わせて有料にて一般公開されることもあったりと、拝観できる状況が様々あるため、その都度チェックする必要があります。

周辺

御影堂門の堀川通を挟んだ向かいには「西本願寺門前町」への入口にもなっている総門があり、ここから東側には京仏具の老舗が軒を連ねる風情ある景観が広がっています。

そして一帯は町家が連なり古い京都の佇まいを残す場所として「本願寺・東寺界わい景観整備地区」に指定されています。

また門前町の堀川通沿いには旅館が多く立ち並んでいるほか、総門のすぐ南には「龍谷ミュージアム」もあります。

境内の南西、大宮七条の交差点の一帯には、北東角に「龍谷大学大宮キャンパス」、そして北西側には高校野球でも有名な「龍谷大平安高校」の校舎があります。

その他に飛び地境内として以下の3つがあります。

親鸞聖人の廟堂である「大谷本廟(おおたにほんびょう)」が東山五条の「五条坂」交差点東側の西大谷に
親鸞聖人生誕の地である「日野誕生院(ひのたんじょういん)」が地下鉄石田駅より東へ15分から20分程度歩いた伏見区日野の法界寺(日野薬師)のそばに
親鸞聖人往生の地である「角坊(すみのぼう)」が西大路御池より御池通を西へ少し進んだ山ノ内に

ちなみに西本願寺から分離独立した「東本願寺」の境内は西本願寺の東方、京都駅より烏丸通を北へ進んだ所にあります。
西本願寺は基本的に「京都駅」から徒歩圏内にあるため、その他の観光名所へと向かいやすい立地にあります。

御影堂・阿弥陀堂

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    御影堂門

    151125-5274

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    目隠塀

    151125-5270

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    噴水

    151125-5326

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    大銀杏

    151125-5320 5321 5325 5327-5329

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    御影堂

    151125-5317 5332 5352 110604-9238

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    沓石

    151125-5349-5351

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    天邪鬼

     

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    渡廊下

    151125-5316 5354 5359

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    阿弥陀堂門

    151125-5313

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    阿弥陀堂(総影堂)

    151125-5299 5310-5312 5358

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    縁側と廊下の埋め木

    151125-5356-5357

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    龍虎殿(参拝教化部)

    151125-5342

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    旧仏飯所

     

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    手水舎

    151125-5319 5324

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    総合案内所(お茶所)

    151125-5309 5315 5322

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    イチョウ

    151125-5300 5307

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    防災センター(忘れ物)

    151125-5306

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    経蔵(転輪蔵)

    151125-5301 5302

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    安穏殿(ブックセンター)

    151125-5289 5292 5296

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    喫茶紫雲・銘品コーナー法輪

     

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    伝道本部

    151125-5286 5290 5293 5298

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    守衛所

     

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    西門

     

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    中門

    151125-5284

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    東門

     

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    太鼓楼

     

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    御成門

     

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    堀川

     

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    ツツジ

    160424 120510

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    築地塀

     

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    北小路門

     

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    唐門(日暮門)

     

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    大玄関門

     

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    台所門

     

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    大宮門

     

北境内地・聞法会館

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    出入口

    151125-5277

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    守衛所

     

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    北境内地駐車場

     

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    駐輪場

    151125-5278

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    境内地拡充記念碑

    151125-5281

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    聞法会館

    151125-5282 140910-2043

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    総会所

     

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    門徒会館

     

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    あそか診療所

     

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    伝道第二本部

     

書院

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    書院

     

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    虎の間玄関

    151125-5344

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    浪の間玄関

     

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    虎渓ノ庭

     

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    大玄関

     

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    中雀門

     

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    南能舞台

     

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    対面所(鴻の間)

     

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    白書院

     

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    北能舞台

     

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    伝廊

     

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    黒書院

     

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    百華園(百華池)

     

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    錦華寮

     

飛雲閣・滴翠園

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    飛雲閣

    151125-5338 5339

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    黄鶴台

     

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    滴翠園

     

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    滄浪池

     

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    鐘楼

    151125-5333-5337

門前町

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    総門(門前町入口)

    151125-5273

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    正面道

     

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    龍谷ミュージアム

     

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    伝道院

     

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    伝道第三本部

     

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    顕道会館

     

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    親鸞聖人像

    150211-0017 140827-1494

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    本願寺国際センター

     

関連

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    大谷本廟(おおたにほんびょう)

     

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    日野誕生院(ひのたんじょういん)

     

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    角坊(すみのぼう)

     

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    龍谷大学大宮キャンパス

     

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    龍谷大平安高校・龍谷大平安中学校

     

周辺

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    興正寺

     

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    西利本店

     

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    亀屋陸奥 松風調進所

     

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    藪内家燕庵

     

西本願寺(本願寺)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1
修正会(しゅしょうえ)・元旦会(がんたんえ)

新年を迎えるにあたり仏前にて身を正すとともに、改めて自分自身を見つめ直し、お念仏とともに生きる決意を新たにする新年の法要
6:00頃より阿弥陀堂にて「修正会」
6:30頃より御影堂にて「元旦会」
8:00頃より御影堂にて「年賀式」
また1/4の9:00より阿弥陀堂・御影堂にて「御鏡開」が行われる

1/8
大御身(おおごしん)

親鸞聖人御影像のお身拭いを行う

1/9~1/16
御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)

「報恩講(ほうおんこう)」とは、宗祖・親鸞聖人の祥月(しょうつき)命日にあたる11月28日の前後につとめる法要で、浄土真宗信者が1年間で最も重要視する最大の年中行事
報恩講とは「恩に報いる集まり」のことで、親鸞聖人の恩に報いる集まりのこと
親鸞の命日に仏法を聴く集会を開き、聖人の徳を讃えるとともに自らの信仰を確かめ学び直そうという趣旨で行われる
その起源は定かではないが、元々は親鸞自身が師匠である法然の命日に「二十五日のお念仏」として行っていたという
また本願寺第3世・覚如が1294年(永仁2年)に親鸞の33回忌にあたって聖人の高徳を讃える「報恩講私記(ほうおんこうしき)」を著し、法要において「讃文」としてそれを読んだと伝わることから、その頃には既に親鸞の命日の法要は「報恩講」として勤められていたと考えられる
毎年全国各地で「報恩講」が営まれており、このうち各本山で営まれる法要は「御正忌報恩講」と呼ばれ、祥月命日を結願として1週間にわたり営まれる
また全国の真宗大谷派の別院や寺院でも年に一度、御正忌報恩講とは日付をずらす形で数日間勤められているほか、門徒の家庭においても「お取越(おとりこし)」あるいは「ご引上(ごいんじょう)」と呼び、報恩講を勤めるのが真宗の伝統だという

この点、西本願寺の「御正忌報恩講」は親鸞の命日である旧暦の弘長2年11月28日が現在の暦で1263年1月16日にあたることから、毎年1月9日から16日まで勤められている
期間中は全国から僧侶・門信徒が多数参拝するほか、北境内地休憩施設や白洲休憩施設などでは様々な行事やイベントも開催される

1月上~1月中
本山成人式(ほんざんせいじんしき)

新成人を対象に開催
10:00より御正忌報恩講法要参拝、オリエンテーション、記念撮影の後、
11:25より阿弥陀堂にて式典と記念講演、
13時00分より御影堂にて「帰敬式」(希望者のみ)
式の後にはホテルでの祝賀会もある

ちなみに「帰敬式(ききょうしき)」は「おかみそり」ともいい、仏門への帰依を誓う門信徒にとっては一生に一度の最も大切な儀式で、受式後に法名が授与される
原則として本山でほぼ毎日、午前(6:00の晨朝の後)と午後(13:30)の2回執り行われている(1/1と1/16の午前と、1/8と12/20の終日を除く)
受式者たちは横並びで正座をし念珠を手に合掌、「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧(なもきえぶつ・なもきえほう・なもきえそう)」の三帰依文(さんきえもん)を唱えた後、門主から金色のかみそりを3度ずつ頭に当てられる「おかみそり」が行われる
「本山成人式」の後の「帰敬式」は晴れ着姿の新成人が参加することから、正月の風物詩として報道でも採り上げられることが多い

2/7
如月忌(きさらぎき)

九条武子(くじょうたけこ 1887-1928)は西本願寺第21世・明如(大谷光尊)の次女で、柳原白蓮らと共に「大正三美人」とも称された人物
西本願寺仏教婦人会の創設に携わり、関東大震災の被災者支援を機に医療や福祉活動を続け、東京都江東区にある「あそか病院」の基礎を築いた
また1910年(明治43年)に運営をはじめた「京都高等女学校」を母体に1920年には仏教精神に基づく「京都女子専門学校(現在の都女子大学)」を設立し、京都女子大学(京女)の創設者の一人となっている
多くの業績を残したその遺徳を偲んで命日である2月7日に法要が営まれ、西本願寺の本堂は数多くの女性たちで埋め尽くされる

3月春分の日を中心に7日間
春季彼岸会(しゅんきひがんえ)本願寺・大谷本廟

「彼岸(ひがん)」とは、春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とした7日間を指す
これは現実世界のことを「此岸(しがん)」と呼ぶのに対し、悟りの世界=浄土=あの世のことを「彼岸(ひがん)」と呼び、此岸は東、彼岸は西にあることから、太陽が真東から真西に沈む「春分の日」と「秋分の日」が彼岸と此岸が最も近い日にあたり、あの世と交信するのに適した時期であると考えられたため
浄土真宗においては、苦悩に満ちたこの現実世界の「此岸」から、無限の慈悲と知恵により私達に永遠の命と幸運を与えてくれる阿弥陀如来のいらっしゃる「彼岸」の西方極楽浄土を渇仰し、命終わればそこに生まれることを願う日であり、またご先祖も含め阿弥陀如来に救われた多くの人々を偲ぶことで、念仏の道の確かさと頼もしさを再確認する日でもある
本願寺の彼岸会は、第8世・蓮如の代の1473(文明5年)に越前の吉崎御坊で行われた記録が残り、第21世・明如の代には「讃仏会」と呼ばれて行われていたという歴史を持つ
本願寺および大谷本廟にて開催され、期間中は法要のほか「特別布教」や「白洲布教」などもあり、お彼岸をご縁に仏の教えを聞こうと集まった、多くの参拝者で賑わう
また大谷本廟では、明著堂前にて身近な仏教の言葉を題材に参拝者の供花を用いて作られた「花文字」が期間中供えられる

4/8
花まつり(灌仏会)(かんぶつえ)

三仏会の一つで、仏教を開いた釈迦の生誕の日を祝う行事
花御堂の中に誕生仏を安置し、参拝者はこの像に甘茶を注いでお参りする
誕生仏は釈迦が誕生した時に右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えた姿を象ったものだという

4/12~4/15
春の法要(立教開宗記念法要)

浄土真宗十派(真宗教団連合)では宗祖・親鸞聖人が1224年(元仁元年)4月15日に「顕浄土真実教行証文類(略称は教行信証)」を制作したことをもって浄土真宗の開かれた立教開宗記念日と定めている
これを記念して毎年4月15日に御影堂にて「立教開宗記念法要(りっきょうかいしゅうきねんほうよう)」が行われ、真宗十派の共通勤行である「和訳正信偈」によって勤められる
法要に合わせ、国宝の飛雲閣・書院・経蔵が事前申込みなしで無料で公開される
公開時間は立教開宗記念法要の終了後から16:00まで(日によって違う場合もあるので確認が必要)

4/18・4/19
大谷本廟 総追悼法要大谷本廟

念仏を依り所として生き抜いた先人の遺徳を偲ぶとともに、その導きにより念仏の教えに出遇えた喜びを味わう法要

5/20・5/21
宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の生誕の日を祝って催される行事
聖人は1173年(承安3年)の5月21日(旧暦4月1日)に京都の日野の地で生まれた
生誕の地には現在西本願寺の飛び地境内として「日野誕生院」がある
[法要](阿弥陀堂)
20日14:00より御影堂にて僧侶が経典について問答形式で議論する独特の「無量寿会(むりょうじゅえ)作法」による「逮夜法要」
21日10:00より浄土真宗の教えの要が凝縮された「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)作法」による「日中法要」
21日11:30より「音楽法要」として「宗祖降誕奉讃法要」
[慶讃行事]
「祝賀能」や藪内流による飛雲閣での「茶席」も設けられるほか、祝賀餅つきなどのイベントも行われ、宗祖の誕生日を祝う人々で賑わう
5/20
11:45~13:00「祝賀餅つき」(白洲テント)
12:30~16:00「茶席(抹茶接待)」(飛雲閣)
5/21
9:30~15:30「茶席(抹茶接待)」(飛雲閣)
12:30~15:00頃「祝賀能」(書院・南能舞台)
※茶席および祝賀能には茶席券付の観能券が必要

6月初
大谷本廟 納骨・永代経法要大谷本廟

大谷本廟に納骨された方、永代経の縁を結ばれた方を対象に、亡き方々が往かれた浄土に思いを馳せ、今を生きる我々一人一人の「いのち」のあり方を見つめ直すとともに、阿弥陀如来の徳を讃え「南無阿弥陀仏」の教えに出会えたことを喜ぶ法要

6/1・6/2
広如忌(こうにょき)角坊

本願寺第20世・広如(こうにょ 1798-1871)の命日に行われる法要
広如は第21世・明如(大谷光尊)の父親で、2月7日に「如月忌(きさらぎき)」の法要が行われている九条武子の祖父にあたる
幕末から明治維新にかけ、神道国教政策・廃仏政策の逆風の中で財政改革に着手して教団維持に尽力した人物として知られる
ちなみに新撰組が本願寺境内地内の北集会所(現在は兵庫県姫路市の本徳寺に移築されている)と太鼓楼に駐屯していたのは、広如が長州藩と深いつながりを持ち勤王方を支援していたことから、それを監視していたためといわれている
また親鸞聖人600回大遠忌法要を機にそれまで明確でなかった親鸞聖人の往生の地を山ノ内と定め、1857年(安政4年)に堂宇を建立
現在その地は本願寺の飛び地境内「角坊(すみのぼう)」となっている

7月下~8月上
児童念仏奉仕団(じどうねんぶつほうしだん)

毎年夏休みに1泊2日の日程で、全国の小学3年から中学1年生の子供を対象に行われる行事
親鸞聖人のみ教えを学び、本願寺の清掃奉仕やレクリエーション等を通して本願寺に親しむとともに、次世代を担う宗教情緒豊かな仏の子に育成することを目的として1966年(昭和41年)よりはじめられた

7月下または8月上
本願寺納涼盆踊り大会(ほんがんじのうりょうぼんおどりたいかい)北境内地駐車場

近年は「下京・京都駅前サマーフェスタ前夜祭」と共催で開催されている
「江洲音頭(ごうしゅうおんど)」や「しんらん音頭」などを大きな輪になって踊るほか、合間には歌や和太鼓、ダンスなどのパフォーマンスも披露される
屋台や露天商も立ち並び、大人から子どもまで楽しめる飲食コーナーやゲームコーナーも用意されている
京都の有名店舗が一同に集結する「本願寺マルシェ」も同時開催

8/6~8/10
朝の法座(あさのほうざ)大谷本廟仏殿

1957年(昭和32年)に「黎明講座(れいめいこうざ)」として開催されたのがはじまり
1958年(昭和33年)大谷本廟において宗祖親鸞聖人700回大遠忌法要(だいおんきほうよう)の予修法要が勤修されたのを機に「朝の法座」と改称
6:00より晨朝の後、6:15より開会し約50分間の法話(7:10頃閉会)に引き続き、光輪・研修道場にて参拝者朝粥接待
他宗派では「暁天講座」と称して開催されている行事

8/14~8/15
盂蘭盆会(うらぼんえ)

「盆会」は釈尊の弟子・目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼(がき)の世界に堕ちて苦しんでいる母を百味の飲食を供え供養を尽くすことで救ったという親を思う孝順心溢れる「仏説盂蘭盆経」の故事から起こったといわれており、明如上人の時代には歓喜会(かんぎえ)と呼ばれていた
「お盆」は浄土真宗では亡くなったご先祖の供養のために行うのではなく、報恩感謝の意味で勤められる
極楽浄土から我々に救いの手を差し伸べる阿弥陀如来と阿弥陀如来の救いによって仏となった人々を偲び、命のつながりを我々にまで繋いでくださったことに感謝する

8/15
戦没者追悼法要(せんぼつしゃついとうくよう)

サンフランシスコ講和条約が発効された1952年(昭和27年)から毎年実施
阿弥陀堂にて法要が営まれ、多くの遺族や門信徒らが読経と念仏の声を響かせ、犠牲者を偲ぶとともに平和への誓いを新たにする

9/18
千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要(ちどりがふちぜんせんぼつしゃついとうほうよう)東京・国立千鳥ケ淵戦没者墓苑

宗門として悲惨な戦争を再び繰り返してはならないという恒久平和への決意を確認するために東京・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて修行される

9月秋分の日を中心に7日間
秋季彼岸会(しゅうきひがんえ)本願寺・大谷本廟

「彼岸(ひがん)」とは、春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とした7日間を指す
これは現実世界のことを「此岸(しがん)」と呼ぶのに対し、悟りの世界=浄土=あの世のことを「彼岸(ひがん)」と呼び、此岸は東、彼岸は西にあることから、太陽が真東から真西に沈む「春分の日」と「秋分の日」が彼岸と此岸が最も近い日にあたり、あの世と交信するのに適した時期であると考えられたため
浄土真宗においては、苦悩に満ちたこの現実世界の「此岸」から、無限の慈悲と知恵により私達に永遠の命と幸運を与えてくれる阿弥陀如来のいらっしゃる「彼岸」の西方極楽浄土を渇仰し、命終わればそこに生まれることを願う日であり、またご先祖も含め阿弥陀如来に救われた多くの人々を偲ぶことで、念仏の道の確かさと頼もしさを再確認する日でもある
本願寺の彼岸会は、第8世・蓮如の代の1473(文明5年)に越前の吉崎御坊で行われた記録が残り、第21世・明如の代には「讃仏会」と呼ばれて行われていたという歴史を持つ
本願寺および大谷本廟にて開催され、期間中は法要のほか「特別布教」や「白洲布教」などもあり、お彼岸をご縁に仏の教えを聞こうと集まった、多くの参拝者で賑わう
また大谷本廟では、明著堂前にて身近な仏教の言葉を題材に参拝者の供花を用いて作られた「花文字」が期間中供えられる

10/15・10/16
龍谷会(りゅうこくえ)(大谷本廟報恩講法要)

大谷本廟で行われる「報恩講」(報恩講については1月の「御正忌報恩講」の項目を参照のこと)
正午ないし13:00頃より内局挨拶の後、本願寺合唱団による仏教讃歌、法話と続き、お練り行列の「庭儀(ていぎ)」の後、明著堂(めいちょどう)にて法要が厳粛に行われる

10月中~11/23
献菊展(けんきくてん)

京都菊栄会協賛
本山の秋の風物詩として知られ、御影堂・阿弥陀堂前の広場(白洲)に約500鉢の菊が展示される
大菊・福助・嵯峨菊・盆栽菊・ドーム菊など、色とりどりの大輪の菊が境内を彩り、参拝者や修学旅行生の目を楽しませる
菊の見頃は11月上旬頃で、最終日には入賞者の表彰も行われる

11/22・11/23
秋の法要(全国門徒総追悼法要)

一年の間に往生された全国の門徒の方々を偲び自らを省みる法要
10:30より阿弥陀堂にて「全国門徒総追悼法要」に引き続き、布教大会も開催される
法要に合わせ、国宝の飛雲閣と書院が事前申込みなしで無料で公開される

12/20
お煤払い(おすすはらい)

東西本願寺で毎年行われている、御影堂と阿弥陀堂にたまった1年間のほこりを払い出す、京都の師走の風物詩
室町時代の蓮如上人の時代から始まったといわれ、1年の無事に感謝するとともに、新年を迎えるための大切な迎春行事
晨朝後の朝7:00より、全国から集まった門信徒や奉仕団の人々が、古式にのっとり横一列に並び、煤竹(すすだけ)と呼ばれる竹の棒を両手に持ち、畳を一斉にたたきながら進んでいき、舞い上がったほこりを大団扇(うちわ)であおぎ出す

12/31
除夜会(じょやえ)阿弥陀堂・御影堂

15:30より一年の行事の締めくくりとして勤められる

毎日・月並行事

毎日
晨朝(じんじょう)

朝6:00より阿弥陀堂と御影堂の両堂にて朝のお勤めが行われる(12/20の「お煤払い」の日のみ5:30より)
晨朝に引き続き御堂法話が行われる

毎月16日
いちろく市西本願寺門前町

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の月命日である毎月16日に開催
新鮮な野菜や手作りのお菓子・小物などが並べられる
また門前町を盛り上げる為に、親鸞聖人750回大遠忌法要の初日である2011年(平成23年)4月9日に誕生したという仏具の「おりん」をモチーフにしたゆるキャラ「おりんちゃん」が、10:00・12:00・14:00の3回、門前町を散歩する

毎月第3日曜
ほんびょうさんの朝市大谷本廟

大谷本廟総門下にて安心・安全にこだわった生産者と、それを求める消費者を直接つなぐ朝市を開催
生産者直送の野菜やお米、果物類から、手作りのお菓子・パン、みそ、佃煮等の加工品、たわし・ほうき等の生活雑貨などが販売される
9:00~16:00

花ごよみ

4~5月
躑躅(ツツジ)

堀川通の五筋塀沿いの植え込み

11~12月
銀杏(イチョウ)

御影堂前の大銀杏は御影堂が建立された1636年(寛永13年)頃のもので樹齢約400年といわれ京都市の天然記念物に指定
根を天に広げたような形から「逆さ銀杏」、また1788(天明8年)の火災の際に銀杏から水が噴き出し御影堂への類焼を防いだ伝説から、「水吹き銀杏」の別名を持つ
阿弥陀堂前にも大銀杏があり、御影堂のイチョウとともに区民誇りの木に指定

11~12月
山茶花(サザンカ)

経蔵前

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