縁城寺
桓武天皇より寺号、空海より山号を頂く橋木の観音さん
高野山真言宗。峰山駅から北へ4kmの橋木地区にある橋木の観音さん。 717年インドの僧善無畏三蔵創建と伝わる古刹で桓武天皇より縁城の寺号、空海より発信貴山の山号を頂き平安期には隆盛を極めた。 本堂・多宝塔に重文の石造宝筺印塔や木造千手観音立像などの寺宝。巨木も多くシイ林は京都の自然200選
縁城寺とは?(基本データ)
- 名前
- 縁城寺(えんじょうじ)
- エリア
- 京丹後
- ジャンル
- 建立・設立
- 717年(養老元年)、インドの高僧・善無畏三蔵がこの地から紫雲が立ち昇るの見て霊地と悟り、梵天帝釈の二童子から授かった千手観音像を安置したのがはじまり
771年(宝亀2年)、第49代・光仁天皇の勅願寺となり「千手院」と号し堂宇を造営
795年(延暦14年)、第50代・桓武天皇より「縁城寺」の寺号を賜わる
その後一時衰退するも988年(永延2年)、一条天皇の勅願寺になると再興され寺運が隆盛、最盛期には広大な境内に七堂伽藍が建ち並び7院25坊を擁する奥丹後随一の名刹として名を馳せた
1871年(明治4年)の廃仏毀釈に伴う寺領荘園の召し上げなどにより衰退、1927年(昭和2年)の丹後地震、1963年(昭和38年)の豪雪などの災難を乗り越え現在に至る - 創始者
- [開基] 善無畏三蔵
[中興] 第66代・一条天皇 - 宗派
- 高野山真言宗
- 山号
- 発信貴山(はしきさん)
- 本尊
- 千手千眼観自在菩薩
- 寺紋
- アクセス
- 駐車場
- あり 無料
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒627-0001
京都府京丹後市峰山町橋木873 - 電話
- 0772-62-0957
- FAX
- -
- 公式サイト
- 縁城寺 Facebook
縁城寺木造千手観音立像 京丹後市
縁城寺金銅装笈 京丹後市
縁城寺宝篋印塔 文化遺産データベース
縁城寺の地図
縁城寺のみどころ (Point in Check)
京都府京丹後市峰山町橋木、峰山駅から北へ4kmの橋木地区にある高野山真言宗の寺院で、別名「橋木の観音さん」。
山号は発信貴山(はしきさん)で、本尊は千手千眼観自在菩薩。
奈良時代の717年(養老元年)、インドの高僧・善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう 637-735)が来朝した際、この地から紫雲が立ち昇るの見て霊地と悟り、梵天帝釈の二童子から授かった千手観音像を安置したのがはじまり。
その後、771年(宝亀2年)に第49代・光仁天皇(こうにんてんのう 709-782)の勅願寺となり、堂宇が造営されるとともに「千手院」と号し、更に平安遷都後の795年(延暦14年)には第50代・桓武天皇(かんむてんのう 737-806)より「縁城寺」の寺号勅額を賜わっています。
また弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい 774-835)は若い頃、当寺に三蔵の「天衣記」があると聞いて来錫し、「発信貴山(はしきさん)」の山号額を自ら書き残したといい、桓武天皇より縁城寺の寺号、空海より発信貴山の山号を頂き、平安期には隆盛を極めました。
その後一時衰退するも、988年(永延2年)に第66代・一条天皇(いちじょうてんのう 980-1011)の勅願寺になると再興されて寺運が隆盛、以来丹後地方の庶民の信仰の中心として最盛期には広大な境内に七堂伽藍が建ち並び、仁王門から金堂までの300m余りに7院25坊を擁する奥丹後随一の名刹として名を馳せたといいます。
その後も3度の大火に遭いながらもその都度再興されてきましたが、1871年(明治4年)の廃藩置県に伴う寺領荘園の召し上げと廃仏毀釈の風潮などにより衰退を余儀なくされ、1927年(昭和2年)の「丹後地震」では勅使門・仁王門・庫裡などが全壊、1963年(昭和38年)の豪雪では多宝塔上層部が倒壊するなどの災難を乗り越え現在に至っています。
「本堂」「多宝塔」に加え重文の「石造宝筺印塔」や秘仏の「木造千手観音立像」など多くの寺宝を所蔵するほか、緑豊かで静かな境内には巨木も多く、中でもシイ林は「京都の自然200選」に選定されています。
行事としては4月に無病息災・家内安全などを祈願して開催される「火渡り柴燈護摩大祈祷」のほか、弘法大師空海の秘法により病気平癒を祈願する7月土用の丑頃の「黄瓜祈祷(きうり加持諸病封じ)」などが知られているほか、毎年10月18日には多くの寺宝が公開される「宝物虫干し展示」が開催されています。
また定例行事以外にも寺子屋修行や自然教室、終活塾などの地域社会との交流を図るイベントを積極的に企画するなど、地域とともに歩み、人の心に寄り添う寺を目指しているといいます。
縁城寺の施設案内
境内
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勅使門
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参道
勅使門から石段まで約300m
往時はこの両脇に塔頭が並んでいたという
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橋木区簡易児童遊園地
参道途中左
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弁才天
参道途中右、弁天池のそば
音楽・弁才・福智・延命・除災・得勝の女神
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縁城寺霊苑入口
弁財天の向かい
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馬鳴菩薩
参道途中左
織物産業の守護神
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第一駐車場
参道途中左手
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庫裡
境内入口手前左手
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境内入口
正面に本堂への石段、左手に六地蔵などの小さな石仏群、右に案内板が3つ
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由緒書・文化財・主要寺宝と主要年中行事の案内板
境内入口手前右
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四国西国秩父坂東順拝供養塔
境内へ続く石段の手前右
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地蔵群
境内へ続く石段の手前左
六地蔵や祠が並ぶ
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石段
本堂へと続く
転倒防止のためのグリーンのシートが珍しい
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稲荷大明神・淡島大明神
石段の途中左
稲荷大明神は農業・産業の守護神、淡島大明神は医薬・婦人の守護神
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スダジイ
本堂へ向かう石段の途中右手
樹齢約400年、樹高16m、幹周6.32m
境内にはこの他に3本のシイの木があるといい「縁城寺のシイ林」として「京都の自然二百選」に選定
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本堂への参道
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鐘楼
石段上がってすぐ左
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阿弥陀堂
参道左
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宝篋印塔
本堂手前左、阿弥陀堂の前
正平6年(1351年)の銘があり国の重文
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多宝塔初層
石段上がってすぐ右
1832年(天保3年)に建立されたが、1963年(昭和38年)の豪雪によって2層目が倒壊
以降初層に銅版の切妻屋根を乗せた状態となっている
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子安弘法大師
参道右
子授・安産・育成の守護尊
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本堂(金堂)
江戸末期の1846年(嘉永元年)の再建
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仁王像2躯
本堂正面の外廊下に安置されている
かつては勅使門の後ろにあった仁王門に安置されていた
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収蔵庫
本堂の背後にある石段を上がった先
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鎮守
本堂の右奥
護法薩善神・三宝大荒神・熊野大権現
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周辺
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發枳神社(からたちじんじゃ)
地元の氏神
10月の秋祭りでは神輿が縁城寺の境内を訪れる
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縁城寺の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
修正月会(しゅしょうがつえ)
新年の除災招福を祈る護摩の祈祷会
- 2月節分
属星供
節分祈祷
- 2/14
涅槃会
- 3/1
大般若転読法会
10:00
大般若経転読の功徳によって鎮護国家、除災招福等を祈願- 3月春分の日
春彼岸会・檀徒総会・総役
- 4/21
弘法大師正御影供
- 4月下旬
火渡り柴燈護摩大祈祷
10時より
年間行事の中でも最も重要な行事
法螺貝の音とともに山伏たちが境内へ入場し、境内に張った結界の中で山伏が法弓・法剣による結界祈念を行った後、護摩壇に点火 燃え盛る護摩壇に願い事の書かれた護摩木を投げ入れ、家内安全、無病息災、開運招福、国泰安穏などを祈願
炎の勢いが収まった11時頃より、最後に焼けた檀木を並べて住職や山伏、続けて参拝者たちが願いを込めて火渡りを行う- 5/8
花祭り(釈尊降誕会)
- 6/15
青葉祭りの日
弘法大師空海の生誕の日
- 7月土用の入りの最初の日曜
黄瓜祈祷(きうり加持諸病封じ)
弘法大師空海が丹後を訪れた際、難病に苦しむ人々を憐み黄瓜(マクワウリ)を用いて祈祷をした所、病根は黄瓜に移り、これを土中に埋めて土に還る頃には病が完治したと伝わる
- 7月末
はしぎの観音さん寺子屋修行
毎年夏休みに地域の子供たちに寺を開放し一日体験修行をしてもらう企画
お勤めの作法を学ぶほか、座禅や法話、境内の自然観察や滝修行なども- 8/9
千日会・盂蘭盆会・施餓鬼会
- 9月
秋彼岸会
- 10月中旬
發枳神社秋のお祭り(氏神祭礼神輿巡行)
氏神様の神輿が境内を練り歩く
- 10/18
宝物虫干し展示
10:30~13:30頃(雨天中止)
- 11/7
勧請開山忌
- 12/8
成道会
- 12/31
除夜法会・除夜の鐘
月並行事
- 毎月17日(4・8月を除く)
縁日護摩
千手観音のご縁日
10時半より護摩法会・法話・接待