京都市左京区一乗寺松原町、白川通と曼殊院の交差点を東へ進み、坂道をしばらく登り、詩仙堂のすぐ隣りに鎮座する神社で、一乗寺の産土神、氏神として崇敬を集めています。
鎌倉時代の1294年(永仁2年)3月15日に創建され、室町時代の「応仁の乱」により焼失し荒廃しましたが、安土桃山時代の慶長元年(1596)に再建されています。
東北隅の表鬼門に位置し、古くから方除け・厄除けの神として知られ、また祇園社と同格で「北天王」「北の祇園」と称し皇居守護神十二社中の一社にも数えられていました。
このため後水尾天皇や、霊元天皇、光格天皇らの修学院離宮行幸の時には同社に立ち寄り、白銀などが奉納されたといいます。
また剣豪・宮本武蔵ゆかりの神社としても知られ、1604年(慶長9年)に八大神社の境内地である「一乗寺下り松(さがりまつ)」にて武蔵と吉岡一門が決闘した「一乗寺下り松の戦」当時の下り松の古木が、武蔵が戦いの前に八大神社に立ち寄った縁から本殿西に保存されているほか、参道の右手にはガラス張りの掲示板があり、その中には中村錦之介、後の萬屋錦之介主演の「宮本武蔵~一乗寺での決闘」のポスターやパネルがずらりと展示されています(高倉健が佐々木小次郎役で出演)。
この他に2002年(平成14年)10月27日には、拝殿前に決闘当時の若い頃の姿を再現したという二刀流で構えた宮本武蔵像も建立されているほか、お守りも二刀流の宮本武蔵にちなんで「刀の鍔型武蔵お守り」、絵馬も「宮本武蔵絵馬」など、「宮本武蔵ゆかりの神社」として歴史ファンなどから人気を集めています。
比叡山麓の一帯にはかつて七里(ななさと)それぞれに産土神、即ち一乗村には八大神社、高野村には御霊社(祟道神社)、修学院村には天主社(鷺森神社)、舞楽寺には天王社(八王子社)、藪里には比良木天王社(牛頭天王社)、山端には牛頭天王社、白川村には天王社(北白川天満宮)が祀られていました。
そしてこのうちの藪里・牛頭天王社および舞楽寺・八大天王社が1873年(明治6年)に八大神社に合祀され現在に至っています。
祭神は祇園社(八坂神社)と同神で、古くは牛頭天王(ごずてんのう)、婆梨采女(はりさいにょ)、八王子(五王子三王女)の神仏習合の祭神を祀り、現在は素盞嗚命(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八王子命(はちおうじのみこと)が祀られています。
この点、八柱御子神は八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命の8神をいいます。
一乗村の産土神として地元の人々に厚く信仰され、また東北隅の表鬼門に位置し、古くから「方除け・厄除け」の神として信仰を集めたほか、素盞嗚命が出雲国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したこと、また宮本武蔵の由緒から勝負事・受験の「必勝祈願」、更に八岐大蛇退治がきっかけで素盞嗚命と奇稲田姫命が結婚したことから「縁結び」のご利益でも知られ、神前結婚式も行われているほか、大国主命(オオクニヌシノミコト)の教育を素戔嗚命が請け負ったことから、「学業成就」のご利益でも知られています。
現在の本殿は1926年(大正15年)の造営で少し高い位置に鎮座し、その横に末社が綺麗に並ぶようにして配され、境内奥には御神木の巨大な樅木(もみのき)もあります。
そしてこの他に境内の参道脇の「鎮守の森」には、国指定天然記念物の「淡墨桜(うすずみざくら)」が植えられていることでも知られています。
満開を過ぎると花弁が淡いピンク色から薄い墨色に変わる大変珍しい桜で、岐阜県本巣郡根尾村より1993年(平成5年)に八大神社の鎮座七百年祭の記念として植樹されたものです。
また境内を出て少し南へ下がった鳥居のそばにある武蔵の決闘の地にもなった「一乗寺下り松」は、一乗寺のシンボル的存在として有名です。
一帯は平安の昔から、近江から京に通じる交通の要所であった場所で、旅人の道しるべに松の木が植えられてきたといい、名前の由来は平安中期から南北朝時代頃までこの地にあった「一乗寺」という寺の名前にちなんだものです。
寺は衰退して現存しませんが、下り松は旅人の目印として代々引き継がれ、現在の松は4代目です。
他にも八大神社には「柏」「龍」「菊」の3基の大きな剣鉾があり、毎年5/5の「神幸祭(氏子祭)」の際には神輿のほかに剣鉾巡行も行われ、京都市無形民俗文化財にも指定されている見事な「剣鉾差し」を楽しむことができます。