京都市左京区一乗寺花ノ木町、古くから比叡山延暦寺へと続く参道であり、現在は詩仙堂や曼殊院などの洛北の名刹や宮本武蔵の下り松の決闘で有名な一乗寺下り松などのスポットでも知られる一乗寺に店を構える和洋菓子のお店。
1935年(昭和10年)の創業で、一乗寺名物「でっち羊かん」で知られています。
「でっち羊かん」とは、名前の由来は諸説あるものの職人や商人の家に年季奉公をする少年「丁稚(でっち)」から来ているといいます。
江戸時代から昭和初期にかけて、商人を志す場合はまず商家に住み込みで奉公し、雑役をこなす一方で商売の流れやしきたり、読み書きやそろばん、金銭の勘定などを習いながら、年期をかけて修行するのが習わしでした。
その最下級の奉公人が丁稚で、衣食住は保障される代わりに無給であり、約10年をかけ手代となることで給金が支給されるようになり、やがて番頭となり、更に暖簾分けを許されて自分の店を持てるようになれるのはほんの一握りの狭き門であったといいます。
丁稚は主に正月と盆だけ故郷に帰ることが許されている場合が多かったといいますが、その里帰りのお土産として親しまれたことから、この名前がついたとも、あるいは丁稚が練り羊羹を作った後、鍋に残った羊羹に水を混ぜ、水ようかんのようにしたものを好んで食べていたことからこの名がついたともいわれています。
その他にも菓子屋用語でこね合わせることを「でっちる」ともい、小麦粉や米粉と小豆あんを練り合わせる工程から「でっちる羊羹」、転じて「でっち羊羹」となったという説もあるといいます。
その発祥は近江八幡の「和た与」というお店、砂糖問屋の綿伍に奉公していた初代・小川与惣松が作り出したものが評判となり、暖簾分けを許されて専業化し、1863年(文久3年)に主家の一文字をもらって「綿与」という店を創業したのがはじまりといわれています。
平べったい形で持ち運びやす、また竹の皮には抗菌作用があったため長旅にも重宝されたほか、安くて美味しい上に、腹持ちも良かったことから庶民のお菓子の代表として親しまれたといいます。
この点、呼び方は同じでも京都や近江八幡などでは「蒸し羊羹」、福井や伊賀上野などでは「水羊羹」というように、蒸し羊羹か、煉羊羹、水羊羹を指すかは地域によって様々ですが、関西では竹の皮で包まれた蒸し羊羹が一般的だといい、更に京都においては「西谷堂(にしたにどう)」や「大黒屋鎌餅本舗(だいこくやかまもちほんぽ)」そして「一乗寺中谷」のものがよく知られています。
そして一乗寺のでっち羊羹は江戸時代より一乗寺村の若人衆が滋賀の日吉大社の祭の輿かきに出向いた際、弁当がわりに用いたのが起こりといい、小豆と米粉を練り合わせて竹の皮で包んで蒸したものです。
竹の皮の香りが羊羹に移り、風情があるのが特徴で、どこか懐かしさを感じさせる素朴で控えめな甘さが人気を集めています。
一乗寺中谷では今日でも「丹波地元より直接仕入れた大納言小豆を使い、あっさりとした高級白双糖で粒あんを作り米粉と練り合わせ、竹の皮に流して蒸し上げる」という昔ながらの伝統が受け継ぎ、3代にわたってでっち羊かんを作り続けており、一乗寺銘菓として広く親しまれています。
その他にもユズ餡を羽二重風の餅で包んだ「詩仙もち」や、武蔵ゆかりのこの地にちなんだお菓子「武蔵まんじゅう」、また近年ではパティシエールとして働いていたという3代目夫人による京都らしい趣のある和と洋を融合させた新しい洋菓子やスイーツも好評で、「絹ごし緑茶てぃらみす」「ざるわらび」「わらびもちパフェ」「豆乳プリン」などが人気。
とりわけ「絹ごし緑茶てぃらみす」はお豆腐を使ったお抹茶のティラミスで、ネットでの注文は数か月待ちになることもあるという人気商品です。
手土産として持ち帰るのはもちろん、京町家をイメージさせる店構えの店内には懐かしい雰囲気のカフェスペースも用意され、飲み物と一緒に和洋菓子を楽しめるほか、京情緒たっぷりのご飯ものも用意されていて、洛北の季節の移ろいを感じながら一息つくことができます。