京都市南区吉祥院政所町、西大路十条を西へ進んだ北側に鎮座し、学問の神様「菅原道真公」を祭神とする最初の天満宮と伝わる神社です。
天満宮に受験合格・開運招福のご利益で知られる学問の神様・菅原道真、更に吉祥院(吉祥天女社)には吉祥天女のほか、菅原清公卿、菅原是善卿、伝教大師、孔子を祭神として祀ります。
元々は菅原道真の祖父・清公が邸内に建立し菅原家の氏寺とした「吉祥院」がはじまり。
この点、道真の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)は平安遷都に際し、桓武天皇に随行し入京し、現在の吉祥院にあたる白井の庄の地に領地を賜り邸を構えました。
そして祖父・菅原清公(きよきみ)の代に菅原へ改姓。
清公は、804年(延暦23年)に遣唐使の命を受けて唐へ向かう途中(ないし帰国時)に暴風が起こり船が転覆しかけるという災難に遭遇しますが、同船していた天台宗の祖として知られる僧・最澄(伝教大師)と共に船上にて吉祥天女に平安を祈ったところ、たちまち天女が空中に現れて風雨が静まり難を逃れます。
嵐に遭遇しながらも吉祥天女の霊験を得て使節の任を無事果たして帰国すると、808年に自らの屋敷の庭上に一堂を建立。
自ら刻んだという吉祥天女の尊像を安置し最澄に依頼して開眼供養が行われたとい、更に堂を「吉祥院」と号して国家鎮護の祈願所とともに菅家守護の本尊としたのが、「吉祥院」の地名の由来だといわれています。
創建については9世紀の中頃に清公の子で道真の父・菅原是善(これよし)が邸中に仏寺として吉祥院を建立し氏寺としたともされており、以来、菅原家は吉祥天信仰となったといいます。
その後、菅原道真が845年(承和12年)6月25日にこの地で誕生すると、862年に18歳で文章生に合格して、宮仕えのため大内裏近くの宣風坊(五条西洞院付近)に転居するまで同地に住んでいたとされ、「菅原道真公生誕の地」と伝わっています(生誕の地には菅大臣神社など異説もあり)
道真はその後33才の若さで文章博士、また学者としては初めて右大臣に起用されるなどの活躍を見せますが、その出世を快く思わない有力者たちも多く、901年に左大臣・藤原時平の醍醐天皇への讒言により太宰権帥(ごんのそち=副長官)の名目で左遷に遭い、903年(延喜3年)2月25日に京への帰還を果たせぬまま大宰府の地で没します
その後、その怨霊鎮魂と折からの天神信仰の高まりの中、没後31年目に当たる934年(承平4年)に菅原家ゆかり・道真公御誕生の地である吉祥院において、朱雀天皇が自ら道真の像を刻み、この地に社殿を築いて道真の霊を祀りましたが、これが吉祥院天満宮のはじまりと伝わっています。
そして京都市上京区の北野天満宮よりも早い時期の創建であることから「最初の天満宮」とされています。
1109年(天仁2年)の菅公200年忌には鳥羽天皇の勅祭が盛大に行われ、以来毎年2月25日には法華八講料を賜ったといい、その後も歴代の天皇により年々盛大に勅祭が行われるようになりますが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉により神領・八講料などを悉く没収された上、勅祭も廃止という憂き身を見、更に江戸時代を通じても規模縮小を余儀なくされましたが、1902年(明治35年)の菅公千年祭以来、氏子崇敬者の篤い支援を得て順次復興。境内神域の拡張整備もなされて現在に至っています。2008年には創建1200年祭も執り行われました。
本殿、舞楽殿のほか吉祥天女堂などの社殿がありますが、建物は幾度となく焼失と再建を繰り返しており、現在の本殿は1953年(昭和28年)に改築されたもの。
また現在の吉祥天女社は1850年に再建されたもので、1928年(昭和3年)には大修理も行われています。ちなみに吉祥天尊像は応仁の乱の際に焼失を恐れて土中に埋め難を逃れたといわれています。
この他にも境内には、
道真のへその緒を埋めたと伝えられる「胞衣塚(えなづか)」
少年時代に習字に使用したという泉の跡「硯の水(硯之水)」
朝廷に参朝の時に顔を写したと伝える「鑑(かがみ)の井」
など道真ゆかりの遺跡が多く残されています。
ちなみに学問の神様・菅原道真公を祭神とする「天満宮」は全国各地にありますが、京都にある「菅原院天満宮」を第1番として、京都から九州の大宰府までの特に由緒のある25社を選んで順番に参拝する「菅公聖蹟二十五拝(かんこうせいせき)」の風習があり、その第4番にあたる神社として崇敬を集めるとともに、また「京都十六社朱印めぐり」の一社にも数えられています。
行事としては吉祥院に古くから伝わる「吉祥院六斎念仏」が国の重要無形民族文化財に指定されるなどよく知られており、毎年春と夏、春季大祭の4月25日・夏季大祭の8月25日に奉納されているほか、毎月10日には「吉祥院ガラクタ市」も開催されています。
また春は桜の名所としても知られ、ひっそりとした境内で満開の桜をゆっくり堪能できるほか、5月はピンクや朱、白のツツジが美しいことでも知られています。