朝代神社
朝代神社とは?(基本データ)
- 名前
- 朝代神社(あさしろじんじゃ)
- エリア
- 舞鶴
- ジャンル
- 建立・設立
- 伝・672年(白鳳元年)
- 祭神
- 伊弉諾尊(朝代大神)
- ご利益
- 夫婦円満・縁結び・子宝、厄除け
- 例祭
- 5/3(春季例大祭)・11/3(秋季例大祭)
他に吉原の太刀振(4年に1度の11/3)などが知られる - 神紋・社紋
- 五七の桐
- アクセス
- 駐車場
- あり(無料)
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒624-0842
京都府舞鶴市朝代13 - 電話
- 0773-75-0132
- FAX
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- 公式サイト
- 京都府登録無形文化財・舞鶴市指定文化財 吉原太刀振 Facebook
朝代神社祭礼芸屋台・見送幕 文化遺産オンライン
朝代神社の地図
朝代神社のみどころ (Point in Check)
京都府舞鶴市朝代、愛宕山の東麓、JR西舞鶴駅前から西へ500m進んだ先の円隆寺の北隣に鎮座する神社で、現在も旧舞鶴町全域に氏子区域を持つ西舞鶴地区でも最大規模を誇る神社。
飛鳥時代、天武天皇の時代の672年(白鳳元年)に淡路島の日ノ少宮(ひのわかみや)(伊弉諾神宮)より国生みの神として知られる伊弉諾尊(イザナギノミコト)を勧請したのがはじまり。
この点、淡路島は伊弉諾尊が天照大神(アマテラスオオミカミ)・月読命(ツクヨミノミコト)・素戔嗚尊(スサノオノミコト)の三貴神を生み、それぞれの神に天上界である高天原・夜之食国・海原を委任した後に幽宮(かくりのみや)という宮殿を建てて隠居した場所として知られていて、初めての夫婦神として夫婦円満・縁結び・子授け、また罪穢を祓う厄除けなどのご神徳などで知られている神様です。
その後については江戸中期の1732年(享保17年)の大火により記録を消失しており資料が乏しいといいますが、江戸期には城下町・田辺の産土神として舞鶴の地を治めた田辺藩の歴代藩主からも崇敬が篤く、神輿・鳥居などの奉納が続いたといい、士民を挙げての秋の祭礼は大いに賑わったと伝えられていて、また江戸後期に編纂された「神祇管領吉田家諸国社家執奏記」には「田辺朝代社同大河社」として丹後国十一社の一つにも数えられていました。
そして1928年(昭和3年)には府社に昇格し、「朝の参りは朝代さんよ」「日毎夜毎の朝代参り」などと民謡にも唄われていたといいます。
現在の本殿は1732年(享保17年)の大火によって失われた後、1739(元文9年)に再建されたもので、舞鶴市指定文化財に指定。
また境内には江戸や明治時代の狛犬がいくつも残っていて、人々の信仰の深さが窺い知れます。
例祭は5月3日に「春季例大祭」、11月3日に「秋季例大祭」を開催。
この点、1654年(承応3年)より京都所司代を務め、1668年(寛文8年)に京極氏に代わって摂津・河内国から丹後田辺へ転封となり、牧野田辺藩の初代藩主となった牧野親成(まきのちかしげ 1607-77)は厳正な政策を行って藩政の基礎固めに専念する一方で、神社仏閣の祭礼行事を大いに奨励したといい、朝代神社においても秋季例大祭にて吉原から太刀振、平野屋から太神楽がそれぞれ奉納されるほか、各町から芸屋台や太鼓やぐらが神賑として出されるのが通例だといい、JR西舞鶴駅内には江戸後期に当社の祭礼に使われたという芸屋台や祭礼絵巻などが展示されていて、往時を偲ぶことができます。。
現在はこれら秋季例大祭の行事のうち「吉原の太刀振」が4年に1度の間隔で奉納されており、舞鶴を代表する民族芸能・伝統行事の一つとして京都府登録無形文化財に指定されています。
これは「関ヶ原の戦い」における前哨戦となった田辺城籠城戦の際、西軍の大軍勢に包囲された細川幽斎の田辺城を守るために吉原の漁村の漁師たちが援護し、その功績によって戦後に細川氏によって吉原漁民に許されたという武道の型を伝えるものだといい、元々は東吉原地区のみの行事でしたが、子供が少なくなった現在では、昔太刀振りを経験したメンバーが作る「吉原太刀振り保存会」によって保存・運営されているといいます。
朝代神社の施設案内
境内
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一の鳥居
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「府社 朝代神社」の社号標
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歌碑
一の鳥居くぐってすぐ右
「三日月の おぼろの夜や 梟は 今年はじめて 森番をなす」(西村尚 白峯神宮名誉宮司・朝代神社宮司)
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二の鳥居
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由緒書
二の鳥居左手
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参道
二の鳥居くぐって左へ
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石段
参道突き当りを右へ、石段上がると本殿へ
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手水舎
石段上がって左
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秋葉神社
手水舎の右隣
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参道
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拝殿・本殿
石段上がって正面
1732年(享保17年)の大火の後、1739(元文9年)に再建、舞鶴市指定文化財
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神馬舎
本殿右
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奥姫稲荷神社
本殿裏右端
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稲荷神社・須賀神社・多賀神社/恵比寿神社・工匠神社
稲荷社の左に四社並ぶ
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末社
四社並びの左
左から大国神社・松尾神社/梅宮神社・祇園神社・疫神社
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天満宮
末社の左、本殿裏左端
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石碑
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社務所
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石段
二の鳥居くぐって左の参道の途中に駐車場・朝代会館と行き来する石段がある
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駐車場
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朝代会館
周辺
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宮前通
朝代神社の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
歳旦祭・初詣
年明け1/1の0時より「歳旦祭」
宝船木版画や神札・各種お守り・神矢などを授与- 2/22
お日待祭
- 5/3
春季例大祭
神事のほか、空手の演武や舞の奉納、福引きなど
- 5月下旬の日曜
田辺城まつり 寄進米みこし
1600年(慶長5年)の「関が原の戦い」が行われる2ヶ月前、田辺城に西軍の15,000人の大軍勢が攻め寄せるとの報せを受け、町衆が米を寄進した故事にちなんだ行事
北は吉原の水無月神社、西は西町見樹寺、南は朝代神社と旧町内にある神社仏閣にて、舞鶴の発展と市民の幸福を祈願して米俵みこしを担ぎ約2時間走り回り、氏子町内では盛大な出迎えが行われる
人手不足から一時期休止となっていたが、海上自衛隊の協力で復活- 6/30
水無月大祓
茅の輪くぐりあり
- 11/3
秋季例大祭
約260名の氏子らによる神輿などの神幸行列が朝代神社~舞鶴公園~朝代神社の西舞鶴市街地の約8kmを練り歩く
8:00頃に神社前で出発式、市長らが激励の挨拶
8:20頃に朝代神社を発御
9:30~10:00頃 水無月神社
11:00~14:30頃 舞鶴公園にて祭儀
15:30頃 朝代神社に還御- 11/3(4年に1度)
吉原の太刀振
「関ヶ原の戦い」における前哨戦となった田辺城籠城戦の際、西軍の大軍勢に包囲された細川幽斎の田辺城を吉原の漁村の漁師たちが援護
その功績により戦後細川氏によって吉原漁民に許されたという武道の型を後世に伝える民俗芸能
4年に1度奉納される舞鶴の伝統行事の一つで、京都府登録無形文化財に指定
元々は東吉原地区のみの行事でしたが、子供が少なくなった現在では、昔太刀振りを経験したメンバーが作る「吉原太刀振り保存会」によって保存・運営
7:00 朝代神社で奉納
12:00 舞鶴公園
19:00 吉原小学校運動場
月並行事
花ごよみ
皐月(サツキ)
朝代会館の石標の周囲の生垣