京都府宮津市宮町、丹鉄宮津駅より北西へ約1.5km、宮津城下西部の標高120mの滝上山の南東麓、松ヶ岡と呼ばれる宮津城下ならびに宮津湾を望む丘の上をに鎮座する神社。
平安時代より宮津郷の総産土神として崇敬を集め、地元では「さんのうさん」、「ひよしさん」と呼ばれて親しまれている神社です。
本殿右隣にある境内摂社の「杉末神社」から続く宮津城下町で最古の神域を有する神社で、社記によれば杉末神社は572年(敏達天皇元年)にこの地に鎮座したと記され、平安初期の927年(延長5年)にまとめられた当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧「延喜式神名帳」にも式内社として宮津で唯一登載されている歴史を有する神社です。
遥か昔の宮津の地に人が住み着いた頃から宮津の守り神として崇められ、奈良時代の平城宮跡の木簡に記された地名である「宮津」、すなわち「宮(神社)のある津(船の着く所)」という地名の由来にもなっているといいます。
その後、平安中期~後期に杉末神社の境内に比叡山延暦寺の鎮守神としても知られる近江坂本(滋賀県大津市坂本)の「日吉大社」より山王の神、すなわち大山咋神(おおやまくいのかみ)および大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主神)を勧請し末社として迎えたのが「山王宮」のはじまりと考えられています。
そして江戸時代に入ると「山王宮」が宮津藩の守護神とされ、神域の中心に主神として祀られるとともに、式内・杉末神社は摂社として宮津西地区の守り神となります。
この点「宮津藩」は1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの功によりそれまで丹後の地を治めていた細川忠興が豊前小倉藩へ加増・転封となると、京極高知(きょうごくたかとも 1572-1622)が徳川家康から丹後一国を与えられ丹後藩が成立した後、高知の3人の子により丹後藩が三分割されて宮津藩、舞鶴藩(田辺藩)、峰山藩の丹後三藩が成立して生まれた藩で、その後、宮津藩の京極家が1666年(寛文6年)に改易されると幕府直轄・永井家・阿部家・奥平家・青山家と目まぐるしく藩主が入れ替わり、1758年(宝暦8年)に本庄松平家が藩主となってからはようやく落ち着き、幕末まで存続しました。
これら歴代の宮津藩主の寄進によって本殿や幣殿・拝殿のみならず、神輿や灯籠などに至るまでが次々と再建されて境内が整備されるとともに、5月15日の例祭「山王祭」が江戸時代には藩祭と定められ、城を挙げての大祭として町衆のみならず藩の武士までが行列に参加していたといい、「宮津祭」の別名はこのことから生まれたものだといいます。
その後も「山王社」の名で親しまれ、明治期の神仏分離で「日吉神社」に改めらて仏教色は排除されるも、現在も地元では「山王社」で呼ばれて多くの人々に親しまれています。
ご神徳としては日吉の神が「災難除去」の神として悪霊を遠ざけ災難より万物を守る魔除けの象徴として知られているほか、その神使でもある猿が昔から安産の象徴とされていた犬と同じように元気に子を産み、健康に育てていくことにちなみ、古くから「安産・子育て」の神様として信仰を集めていて、山王宮でも一年を通し数多くの参拝者が丹後一円より安産の祈願に訪れるといいます。
現在の境内には本殿を中心に摂・末社を含めて8つの社が存在しており、中でも江戸初期に再建された本殿は与謝郡一帯に分布する社殿形式の最古の例として京都府指定文化財に指定されているほか、他の摂・末社の多くも文化財として登録されています。
また神域には樹齢800年を超える御神木の「椎」のほか、ともに宮津市の天然記念物に指定されている樹齢400年以上で時の藩主・永井尚長が植樹命名したとの記録が残る「含紅桜(がんこうざくら)」や漱玉亭の「大さざんか」などの巨木が数多く点在しており、神域全域が「文化財環境保全地区」にも指定されています。
この他にも境内の北西に位置する「漱玉亭跡庭園」は、背後の滝上山山麓の自然林を借景に滝石組による人工の瀑布を設けた庭園で、時の宮津藩主・京極高広が作庭し、その後藩主となった永井尚長が拡張した歴史を有し、宮津市の名勝に指定されています。
行事としては毎年春の5月15日に行われる例祭の「山王祭(宮津祭)」がもっとも有名。
この点、宮津の旧城下町は西堀川を境界として東町と西町に大きく分けられ、東地区が「和貴宮神社」、西地区が「山王宮日吉神社」の氏子となっていて、山王宮日吉神社の祭礼は春、和貴宮神社の祭礼は秋に行われていましたが、第二次世界大戦後に両者の例祭は同じ5月15日にほぼ同時進行で行われることとなり、2つの祭を合わせて「宮津祭」と呼ぶようになりました。
そして山王宮日吉神社の祭典の方は「神輿」の巡行を中心に神楽「浦安の舞」や「浮太鼓」「太神楽」など数多くの見どころがあり、多くの見物客で賑わいますが、中でも「浮太鼓」は漁師町で完成され今日まで伝承されてきたもので宮津市の無形文化財に指定されている伝統芸能です。
またこの他にも秋の10月体育の日に式内社・杉末神社の例祭(西祭)に合わせて行われる「赤ちゃん初土俵入」も有名で、幼児が化粧まわしを身に付けて見えない神を相手に相撲を取り、神聖な土俵の砂に尻を付くことで健康に育つとされる珍しい神事で、各種メディアにもよく取り上げられて注目を集めます。