京都市北区西賀茂角社町、世界遺産・上賀茂神社の西に位置する西賀茂地域の産土神として知られる神社。
この点、京都市内には複数の大将軍神社が存在することから、それらを区別するため「西賀茂大将軍神社(にしがもたいしょうぐんじんじゃ)」と呼ばれることもある神社です。
社伝によると飛鳥時代の609年(推古天皇17年)、この西賀茂にあった古代の役所・官衙(かんが)の瓦窯で働いていた人々の瓦屋寺の鎮守社として建立。
そして794年(延暦13年)、第50代・桓武天皇の平安京造営に際しては、王城鎮護のため京都の四方に「大将軍神社」が祀られましたが、当社はそのうちの北方の守護神とされたと伝えられています。
その後は西賀茂地域(今原・鎮守庵・総門・田尻)の産土神(氏神)として、地域の人々に厚く崇拝されてきました。
主祭神として磐長姫命(いわながひめのみこと)とその家族神4柱の計5柱を祀り、王城鎮護(北方)、方除け、そして不老長寿・延命長寿のご神徳で知られています。
現在の本殿は1591年(天正19年)に造営された上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社・片岡社の旧本殿を、江戸初期の1629年(寛永6年の)の賀茂社造営の際に氏子たちが譲り受け、1628年(寛永5年)から1636年(寛永13年)の間に移築したもの。
一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、流れ造社殿としては賀茂社(上賀茂・下鴨)の現存する社殿として最古の建物とされ、同じく同時期に受領した片岡神社の刻銘のある2個の鉄燈籠とともに、1985年(昭和60年)に京都市指定有形文化財に登録されています。
また本殿や拝殿を中心とした境内に鎮座する建築物群とそれを取り囲む樹木とが一体となって鎮守の森としての景観をよくどどめており、優れた境内環境を形成しているとして、1985年(昭和60年)6月1日に境内全域が京都市の「大将軍神社文化財環境保全地区」に指定されています。
行事としては毎年10月下旬に執り行われる「例祭」が有名で、前日の夜に「宵祭」の神事として餅搗き(もちつき)が行われた後、当日の神輿巡行では、主に小学校高学年の女子7名で構成される「乙女」たちが神饌物を納めた御舟を頭の上に乗せて運び、行列の主役を務めます。
この点、大将軍は日本古来の神ではなく中国の風水思想から生まれた陰陽道における方位神で、奈良時代頃日本に入り、平安中期から鎌倉初期にかけて最も盛んに信仰を集めたといい、建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神として、長きにわたり民間の崇敬を集めてきた神様です。
大将軍信仰は、最も盛んだった江戸時代には全国的に広まっており、一村一社といわれるほどに「大将軍社」があったといいますが、「神仏分離令」を機に多くの大将軍神社が姿を消し、現在は大将軍を祀る神社は多くはありませんが、京都には西賀茂のほかに現在、大将軍神社として
【北】今宮神社大将軍社
【南】藤森神社大将軍社
【西】大将軍八神社
【東】東三条大将軍神社
が現存しています。