京都市右京区梅ヶ畑高鼻町、京都市内から高雄の神護寺や栂ノ尾の高山寺へと向かう途中の国道162号線(周山街道)沿いの高雄病院のやや東にある浄土宗寺院。
安土桃山時代の1586年(天正14年)に都に疫病が流行した際、その浄穢の法力にすがり疫病を退散させるため然誉上人が「有樞沙摩明王(うすさまみょうおう)」を祀ったのがはじまり。
その後1788年(天明8年)の天明の大火にて焼失の後、1804年(文化元年)に信者が材木を持ち寄りうすさま堂が建立されたといいます。
有樞沙摩明王は古代インド神話においては「この世の一切の汚れを焼き尽くす」炎の神であり、密教においては明王の一尊で、穢れを祓い不浄を浄化する法力があるといわれることから密教系や禅宗寺院などでは便所に祀られることが多く、このため「トイレの神様」ともされています。
また頻尿や血尿、尿管結石などの下半身の病気や女性の生理痛にもご利益があるといい、多くの女性から信仰を集めています。
とりわけ創建当初は京都市中京区の裏寺町にあったことから、その場所がら祇園や先斗町といった花街の芸舞妓たちの信仰を集め、「うすさまさん」とか「うっさん」と呼ばれて親しまれたといいますが、1977年(昭和52年)に右京区梅ヶ畑に移転し現在に至っています。
この他にも有樞沙摩明王を祀る烏樞沙摩堂にある、歌舞伎俳優の故二代目中村鴈次郎が奉納したといわれるユニークな顔をした木彫りの河童の蟇股や、烏樞沙摩堂の横にある乳の出が良くなるというご利益がある「乳守地蔵」なども見どころの一つです。