京都市中京区三条通神泉苑町西入下ル今新在家西町、六角大宮を西へ2筋進んだ先にある神社。
三条から南の神社付近一帯の広い地域は「この地、藤原氏延命院の地なり」と平安時代の古図にも記されているように、西三条大臣といわれた当時の右大臣・藤原良相(ふじわらのよしすけ)が人々の健康長寿を願って創設した医療施設「延命院」と学問所「観学院」があった場所であり、「武信稲荷神社」はその鎮守社として平安初期の859年(貞観元年)に創建され、延命院の廃絶後、当社のみが残されたといいます。
また藤原武信という人物がこの社を厚く信仰し御神威の発揚に努めたことから「武信稲荷」と称されるようになり、創祀以来1000年余にわたって人々の営みすべてを見守る神様として広く人々に信仰されています。
また創建者である藤原良相が長として一族の名付けをされていたことから、命名・名付けにも神徳のある神社として知られています。
境内にある樹齢約850年のご神木の「エノキ」は、平安末期に平重盛(たいらのしげもり)が安芸の宮島・厳島神社から苗木を移したと伝えられる榎の巨木で、1985年(昭和60年)6月に京都市の天然記念物に指定されています。
末社「宮姫社」の弁財天が宿るといわれ、樹齢850年の生命力とエネルギーから健康長寿のご利益があるとされていて、エノキに触れた手で体をさすると病気が治ると言い伝えられています。
また一方で榎は「えんの木」と呼ばれることから「縁結び」、恋愛の神として崇敬を集めていて、神社には幕末の志士・坂本龍馬とその妻おりょうの逸話も残っています。
おりょうの父親が当時神社近くにあった「六角獄舎」に囚われていた時、龍馬はこの榎に登っておりょうの父の様子を窺っていたといいます。
そしてその際に龍馬は、後に訪ねてくるはずのおりょうへの伝言としてエノキの幹に「龍」の文字を彫ったといわれています。
このエピソードから近年は坂本龍馬ゆかりのスポットとしても注目を集めており、神社の絵馬にはこの榎と龍馬とおりょうの絵が描かれているものもあります。
行事としては5月第2日曜日に行われる「御例祭(さつき祭り)」では書道展示のほか、筝曲・仕舞などの奉納が行われ、また8月最終日曜日には幼稚園・保育園児、小学生らによる「子供みこし巡行」が行われ、地元の三条会商店街などを練り歩きます。