下御霊神社
下御霊神社とは?(基本データ)
- 名前
- 下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)
- エリア
- 京都御所
- ジャンル
- 建立・設立
- 863年(貞観5年)の「神泉苑御霊会」を由諸
平安初期に下出雲路の地(一条の北、寺町の東付近)に創建されたと伝わる(当初は御霊神社(上御霊神社)の南にあったことから「下御霊神社」と呼ばれるように)
その後鎌倉期に新町通出水(現在の京都府庁付近)、室町期に応仁の乱の兵火から逃れるため北山花園村と2度の移転の後
1590年(天正18年)に豊臣秀吉の都市政策に伴い現在の寺町通の地へ(革堂のすぐ北、寺町丸太町下る)
江戸時代以降は皇居(御所)の産土神として朝廷の篤い信仰を受け、歴代天皇の祈願文も納められた
それもあり社殿造営に際しては、御所の建物を贈られることが多い
享保年間(1716-36)に霊元天皇の霊を配祀(当社に行幸し、宸筆の祈願文を納めている) - 祭神
- [本殿八座] 八所御霊と称される
├吉備聖霊(キビノセイレイ) 吉備真備
├崇道天皇(スドウテンノウ) 桓武天皇の皇太子、早良親王
├伊予親王(イヨシンノウ) 桓武天皇の皇子
├藤原大夫人(フジワラノタイフジン) 伊予親王の母、藤原吉子
├藤原大夫(ふじわらだいふ) 藤原広嗣
├橘大夫(タチバナノタイブ) 橘逸勢
├文大夫(ブンノタイブ) 文屋宮田麻呂
└火雷天神(カライテンジン) 菅原道真とされることも多いが、神社の創建は道真が天神とされるよりも以前なので、神社側は六座の神霊の荒魂と解釈
[配祀・相殿]
└天中柱皇神 霊元天皇 - ご利益
- 鎮霊・厄除・病気平癒・家内安全・交通安全
- 例祭
- 5月第3または第4日曜(御霊祭)
- 神紋・社紋
- 沢瀉に水(水に沢瀉(おもだか))
- 札所等
- 京洛八社 集印めぐり
洛陽天満宮二十五社順拝 第13番(境内社・菅家天神) - アクセス
- 駐車場
- 自家用車(参拝者専用)
但し祭礼の時は不可 - 拝観料
- 境内自由・無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 拝観 6:00~20:00
社務所 9:00~17:00 - 住所
- 〒604-0995
京都府京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町634 - 電話
- 075-231-3530
- FAX
- 075-212-3747
- 公式サイト
- 下御霊神社
下御霊神社 Twitter
下御霊神社の地図
下御霊神社のみどころ (Point in Check)
京都市中京区下御霊前町、京都御所の南側、丸太町通と寺町通の交差点を南へ少し下がった寺町通沿いに鎮座する厄除けで有名な神社。
祭神は「八所御霊」と称され、吉備聖霊と火雷天神以外の崇道天皇・伊予親王・藤原大夫人・藤原大夫・橘大夫・文大夫の6柱はいずれも政争に巻き込まれ無実の罪などにより非業の死を遂げた人物。
この点、疫病の流行や天変地異は非運のうちに亡くなられた高貴な方々のお心によるものとされ、その方々の御霊を丁重にお祀りすることによって、災いをなくそうという、いわゆる「御霊信仰」に基づき、その霊を鎮めるために行われるお祭りのことを「御霊会(ごりょうえ)」といいますが、このうち863年(貞観5年)に勅命にて神泉苑で行われた「神泉苑御霊会」を由諸としています。
平安初期に下出雲路の地(一条の北、寺町の東付近)に創建されたと伝わり、御霊神社(上御霊神社)の南にあったことから「下御霊神社」と呼ばれるように。
その後鎌倉時代に新町通出水(現在の京都府庁付近)、室町時代には「応仁の乱(1467-77)」の兵火から逃れるため北山花園村と、2度の移転の後、安土桃山時代の1590年(天正18年)に豊臣秀吉の都市改造政策に伴い現在の御所南の寺町通沿いの地へと移されました(革堂のすぐ北、寺町丸太町下る)。
江戸時代以降は皇居(御所)の産土神として朝廷の篤い信仰を受け、歴代天皇の祈願文も納められたといい、それもあって社殿造営に際しては、御所の建物を贈られることが多かったといいます。
そして享保年間(1716-36)には当社に行幸し、宸筆の祈願文を納め霊元天皇の霊が配祀されています。
主な行事としては5月に開催される御霊会を起源とする「御霊祭」と、8月17・18日に開催され東遊(あずまあそび)の奉奏される「例祭」がよく知られています。
下御霊神社の施設案内
境内
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鳥居
朱塗り
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石標
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表門
本殿同様に仮御所の建礼門を移したものと伝わる
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拝殿
1798年の造営、市文化財
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本殿
1788年(天明8年)の天明の大火後、1791年(寛政2)年に再建
宮中の賢所御殿(仮御所とされた聖護院宮の内侍所)を移建したもので市文化財
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社務所
かつての神官の邸宅を利用した珍しい建築で貴重な遺構
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手水舎(下御霊の御香水)
京の三名水として有名な梨木神社「染井水」と同じ水脈といわれている
一度涸れたものの、氏子たちの手により再び深い井戸が掘られて水が湧き出るように
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神輿庫
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山崎闇斎祠堂碑
邸宅跡の石碑
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百日紅
区民誇りの木に指定
摂社・末社
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猿田彦大神・垂加社・柿本社
垂加社は垂加神道を唱えた江戸時代の国学者・山崎闇斎を祀る社で、下御霊神社神官・出雲路信直は闇斎の門下に学んだことから、闇斎の遺品が多数納められている
のち猿田彦社と合祀
柿本社は柿本人麻呂を祀る
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稲荷社
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宗像社
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八幡社・神明社(内宮・外宮)・春日社
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五座相殿社
日吉大神、愛宕大神、大将軍八神、高知穂神、斎部神を祀る
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大国主社
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下御霊天満宮(北野社)
下御霊神社の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
歳旦祭
- 2/3
節分祭
18:00より厄除祈祷、甘酒・御神酒無料接待
- 2/11
氏子餅つき祭
10:00より寒餅奉納、ぜんざい無料接待
- 3月第2日曜
梅和祭
お茶とお香の奉納、有料にて抹茶のふるまい
- 4~6月中頃の毎週日祝
春のお千度参り
- 4/29
鳳輦・神輿蔵出し、飾り付け
- 5/1~5月第3または第4日曜
御霊祭
氏子区域を巡行することで疫病や災禍を除け、都民守護を願うお祭り
神輿などの祭具類は歴代天皇の寄付といわれている
宵宮と両日は寺町通に露店が立ち並ぶ 明治期までは神輿迎が7月18日に御霊祭は8月18日に行われていたが、明治以降は5月1日が神幸祭、18日が還幸祭と改められ(現在は5月第3または第4日曜)、還幸祭前日の宵宮では地域の小学校と連携した子供神輿も催されている 8月18日は例祭日と定められ東遊が奉奏される- 5/1
神幸祭 遷座
- 5月第3または第4土曜
宵宮
子供みこし・十二灯
- 5月第3または第4日曜
還幸祭
当日は鳳輦(神幸列)と神輿が区域を巡行
神輿は全国でも最大級の大宮神輿と、やや小ぶりの若宮神輿があるが、大宮神輿は御旅中は拝殿に奉安される
10時頃に神社を出発して氏子区域の東を巡りいったん神社に帰着の後、14時より西側を巡り17時頃に還御する
午前中の剣鉾差しも見もの
還幸祭の翌週日曜に神輿蔵入り、後片付け- 6月下旬
茅の輪くぐり・還幸祭写真展
- 6/30
大祓(夏越祓)
17:00
- 8/17・8/18
例祭
17日19:00より前夕神事 宮中御神楽の奉奏
18日10:00より例祭(大祭) 祭典および東遊(あずまあそび)の奉奏- 9~10月頃
名匠の宴
商店街振興組合「寺町会」による商店街イベントを境内・拝殿で実施
[公式]- 10月中旬頃
藤袴祭
源氏藤袴会の主催により行願寺(革堂)を中心とした寺町通(丸太町通~二条通間)で開催(←藤袴てらまちアヴェニュー)
寺社の境内や寺町通に多くのフジバカマが並べられ、一帯は花の香りに包まれ、花を好む蝶々のアサギマダラも飛来する
[公式]- 10~11月頃
寺町美術まつり
秋の時代祭の前後に寺町美術通りにて開催
寺町通は元々は豊臣秀吉によって市中の寺社が集められて誕生した通りだが、御所南の丸太町から御池にかけての南北約700mにはいつしか多くの美術商が集まるようになり「寺町美術通り」と呼ばれているという
工房見学や無料鑑定会、入札会のほか、通り沿いの下御霊神社でも「下御霊陶楽市」が開催される
[公式]- 10月下~11月中の毎週日祝
秋のお千度参り
- 11/18
御火焚祭
16:00
- 12/31
大祓
17:00
月並行事
花ごよみ
- 3月上~中
梅(ウメ)●
八重の紅梅
百日紅(サルスベリ)
「区民の誇りの木」である白色の百日紅