五條天神社(天使の宮)
五條天神社(天使の宮)とは?(基本データ)
- 名前
- 五條天神社(天使の宮)(ごじょうてんじんしゃ(てんしのみや))
- エリア
- 京都駅
- ジャンル
- 建立・設立
- 800年(延暦19年)頃
- 祭神
- [主祭神]
少彦名命(すくなひこなのみこと)
[配祀]
大己貴命(おおなむちのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ) - ご利益
- 医薬・禁厭(まじない)
- 例祭
- 5/10
- 神紋・社紋
- 唐草葵
- 札所等
- 洛陽天満宮二十五社順拝 第3番(境内末社・筑紫天満宮)
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 境内自由・無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 日の出~日没
- 住所
- 〒600-8459
京都府京都市下京区松原通西洞院西入天神前町351-201 - 電話
- 075-351-7021
- FAX
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- 公式サイト
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五條天神社(天使の宮)の地図
五條天神社(天使の宮)のみどころ (Point in Check)
京都市下京区天神前町、西洞院松原の交差点角に鎮座。
社伝によると、794年(延暦13年)の平安京遷都の折に、空海(弘法大師)が大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請し創建したと伝わり、洛中の神社では古い歴史を持つ神社の一つで、古くから医薬・禁厭(まじない)の神として信仰されていました。
平安末期には祇園社の末社だったといい、平安から鎌倉初期に天皇家の支配下に。
当初は「天使の宮(天使社)」と称していましたが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮」と改められました(松原通は豊臣秀吉の京都改造まで五条通だった)。
創建当初から広大な境内地を有していたといいますが、1528年(大永8年)の大火で記録を失い、天正年中(1573-92)に社殿を造営するも、その後も1788年(天明8年)の大火での類焼や1864年(元治元年)の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」での社殿焼失など、中世以来、度々火災に遭い規模は縮小を余儀なくされました。
現在の社殿は近時の再建で、1888年(明治21年)に今の幣殿を再建、1933年(昭和8年)10月に本殿をはじめとした各建造物を改築し現在に到ります。
行事としては2月の節分の日に授与される「宝船」で有名。
この宝船の古図は日本最古のもので、船に稲穂を一束乗せただけの簡素なものですが、厄除け・病除けのご利益で広く親しまれています。
ちなみに「天神」とあるものの菅原道真とは直接の関係がある訳ではありませんが、境内社として道真を祀る末社・筑紫天満宮があり、「洛陽天満宮二十五社順拝」の第3番となっています。
また「義経記」では源義経(牛若丸)が武蔵坊弁慶と出会った場所とされていて、謡曲「橋弁慶」でも弁慶は五条天神に丑の刻参りに訪れた際に五条大橋に現れる牛若丸の存在を聞いて橋へと向かったとされ、その様子は京都では有名な「祇園祭」の山鉾の一つ「橋弁慶山」でも描かれおなじみの光景となっています。
五條天神社(天使の宮)の施設案内
境内
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東鳥居
西洞院通に面する
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石柱
鳥居の右側
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案内板
鳥居の右側
下京のまちの源氏ゆかりの地を歩くモデルルート
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駒札
鳥居の左側
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行事案内
鳥居の左側
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門
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吐水龍
門をくぐってすぐ左手にある手水舎
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垂れ桜
門くぐってすぐ左手、手水の横に植えられている枝垂桜
2004年(平成16年)11月花祭記念植樹とある
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倉庫
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門くぐって右側に2つ並んでいる
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本殿・拝殿
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榊一対
本殿前狛犬の外側にそれぞれ
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筑紫天満宮
境内末社
菅原道真を祀り洛陽天満宮二十五社のひとつ
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臥牛像
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四社
福部神社・金刀比良神社・大国主神社・白太夫神社
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稲荷神社
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猿田彦神社
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弁財天社
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醫祖神之碣碑(医家の祖神の碑)
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北鳥居
松原通に面する
松原通は秀吉の京都改造までは五条通だった通り
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駒札
説明板
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石柱
北鳥居のすぐ右脇
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社務所
マンションの一階にある
関連
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天使突抜通(てんしつきぬけどおり)
現在の東中筋通
境内にはかつて長さ5丁といわれる広大な森があったが、豊臣秀吉の京都改造により敷地内を南北に貫通する道が通されたため、「天使さん」の敷地を突き抜けて道が通されたことを皮肉って付けられたという
現在は堀川五条の一帯に町名として残っており、天使突抜四丁目まである
五條天神社(天使の宮)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
歳旦祭
- 2月節分の日
節分祭
宝船が授与される
- 2月上午の日
初午祭
稲荷神社
- 5/10
例祭(あまざけ祭)
厄除け祈願の参詣者が多い
- 10/10
氏子祭
月並行事
- 毎月1日
月次祭