粟嶋堂宗徳寺
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粟嶋堂宗徳寺とは?(基本データ)
- 名前
- 粟嶋堂宗徳寺(あわしまどう そうとくじ)
- エリア
- 京都駅
- ジャンル
- 建立・設立
- 応永年間(1394-1427年)
- 創始者
- 行阿(ぎょうあ)
- 宗派
- 西山浄土宗
- 本尊
- 阿弥陀如来
- ご利益
- 諸病平癒(男女腰から下の病・婦人病の平癒)
安産・子授け・良縁結び・不老長寿
その他女人一生のご守護 - 寺紋
- 芭蕉紋
- 札所等
- 通称寺の会(京の通称寺霊場)
- アクセス
- 駐車場
- あり(無料)
- 拝観料
- 境内自由・無料
人形供養料 ミカン箱1つで約3,000円 - お休み
- 無休
- 拝観時間
- 9:00~17:00
- 住所
- 〒600-8257
京都府京都市下京区岩上通塩小路上る三軒替地町124 - 電話
- 075-371-2332
- FAX
- 075-371-2332
- 公式サイト
- 粟嶋堂 宗徳寺
粟嶋堂(宗徳寺) 通称寺の会
粟嶋堂宗徳寺の地図
粟嶋堂宗徳寺のみどころ (Point in Check)
京都市下京区三軒替地町、京都駅のほど近くにある西山浄土宗に属する寺院。
室町時代の開山で、本尊は阿弥陀如来。
寺伝によると「宗徳寺」は室町時代の応永年間(1394-1427)に行阿(ぎょうあ)によって創建された寺院。
一方「粟嶋堂」は宝徳年間(1449-1451))に南慶が紀伊国淡嶋(和歌山県)から粟嶋明神を勧請して上洛する際、当地付近で急に御神体が重くなったため、これを神意としてこの地に祀ったのがはじまりで、以来、宗徳寺の鎮守社・粟嶋神社として祀られてきました。
1602年(慶長7年)に繁空が中興。
江戸時代には粟嶋明神の霊験は広く伝わり、孝明天皇や光格天皇もたびたび代参しているほか、歴代の后妃も篤く信仰したといいます。
また俳人として有名な与謝蕪村や文人画家・富岡鉄斎も参拝しており、その足跡が境内に残されています。
その後明治時代の神仏分離により粟嶋神社は「粟嶋堂」と改められました。
堂内に粟嶋明神を祀ることから「粟嶋堂」の通称で知られ、「あわしまさん」と呼ばれ親しまれています。
粟嶋明神の乗跡・小彦名命は古くより医薬の祖神として信仰され、男女共に下の病に霊験あらたか。
また粟嶋明神は女性を守る神様で、古くから女人守護の寺として知られ、婦人病をはじめとして、病気平癒や安産子受、良縁、所願成就に御利益があります。
この他に人形供養の寺としても有名で、これは紀州徳川家の雛人形が奉納されたことに端を発しているといいます。
粟嶋堂宗徳寺の施設案内
主要伽藍
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正面門
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参道
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人形舎
人形が納められる小堂
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人形癒やしの石碑
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手水舎
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蕪村句碑
与謝蕪村も当堂を訪れ、娘の病気回復を祈願した
その時詠んだ句が、境内石碑に刻まれている
「粟嶋へはだしまいりや春の雨」
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白妙桜
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人形舎
人形が納められる小堂
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南門
駐車場入口
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地蔵尊
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芭蕉
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駐車場
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弘法大師庚申堂
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咲分稲荷
咲分大明神を祀る
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粟嶋堂(神殿)
南北朝時代、1330年頃の建立
かつて伏見にあり、安土・桃山時代の豊臣秀吉の伏見城築城に際し移された
少彦名命(すくなひこなのかみ)の本地仏・虚空蔵菩薩を安置
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賓頭盧(びんずる)尊者
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宝篋印塔
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受付所
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地蔵
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納骨堂
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本堂
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弥陀板碑(みだばんひ)(庭園)
北にある庭内の石灯籠で、室町時代「応永二十八年」(1421年)の刻銘がある
板碑に半肉彫りの阿弥陀仏
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周辺
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岩上通
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西堀川通
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堀川通
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堀川塩小路
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リーガロイヤルホテル京都
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アパホテル京都駅堀川通
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塩小路通
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粟嶋堂宗徳寺の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/3
新春祈祷会
- 5/5
柴燈大護摩供
- 11/3
大般若転読会
月並行事
- 随時
人形供養