棚倉孫神社
棚倉孫神社とは?(基本データ)
- 名前
- 棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)
- エリア
- 京田辺
- ジャンル
- 建立・設立
- 623年(推古天皇31年)
- 祭神
- 高倉下命(天香古山命)(たかくらじのみこと(あめのかごやまのみこと))
- ご利益
- 天下平定、災難除け、健康長寿
- 例祭
- 10/15(例祭)
他に瑞饋神輿巡幸(隔年10月体育の日)などが知られる - 神紋・社紋
- 五七の桐
- アクセス
- 駐車場
- 10台
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒610-0331
京都府京田辺市田辺棚倉49 - 電話
- 0774-62-2460(9:00~17:00)
- FAX
- 0774-62-2460
- 公式サイト
- 棚倉孫神社 京都府神社庁
棚倉孫神社 Facebook
棚倉孫神社の地図
棚倉孫神社のみどころ (Point in Check)
京都府京田辺市田辺棚倉、JR京田辺駅および近鉄新田辺駅の西側、一休ゆかりの酬恩庵一休寺に向かう途中の府道22号沿いにある小高い丘に東面して鎮座する神社。
式内大社で、旧社格は郷社。
1526年(大永6年)の社伝「棚倉孫神社紀」によれば、飛鳥時代の623年(推古天皇31年)に相楽郡の棚倉之荘から高倉下命(たかくらじのみこと)を勧請し祀ったのがはじまり。
高倉下命(天香古山命)は別名を天香古山命(あめのかごやまのみこと)、また手栗彦彦命(たぐりひこのみこと)ともいい、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の曾孫(ひこ)にあたり、天神(あまつかみ)の直系の神様で、「古事記」や「日本書紀」によれば天孫降臨(てんそんこうりん)に際し父神である饒速日命とともに降って紀州熊野に住み、神武天皇の東征の際には布都御魂(ふつのみたま)の神剣を献上し、熊野で荒ぶる神の毒気にあたって気絶していた神武天皇とその軍勢を救い大功を立てたことで知られています。
この点、社名の「棚倉孫(たなくらひこ)」は別名の手栗彦(たなくりひこ)が転じたものといわれていますが、その一方で「棚倉」とは湿気を避けるための床を設けた穀物を収蔵する倉庫のことで、養蚕にも用いられたといい、筒城(綴喜)は古来より渡来人による養蚕の盛んであった地域で、蚕はその貴重さから「天の虫」とも呼ばれ、その蚕の棲む倉を崇めて神格化し、神社を創建して祀ったのがはじまりではないかとも考えられています。
平安初期の859年(貞観元年)正月27日の「日本三代実録」にて従五位上の神位に叙せられた諸神に「棚倉孫神」と記されており、また平安中期の927年(延長5年)にまとめられた「延喜式神名帳」では式内大社に列しており、この頃には既に格式ある神社であったことが分かります。
江戸時代には「天満宮」あるいは「天神社」と呼ばれ、天神を祀っていたといい、一帯はこれにちなんで「天神ノ森」と称し、その産土神として崇敬を集めていたといい、江戸中期の1702年(元禄15年)には淀藩4代藩主・石川憲之の崇敬を集め、石鳥居・石段・石橋などが奉納された他、毎年御供料の寄進を得たといい、そのときの寄進状が残っているといいます。
そして明治期になって式内「棚倉孫神社」と改められ、1931年(昭和6年)2月には郷社に列格しています。
現在の本殿は一間社流造、屋根は檜皮葺きで、桃山期に再建されたもので京都府登録文化財に登録され、本殿脇には「天正二年(1574年)」の銘を持つ石燈籠も残されています。
また広い境内には本殿の他にも江戸中期の拝殿や多くの絵馬が掲げられる絵馬殿、元の神宮司であった旧松寿院の建物で現在の社務所など江戸時代の建物がよく残り、その一方で境内にはクスノキやシイなどの常緑広葉樹が繁茂していて、その全域が文化財環境保全地区に指定されて環境の保護が図られています。
そして神社を語る上で欠かせないのが秋の例祭に合わせて製作される「瑞饋神輿(ずいきみこし)」で、五穀豊穣に感謝して高さ3m、1.5m四方の神輿を赤瑞饋、大豆、玄米、千日紅の花、青唐辛子、鷹の爪など収穫された約30種類の野菜や穀物などで飾り付けるもので、屋根が里芋の葉柄である瑞饋(ずいき)で葺かれることからこのように呼ばれています。
明治中期頃から造られるようになり、1929年(昭和4年)をもって一時中断していたものの、1975年(昭和50年)に一部の模型を制作し、更に1978年(昭和53年)に「瑞饋神輿保存会」が結成されると、以降は隔年で製作されて10月の体育の日に京田辺の氏子区域内を賑やかに巡行していて、京田辺市の無形文化財にも登録されています。
棚倉孫神社の施設案内
境内
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入口
府道22号沿い
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参道坂道
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社号標
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下りの石段
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社務所前の広場
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社務所
広場左側
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松寿院跡の石碑
社務所の前
1972年(明治5年)の学制発布により田辺小学校の開設準備が始まり、その間に松寿院(現・社務所)が仮校舎として使用された、田辺小学校発祥の地
松寿院は神宮寺として建てられるも神仏分離令以後に廃寺に
建物は1844年(天保15年)の建て替え
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手水舎
広場右側
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金毘羅社
鳥居の手前左
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橋と石段
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神社の森一帯
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鳥居
1702年(元禄15年)に淀藩4代藩主・石川憲之が奉納した石鳥居
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本殿前参道
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ずいき神輿
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絵馬殿
岸岱(がんたい)、西村楠亭(にしむらなんてい)、白川芝山(しらかわしざん)、義山涼信(ぎざん)、長沢廬鳳(ながさわろほう)など、円山派の絵師による江戸時代の奉納絵馬が掲示されている
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式場
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五社殿
正一位寶蓮稲荷大明神、紅梅殿・老松殿、春日大明神・天照皇大神宮・八幡大菩薩、多賀神社、稲荷神社の5社を祀る
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遥拝所
五社伝の左、本殿右
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拝殿
江戸中期の1768年(明和5年)の再建
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本殿
桃山時代のもので1983年(昭和58年)4月に京都府登録文化財
一間社流造で東面して建つ
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絵馬掛
本殿手前左
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撫で牛
本殿手前左
傍らには天満宮だった名残か、「天神社」と刻まれた石灯籠が残る
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栂(ツガ)
樹齢270年以上
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欅(ケヤキ)
樹齢300年以上
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クロガネモチ
樹齢250年以上
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山茶花(サザンカ)
樹齢200年以上
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周辺
棚倉孫神社の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/5
交通安全祈願祭
自動車・バイク・自転車のお祓い
- 2/17
祈年祭
- 7/1
大祓式と茅の輪くぐり
- 10月体育の日(隔年)
瑞饋神輿巡行(ずいきみこしじゅんこう)
五穀豊穣に感謝する秋の例祭に合わせて「瑞饋神輿(ずいきみこし)」が制作される
高さ3m、1.5m四方の神輿を赤瑞饋、大豆、玄米、千日紅の花、青唐辛子、鷹の爪など、収穫された約30種類の野菜や穀物などで飾り付けたもので、名前の由来は屋根が里芋の葉柄である瑞饋(ずいき)で葺かれることから
明治中期頃から造られるようになり、1929年(昭和4年)をもって一時中断も、1975年(昭和50年)に一部の模型を制作、1978年(昭和53年)に「瑞饋神輿保存会」が結成されて復活するとともにその保存が図られ、現在は京田辺市の無形文化財にも登録されている
神輿は大小2基あり、小さい子供用は毎年製作され、大人用の大きいものは2年に1度飾り変えられるとともに隔年の10月の体育の日に神輿の巡行も行われる
12時半頃に神事の後、13時頃に出御
高台の境内から急な坂道を下り終えると、以降は車列による巡行がメインとなり、約4時間かけて京田辺の広い氏子区域を回る
行列には猿田彦や獅子舞、お稚児さんの女の子や太鼓台の男の子たちなども参加する- 10/14
宵宮
お神楽奉納
- 10/15
例祭
- 11/23
新嘗祭
- 12/31
除夜祭・年越し行事