離宮八幡宮(油祖)
離宮八幡宮(油祖)とは?(基本データ)
- 名前
- 離宮八幡宮(油祖)(りきゅうはちまんぐう)
- エリア
- 西山・乙訓
- ジャンル
- 建立・設立
- 859年(貞観元年)
- 創始者
- [勅命] 清和天皇
[開基] 行教 - 祭神
- [本殿] 応神天皇(おおじんてんのう)
[左殿] 酒解大神(さかとけのおおかみ)、別称大山祇神(おおやまつみしん)
[右殿] 比売三神(ひめさんしん) - ご利益
- 商売繁盛(油の神様)、家内安全
- 例祭
- 4月上旬の土曜(春の例祭(日使頭祭))
他に秋の例祭(放生会)(9/15)などが知られる - 神紋・社紋
- 三本杉
- アクセス
- 駐車場
- なし(月極のみ)
- 拝観料
- 境内自由・無料
集古館拝観は事前連絡が必要(志納) - お休み
- -
- 拝観時間
- 9:00~16:00
- 住所
- 〒618-0071
京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1 - 電話
- 075-956-0218
- FAX
- -
- 公式サイト
- 油祖 離宮八幡宮
離宮八幡宮(油祖)の地図
離宮八幡宮(油祖)のみどころ (Point in Check)
京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷、京都府と大阪府の府境に位置し、天王山の南麓、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる三川合流の地で交通の要衝でもある大山崎町のJR山崎駅の南側に鎮座する八幡大神を祭神とする八幡宮。
創建については諸説あるといいますが、平安初期の859年(貞観元年)8月23日、国家鎮護のため、平安京の守護神として豊前国・宇佐八幡宮(現在の大分県)より八幡神を京へ遷座せよとの夢告により、清和天皇が大和国大安寺の僧・行教に命じ、宇佐八幡神の分祀を受け社を創建したのがはじまり。
天皇の命を受けて八幡神を奉じて帰京した行教が当時淀川水運の拠点であった山崎の津にて霊光を目の当たりにし、不思議に思ってその地を少し掘ってみると岩間に清水が湧き出したためそこに分霊を鎮座することとし、「石清水八幡宮」としたといいます。
その翌860年(貞観2年)、石清水八幡宮は淀川の対岸にある現在の鎮座地・男山へと移転されることとなり、山崎の地の八幡宮は名称を変更して存続することとなりますが、この地が嵯峨天皇の離宮である「河陽離宮(かやりきゅう)」の跡地であったことから「離宮八幡宮」と改めたといい、一説には石清水八幡宮の元宮と考えられています。
この点、本殿前の石灯籠には「石清水八幡宮」の名が残るなど、創建当時は石清水八幡宮の末社とされ密接な関わりがあったといいますが、江戸初期の「石清水」の名称使用やその地位をめぐっての争いを経て現在は独立した神社となっています。
また当八幡宮は貞観年間(859-77)に時の神官が神示を受け「長木(ながき)」という搾油器を発明して荏胡麻油(えごまあぶら)の製油を開始した「荏胡麻油発祥地」とされていて、当初は石清水八幡宮へ燈明用の油として奉納されていたものが、次第に業として全国に拡がっていくようになると、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜り、朝廷や幕府による庇護の下、鎌倉時代には「油座」が結成されて油の専売特許を持つようになり全国の油販売を独占。油商人は離宮八幡宮の許状無しには油を扱うことはできず、その影響力は室町期には西は九州北部から東は美濃地方まで及んだといいます。
そして大山崎は幕府から自治権を認められて自治都市として独自の発展を遂げ、八幡宮も座の会所、油座のシンボルとして一時は「西の日光」と呼ばれるほどの壮大な社殿を構えて栄華を極めたといい、当時の様子は平安後期の「信貴山縁起絵巻」に「山崎長者」として、また司馬遼太郎の歴史小説「国盗り物語」の中にも描かれています。
しかし安土桃山時代に入ると織田信長の座を廃止して新興商人の自由営業を許可した「楽市楽座」政策や座を庇護してきた室町幕府の滅亡によって打撃を受けたのに加え、江戸期に大量生産されるようになった菜種油に市場を奪われて徐々に衰退。
また幕末の1864年(元治元年)の「禁門の変(蛤御門の変)」では尊皇攘夷派である長州藩の駐屯所となったことから、幕府・薩摩連合軍側の砲撃に遭って大きな被害を受け、更に1876年(明治9年)には現在のJR東海道本線の京都~神戸間の開通の際に社地の大半がその用地に充てられたため規模の縮小を余儀なくされます。
しかし製油の中心地としての地位を失ったものの、1986年(昭和61年)に製油業界の大手メーカーが中心となって「油祖離宮八幡宮崇敬会」が設立されるなど、現在に至るまで油の神様として崇敬を集め続けています。
現在の社殿は1879年(明治12年)に崇敬者の寄進により再興された後、1929年(昭和4年)に改築されたもので、2013年(平成25年)に本殿・拝殿・中門・透塀・手水所・高天宮神社が国指定の重要文化財、また惣門・東門 ・塔心礎が大山崎町の指定文化財に指定されていて、その他にもえごま油発祥にまつわる「油祖像」や「本邦製油発祥地」の石碑、また本殿横には菅原道真が座ったといわれる「天神腰掛石」などが見どころとなっています。
行事としては春の例祭である「日使頭祭(ひのとさい)」が最も重要な祭典として有名で、毎年4月3日に天皇の勅使が離宮八幡宮を参り、その後淀川を渡って対岸にある石清水八幡宮を参拝するという当宮より男山八幡宮への八幡神遷幸の儀式を模ったもので、かつては淀川に50隻もの船が出るなど、京を代表する華やかな祭りとして知られていたといいます。
一時期途絶えたものの崇敬会の発足を機に復活し、現在も日本全国から100社以上の油脂業界関係者が参詣し、一年の厄除祈願や、健康安全、学業上達などが祈願され、献灯の儀、湯立神事、雅楽奉納などが執り行われます。
離宮八幡宮(油祖)の施設案内
境内
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東門
大山崎町指定文化財
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参道
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旧社務所
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惣門
大山崎町指定文化財
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かしき石
大山崎町指定文化財
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神馬像
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神領境標石
大山崎町指定文化財
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大灯篭一対
元は淀川堤にあったもの
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河陽祇園しだれ桜
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鳥居
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油祖像
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全国油脂販売店標識
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本邦製油発祥地碑
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河陽宮故址碑
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手水所
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戸隠神社・風伯社・淀社碑
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中門
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拝殿
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本殿
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若宮社
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資料館
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祭具庫
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社務所
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古札返納所
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石清水
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手水鉢
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武内社
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天照皇太神社
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蛭子神社
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鹿島神社
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気比宮
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高天宮神社
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小禅師宮
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腰掛天神社・菅原道真腰掛け石
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高良社
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三社さん
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多宝塔礎石
周辺
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酒解神社(さかとけじんじゃ)
この地が自玉手祭来酒解神社当初鎮座の地でその後山上の現在の地に
離宮八幡宮(油祖)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
歳旦祭
- 1月上旬
どんど祭(左義長)
- 4月上の土曜
春の例祭(日使頭祭(ひのとさい))
- 8/23
油の日
- 9/15
秋の例祭(放生会)
- 11月
七五三詣
- 12/31
年越祭
月並行事
- 毎月10日
大山崎すてき発見市
- 不定期
えごまフェスタ in 離宮八幡宮