百萬遍知恩寺
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百萬遍知恩寺とは?(基本データ)
- 名前
- 百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)
- エリア
- 岡崎・吉田・鹿ケ谷
- ジャンル
- 建立・設立
- 平安前期に上賀茂神社の神宮寺として、相国寺の北(烏丸今出川付近)に創建、「加茂の釈迦堂」「加茂の河原屋」などと呼ばれていた
1175年(承安5年)、浄土宗を開いた法然が東山の吉水に次いで賀茂の神職の招きで一時移住、専徳念佛の法を広める
1212年(建暦2年)正月25日、法然入滅、その後弟子・源智が師の恩徳を偲び「知恩寺(恩を知る寺)」として一宇(御影堂)を建立、浄土専宗念仏の道場に改め浄土宗の拠点の一つに
1331年(元弘元年)、8世・空円の時に後醍醐天皇の命により疫病を鎮めるため七日百万遍念仏を修し「百万遍」の号を賜る
1382年(永徳2年)、足利義満の相国寺造営に伴い、一条通油小路北(現在の上京区元百万遍町)に移転(その後応仁の乱にて焼失)
1592年(文禄元年)、豊臣秀吉の寺地替えにより土御門(寺町通荒神口上ル)に移転
1662年(寛文2年)、現在の北白川に移転 - 創始者
- [開基] 伝・慈覚大師円仁
[開基] 源智
[開山] 法然 - 宗派
- 浄土宗 大本山
- 山号
- 長徳山(ちょうとくざん)
- 本尊
- 阿弥陀如来
- 寺紋
- 抱き杏葉に「百」
- 札所等
- 法然上人二十五霊場 22番札所
- アクセス
- 駐車場
- バス要予約(団体参拝のみ) 無料
自家用車若干 有料
※写経会、手づくり市(毎月15日)の際は不可 - 拝観料
- 一般参拝は境内自由・無料
宝物館拝観は団体参拝のみ
※団体で参拝の場合要予約 - お休み
- 無休
- 拝観時間
- 9:00~16:30(受付16:00まで)
- 住所
- 〒606-8225
京都府京都市左京区田中門前町103 - 電話
- 075-781-9171
- FAX
- 075-781-0157
- 公式サイト
- 浄土宗大本山 百萬遍知恩寺
大本山百萬遍知恩寺 Facebook
知恩寺 浄土宗
第22番 百萬遍知恩寺 法然上人二十五霊場
百万遍さんの手づくり市 手づくり市.COM
百萬遍知恩寺の地図
百萬遍知恩寺のみどころ (Point in Check)
京都市左京区田中門前町、広大な京都大学の吉田キャンパスが広がる「百万遍」の交差点の北東角にある浄土宗の大本山。
「百万遍(ひゃくまんべん)」は寺の通称として親しまれた名前で、東大路通と今出川通の交差点のほか、バス停の名前などにもなっています。
そして浄土宗の七大本山の一山にして、東山の知恩院、岡崎の金戒光明寺、御所西の清浄華院とともに京都における浄土宗の四大本山の一つにも数えられる寺院です。
宗祖法然上人を開祖と仰ぎ、勢観房源智上人を第2世とする寺院で、「法然上人二十五霊場」の第22番札所。
「知恩寺歴志略」によれば、元々は皇円阿闍梨の住房比叡山功徳院の里坊で、平安前期に慈覚大師円仁が創建したものと伝わっています。
場所は現在の北小路(今出川)高倉、現在の相国寺付近にあり、上賀茂神社との関わりが深く、同社の神宮寺でした。
そして円仁作と伝わる釈迦像を安置したことから「今出川の釈迦堂」あるいは賀茂河原(かもがわら)にあったことから「賀茂の河原屋」と呼ばれていたたといいます。
承安5年の3月、43才にして浄土の宗門を開くことを決意した法然(ほうねん)は、比叡山を下り西山の広谷を経て、東山吉水付近に移りますが、賀茂の神職の招きで度々この地を訪れ、都の人々に念仏の教えを説いていました。
法然の入滅後に、その弟子・勢観房源智(せいかんぼうげんち)が後を継ぐと浄土専宗の念仏道場に改められ、法然の御影堂を建立するとともに法然を開山第1世とし「功徳院神宮堂」、更に如空の時に寺名を師の恩徳を偲んで「恩を知る寺」、すなわち「功徳院知恩寺」と改められます。
その後、鎌倉末期の1331年(元弘元年/元徳3年)8月に京都で大地震が発生し、大きな被害が出るとともに疫病が流行し多くの犠牲者が出たことから、知恩寺第8世・善阿空円(くうえん)(普寂国師)が後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の勅命を受けて宮中にて悪疫退散を祈願することとなります。
そしてこの際に宮中秘蔵の弘法大師空海作の利剣名号軸を掲げ、七日七夜かけて百万遍念仏を修したところ疫病は無事に鎮まったことから、これに感銘を受けた後醍醐天皇から「百万遍」の勅号と利剣名号軸及び540顆の大念珠を下賜され、以後は勅願所となりました。
以来、災厄の際に僧俗が輪になって念仏を唱えながら108個の数珠10連を百回まわす「百萬遍大念珠繰り」の儀式が定まり、夏の町内行事・地蔵盆の際に行う行事としても知られるなど、形式を変えつつも全国各地に広まっていますが、その発祥の寺として京都の人々からは「百萬遍さん」と呼ばれて親しまれています。
室町時代に入った1382年(永徳2年/弘和2年)に室町幕府第3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が相国寺を造営するに及んで、寺地を一条通油小路の北、現在の上京区元百万遍町に移転しますが、その後も度々戦火に遭い、「応仁の乱」でも焼失。
その後、1592年(文禄元年)には豊臣秀吉による「京都改造計画」に伴う寺地替えにより土御門、現在の寺町通荒神口上るに移された後、天正18年に寺町の現在の梨木神社付近への移転を経て、現在の北白川の地に移ったのは江戸初期の1662年(寛文2年)のこと。
前年の1661年(寛文元年)正月に禁裏(二条殿)からの火事で類焼したのを受けて第39世・光誉満霊が自ら江戸に赴き、4代将軍徳川家綱(いえつな)より再興料として500両が下賜され、現在地に移転した後、1679年(延宝7年)に竣工され、諸堂が整備されていきました。
境内にはまず南側にある総門の前に「百萬遍念佛根本道場」と書かれた高さ5mの石柱がそびえ立ち参拝者を出迎えます。
そして門をくぐると真っ直ぐ続く参道の先に御影堂(大殿)があり、その途中左手西側に阿弥陀堂、右手東側に釈迦堂が向かい合うようにして建てられ、左右には塔頭寺院が並んでいます。
更に御影堂(大殿)の後方の北側に小方丈、衆会堂、対面所、寺務所などの堂宇が南北に整った形で配置され、御影堂(大殿)の東側には勢至堂、納骨堂、更に北側には広大な墓地。その正面奥には法然の御廟があり、勢観房源智も並んで安置され、御廟の入口には念仏の「念」の字を模った念字門という配置となっています。
この他に賀茂社の神宮寺としての起源を持つことから、境内に賀茂明神が鎮座。
また御影堂正面の法然上人御像は、室町時代の像で、上人43の頃を写した姿です。
この他に御影堂の堂内には御影堂内を一巡りするように円周約110m、重さ320kg、珠の数1080顆の大念珠が二連吊り上げられており、毎月15日(8月のみ25日)には午前中に写経会が催された後、午後からの大殿法要の際に巨大な数珠を参詣客らが同時に持ち、念佛を唱えながら100回まわす「大念珠繰り(百萬遍大念珠繰り)」が行われることで知られています。
そして同日に境内にてフリーマーケットの「百萬遍手づくり市」が開催されることでも有名で、本堂や庫裡などの伽藍も会場として貸し出されて、手作りの菓子や野菜や漬物、古着や陶器を販売する店や、マッサージ店などが境内に所狭しと出店し、多くの人で賑わいます。
更に京都古書研究会の主催で毎年10月末から11月初に開催される「秋の古本まつり」は京都を代表する古本まつりの一つとしてよく知られています。
百萬遍知恩寺の施設案内
境内
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山門
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百万遍念仏根本道場碑
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吉祥前
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地蔵菩薩
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阿弥陀堂(念仏堂)
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手水舎
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阿弥陀経石
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仏足石
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釈迦堂
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南無阿弥陀佛
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鐘楼
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灯籠
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御影堂(本堂)
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大念珠
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中門
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方丈
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勢至堂
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納骨堂
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念字門
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法然上人御廟
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墓地
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鳥居元忠の墓
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龍見院
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瑞林院
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如意寺
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了蓮寺
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養源院
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百萬遍保育園
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西門
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善導院
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琢窓院
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加茂明神
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百萬辨財天
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駐車場
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枝垂桜
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庫裡
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玄関
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寿仙院
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周辺
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今出川通
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百万遍
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東大路通
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かぎや政秋
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阿闍梨餅本舗満月
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百萬遍知恩寺の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
修正会
- 1/12
勢観念
- 1/24・25
不断念佛会
- 2/5頃
浄焚式
- 2/15
涅槃会
- 3月彼岸
春季彼岸会
- 4/8
花まつり
- 4/23~25
法然上人御忌大会
- 6/15
夏の集い
- 7月上
暁天講座
- 7月下
盂蘭盆施餓鬼会
- 9月
秋季彼岸会・納骨堂総回向会
- 10月末~11月上頃
古本供養
11/3まで「秋の古本まつり」開催され、その初日に行われる
- 10月末~11月上頃
秋の古本まつり
- 11/1
十夜法要・秋の集い
- 12/8
成道会
- 12/15
御身拭式
- 12/31
除夜法要・除夜の鐘
月並行事
- 毎月15日
写経会、大念珠繰り法要
8月のみ25日
- 毎月15日
百万遍さんの手作り市
フリーマーケット
- 毎月22日
なむしぇ
産地直送京野菜市(2018年で終了)
花ごよみ
桜(サクラ)
百日紅(サルスベリ)
釈迦堂の南側