大谷祖廟(東大谷)
大谷祖廟(東大谷)とは?(基本データ)
- 名前
- 大谷祖廟(東大谷)(おおたにそびょう(ひがしおおたに))
- エリア
- 祇園・東山
- ジャンル
- 建立・設立
- 1670年(寛文10年)、東本願寺第14代・琢如(たくにょ)が、親鸞、第12代・教如、第13代・宣如の墳墓を東本願寺よりこの地に移して「大谷御坊」と称したのがはじまり
1872年(明治5年)に「大谷管刹」と改称
1876年(明治9年)に「大谷別院」と改称
1952年(昭和27年)に「大谷本廟」と改称
1981年(昭和56年)に「大谷祖廟」に改称し現在に至る - 創始者
- 東本願寺第14代・琢如(たくにょ)
- 宗派
- 浄土真宗真宗大谷派本山・東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地
- 山号
- なし
- 本尊
- 阿弥陀如来
- 寺紋
- 本願寺抱牡丹紋(だきぼたん)(寺紋)
東六条八藤紋(八つ藤(やつふじ))(大谷宗家家紋) - アクセス
- 駐車場
- ■参拝者専用駐車場
8:30~16:30(最終入庫16:00) - 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 5:00~17:00
事務所受付 8:45~11:30/12:45~15:30 - 住所
- 〒605-0071
京都府京都市東山区円山町477 - 電話
- 075-561-0777(大谷祖廟事務所)
- FAX
- 075-533-0780(大谷祖廟事務所)
- 公式サイト
- 大谷祖廟 東本願寺
大谷祖廟 Instagram
大谷祖廟(東大谷)の地図
大谷祖廟(東大谷)のみどころ (Point in Check)
京都市東山区円山町、八坂神社の南楼門前の参道入口を上がった先、円山公園の南側にある浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん 1173-1263)の墳墓の地で、真宗本廟(東本願寺)の飛び地の境内。
「御伝鈔(本願寺聖人伝絵)(ごでんしょう(ほんがんじしょうにんでんね))」によると、親鸞聖人は鎌倉時代の1263年(弘長2年)11月28日に90歳で亡くなり、東山今熊野の延仁寺(えんにんじ)で荼毘に付された後、鳥辺野の北の大谷の地に埋葬されて笠塔婆が建てられました。
その後その墳墓は1272年(文永9年)11月に親鸞聖人の末娘にあたる覚信尼(かくしんに 1224-83)によって移され、廟堂が建立されるとともに聖人の御影像を安置(大谷廟堂)、その後1321年(元応3年)に本願寺第3代・覚如(かくにょ 1270-1351)により本堂などの建物が造営されるなどし寺院化されたものが「本願寺」です。
本願寺はその後中世には他宗派や織田信長との抗争などにより越前吉崎、河内出口、京都山科、大阪石山と幾度かの破却・移転を繰り返した後、1591年(天正19年)に豊臣秀吉の寄進によって大坂天満から堀川通に面した七条堀川に移転し、更に江戸初期の1602年(慶長7年)に関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康の宗教政策により、東本願寺と西本願寺の東西に分かれます。
そしてこの時に親鸞聖人および本願寺歴代の仮墓が東本願寺第12代・教如(きょうにょ 1558-1614)によって一時的に現在の東本願寺境内に建立された後、1670年(寛文10年)8月に東本願寺第14代・琢如(たくにょ 1625-71)が、親鸞、第12代・教如、第13代・宣如(せんにょ 1602-58)の墳墓をこの地に移して「大谷御坊」と称したのが現在の大谷祖廟のはじまりです。
1701年(元禄14年)には第17代・眞如(しんにょ 1682-1744)によって墳墓の御廟への改装が行われるとともに本堂が建立され、1745年(延享2年)には8代将軍・徳川吉宗より1万坪の土地を寄進されるなど拡充を続け、更に1872年(明治5年)に「大谷管刹」、1876年(明治9年)に「大谷別院」、1952年(昭和27年)に「大谷本廟」とその名称を変えた後、1981年(昭和56年)に「大谷祖廟」に改称され現在に至っており、2009年(平成21年)9月16日には真宗大谷派(東本願寺)の宗史蹟第1号に指定され現在に至っています。
本尊である阿弥陀如来を安置する「本堂」に対して、親鸞聖人はじめ東本願寺歴代の墓所は「御廟」と呼ばれており、そして数多くの檀信徒の墓がある隣接する「東大谷墓地」などで構成されていて、親鸞聖人・蓮如上人の御命日法要や春秋の彼岸会報恩講などの法要が勤められているほか、御廟に供えられた仏華を用いて文字を作る「花文字伝道」や釈迦の生誕を祝う「花まつり」、暁天講座などの各種行事が催され、多くの参拝者が訪れます。
中でも8月お盆の「盂蘭盆会」においては隣接する東大谷墓地にて約1万個の提灯に火が灯される「東大谷万灯会(まんとうえ)」が開催され、京都の夏の風物詩となっています。
ちなみに浄土真宗本願寺派・西本願寺の方では清水寺にほど近い五条坂にある「大谷本廟」を親鸞聖人の廟所と定めており、「大谷本廟」を「西大谷」というのに対し、「大谷祖廟」は「東大谷」とも呼ばれています。
大谷祖廟(東大谷)の施設案内
境内
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門前寺号標
八坂神社南楼門前
「大谷御廟」と刻まれている
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門と石灯籠
「大谷」と刻まれる
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東大谷参道
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ねねの道との分岐
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東大谷参道
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石段
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総門(唐門)
1862年(文久2年)の建造
檜皮葺、切妻と唐破風の屋根の四脚門
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駒札
親鸞聖人墳墓の地「大谷祖廟」
総門手前右
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蔵
総門くぐってすぐ右手
白壁が印象的
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太鼓堂
総門くぐってすぐ左手
毎月13・28日の「定例法話」の会場
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北門
円山公園に隣接
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石段
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境内案内図
石段上がった正面
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茶室
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参道
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石庭
参道南側
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菩提樹
石庭の奥
手前に「お釈迦様はインドのブッダガヤにある菩提樹の下で悟りを開かれました。」と説明する石碑
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手水舎
石庭そば
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お手洗
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玄関
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庫裡
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本堂
1701年(元禄14年)に第17代・眞如(しんにょ)により造営
本尊・阿弥陀如来を安置
納骨読経・永代経が勤まる
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黒鞍馬石
本堂前
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蓮華の噴水
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大谷祖廟事務所(茶所)
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茶釜
創建以来、茶所において遠近各地より参拝される人々にお茶の接待をしており、本堂の建立後、1703年(元禄15年)に造られ、1801年(享和元年)に再び鋳造され、1973年(昭和48年)まで実際に使用されていたもの
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彰如上人二十五回忌法要記念句碑
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花文字伝道
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御廟への石段
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拝所
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御廟
宗祖・親鸞の遺骨を納める廟所であり、東本願寺の歴代門首をはじめ、聖人追慕し、その教えに生きてきた門徒たちの遺骨が納められている
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「覚信尼公おん文」の碑
鐘楼の手前
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鐘楼
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南門
東大谷墓地へと通じる
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東大谷墓地事務所
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お手洗
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東大谷墓地入口
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東大谷墓地案内図
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参道石段
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六角堂(御堂)
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東大谷墓地からの眺望
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関連
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大谷本廟(西大谷)
五条坂そばにある西本願寺の親鸞聖人の御廟
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崇泰院(元大谷)
京都市東山区林下町、知恩院の三門のすぐ北側にある知恩院の塔頭寺院
「大谷廟堂」が建立された元の「大谷」の旧地で、知恩院拡張造営に先立って廟堂が現在の大谷本廟に移転された後に建立された
門前に「大谷本願寺故地の碑」「親鸞上人旧御廟所」が建つ
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周辺
大谷祖廟(東大谷)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 3月彼岸
春彼岸会法要
- 4/1~4/8
花まつり
釈迦の生誕を祝う仏事
本堂前に供えられた仏花を用いて飾り付けられた花御堂が設置される- 8/1~8/5
暁天講座
早朝6時30分より本堂にて勤行の後、法話
- 8/14~8/16
東大谷万灯会
各日19時より本堂にて勤行・法話
万灯会は故人を通して仏教の教えに思いを寄せるで、東大谷墓地にて門徒により献灯された約1万個の提灯に火が灯され、京都の夏の風物詩となっている
提灯は大小のもののほか、俳句提灯や幼稚園・保育園の園児たちの作画による子ども提灯などもある
真夏の暑い昼間を避け、涼しい夜に御廟や東大谷墓地へ墓参できるように境内に足元を照らす提灯を灯したのがはじまりという
1962年(昭和37年)から始まり、2014年で53回目- 9月彼岸
秋彼岸会法要
- 9/27~9/28
報恩講
宗祖・親鸞より教えを頂いた恩に報謝し、教えを聞信して共に念仏を行う真宗門徒にとって一年で最も大切な仏事である11月の真宗本廟(東本願寺)での「報恩講」に先立ち、祖廟でもこの時期に行われる
月並行事
- 春秋彼岸・お盆・年末年始の年4回
花文字伝道
仏様の言葉・教えを身近に感じられる仏事として、親鸞聖人の御廟へ供えられた供花を再利用し、仏教の言葉を花文字で作成したもの
供花は最終的には堆肥にし参拝者が持ち帰ることができる- 毎月15日
東大谷墓地永代経法要
東大谷墓地事務所仏間にて
- 毎月13・28日
定例法話
13:50より太鼓堂にて
8/13・9/28・11/28・12/28は休止