京都市上京区寺ノ内通新町西入妙顕寺前町、西陣東部にある日蓮宗京都十六本山の大本山・妙顕寺の北東にある妙顕寺の塔頭寺院。
詳しい創建の経緯は不明ですが、妙顕寺の東側にあって1466年(文正元年)に恵眼院日富によって創建されたといい、本堂横に建つ「妙見堂」に妙見菩薩立像を祀り、「洛陽十二支妙見めぐり」の第1番札所として知られています。
「洛陽十二支妙見めぐり」は、京都の中心である御所の紫宸殿を中心に十二支の方角に祀られた妙見大菩薩を祀る妙見宮を有する12の寺院で構成される霊場で、これらを順番に巡ることで開運招福・厄除けなどを祈願したといいます。
「妙見大菩薩」は北辰菩薩とも呼ばれ、北極星(北辰)を神格化した菩薩。
道教に由来する古代中国の思想で北天にあって動かず、夜空に輝く星が北極星を中心に回っていることから、北極星は宇宙の全ての星を支配する星の王、宇宙万物の運気を支配し司る最高神であるとされ、またその傍らにあって柄杓型に並ぶ北斗七星は北極星の眷属として一組とみなされ、これを一心に供養すれば災難を除き長生きできると考えられていました。
この思想に基づいて神格化されたのが「鎮宅霊符神(ちんたくれいふしん)」で、それが仏教思想に流入して菩薩の名がつけられ「北辰妙見菩薩」と称するようになったと考えられています。
わが国では密教や修験道で重要視され、国土を守護し、災厄を除く菩薩として、これを勧請することで国家鎮護・除災招福の祈願が密教僧あるいは修験僧によって盛んにおこなわれたといいます。
また日蓮宗では「日蓮が宗門隆盛を祈っているとき、天から大きな明星が降りてきた」とか「日蓮が伊勢の常明寺に滞在しているとき、北辰妙見菩薩が姿を顕した」などといった伝承から、宗祖・日蓮との関わりが深く、妙見菩薩を祀る「星祭り」が各寺院にて盛大におこなわれたといいます。
この点、その姿は仏教、道教、神道など様々な要素が混在しているため一定していませんが、甲冑を着けた武将形や玄武に乗るものなどがよく知られています。
妙見信仰は江戸時代には広く庶民にまで浸透していたといいますが、1868年(明治元年)の「神仏分離令」後の廃仏毀釈により衰退を余儀なくされます。
しかし仏教寺院のものを中心に妙見信仰は根強く残り、とりわけ大阪北摂の能勢妙見山のものは北極星信仰の聖地としてよく知られ、福島県・相馬妙見歓喜寺の相馬妙見、熊本県・八代神社の八代妙見とともに「三大妙見」に数えられています。
また一時期妙見めぐりが衰退した京都でも、1986年に市内の日蓮宗寺院を中心にした「洛陽十二支妙見会」による「洛陽十二支妙見めぐり」が復活しました。
そして善行院に祀られている妙見菩薩立像は第111代・後西院天皇の信仰が篤く、御所の清涼殿に安置され国家安泰を祈念していたという十二支妙見で唯一という「天拝の妙見菩薩」の由緒を持ち、1860年(万延元年)に「法華経にて祭祀せよ」との霊夢によって善行院の地に一堂を建立して奉安されたものです。
今日においても「洛陽十二支妙見めぐり」の第1番札所として北方の子年(ねずみ)を司っており、「西陣の妙見宮」「西陣の妙見さん」と呼ばれ広く親しまれています。