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洛陽六阿弥陀めぐり

洛陽六阿弥陀めぐり

「洛陽六阿弥陀めぐり」とは

「洛陽六阿弥陀めぐり(らくようろくあみだめぐり)」とは、京都市内の阿弥陀如来像を祀る6つの霊場を巡拝するもので、江戸中期の1717年(享保2年)に第4番霊場の洛東・安祥院を開基した大阿闍梨の木食正禅上人が阿弥陀仏の霊感を受け発願したという。

月ごとに違う功徳日参りを3年3か月連続で欠かさず続ければ、無病息災・家運隆盛、さらには学業成就などの祈願が成就すると、また有縁無縁の精霊の追善回向を行えば往生安楽が叶うと伝えられている。

1番霊場から6番霊場の順番に巡礼することが必要。

ちなみに1/15の一年の最初の六阿弥陀巡りは「初六阿弥陀巡り」といい、「南無阿弥陀仏」と念ずれば極楽浄土するといわれている。

功徳日(毎年同じ)

1/15 2/8 3/14 春の彼岸 4/15 5/18 6/19 7/14 8/15 9/18 秋の彼岸 10/8 11/24 12/24

洛陽六阿弥陀霊場

寺社名 エリア 阿弥陀 ポイント
真如堂(真正極楽寺) 第1番 真如堂
(真正極楽寺)
岡崎・吉田・鹿ケ谷 うなずきの阿弥陀 984年(永観2年)に戒算上人が延暦寺の常行堂に安置された阿弥陀如来像(重文)を神楽岡に移し開創
のちに慈覚大師円仁が「比叡山の修行僧のための本尊になって下さい」と眉間に白毫(びゃくごう)を入れようとすると首を振って拒否され、「それでは都に下ってすべての人々をお救い下さい。特に女の人をお救い下さい」と言われると、如来が頷かれたとの伝説を持つ
永観堂(禅林寺) 第2番 永観堂
(禅林寺)
岡崎・吉田・鹿ケ谷 見返り阿弥陀 本尊・阿弥陀如来立像は平安後期~鎌倉初期の作
平安中期に寺を中興し永観堂の通称の由来ともなった永観律師(ようかんりっし)が阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた所、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導するように行道をはじめられた
驚いた永観が呆然と立ち尽くしていると、阿弥陀は左肩越しに振り返り「永観遅し」と声をかけられた
その慈悲深いお姿を後世に伝えようと永観が阿弥陀に願い、見返りの姿を今に伝えるといわれている
清水寺 第3番 清水寺 阿弥陀堂 祇園・東山 恵心僧都作の阿弥陀 「清水の舞台」として知られる本堂の東に位置
鎌倉初期には「滝山寺」と呼ばれ、浄土宗の開祖・法然が1188年(文治4年)に日本で最初に常行念仏道場とした場所であることから法然上人二十五霊場第十三番札所でもある
本尊・阿弥陀如来像は恵心僧都作で如来形の千仏を配した光背(こうはい)は阿弥陀浄土の世界を表現したもの
堂の左須弥壇には法然上人の木像も安置されている
安祥院(日限地蔵) 第4番 安祥院
(日限地蔵)
祇園・東山 木食正禅作の阿弥陀 五条坂の急坂の途中に位置、元々は乙訓郡にあったが1725年(享保10年)に木食正禅養阿上人がこの地に中興
地蔵堂の地蔵尊は「日限さん」と称し、日を限って祈願すれば諸願成就する
本堂の本尊・阿弥陀如来は木食正禅上人作と伝わる
京の通称寺霊場28番でもある
安養寺(倒蓮華寺) 第5番 安養寺
(倒蓮華寺)
三条寺町・四条河原町 逆蓮華の阿弥陀 新京極の寺町に位置
本尊・阿弥陀如来像を安置する蓮華の台座を作らせると仏像を置くたびにひびが入り悩んでいた所、「蓮華をさかさまにした台座を作るが良い」というお告げがあり、その通りに台座を作ってみるとそれ以降台座が壊れることはなくなり、無事にが完成したことから「逆蓮華の阿弥陀」と称され、「逆蓮華寺」の別名も生まれたという
女人は業が深く心の蓮華は逆さまとなっていて極楽往生できないので、これを救済するためわざと蓮華を逆さにしたのだといわれていて、この伝説もあり古くから特に女人往生の寺として多くの女性からの信仰を集めたという
この伝説は新京極の七不思議の一つにも挙げられている
誓願寺 第6番 誓願寺 三条寺町・四条河原町 胎内に五臓六腑がある阿弥陀如来があったと伝わり、新京極の七不思議の一つににも挙げられている
これは江戸時代に日本初の人体解剖を行った医学者・山脇東洋の枕元にある夜自分が解剖した死刑囚の幽霊が現れ、罪を犯してないのに死刑にされ、解剖までされて五臓六腑も取られてしまい、このままでは成仏できないと訴えたため、その死刑囚の霊を鎮めるため胎内に内臓がある阿弥陀如来像を作らせ山脇家の菩提寺であった誓願寺に寄進したのだという
内臓のある阿弥陀如来像は幕末1864年(元治元年)の「蛤御門の変」の際に焼失したと伝わり、現在1964年(昭和39年)建造の本堂にはその後に作られた金色で高さ4.85mの巨大な阿弥陀如来坐像が安置されている

「阿弥陀如来」とは

仏界には西に極楽世界、東に浄瑠璃世界があり、「阿弥陀如来(あみだにょらい)」はこのうち西方の極楽浄土を治める。
四十八願をかけて厳しい修行を行い悟りを開いて如来となったといわれ、大日・薬師そして釈迦など大宇宙の無数の仏が師と仰ぎ最も信仰されている仏。
生ある者すべてを救うとされ、日本では「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土に行けるという阿弥陀信仰が鎌倉時代に盛んになり浄土教の宗派が生まれた。
大日如来以外の如来像と同様に装飾は一切身に着けず、親指と人指し指で輪を作り、右手を上に、左手を下にして手のひらを前に向ける「来迎印(らいごういん)」といわれる印相を結ぶ姿が一般的で、これは極楽浄土に迎えに来たことを意味しているという。
また正面向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の脇侍(わきじ)を配した「阿弥陀三尊」形式も多い。
浄土宗では本尊として安置される。

「阿弥陀」の名は、サンスクリット語で無限の光を持つ意味の「アミターバ(Amitabha)=無量光仏」、あるいは無限の寿命を持つ意味の「アミターユス(Amitayus)=無量寿仏」に由来。
「如来」は、仏教における仏の尊称。

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