加悦天満宮(天満神社)
加悦天満宮(天満神社)とは?(基本データ)
- 名前
- 加悦天満宮(天満神社)(かやてんまんぐう(てんまじんじゃ))
- エリア
- 与謝野
- ジャンル
- 建立・設立
- 創建年不詳
1586年(天正14年)に安良山城主・有吉省宥ら4名により現在の天神山に遷座 - 創始者
- 細目倉彦
- 祭神
- 菅原道真公
- ご利益
- 学業成就・受験合格
- 例祭
- 4月最終土・日曜日(加悦谷祭)・10月第1日曜(秋例祭)
- 神紋・社紋
- アクセス
- 駐車場
- 5台(無料)
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒629-2403
京都府与謝郡与謝野町加悦天神山50-1 - 電話
- 0772-43-0155(与謝野町観光協会)
0772-43-9026(与謝野町教育委員会) - FAX
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- 公式サイト
- 天満神社 ちりめん街道
与謝野町 春の例祭 与謝野日々是 与謝野町観光協会
加悦天満宮(天満神社)の地図
加悦天満宮(天満神社)のみどころ (Point in Check)
京都府与謝郡与謝野町加悦天神山、京都府北部の「丹後ちりめん」の産地として栄えた与謝野町の観光スポットとして知られる「ちりめん街道」沿い、加悦(かや)の町並みを見下ろす天神山の山上に鎮座し、学問の神様として崇められている菅原道真(すがわらのみちざね 845-903)を祀る神社。
創建は不詳なものの丹波道主の子孫とされ、菅原道真に仕えた細目道春の子・細目倉彦が、道真が九州・太宰府に配流となった後、丹後に戻り、道真亡き後に道真の霊を祀るために中郡(丹波郡)に設けた2社のうちの1社と伝えられています。この点、細目氏は細目より細見の姓となり、代々神宮として奉仕したといいます。
その後、与謝郡四辻天神河原、鎌倉末期の1329年(嘉歴4年)には加悦町宮野、更に戦国時代の1586年(天正14年)には安良山城主・有吉省宥ら4名により天神山と、3度の奉遷の後に現在地に鎮まり、以後は歴代領主の崇敬も集めるとともに、江戸時代には宮津藩主からも庇護され、明治期に入ると1873年(明治6年)に村社、そして1921年(大正10年)には郷社に列されました。
参道の石段137段は明治36年に菅公一千年祭記念事業として再建されたもので、石段の先に本殿があり、眼下には「ちりめん街道」や加悦谷平野を望む山の上にあります。
更に天神山の頂上には、吾野姫命を祭神とし927年(延長5年)にまとめられ当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である「延喜式神名帳」において延喜式内社とされた「吾野神社(あがのじんじゃ)」が合わせ祀られています。
そして現在の本殿は江戸中期の1733年(享保18年)に建立され、元々は石段の正面にありましたが、1927年(昭和2年)の「丹後大地震」で社地が崩れ、社殿の倒壊が危惧されたことから、現在の場所へと移転されています。
豊富な絵様や彫刻の飾り立てなどで建物を豪壮に見せるなど、当時の丹後地域における神社建築の特徴をよく表す好例として2006年(平成18年)に京都府指定有形文化財となっているほか、併せて本殿の脇にある鎌倉後期作の八角形石燈籠も保存状態も良く、中世の丹後地方を代表する石燈籠として京都府指定有形文化財となっています。
また境内に広がる天神の森は本殿を守る上で一体のものされ、「天満神社文化財環境保全地区」として文化財環境保全地区に指定されています。
行事としては4月の最終土曜・日曜日に開催される、五穀豊穣を願う春の例祭で、祇園祭に流れをくむ地域最大の例祭「加悦谷祭(かやだにまつり)」が有名です。
かつては集落ごと、または神社ごとに春や秋に行われていた各々の祭礼を、1887年(明治20年)頃に加悦天満宮(天満神社)の「天神祭」の例祭にあわせて4月25日に統一し、前後を含む3日間としたのが、現在の加悦谷祭の原型で、天満神社(加悦天満宮)をはじめ、後野愛宕神社や四辻八幡神社ほか16地区38神社が参加して盛大に行われます。
当日は神楽舞・太刀振り・芸屋台・御輿の練り歩きなど、各地区の神社ごとに特色ある祭礼・行事が盛大に繰り広げられ、このうち旧加悦町後野地区の愛宕神社の屋台行事は「府登録無形民俗文化財」にも登録されています。
この点、天満宮においては「神輿渡御」を中心に神楽、屋台、子供神輿を見ることができ、中でも神輿が137段の石段を降り登る様は圧巻です。
加悦天満宮(天満神社)の施設案内
境内
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社前
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東鳥居
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駒札
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臥牛像
鳥居の左手
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社務所
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参道石段
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本殿前参道
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手水舎
本殿手前左
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菅公一千年祭記念碑
本殿左
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本殿
江戸中期の1733年(享保18年)の再建
一間社流造で、され、豊富な絵様や彫刻の飾り立てなどで建物を豪壮に見せるなど、当時の丹後地域における神社建築の特徴を表しており、2006年(平成18年)3月17日に京都府指定文化財に指定
学問の神として崇められている菅原道真を祀る
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石灯籠
天満神社本殿脇にある石燈籠
花崗岩製で八角形・円筒竿・火袋大面取りの形をし、三石からなる四角形の台石上に立つ
総高は256.6cmをはかる大きなもので、基礎の上に一段の造り出しを設け、その上に伏蓮華文を置いて中台の側面を薄くして長方形の羽目を彫るなど、全体的に鎌倉後期の特徴をよく表現しており、保存状態も良く、中世の丹後地方を代表する石燈籠として1995年(平成7年)3月に京都府指定文化財に指定されているほか、国の重要美術品にも認定
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太神社(おおかみしゃ)
祭神・伊勢大神
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金刀比羅神社
祭神・金山彦命
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秋葉神社
祭神・迦具土命(かぐつちのみこと)
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吾野神社
天神山の頂上に鎮座
両脇に左が秋葉神社で右が金毘羅神社
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稲荷神社
朱塗りの鳥居の奥に鎮座し、左右の社は左が梅宮神社、右が竃神社
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竃神社
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梅宮神社
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北鳥居
境内の北側、実相寺の前から登る別ルートの参道の入口にある
足腰に自信のある参拝者向けの隠れたスポットとして、語り部の間では通称「健脚コース」と呼ばれているという
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社
北鳥居の右にあり
狛狐付
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関連
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御旅所(神輿堂)
算所にある
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周辺
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実相寺
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加悦天満宮(天満神社)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 3/24
天満宮誕生祭
- 4月最終日曜
加悦谷祭
五穀豊穣を願う春の例祭で、祇園祭に流れをくむ地域最大の例祭
かつては集落ごと、または神社ごとに春や秋に行われていた各々の祭礼を、1887年(明治20年)頃に加悦の天満神社の天神祭の例祭にあわせて4月25日に統一し、前後を含む3日間としたのが、現在の加悦谷祭の原型
現在は天満神社(加悦天満宮)のほか、後野愛宕神社、四辻八幡神社など16地区38神社が参加して盛大に行われ、当日は神楽舞・太刀振り・芸屋台・御輿の練り歩きなど各地区の神社ごとに特色ある祭礼が繰り広げられる
このうち旧加悦町後野地区の愛宕神社の屋台行事は「府登録無形民俗文化財」
天満宮では「神輿渡御」を中心に神楽、屋台、子供神輿を見ることができ、中でも神輿が137段の石段を降り登る様は圧巻
前日土曜の宵宮にて、神社より算所にある御旅所(神輿堂)まで巡行する「神幸祭」
当日日曜の本宮にて、御旅所(神輿堂)から神社までを巡行する「還幸祭」
本宮では例年15時30分頃に旧加悦町役場前にて神輿、神楽、芸屋台がすべて一堂に会する
なお倭文神社(三河内)の「三河内曳山祭」は1990年(平成2年)までは加悦谷祭の一部であったが、現在は5/4に別途開催されている
■旧野田川町地域
[1] 阿知江いそ部神社(岩屋)
[2] 深田神社(幾地)
[3] 八幡神社(四辻)
[4] 苦無神社(上山田)
[5] 弥刀神社(上山田)
[6] 小聖神社(下山田)
[7] 明鏡神社(下山田)
[8] 大命神社(石川)
[[9] 大宮神社(石川)
[10] 矢田部神社(石川)
[11] 物部神社(石川)
[12] 稲崎神社(石川)
[13] 多田神社(石川)
■旧加悦町地域
[1] 天満神社(加悦天満宮)(加悦・算所)
[2] 愛宕神社(後野)
[3] 二宮神社(加悦奥)
[4] 七谷神社(加悦奥)
[5] 一宮神社(加悦奥)
[6] 長宮神社(金谷)
[7] 国守神社(金谷)
[8] 畠中神社(口滝)
[9] 厳島神社(奥滝)
[10] 鎌倉神社(奥滝)
[11] 柴神社(与謝)
[12] 二ツ岩神社(与謝)
[13] 武神社(与謝)
[14] 下宮神社(与謝)
[15] 上宮神社(与謝)
[16] 宇豆貴神社(与謝)
[17] 菊部神社(与謝)
[18] 大虫神社(温江)
[19] 小虫神社(温江)
[20] 須代神社(明石)
[21] 日吉神社(明石)
[22] 山添神社(香河)
[23] 愛宕神社(香河)
[24] 三谷神社(香河)
[25] 一之坂神社(香河)- 7月最終日曜
夏越の大祓
神事では巫女舞を奉納
茅の輪くぐりあり- 10月第1日曜
秋例祭