京都市左京区田中西樋ノ口町、賀茂川と高野川の合流点(鴨川デルタ)の南東、叡山電鉄「元田中」駅より南へ徒歩1分の旧京阪国道(府道13号線)に沿いにある神社。
賀茂氏の一派である田中氏の氏神にして、旧山城国愛宕郡田中村の総鎮守社・産土神として地域の人々の信仰を集めてきた神社です。
詳しい創建の経緯については明らかでありませんが、平安時代の歴史書「日本三代実録」の「貞観五年(863年)五月二十二日条」の左京区岩倉にあった「田中神」を遷してきたという記述の「田中神」とは当社のことであるといわれ、古い歴史が窺い知れます。
社伝によれば、周辺一帯は河崎総社の旧地で、鎌倉時代の弘安年間(1278-88)に田中村の氏神として奉斎されたといいます。
そして中世に入り室町時代の「応仁・文明の乱」では、住民たちによる自警団が組織されるとともに神社を中心に「田中構(たなかがまえ)」という防壁が築かれ、神社はその城跡と考えられるといわれていますが、この時は1474年(文明6年)8月1日の西軍の攻勢で炎上。
また1536年の「天文法華の乱」の際にも法華衆の攻撃で被災しており、これらの度重なる火災によって神社の重要な文書類の大半は消失してしまっているといいます。
本殿及び拝殿は近くにある世界遺産・下鴨神社(賀茂御祖神社)の式年遷宮の折々に譲り受けてきたものと伝わり、賀茂神社「鳥邑縣纂書」によれば、江戸初期の1628年(寛永5年)に比良木社(ひらきしゃ)の旧殿を拝領した際には、賀茂社に青銅(銅貨)を本殿分で10貫文、拝殿分で1貫文奉納した記録が残っており、本殿および拝殿の瓦には三ツ葉丸葵の紋の形が付いていますが、これはその移築の由緒を伝えるものだといいます。
祭神として大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀ることから、縁結びと厄除けのご利益で知られ、拝殿の中に4つの摂社「稲田姫大神(稲田姫神社)」「事代主大神(事代主神社)」「倉稲魂大神(倉稲魂神社)」「猿田彦大神(猿田彦神社)」を祀るほか、他にも1879年(明治12年)に氏子の要望により談合の森、現在の叡山電鉄「茶山」駅周辺より遷されたという末社・玉柳稲荷神社には「稲荷大神」が祀られています。
ちなみに賀茂社においてまた祝(はふり)=神に仕える人を勤め奉っていた神社を囲む地域を「田中」と称したことから、賀茂氏の一派としての田中氏は田中姓の祖といわれ、「田中姓の発祥の地」ともいわれている神社です。
またNHKの大河ドラマ「八重の桜」にも登場したジャーナリストの徳富蘇峰は、同志社英学校に在学中にこの地に下宿していたといわれ、境内には記念碑が建てられているほか、境内は楠や大イチョウなどの木々に囲まれ、近年はクジャクが飼われていることで人気を集めています。
このクジャクたちは知り合いのサーカスの寄贈により、2005年の酉年に「神の鳥」として飼われ始めたといい、最初は一般的なクジャクと白いクジャクの2羽がいましたが、白クジャクが亡くなり、その後新たに若いクジャク2羽が寄贈され現在3羽となっています。
例祭は毎年10月23日で、10月第3日曜日に氏子大祭が開催され、多くの参詣者で賑わいます。