京都市北区紫野今宮町、今宮神社の東門前参道の北側にて、参道の向かい南側にある創業400年のかざりやとともに今宮門前名物の「あぶり餅」を商う老舗の和菓子店。
正式には「一文字屋和助(いちもんじわすけ)」といい、略して「一和(いちわ)」と呼ばれて親しまれています。
「あぶり餅(あぶりもち)」は、親指大にちぎった餅を12cmほどの細く割った二又の竹串に挿し、きな粉を付けて炭火であぶって香ばしい焦げ目をつけた後、白味噌に砂糖を加えたたれに絡めて食べる和菓子の一種です。
平安中期の994年(正暦5年)、一条天皇の子が疫病を患った時、疫除けの願いを込めて初代・一文字屋和助が香隆寺(現在の上品蓮台寺)の名物だった「おかちん(あぶり餅)」を神前に供えたのがはじまりとされ、それを家に持ち帰って食べると疫病を逃れたという話が伝えられており、日本の和菓子の元祖的存在とも考えられています。
今宮神社の門前の「一和」と「かざりや」の2店舗のほか、京都では右京区嵯峨の清凉寺境内にある「大文字屋」、京都以外では石川県金沢市金沢五社の神明宮などにある和菓子屋が有名ですが、中でも一和は1000年(長保2年)の創業で、平安時代より昔と変わらない製法で作り続けており、世界最古となる金剛組と同様、現在日本に7社ある創業1000年を超える会社のうちの一つとしても知られる老舗中の老舗です。
応仁の乱や飢饉のとき庶民に振舞ったといういわれがあるほか、戦国時代には千利休があぶり餅を茶菓がわりに用いたことでも知られ、現在も千家の御用達となっています。
またあぶり餅に使われる竹串は、今宮神社に奉納された斎串(いぐし)が用いられており、今宮神社で毎年4月の第2日曜に行われる「やすらい祭」の鬼の持つ風流花傘の下に入ると御利益があることにちなみ、あぶり餅を食べることで病気・厄除けの御利益があるとされ親しまれています。
今宮神社では東門を出てすぐの石畳の参道沿いに、その一和とかざりやの2軒の店が向かい合うようにして町家の風情ある店舗を構えており、また店の軒先では備長炭で餅をあぶる姿を間近で見ることができ、近くまで来ると香ばしい匂いが周辺に漂い食欲をそそられます。
なお持ち帰りも3人前から可能で、竹の皮に包んで持たせてくれますが、消費期限がその日限りのため注意が必要です。