京都市山科区、大石神社に隣接し山科盆地が一望できる高台の丘の上にある曹洞宗永平寺派の寺院。
山号は神遊山(しんゆうざん)で、本尊は不動明王。
創建時は天台宗に属する比叡山三千坊の一つでしたが、今は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺となっています。
代々尼僧が住職を勤める事となっている尼寺で、赤穂事件を描き歌舞伎や時代劇などで有名な「忠臣蔵」の主人公・大石良雄(内蔵助)が隠棲した「大石良雄山科閑居址」と伝えられることから「大石寺」とも呼ばれています。
創建については詳しく分かっていませんが、897年(寛平9年)に第59代・宇多天皇の勅命により現在境内の南隣にある山科神社が創建されると、山科神社の神宮寺として「岩屋寺」が独掌道鳴大和尚によって開山されたと伝えられています。
後に荒廃しますが、江戸後期の嘉永年間(1848-54)に堅譲尼が、播州赤穂浅野家の縁戚にあたる3,500石の旗本で京都町奉行・浅野長祚らの寄進を受けて再興されました。
赤穂城明け渡しの後、赤穂義士・大石良雄は岩屋寺付近に隠棲し討ち入りの策を練ったといわれており、その後仇討ちが成った後に邸宅や田畑などすべてを岩屋寺に寄進したといわれています。
境内には本堂と明治年代に建立された木像堂、それに大石良雄の遺髪塚や邸宅址があり、このうち本堂に祀られている本尊で秘仏の大聖(だいしょう)不動明王は平安前期の天台宗の僧・智証(ちしょう)大師円珍の作とされる木像立像で、大石内蔵助良雄の念持仏で、討ち入りの際には祈りを奉げたといわれています。
そして現在は近畿三十六不動尊の第二十四番霊場として多くの人々から信仰を集めています。
また本堂の本尊の周りには浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)および赤穂四十七士の位牌が並べられているほか、大石良雄が使用した文机や鍵付き貴重品箱などの遺品も保管・展示されています。
毎年12月14日に開催される「山科義士まつり」では、大石神社に到着した義士列を代表する形で大石ら数名が寺を訪れ、本堂前にて焼香し手を合わせます。
そして山科では毘沙門堂や勧修寺、そして大石桜で有名な大石神社同様に桜の名所としても知られていて、山門の脇で早咲きの枝垂れ桜が美しく咲くほか、大石内蔵助隠棲跡でも枝垂れ桜が枝を広げ見事な花を咲かせます。