乃木神社 京都観光

乃木神社

乃木神社

日露戦争で活躍、勝利に貢献した乃木希典将軍を祀る

日露戦争を勝利に導き明治天皇崩御後に殉死した乃木希典を祀る。 樹齢3千年の台湾檜造の神門に愛馬壽号・璞号の像、資料館に旅順攻撃の司令部を移築した記念館、少年期の長府旧邸、巡洋艦吾妻の主錨のほか、勝水に勝ま栗の祠、絵馬など勝運祈願グッズ、境内の山城えびす神社には狛犬に代わり大鯛も

乃木神社とは?(基本データ)

名前
乃木神社(のぎじんじゃ)
エリア
伏見・桃山
ジャンル

寺社 名水 伏見名水 必勝祈願 伏見五福 珍しい狛犬

建立・設立
1894~1895年(明治27~28年)、日清戦争で第1旅団長(少尉)として旅順を陥落させる
1895年、第2師団長(中将)として台湾征討、第3代台湾総督に就任(1898年まで)
1899年、第11師団の初代師団長(中将)に就任
1904~1905年(明治37~38年)、日露戦争の第3軍司令官(大将)として旅順要塞を攻略し203高地を占領
1912年(大正元年)9月13日、明治天皇大葬の日に自宅で割腹し殉死
1916年(大正5年)9月、京都に創建
創始者
村野山人(鹿児島出身の実業家)
祭神
乃木希典命(のぎまれすけのみこと)
乃木靜子命(のぎしずこのみこと)
ご利益
勝運・立身出世・受験・学力向上・芸能・諸芸上達
例祭
9/13(例祭)
神紋・社紋
市松四つ目
札所等
伏見五福めぐり
アクセス
  • 京阪本線「伏見桃山」駅下車 東へ徒歩約20分、車・タクシーで約3分
  • 近鉄京都線「桃山御陵前」駅下車 東へ徒歩約15分、車・タクシーで約3分
  • JR奈良線「桃山」駅下車 東へ徒歩約10分
  • 京都市営バス「御香宮前」(南8号系統)下車 東へ徒歩約13分
  • 近鉄バス「桃山」(9・10系統)下車 東へ徒歩約13分
  • 名神高速道路「京都南IC」より約10分
駐車場
バス5台分 無料(要事前連絡)
自家用車10台分 無料
拝観料
■宝物館
├中学生以上 100円
├小人 50円
└7歳以下無料
■内苑
├中学生以上 100円
├小人 50円
└7歳以下無料
お休み
無休
拝観時間
8:00~17:00
■内苑・宝物館
└9:00~16:00
住所
〒612-8028
京都府京都市伏見区桃山町板倉周防32-2
電話
075-601-5472
FAX
075-601-5480
公式サイト
京都・乃木神社
御祭神関連箇所 東京乃木坂・乃木神社

乃木神社の地図

乃木神社のみどころ (Point in Check)

京都市伏見区桃山町板倉周防、京阪伏見桃山駅や近鉄桃山御陵前駅、JR桃山駅の東側、122代・明治天皇(めいじてんのう 1852-1912)の伏見桃山陵の南麓に鎮座する、明治期の軍人で「日露戦争」を勝利に導き、海軍の東郷平八郎「海軍の東郷、陸軍の乃木」と並び称される国民的英雄として尊敬を集めた乃木希典大将を祭神として祀る神社。

乃木希典(のぎまれすけ 1849-1912)は1849年(嘉永2年)11月11日に江戸麻生の長州毛利藩上屋敷にて長州藩の支藩である長門府中藩(山口県)の藩士・乃木希次(まれつぐ)の三男として生まれ、10歳の時に父が帰国を命ぜられたのに合わせて長府(山口県)に移り住み、松下村塾(しょうかそんじゅく)の創立者である吉田松陰の叔父・玉木文之進の門に入って学んだ後、1866年(慶応2年)の幕府による第二次長州征伐の際には長州藩の報国隊の一員として小倉口に戦いに出陣して18歳にして初陣を飾り、その後は周囲の助言もあって武人としての道を歩むこととなり、1872年(明治4年)には陸軍少佐に任官し1876年(明治9年)の「萩の乱」や1877年(明治10年)の「西南戦争」にも従軍しています。

その後、1887年(明治20年)から翌年にかけてドイツに留学し軍制・戦術を研究し、1894から1895年(明治27~28年)にかけての「日清戦争」では歩兵第1旅団長(少尉)として遼東半島先端部にある旅順要塞を攻略し陥落させ、更に1895年(明治28年)には第2師団長(中将)として台湾征討に参加し、戦後は第3代台湾総督に就任しています。

1898年(明治31年)には香川県善通寺に新設された第11師団の初代師団長(中将)に就任するも、その後一時休職。
そして1904~1905年(明治37~38年)、日露戦争の第3軍司令官(大将)として出征することとなり、当時難攻不落といわれた旅順要塞を攻略することとなります。

旅順要塞のある遼東半島は日清戦争後の下関条約で日本に割譲されたものの、三国干渉の結果、清に返還され、代わってロシア帝国が清から租借することとなり、その後旅順はロシア帝国海軍の太平洋艦隊の主力艦隊・旅順艦隊の根拠地として使用され、永久要塞が建設されていました。
日本が日露戦争に勝利するためにはこの旅順艦隊を無力化することで、日本本土と朝鮮半島や満州との間の補給路の安全を確保することが不可欠であったといい、3回にわたる総攻撃の末、2人の息子が戦死するなど多大な犠牲を払いながらも旅順要塞の要衝・二◯三高地の争奪戦に勝利し、日露戦争の勝利を決定づけるとともに、旅順要塞を陥落させた後の要塞司令官ステッセリとの「水師営の会見」での紳士的な振る舞いは、その武功とともに世界的に報道されて賞賛されたといいます。

日露戦争の後は第3軍司令官を退任するとともに軍事参議官に任命され、その後も第明治天皇の信任厚かったといい、武人としてはもちろん、文人としても優れた教育者であり人格者でもあった乃木大将の「尊皇愛国、尽忠無私、至誠一貫」の精神を華族の子弟教育に取り入れたいとの思いや、戦争で2人の子供を失って寂しい乃木大将に、その代わりに沢山の子供を授けようとの思いから、1908年(明治41年)、明治天皇の皇孫・迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)が学習院に入学するに先立って天皇より「華族の教育の事、総て卿に一任す」との勅命を賜り学習院院長への就任を要請されます。

学習院長に就任した乃木大将は、子供たちと同じ学寮で寝食を共にするとともに、剣道・柔道・水泳などにも力を入れてその先頭に立って指導を行い、生徒たちからは「乃木おじいさん」と親しみをもって呼ばれて尊敬を集めていたといい、また「心の教育」にも力を入れ、生徒たちに与えられた訓示は「學習院初等科 乃木院長訓示要領」として現在まで伝えられています。

そして1912年(明治45年)7月30日、明治天皇が崩御すると、乃木大将は明治天皇大葬の日の同年(大正元年)9月13日、天皇の棺を乗せた車が宮城を出発する号砲が打たれた20時過ぎに「うつし世を 神去りましし 大君の 御あと慕いて 我は逝くなり」の辞世の句を残し、東京赤坂の自宅にて、妻・静子とともに明治天皇に殉じて自刃を遂げます。

その訃報が報道されると、多くの日本国民が悲しむとともに欧米の新聞においても多数報道されたといい、1912年(大正元年)9月18日に行われた乃木夫妻の葬儀には十数万の民衆が自発的に参列したといわれていて、その様子は「権威の命令なくして行われたる国民葬」と表現され、また外国人も多数参列したといいます。

またその死去を受けて各地に追悼の運動が起こり、京都市伏見区の当社をはじめ、自宅のあった東京赤坂、別荘のあった栃木県那須塩原市、幼少期を過ごした山口県下関市、その他にも香川県善通寺市や北海道函館市といった全国各地のゆかりの地に乃木神社が建立されたほか、東京都港区の赤坂の乃木邸の前を通っていた通りは幽霊坂から「乃木坂」へと改められ、現在は地下鉄東京メトロ千代田線の乃木阪駅の駅名にもなるなど、地域一帯をの地名としても定着し、その名を後世に残しています。

近年では2011年に誕生した人気女性アイドルグループ「乃木坂46」の名前の由来にもなっていて、東京の乃木神社ではCDのヒット祈願や成人したメンバーの成人式が行われているほか、全国の乃木神社がファンの間で聖地巡礼の対象になっているといいます。

そして京都にある乃木神社は、1916年(大正5年)9月13日、明治から大正時代に活躍した実業家・村野山人(むらのさんじん 1848-1921)とその志に応え賛同する人々の熱意と尽力により創建。

建立の中心となった村野山人は薩摩藩(現在の鹿児島県)の出身で、兵庫県警部や神戸区長を勤めた後、鉄道事業を開始し、山陽鉄道や豊州鉄道、神戸電気鉄道などを経営し、神戸商法会議所会頭や衆議院議員なども務めた関西の政財界を代表する人物で、明治天皇の大葬の際には京阪電車の会社代表として参列していたといいます。

ところがその翌日に乃木夫妻の殉死を耳にすると、強い衝撃を受けるとともに感銘を受け、将軍の人となりや日本人の心を後世に伝えようと、乃木夫妻の殉死の1年後に全ての役職を辞し、私財を投じて乃木神社の創建に取り組みます。

創建の地に選ばれたのは明治天皇の眠る伏見桃山陵の南麓で、元々は皇室の御料地でしたが、村野山人をはじめ神社の建立を願う多くの政財界人や軍人などの尽力および時の政府の理解によって特別に建設が許されたといい、全国に建設された乃木神社中最も早く建立が計画されたものの、用地確保と建設に4年の歳月を要したこともあり、1923年(大正12年)に創建された東京赤坂の乃木神社よりも早く栃木県那須塩原市の乃木神社に次いで全国で2番目に創建されることとなります。

京都御所や明治天皇の伏見桃山御陵の南側にあることから、そちらの方に背を向けないように春日造の本殿をはじめとする境内は南向きや東向きが一般的なところ、北向きに整備されていて、鳥居をくぐると樹齢3千年の台湾檜の1幹で造られた神門が参拝者を出迎え、その先には乃木大将の愛馬でロシアの将軍ステッセルから贈られた白馬・壽号とその子・璞号の銅像が本殿前を守るようにして配されています。

その他にも幼少期を過ごした長府の乃木旧邸が復元されているほか、日露戦争の旅順攻撃の際に第3司令部の乃木大将が約1年間指揮を執るために使用していた中国の民家が移築されて記念館に、また将軍の書画、武具など遺品数100点を保存する蔵造りの宝物館も創建と同時に建造され、見どころの一つとなっています。

そして祭神にちなんだ勝運・立身出世・受験・学力向上・芸能・諸芸上達などのご利益で知られ、境内には乃木大将が生前によく栗を食べ「勝ちまくり」と願掛けをしていたことにちなんだ「全てに勝ちま栗の祠」や勝ちま栗の勝運祈願の絵馬などの授与品も多く用意されていて、その他にも名水「勝水」は勝運の縁起水として知られています。

また本殿右手の摂社「山城えびす神社」は元々は乃木大将の夫人・静子を祀まつる「静魂神社」でしたが、後に本殿相殿に合祀されたことを受けて現在は七福神の中で唯一日本の神様である蛭子皇子(えびす様)を祀る社となっており、社殿両脇には狛犬に代わる大鯛のオブジェが配されていて、商売繁盛のご利益で知られています。

乃木神社の施設案内

 

境内

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    大鳥居

     

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    神門

    四脚入母屋造で木造銅版葺
    門扉は乃木大将が第3代総督をつとめた台湾の阿里山の台湾檜で建造されていて、中でも扉の内側は樹齢3000年、幅6尺3寸余(約1.8m)の紅檜一枚板でできているという

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    社号標

     

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    駒札

    神門前

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    参道 

     

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    手水舎

    神門くぐってすぐ左手

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    授与所・祈祷受付

    神門入ってすぐ右手

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    学習院長時代の乃木大将胸像

    小倉右一郎作

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    三典一靜の松

    夫婦円満・良縁成就・家運隆昌

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    壽号・璞号

    拝殿前両脇にある神馬像
    ロシアの将軍ステッセルから贈られた白馬で乃木大将の愛馬である壽号(すごう)と、その子馬である璞号(あらたまごう)の銅像

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    勝ちま栗の祠

    「勝栗像」を祀る祠
    2006年(平成18年)の勝水復活を機に参拝者の寄進により造営されたもの
    「勝栗」は戦場に出る武士がこれを食べて出陣したという故事に倣ったもので、乃木大将の大好物であったおいう

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    乃木の名水 勝水

    病気平癒、元気回復、勝運縁起の水
    かつての伏見城の名水と水源を一にする名水として創建当初から御神水として、勝運の縁起水として崇められてきたが、その後周辺開発により枯渇
    2006年(平成18年)に掘削を試みた所地下80数メートルの所で取水に成功し復活した

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    拝殿

     

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    絵馬額

    拝殿に掛かる、乃木将軍の愛馬が彫られる

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    絵馬掛

    「すべてに勝ちま栗」の絵馬が掛かる

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    本殿

     

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    山城ゑびす神社

    本殿の正面右にある摂社
    創建者の村野山人は創建にあたって乃木夫妻ならびに勝典・保典の二人の息子の計4柱を本殿に祀ることを当時の内務省に願い出たものの、当時は乃木大将1柱のみの許可しか下りず、そこで本殿の西隣に1919年(大正8年)に静子夫人の霊を祀る「静魂神社」が別に建てられることに
    その後、七福神が合祀され「靜魂七福社」となり、更に2006年(平成18年)の乃木神社創建90周年の際に創建者の望み通りに静子夫人の御霊が本殿に遷されることとなり、七福神を祭神とする「山城ゑびす神社」に改称
    2015年(平成27年)の社殿修復工事の際に七福神の奉祀を改め、恵比須神のみを祭神とする社に改められ現在に至る
    七福神が合祀された経緯は不明なものの、合祀以来地元伏見を中心に南山城地域唯一の「ゑべっさん」として商売繁盛の信仰を集め、毎年1月10日には例祭「ゑびす祭」も開催される

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    幸せに成り鯛

    山城ゑびす神社の社殿前両脇に狛犬のような形で鎮座
    商売繁盛にご利益

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    内苑入口

    本殿の周辺を回遊路として整備
    四季の草木と真筆の3つの詩碑「乃木三絶」などがある

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    乃木夫婦像

     

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    招き猫

     

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    鶴のレリーフ

     

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    詩碑「金州城(きんしゅうじょう)下の作」

    「乃木三絶」の一つ

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    十三重の塔

     

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    十二支瓦

     

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    和み地蔵

    本殿の真後ろ

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    恵比須と大黒天

     

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    神饌畑

     

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    亀の像

     

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    詩碑「爾霊山(にれいさん)」

    「乃木三絶」の一つ

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    カエルの像

     

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    心字池

    池の奥に一念地蔵と乃木像

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    詩碑「凱旋(がいせん)」

    「乃木三絶」の一つ

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    笑獅子

     

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    村野山人翁之像

    拝殿の脇、神社創建者の像

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    長府乃木邸

    乃木大将が幼少期に暮らした山口の住居を復元したもの
    乃木の父・希次は江戸麻布の毛利邸で槍術及礼法小笠原流の指南番をする禄高150石の武士であったが、幕末の藩政改革に際し改革案を上申した所、これが上級藩士の機嫌を損ねる結果となり、2分の1に禄高を削られ国元の長府にて閉門蟄居を命じられることとなり、足軽の家を借りて住居としたという
    住居内には父・希次が毎朝出仕前に希典に一条の教訓を与えて出かけていた時の様子が、大将の甥にあたる長谷川栄作の作により塑像で表現されている

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    さざれ石

    国歌「君が代」に「君が代は 千代に八千代にさざれ石の いはほとなりて こけのむすまで」と詠まれている

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    棗の木(なつめのき)

    乃木とステッセルの会見の際に水師営の庭にあった木を移植

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    記念館

    「日露戦争」の際に南満州にて第3軍司令部として使用された民家で、乃木大将はここで旅順攻略の指揮を取り約1年間起居したという
    神社の創建時に家主から建物全体を買い上げてそのまま移築されたもので、建物の腰石も現地で使われていた当時のもの

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    宝物館

    神社創建と同時に建てられた蔵作りの建造物
    乃木大将在世中の直筆の書簡類をはじめ、刀剣や武具、乃木夫妻の質素な生活ぶりを伺わせる生活調度品など100数十点の宝物を展示する

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    歌碑

    「国のため 力の限り つくさなむ 身のゆく末は 神のまにまに」

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    慰霊碑

    「英霊よ安らかに」と刻まれ、第二次世界大戦の伏見区戦没者1200名を慰霊する

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    忠魂碑

     

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    戦艦「吾妻」の主錨

    「日露戦争」には装甲巡洋艦として活躍し、1944年(昭和19年)に引退
    その後に慰霊のモニュメントとして移設されたもの

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    乃木将軍景仰の碑

    「日露戦争」の終結後に徳富蘇峰が揮毫

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    参拝者駐車場

     

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    公衆トイレ

     

関連

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    明治天皇伏見桃山陵

     

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    東京 乃木神社

    東京都港区赤坂

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    那須 乃木神社

    栃木県那須塩原市石林
    別邸があり、乃木夫妻は余暇をみては那須野にて鋤鍬をとったという

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    長府 乃木神社

    山口県下関市長府宮の内町
    乃木家の旧主・毛利家の城下町に旧宅があり、乃木大将は少年期・青年期をこの地にて過ごしたという

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    函館 乃木神社

    北海道函館市乃木町

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    善通寺 乃木神社

    香川県善通寺市文京町
    1898年(明治31年)に善通寺に第11師団が新設されると、乃木大将は初代の師団長として34年まで2年7ヶ月の間、この地に住んだ
    現在は讃岐宮として護国神社と相宮する

周辺

乃木神社の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1
歳旦祭

 

1/10
ゑびす祭

 

2/11
紀元祭

 

2/17
祈年祭

 

6/30
夏越の大祓

茅の輪はなし

9/13
例祭

 

11/3
明治祭

 

11/23
新嘗祭

 

12/23
天長祭

 

12/31
除夜祭

 

月並行事

毎月13日
月次祭

11:00

花ごよみ

 
桜(サクラ)

 

 
紅葉(こうよう)

 

乃木神社のギャラリー

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