京都市右京区山ノ内宮脇町、西大路三条から三条通をやや西に進んだ嵐電山ノ内駅の北側、世界的に有名な精密機器メーカーの島津製作所本社の西に鎮座する神社。
祭神として大山咋神(おおやまくいのかみ)と玉依姫神(たまよりひめのかみ)の夫婦神と、大国主命の別名である大己貴神(おおなむちのかみ)を祀り、方除け、厄除け、縁結び、安産、子授け、夫婦円満などのご利益で知られています。
詳しい創建の経緯は不明ですが、その昔この地は比叡山天台宗延暦寺の寺領(山門領内)で、そのためこの地を「山ノ内」と称したといい、また最澄の母・妙徳夫人の生地でもあり、延暦寺との関係が非常に深い場所であったといいます。
そして約900年あまり前の白河天皇の時代、1094年(寛治7年)に天台宗座主を退き京都に移住した良真(りょうしん 1022-96)が「普賢寺」と号する西ノ京禅坊を建立、その守護神として近江国坂本の「日吉山王大神」を勧請したのがはじまりとされています。
この点「山王信仰(さんのうしんこう)」とは、比叡山の麓にある滋賀県・日吉大社の祭神・山王権現に対する信仰のことで、最澄が比叡山に延暦寺を開いた際、唐の天台山国清寺に守護神として祀られている山王祠の例にならって地主神・大山咋(おおやまくい)神を山王神として祀り延暦寺の守護神としたのがはじまりで、神仏習合の典型ともいえる信仰です。
後に賀茂・春日・白山などの神々を勧請し、上・中・下各7社の社を建てて山王二十一社とされ、天台宗の興隆とともに全国に広がったといい、更に猿を神使とするため庚申(こうしん)信仰とも習合し、安産・子育て・縁結びの神としても信仰されています。
樹齢700年を超え、区民誇りの木にも指定されているという「山王楠」の巨木がそびえ立つ境内には1990年(平成2年)の台風被害により1991年(平成3年)9月に新築されたという本殿を中心に社務所や山王殿、舞殿などの建物があり、また本殿の右にある「夫婦岩」は古くより両岩を撫でて祈ると夫婦円満・子授け・安産にご利益があるとして知られ、また嬰児の初宮詣での際に神酒・洗米・梅干を小皿に入れ折敷にのせてお供えをした後、梅干しの皮で鼻をつまみ、皺が寄るまで長命鼻高出世を祈る習慣は現在まで伝えられているといいます。
その他の見どころとしては、末社として縁結びの白山姫神(しらやまひめのかみ)と、美の女神である湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る若宮社、五穀豊穣・商売繁盛の神様として有名な稲荷社のほか、慈覚大師円仁が中国の山東省赤山の山神を天台宗の守護神、方除けの神として勧請したことで知られる泰山府君を祭神とする赤山神社が勧請されている点や、境内に浄土真宗の宗祖・親鸞が諸国伝導布教の途中に立ち寄って休んだとされる「座石」や「足跡石」が残されている点は注目しておきたい所です。
行事としては秋の祭礼「山王まつり」において神輿渡御が行われ、男神輿と女神輿(姫みこし)が氏子区域を練り歩き、三条通では路面を通る嵐電に気を遣いながら渡御を進めていく姿が印象的です。