京都市左京区東大路仁王門下る東門前町、東山三条を少し上がった東大路通沿いにある神社。
通称は「満足さん」で、名前の通り稲荷神社の一つであり、祭神として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る神社です。
安土桃山時代の文禄年間(1592-96)に豊臣秀吉が「文禄の役(1592年)」の戦勝を稲荷大神に祈願したところ、霊験が著しかったので、伏見城内に城の守護神として伏見稲荷大社の祭神を勧請し「稲荷社」を創建したのがはじまりと伝わっています。
この点、秀吉は伏見城を建てる前から稲荷神へよくお参りをしており、そのおかげで神のご加護が受けられ、天下統一できたということから伏見城を建てる際に稲荷社を勧請し城内に祀ったといい、社名の満足の2字は、稲荷大神のご加護によって秀吉が天下統一を果たせたことに「満足」したことに由来しているといいます。
その後秀吉が没すると伏見城は取り壊され、更に1693年(元禄6年)に第5代将軍・徳川綱吉によって現在地に遷座し、法皇寺の鎮守社とされました。
そして明治になると法皇寺は南禅寺に吸収されて、当社のみが残ることとなり、1908年(明治41年)には幣帛共進神社に指定されています。
稲荷神を祀ることから「商売繁昌・五穀豊穣」の神として崇敬を集めるほか、豊臣秀吉の天下統一を叶えたという由緒から「開運の」ご利益でも知られています。
境内はそれほど広くありませんが、本殿、拝殿、手水舎、末社などが巧みに配置されており、このうち「岩神さん」は岩をさすり頭を撫でると頭が良くなり、体の痛い所や悪い所を撫でると病気が治るという、知恵授けおよび病気平癒に霊験あらたかな霊石として知られています。
またご神木の「モチノキ」は樹齢約400年で、幹が途中から8つに分かれており縁起が良いとされ、京都市指定保存樹にもなっているほか、境内の片隅には「満足馬」という銅像が建っていることでも有名です。