満足稲荷神社
満足稲荷神社とは?(基本データ)
- 名前
- 満足稲荷神社(まんぞくいなりじんじゃ)
- エリア
- 岡崎・吉田・鹿ケ谷
- ジャンル
- 建立・設立
- 文禄年間(1592~96)
- 創始者
- 豊臣秀吉
- 祭神
- 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
- ご利益
- 商売繁盛(豊臣秀吉の天下統一を叶えたという由緒から)・病気平癒・出世開運
- 例祭
- 5/8(例大祭)・5/5(神幸祭・隔年)
- 神紋・社紋
- 抱き稲
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 境内自由・無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 夏季 6:00~20:00
冬季 6:30~20:00
朱印所9:00~18:00 - 住所
- 〒606-8345
京都府京都市左京区東大路仁王門下る東門前町527-1 - 電話
- 075-771-3035
- FAX
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- 公式サイト
- 満足稲荷神社
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満足稲荷神社 Instagram
満足稲荷神社の地図
満足稲荷神社のみどころ (Point in Check)
京都市左京区東大路仁王門下る東門前町、東山三条を少し上がった東大路通沿いにある神社。
通称は「満足さん」で、名前の通り稲荷神社の一つであり、祭神として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る神社です。
安土桃山時代の文禄年間(1592-96)に豊臣秀吉が「文禄の役(1592年)」の戦勝を稲荷大神に祈願したところ、霊験が著しかったので、伏見城内に城の守護神として伏見稲荷大社の祭神を勧請し「稲荷社」を創建したのがはじまりと伝わっています。
この点、秀吉は伏見城を建てる前から稲荷神へよくお参りをしており、そのおかげで神のご加護が受けられ、天下統一できたということから伏見城を建てる際に稲荷社を勧請し城内に祀ったといい、社名の満足の2字は、稲荷大神のご加護によって秀吉が天下統一を果たせたことに「満足」したことに由来しているといいます。
その後秀吉が没すると伏見城は取り壊され、更に1693年(元禄6年)に第5代将軍・徳川綱吉によって現在地に遷座し、法皇寺の鎮守社とされました。
そして明治になると法皇寺は南禅寺に吸収されて、当社のみが残ることとなり、1908年(明治41年)には幣帛共進神社に指定されています。
稲荷神を祀ることから「商売繁昌・五穀豊穣」の神として崇敬を集めるほか、豊臣秀吉の天下統一を叶えたという由緒から「開運の」ご利益でも知られています。
境内はそれほど広くありませんが、本殿、拝殿、手水舎、末社などが巧みに配置されており、このうち「岩神さん」は岩をさすり頭を撫でると頭が良くなり、体の痛い所や悪い所を撫でると病気が治るという、知恵授けおよび病気平癒に霊験あらたかな霊石として知られています。
またご神木の「モチノキ」は樹齢約400年で、幹が途中から8つに分かれており縁起が良いとされ、京都市指定保存樹にもなっているほか、境内の片隅には「満足馬」という銅像が建っていることでも有名です。
満足稲荷神社の施設案内
境内
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南門(一の鳥居)
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社号標
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朱鳥居
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参道
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満足馬の銅像(神馬像)
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山桜
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龍の手水舎
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岩神さん
岩神さんをさすり頭を撫でると頭が良くなり、痛いところ悪い所をさすると治ると言い伝えられている
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クロガネモチの神木
モチノキ科の常緑高木で樹齢は400年以上
幹が途中から8つに分かれているのが大きな特徴
京都市指定保存樹
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二の鳥居
境内東の東大路通沿い、門前にバス停
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鎮守の杜
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舞殿
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絵馬所
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本殿
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末社
本殿向かって右側に3社を祀る
大神宮社(祭神は天照大御神)
大国主社(祭神は大国主神)
猿田彦社(祭神は猿田彦神)
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藤棚
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社務所
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接待所
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御蔵
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満足ガレージ
境内は月極駐車場にもなっている
周辺
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東大路通
満足稲荷神社の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
歳旦祭
10:00
新年を寿ぐ芸能奉納
大晦日から元旦までの年越し参拝は3:00まで- 2/2・2/3
節分祭
神事・福引・飴湯・ぜんざい接待
- 2月初午の日
初午祭
- 5/5
神幸祭
隔年(2年に1度)の開催
時代装束の行列を従えて鳳輦および子供神輿が氏子区域を巡行する
先導を務める5人の狐巫女(きつねみこ)が印象的- 5/8
例大祭
- 6/30
夏越の祓・茅の輪くぐり
16:00
半年分の穢れを祓い流し、この後の半年の健康と厄除けを祈願- 11/8
火焚祭
14:00
奉納された護摩木の焚き上げおよび湯立神楽- 12/31
大祓式
16:00
花ごよみ
桜(サクラ)●
一の鳥居入って左手に山桜
本殿右手に枝垂桜