祐正寺(妻取地蔵)
祐正寺(妻取地蔵)とは?(基本データ)
- 名前
- 祐正寺(妻取地蔵)(ゆうしょうじ(つまとりじぞう))
- エリア
- 北野・西陣
- ジャンル
- 正式名
- 大応山慈光院裕正寺
- 建立・設立
- 1602年(慶長7年)
- 創始者
- 円誉雲白
- 宗派
- 浄土宗大本山・百萬遍知恩寺末寺
- 山号
- 大応山
- 本尊
- 阿弥陀如来立像
- ご利益
- 縁結び
- 寺紋
- 月影杏葉(つきかげぎょよう)(浄土宗宗紋)
- 札所等
- 洛陽四十八願所 第9番(妻娶地蔵大菩薩)
通称寺の会(京の通称寺霊場) - アクセス
- 駐車場
- 境内敷地の西隣に3台
(近くにコインパーキングもあり) - 拝観料
- 境内自由・無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 8:00~16:30
- 住所
- 〒602-8353
京都府京都市上京区下立売七本松東入長門町409 - 電話
- 075-821-0720
- FAX
- -
- 公式サイト
- つまとり地蔵(祐正寺) 通称寺の会
祐正寺(妻取地蔵)の地図
祐正寺(妻取地蔵)のみどころ (Point in Check)
京都市上京区下立売七本松東入長門町にある浄土宗大本山・百萬遍知恩寺の末寺。
正式名は「大応山慈光院裕正寺」で、山号は大応山、本尊は阿弥陀如来立像。
この点「長門町」という町名は、安土・桃山時代の1587年(天正15年)にこの地に豊臣秀吉の聚楽第が建てられると、その周辺には諸大名の屋敷が多く建てられますが、その中で家臣である長門守こと木村重成(きむらしげなり 1593?-1615)あるいは長門毛利氏の邸が置かれたことにちなむものだといいます。
そして元和・寛永の頃になると市中に散在する大小70あまりの寺院がこの地に集められて「東の寺町」とも呼ばれたといい、祐正寺もその一角に創建されています。
江戸幕府が開かれる前年の1602年(慶長7年)に、円誉雲白により法然ゆかりの浄土宗念仏道場として創建。
その後1673年(寛文13年)、第3代・郭誉穐道の時に第112代・霊元法皇の勅願によって「地蔵堂」を建立。
堂内に安置された彩色豊かな地蔵尊は「娶妻結地蔵(つまとりじぞう)」と呼ばれ、良い妻に巡り会えるとして主に男性向けの「縁結び」のご利益があるとして信仰を集めており、僧・宝山が六地蔵以外の48か寺の地蔵尊から選んだとされる「洛陽四十八願所」の一つにも数えられています。
また本堂は1797年(寛政9年)の焼失後の再建で、その際に焼失を免れた恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)作と伝わる本尊・阿弥陀如来立像を安置。その他にも境内には鎮守社として「毘沙門天・慈光大辨財天・大黒天」「兼藤稲荷大明神」があります。
また春先には「枝垂れ梅」が咲き誇ることで知られる、知る人ぞ知る隠れた梅の名所でもあります。
祐正寺(妻取地蔵)の施設案内
境内
-
-
山門
-
-
寺号標
山門手前右手
正面に「浄土宗 大應山慈光院 祐正寺」、側面に「洛陽四十八願所 第九番霊場 妻娶地蔵大菩薩」と刻まれている
-
-
本堂
山門くぐって左手
恵心僧都源信作と伝わる本尊・阿弥陀如来立像を安置
-
-
南無阿弥陀仏の石碑
本堂手前右
-
-
玄関
本堂の右
-
-
地蔵堂
山門くぐって左手の一番奥
第112代・霊元法皇の勅願によって建立され、妻取地蔵(娶妻結地蔵尊)を安置
-
-
枝垂梅
地蔵堂の手前右
-
-
鶴
地蔵堂の脇
-
-
慈光大辨財天・大黒天・毘沙門天
山門右手にある鎮守社
-
-
兼藤稲荷大明神
山門右手にある鎮守社
-
-
駐車場入口
周辺
祐正寺(妻取地蔵)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 2月
節分祭
護摩供養・甘酒接待有り
- 11/23
お火焚き
護摩供養
月並行事
- 毎月5日
写経会
- 毎月第3土曜
別時念仏