東向観音寺
東向観音寺とは?(基本データ)
- 名前
- 東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ)
- エリア
- 北野・西陣
- ジャンル
- 建立・設立
- 806年(延暦25年)、桓武天皇の勅命により大納言・藤原小黒麿および賢璟法師が「朝日寺」として創建
947年(天暦元年)、朝日寺の僧・最鎮らが天満宮を建立
961年(応和元年)、筑紫の観世音寺より菅原道真自作の十一面観世音菩薩を請来し安置
1311年(応長元年)、無人如導宗師が中興し筑紫の観世音寺に擬して「観世音寺」または「観音寺」と改称、南北両朝の天皇や足利尊氏の帰依を受けて北野天満宮の神宮寺として栄える - 創始者
- [開基] 藤原小黒麿、賢璟法師
[勅命] 桓武天皇
[中興開山] 無人如導宗師 - 宗派
- 真言宗泉涌寺派 準別格本山
- 山号
- 朝日山
- 本尊
- 十一面観世音菩薩
- ご利益
- 安産・子授、厄除け
- 寺紋
- 札所等
- 洛陽三十三所観音霊場 第31番
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 境内自由・無料
- お休み
- -
- 拝観時間
- 9:00~16:30
- 住所
- 〒602-8385
京都府京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863 - 電話
- 075-461-1527
- FAX
- -
- 公式サイト
- 北野東向観音寺
洛陽三十三所観音巡礼 第三十一番札所 東向観音寺
上京区の史蹟百選 区民誇りの木/観音寺 ツガ 京都市上京区
東向観音寺の地図
東向観音寺のみどころ (Point in Check)
京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町、北野天満宮の参道を入ってすぐ左手にある真言宗泉涌寺派の準別格本山。
山号は朝日山で、本尊・十一面観世音菩薩は菅原道真自作で北野天満宮の本地仏です。
寺伝によると、平安初期の806年(延暦25年)、桓武天皇の勅を奉じて大納言・藤原小黒麿および賢璟法師が皇城鎮護のために建立したのがはじまりで、当初は「朝日寺」と呼ばれていたといいます。
菅原道真が幼い頃勉学に励んだ場所と伝わり、本尊の十一面観世音菩薩は菅原道真の自作とされ、947年(天暦元年)に朝日寺の僧・最鎮(さいちん)らが菅原道真の廟である菅公廟をこの地に移し北野天満宮を建立した後、961年(応和元年)に筑紫国の観世音寺より請来し安置されたものだといいます。
鎌倉末期の1311年(応長元年)、無人如導が中興して律宗となり、筑紫の観世音寺に擬して「観世音寺」と改称。
花園・後醍醐・光厳・光明の4天皇や足利尊氏の帰依を受け、その後豊臣家が北野天満宮を復興した際に当寺も整備され、北野天満宮の神宮寺として栄え、「天満宮御本地仏」「北野神宮寺」あるいはは「奥之院」とも称しました。
江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、その後、明治期には一條家出身で明治天皇の皇后となった昭憲皇太后が結婚前に当寺で勉学に励まれたと伝えられています。
そして江戸後期に「観音寺」となり、現在は真言宗泉涌寺派の準別格本山となっています。
現在の本堂は秀吉の子・豊臣秀頼によって再建されたもので、本堂が東を向くことから「東向観音」と称されるようになったといいます。
ちなみに元々は東向の他にもと一夜松の観世音菩薩安置と伝える西向の両堂あったといいますが、「応仁の乱」や火災などで焼失し、西向きは再興されずに廃絶となり、東向観音堂のみ再建されたといいます。
「洛陽三十三所観音霊場」の第31番札所となっており多くの参拝者が訪れるほか、境内には菅公の生母である大伴氏の墓所もあり、北野天満宮とのつながりの深さが窺えます。
東向観音寺の施設案内
境内
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三門
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本堂・礼堂
京都市指定有形文化財
現在の本堂は1607年の天満宮再建の折に豊臣秀頼により再建
入母屋造り本瓦葺で、お堂に1694年入母屋造り本瓦葺の礼堂を繋いだ複合形式の建物になっている
本尊の天満宮御本地仏・十一面観音菩薩は25年に一度御開帳される秘仏
その他にも本堂には平安時代の不動明王・吉祥天を初め多数の文化財が祀られている
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びんずる行者
本堂前にある
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白衣観音堂
本尊・高王白衣観世音菩薩は1655年(明暦元年)に中国・明の陳元 禅師より寄進された漢音像で、安産子授けのご利益で信仰を集めている
通常の白衣観音像とは異なり、子供を抱かれている珍しい像
子授祈願に人形を授けており、お礼参りに人形を納める風習があるという
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岩雲弁財天
寺の守護神で岩雲弁才天像を祀る
この像は豊臣秀頼が本堂を再建する折に寄進されたもので、毎年12月1日の柴燈護摩供に御開帳が行われる
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行者堂
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鐘楼
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伴氏廟
伴氏は大伴氏の出身であり菅原道真の母方の氏族で、菅原道真の母君の御廊と伝わる石の五輪塔
元々は北野天満宮の三の鳥居の西側、伴氏社の位置にあったものが、明治の「神仏分離令」により観音寺に移された
古来より忌明けにこの塔に参詣する風習があるという
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土蜘蛛塚
酒呑童子の鬼退治の伝説で知られる源頼光には土蜘蛛退治の伝説もある
ある日原因不明の病で床に伏せていた頼光に土蜘蛛が襲いかかるが、頼光は名刀・膝丸(蜘蛛切)で斬りつける
その後家来たちが血の跡をたどって山奥の古塚に追い詰め、蜘蛛の精を退治したという筋書きで、謡曲や歌舞伎などでもおなじみ
土蜘蛛塚は元々は一条七本松の辺りにあったというが、明治時代にこの塚が取り壊された時、この塚を持ち帰った家が次々に不幸に遭ったため、祟りを恐れて1914年(大正13年)に観音寺に納められたという
石灯篭(火袋)で祠に納められている
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役行者神変大菩薩の石碑
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延命地蔵尊
周辺
東向観音寺の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1~1/3
初詣
- 2/3
節分星供祈願
- 5/3~5/5
愛児健祥祈祷
白衣観音堂
- 6/1
夏越病気除祈願
- 12/1
柴燈護摩供
鎮守 岩雲弁財天
月並行事
- 毎月9日
安産祈祷
白衣観音堂
- 毎月18・19日
子授祈祷
白衣観音堂
- 毎月25日
天神縁日
- 毎月第2日曜
写経会
第1・第3日曜に変更の場合あり