智恵光院
智恵光院とは?(基本データ)
- 名前
- 智恵光院(ちえこういん)
- エリア
- 北野・西陣
- ジャンル
- 建立・設立
- 1294年(永仁2年)
- 創始者
- [開基] 関白・鷹司兼平(五摂家の一つ鷹司家の始祖)
[開山] 知恩院8世・如空(如一国師) - 宗派
- 浄土宗知恩院派
- 山号
- 称念山
- 本尊
- 阿弥陀如来像
- 寺紋
- 牡丹紋
- アクセス
- 駐車場
- あり
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 通常非公開
8/23の法要以外は地蔵堂には入れない - 拝観時間
- 開門 7:30~16:30
- 住所
- 〒602-8208
京都府京都市上京区智恵光院通一条上る智恵光院前之町601 - 電話
- 075-441-5920
- FAX
- 075-451-2090
- 公式サイト
- 智惠光院 浄土宗
上京区の史蹟百選/智恵光院 京都市上京区
智恵光院の地図
智恵光院のみどころ (Point in Check)
京都市上京区智恵光院通一条上る智恵光院前之町、京都の南北を通る通りの名「智恵光院通」でも親しまれている「称念山平等寺(びょうどうじ)」と号する浄土宗寺院。
山号は称念山、本尊は阿弥陀如来。
鎌倉後期の1294年(永仁2年)に五摂家の一つ「鷹司家(たかつかさけ)」の始祖である関白・鷹司兼平(たかつかさかねひら 1228-94)が一族の菩提寺として、知恩院8世・如空(にょくう 1262-1321)(如一国師)を開山に迎えて創建したのがはじまりで、その後、聞益(もんえき)によって塔頭が整えられ、京師七光院の一つとして隆盛を極めたといいます。
当初は岡崎の法勝寺の近辺に寺地があったと伝えられ、現在地に移った経緯や時期については詳細は不明なものの、近世期に江戸幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす 1543-1616)の意向を受けた玄誉が現在地に復興したといいます。
江戸前期の1636年(寛永13年)以降は1730年(享保15年)の「西陣焼け」や1788年(天明8年)の「天明の大火」など幾度かの火災に遭っており、漸次再興されたものの、第二次世界大戦中の強制疎開では塔頭4院も廃寺とされ、現在の規模に縮小されて今に至っています。
現在の建物は天明の大火以降の再建で、1855年(安政2年)に再建された「本堂」には安阿弥(あんあみ)(快慶)作と伝わり、寺町の法然寺より遷座されたという本尊・阿弥陀如来像を安置。
また「地蔵堂」には仏教で死後いずれかに転生されるとされる6つの世界である「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人道」「天道」のすべてを救う力を一体の像に込めて第55代・文徳天皇(もんとくてんのう 826-58)の参議・小野篁(おののたかむら 802-53)が作ったと伝えられる6本の手を持つ「六臂地蔵像(ろっぴじぞうぞう)」を安置。
この点、毎年8月22・23日に京都では同じく小野篁が刻んだと伝わる6体の地蔵尊が安置されている京の主要な6つの街道沿いにある6か寺を巡る「六地蔵めぐり」が開催されていますが、6つの地蔵をすべて巡拝するのはなかなか大変なことですが、智恵光院の地蔵堂に安置されているこの一体を礼拝すれば、6か所の地蔵尊を巡ったのと同じ功徳が得られるといわれています。
境内にはその他にも稲荷社や弁財天を祀った小堂などがあるほか、枝垂梅や百日紅、芙蓉など花の寺としても知る人ぞ知る寺院です。
智恵光院の施設案内
境内
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門前寺号標
「浄土宗 称念山 平等寺 智恵光院」と刻まれている
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山門
西面して建つ
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駒札
山門手前左
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「六臂地蔵尊 開山如一國師 智惠光院」の石標
山門手前左
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境内参道
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智恵姫稲荷社
参道右手、庫裏の手前
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玄関
本堂右、庫裏の左側
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庫裏
本堂右、玄関の右側
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吉之助の庭
庫裏の前
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獅子頭守護石
本堂正面手前右
獅子が左上を眺めているように見える
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本堂
参道正面
1855年(安政2年)の再建
本尊・阿弥陀如来像は快慶作と伝わる
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文殊塔
本堂正面手前左
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喜八の塔
本堂正面手前左
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墓地入口
本堂左手
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供養塔
墓地入口門手前左
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地蔵群
地蔵堂の右
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地蔵堂
参道左手(南側)の墓地入口に一番近い側
小野篁作と伝えられる六臂地蔵像(ろっぴじぞうそんぞう)を安置
知恩寺に祀られていたが、南北朝時代に移築された
六臂地蔵にお参りすれば六地蔵すべてを巡ったのと同じ御利益があるといわれている
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智徳辨財天
参道左手(南側)、鐘楼と地蔵堂の間
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金ぎょく龍王神
弁財天の手前右
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鐘楼
山門くぐって参道すぐ左手
周辺
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智恵光院通
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橘公園