京都市上京区智恵光院通一条上る智恵光院前之町、京都の南北を通る通りの名「智恵光院通」でも親しまれている「称念山平等寺(びょうどうじ)」と号する浄土宗寺院。
山号は称念山、本尊は阿弥陀如来。
鎌倉後期の1294年(永仁2年)に五摂家の一つ「鷹司家(たかつかさけ)」の始祖である関白・鷹司兼平(たかつかさかねひら 1228-94)が一族の菩提寺として、知恩院8世・如空(にょくう 1262-1321)(如一国師)を開山に迎えて創建したのがはじまりで、その後、聞益(もんえき)によって塔頭が整えられ、京師七光院の一つとして隆盛を極めたといいます。
当初は岡崎の法勝寺の近辺に寺地があったと伝えられ、現在地に移った経緯や時期については詳細は不明なものの、近世期に江戸幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす 1543-1616)の意向を受けた玄誉が現在地に復興したといいます。
江戸前期の1636年(寛永13年)以降は1730年(享保15年)の「西陣焼け」や1788年(天明8年)の「天明の大火」など幾度かの火災に遭っており、漸次再興されたものの、第二次世界大戦中の強制疎開では塔頭4院も廃寺とされ、現在の規模に縮小されて今に至っています。
現在の建物は天明の大火以降の再建で、1855年(安政2年)に再建された「本堂」には安阿弥(あんあみ)(快慶)作と伝わり、寺町の法然寺より遷座されたという本尊・阿弥陀如来像を安置。
また「地蔵堂」には仏教で死後いずれかに転生されるとされる6つの世界である「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人道」「天道」のすべてを救う力を一体の像に込めて第55代・文徳天皇(もんとくてんのう 826-58)の参議・小野篁(おののたかむら 802-53)が作ったと伝えられる6本の手を持つ「六臂地蔵像(ろっぴじぞうぞう)」を安置。
この点、毎年8月22・23日に京都では同じく小野篁が刻んだと伝わる6体の地蔵尊が安置されている京の主要な6つの街道沿いにある6か寺を巡る「六地蔵めぐり」が開催されていますが、6つの地蔵をすべて巡拝するのはなかなか大変なことですが、智恵光院の地蔵堂に安置されているこの一体を礼拝すれば、6か所の地蔵尊を巡ったのと同じ功徳が得られるといわれています。
境内にはその他にも稲荷社や弁財天を祀った小堂などがあるほか、枝垂梅や百日紅、芙蓉など花の寺としても知る人ぞ知る寺院です。