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六地蔵めぐり

六地蔵めぐり

「六地蔵めぐり」とは

「六地蔵めぐり(ろくじぞうめぐり)」とは、毎年8月22日・23日の両日に、京都の旧街道口に安置された6体の地蔵尊を巡拝するもので、800年も続いている伝統行事。

各箇所で授与される赤・青・黄・緑・白の色とりどりの「お幡(おはた)」を束ねて護符とし、家の玄関に吊すと一年の疫病退散・無病息災・家内安全、福徳招来の御利益があるという。

歴史

六地蔵のひとつである大善寺(伏見地蔵)に残る1665年(寛文5年)の「六地蔵縁起」によると、平安初期に活躍した小野篁(おののたかむら)に由来するという。

小野篁は役人であり歌人としても知られた人物で、遣唐副使を辞退し隠岐に流されたこともあるが、後に赦されて参議にまで登りつめた。

その一方であの世とこの世を往来できる不思議な力を持っていたといわれていて、閻魔庁に仕える冥官(閻魔大王の補佐官)として裁判を手伝ったとの伝説を持つ。

849年(嘉祥2年)、48才の時に熱病を患って危篤状態に陥り、冥土の世界へと赴いた際に生身の地蔵菩薩に出会い、人間界に戻って人々を救済するように託され奇跡的に蘇生することができた。

その出来事に感動した篁は852年(仁寿2年)に木幡山から一本の桜の大木を切り出して6体の地蔵菩薩を刻み、伏見街道の入口にあたる現在の大善寺(六地蔵)の地に祀った。

その後1156年(保元2年)に都を往来する旅人の路上安全と庶民の疫病退散・福徳招来を願い、後白河天皇の勅命を受けた平清盛が6体のうち最初に刻まれた1躰を大善寺に残し、残りの5躰を都に通じる主要街道の入口に六角堂を建ててそこに祀り、西光法師に命じて供養させたといい、ここから六地蔵めぐりの風習が生まれたという。

巡拝の方法

それぞれの寺院で授与される「お幡(300円)」を集めていくが、巡拝の順序に決まりはなくどこからはじめてもよい(六地蔵駅の大善寺を基準に時計回りもしくは反時計回りが効率が良くおすすめ)。

期間中は普段拝観することが出来ない仏像等も特別に公開され、お茶の接待なども行われて多くの人出で賑わう。

公共交通機関を利用するなら市バスや地下鉄の案内所などで購入できる「京都観光一日乗車券」が便利なほか、6箇所全てを巡る観光バスツアーも企画される。

寺社名
(地蔵名)
エリア 街道 ポイント
大善寺(伏見地蔵) 大善寺
(伏見地蔵)
伏見・桃山 奈良街道 京と奈良を結ぶ交通の要所に建てられた
平安初期に小野篁が刻んだとされている6体の地蔵が最初に安置された「六地蔵めぐり」発祥の地にあたる
そのため六地蔵の地名もついており、地元の人々からは「六地蔵さん」と呼ばれ親しまれている
六角堂安置の白塗りの地蔵菩薩像は重文指定
恋塚浄禅寺(鳥羽地蔵) 恋塚浄禅寺
(鳥羽地蔵)
鳥羽・竹田・淀 鳥羽街道
(西国街道)
平安京の羅城門から南へ延びた鳥羽街道(千本通)に面する
地蔵堂に六地蔵の一つである地蔵菩薩立像、本堂に本尊・阿弥陀如来立像を安置
その他観音堂安置の十一面観世音菩薩は平安期のもので市指定文化財、普段は要事前予約だが六地蔵めぐりの時のみ特別公開
また袈裟御前の貞女を顕彰する「恋塚」と呼ばれる五輪石塔も境内に建っている
8/22の19:30より上鳥羽鉦講中による六斎念仏奉納、20:00より上鳥羽六斎ジュニアによる四ツ太鼓他の奉納も
地蔵寺(桂地蔵) 地蔵寺
(桂地蔵)
松尾・桂・西京極 丹波・山陰街道 周辺は昔は桂の渡しの近くに位置した
地蔵堂安置の本尊・地蔵尊は小野篁が彫ったもののうち一木の一番根元に近い最下部をもって刻まれたもので「姉井菩薩」と呼ばれている
地蔵堂東の薬師堂に鎌倉初期の石造薬師如来坐像、石造宝篋印塔や池泉と枯山水の2つの庭園、方丈の長谷川等伯の襖絵なども見所
8/22には桂六斎念仏の奉納が行なわれる(現在休止中)
源光寺(常盤地蔵) 源光寺
(常盤地蔵)
衣笠・御室・花園・太秦 周山街道 嵐電の常盤駅そばでJR太秦駅からも徒歩圏内
平安末期に源義経の母・常盤御前の庵が結ばれていた跡地で、境内奥の自然石の石組は常盤御前の墓と伝わる
現在は臨済宗天龍寺派で唯一全国地蔵尊霊場会総合本部で宗教宗派に関係のない庶民信仰の地でもある
地蔵堂(六角堂)に安置されている地蔵尊は5体を作り上げた残りの木で造られたことから「乙子地蔵」とも呼ばれている
上善寺(鞍馬口地蔵) 上善寺
(鞍馬口地蔵)
京都御所 鞍馬街道 本堂に行基作と伝わる本尊・阿弥陀仏坐像を安置、境内東側には禁門の変で亡くなった長州藩士を葬った「長州人首塚碑」がある
地蔵堂の地蔵尊は女性的な面差しから「姉子地蔵」と呼ばれる
元々は深泥池(御菩薩池)の池畔に祀られていたが、明治初期の廃仏毀釈によりこちらに遷された
8/22には小山郷念仏保存会による六斎念仏の奉納も行なわれる
徳林庵(山科地蔵) 徳林庵
(山科地蔵)
(四ノ宮地蔵)
山科・醍醐 東海道 元々は四ノ宮の地名の由来にもなた第54代仁明天皇の第4皇子・四之宮人康親王(しのみやさねやすしんのう)が859年(貞観元年)に出家し山荘を営んだ地で、その後荒廃するが人康親王の末葉・南禅寺第260世雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が1550年(天文19)に親王の菩提を弔うために開創
地蔵堂の裏に人康親王を祀る供養塔(蝉丸塔)や6体のわらべ地蔵などもある
8/22・23の両日には閻魔天が開帳されるほか、「四ノ宮まつり」と呼ばれる縁日となり、JR山科駅~京阪四ノ宮駅の間の旧東海道には露店が出て大変な賑わいとなる

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