京都市中京区麩屋町通り御池上る、京都市役所のやや西に鎮座する小さな神社。
祭神は縁結び、夫婦和合、家運繁昌、子孫長久のご神徳で知られる菊理比売(くくりひめ)(白山媛命(しらやまひめ))に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊 (いざなみのみこと)の2柱を併祀しています。
社伝によると、平安末期の高倉天皇の代の1177年(治承元年)に乱暴狼藉をはたらいた平家の武将に怒った加賀国一の宮・白山社の僧徒が京を訪れ、3基の神輿による強訴を行ったものの願いは聞き入れられませんでした。
仕方なく加賀へと戻る途中、麸屋町押小路付近で担いで来た神輿が動かなくなったことからそのまま路上に打ち捨てて帰山してしまいますが、ありがたい神輿をそのまま放置する訳にもいかないと、近所の人々が社を建てそのうちの1基を祀ったことが始まりとされています。
また江戸中期、最後の女帝として知られる第117代・後桜町天皇が歯痛で悩んでいた時、女官が白山神社から持ち帰り献上した神箸と神塩をつけたところ、たちまち平癒したことから御紋付の提灯が奉献されたと伝えられ、この故事により「歯痛平癒」の神として、現在も歯科医や歯痛に悩む人々から崇敬を集めるほか、幼児の食初めにこの神箸を用いれば無病息災の成長が叶うとも伝えられています。
往時には南北は押小路から坊門(御池通)まで一町余りの社地を有し、社殿も整っていたといいますが、1788年(天明8年)の「天明の大火」、そして相次いで1864年(元治元年)に起きた「元治の大火」、いわゆる「蛤御門の変」における「どんどん焼け」によって、建物や古文書類は焼失してしまったといい、現在は境内はそれほど広くはないものの本殿と社務所があるほか、末社として白菊大神、天満宮と猿田彦大神が祀られ、地元の人々から厚く信仰されています。
行事としては毎年9月19日のに近い土日「秋の大祭(例祭)」が行われ、日曜の大祭時には稚児・子供みこし行列や神輿の巡行が行われて氏子区域を練り歩きます。
そしてこの神輿巡行のルートの中には繁華街の寺町三条や御池通を挟んだ南側にある有名な老舗旅館の俵屋旅館や柊屋旅館の前なども入っており、要所で差し上げも行われて大いに盛り上がります。