高瀬川
高瀬川とは?
「高瀬川(たかせがわ)」は京都市内の東側を流れる有名な鴨川のすぐ西側を並行するように南北に流れる川。
木屋町通二条下ル(二条大橋南)付近で鴨川西岸のみそそぎ川から分岐し、鴨川の西岸を平行に南流、十条通上流(陶化橋付近)でいったん鴨川に合流します。
鴨川で分岐してより南の流れは「東高瀬川(新高瀬川)(ひがしたかせがわ(しんたかせがわ))」と呼ばれ、東山区福稲から再び分水を得た後、伏見区の稲荷・深草地域の西方を南へ流れ、最後は宇治川(淀川)中流に入ります。
ちなみに京都市の西の嵐山で桂川から分派される「西高瀬川」は高瀬川とは全然無関係の川です。
高瀬川の歴史
江戸初期の1611年(慶長16年)、保津川(桂川)を開削したことでも知られる豪商・角倉了以・素庵父子により京都の中心部と伏見を結ぶための物流用に開削した人工の河川です。
往時には京都と大阪の物資を輸送する「高瀬舟」が頻繁に行き交いしていたといい、森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台にもなっています。
高瀬川の現在
現在は二条から五条にかけて並行する木屋町通に飲食店が多く立地しており、京都有数の歓楽街の一つとなっているほか、桜の名所でもあるため観光客の姿も数多く見受けられます。
荷物の揚げ降ろしをする船溜(船入)は往時は9ヵ所ありましたが、現存するのは川の起点である木屋町二条にある「一之船入」のみで、石碑が建ち国の史跡にも指定されています。
また周辺には数多くの幕末の事変を示す石碑が残されているのも大きな特徴です。
高瀬川界隈のスポット
スポット名 | エリア | ポイント | |
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木屋町通二条下ル付近 (二条大橋南) |
京都御所 | 鴨川西岸のみそそぎ川から分岐し鴨川と平行して南へと流れる | |
島津創業記念資料館 | 三条寺町・四条河原町 | 二条通との交差点のやや南、一之船入のすぐ北側にある島津製作所が1975年(昭和50年)に創業100周年を記念して開設した博物館 南棟・北棟があり、ともに国の登録有形文化財に指定 |
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高瀬川二条苑 (高瀬川源流庭苑) |
三条寺町・四条河原町 | 1611年に高瀬川開削者である角倉了以がその源流に建設した別邸跡にある日本庭園 庭園の一角には、江戸時代初期に小堀遠州により作られた茶庭が現存 現在は日本料理レストラン「がんこ高瀬川二条苑」 |
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高瀬川一之船入 | 三条寺町・四条河原町 | 川の起点の木屋町二条にある 水運が盛んだった頃は舟の荷物揚げおろしをする船溜(船入)が9ヵ所あったがその中で唯一現存、国の史跡で石碑も立つ | |
木屋町通 | 三条寺町・四条河原町 | 二条から五条にかけてはこの通り沿いを流れる、飲食店が多く立ち並ぶ京都有数の歓楽街の一つで春は桜の名所としても知られる | |
池田屋騒動之址 (池田屋はなの舞) |
三条寺町・四条河原町 | ||
瑞泉寺 | 三条寺町・四条河原町 | 三条通との交差点南東、豊臣秀吉の甥・豊臣秀次の墓がある | |
武市瑞山先生寓居跡など | 三条寺町・四条河原町 | 三条から四条にかけて幕末の史跡の石碑が数多く建てられている | |
鴨川合流地点 | 鳥羽・竹田・淀 | 十条通上流(陶化橋付近) | |
若草児童公園 (東高瀬川起点) |
鳥羽・竹田・淀 | 東山区福稲川原町、鴨川からの取水口は暗渠、その上にこの公園がある | |
東高瀬川 | 鳥羽・竹田・淀 | 伏見区深草西川原町、若草児童公園付近で再び分水を経て、伏見区の稲荷・深草の西方を南へ流れる | |
松本酒蔵 | 伏見・桃山 | ||
宇治川(淀川)合流地点 | 伏見・桃山 | 伏見区横大路下三栖東ノ口町で宇治川(淀川)中流の右岸に注ぐ |