
「東寺」は京都駅に近い南区九条町、九条通と大宮通の交差する九条大宮の北西角に位置する真言宗の寺院。
東寺真言宗の総本山で「教王護国寺」の別名で呼ばれることもあります。
桓武天皇により794年に平安京遷都が行われた際、王城鎮護のため平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」の2つの寺院の建立が計画され、796年に藤原伊勢人が責任者となり官寺として建立されたのがはじまりでした(西寺も建立されたが後に廃寺に)。
それから20数年後の823年、真言宗の祖である弘法大師・空海が嵯峨天皇から東寺を下賜され、国家守護と同時に真言密教の根本道場としての性格も持つようになります。
平安後期に一時衰退しますが、鎌倉期に入り弘法大師信仰が高まると貴族から庶民まで広く信仰を集めるようになります。
特に後白河法皇の六女・宣陽門院は深く帰依していたといい、莫大な荘園を寄進しているほか、空海が今も生きているが如く毎朝食事を捧げる「生身供」も創始したといいます。
その後も後宇多・後醍醐天皇や足利尊氏らの援助を受け栄え、室町時代の1486年に発生した土一揆による大火で主要な堂塔のほとんどを失う苦難に遭いますが、戦国・江戸時代に豊臣・徳川両政権の援助で金堂・五重塔などが再建されました。
何度かの火災のため創建当時の建物は残っていないものの、南大門から金堂・講堂・食堂を経て北大門と南北に一直線に並ぶ伽藍は創建当時の面影を思い起こさせるだけでなく、唯一現存する平安京創建当時の遺構として境内全体が国の史跡に指定されています。また1994年には世界文化遺産にも登録されました。
東寺の魅力といえば、やはり京都のシンボルマークともいえる高さ約55mの五重塔。その他にも大日如来を中心とした21体の仏像で構成される講堂の立体曼荼羅などの数多くの寺宝も見どころの一つです。
そして弘法大師ゆかりの寺院として、縁日である毎月21日には縁日の「弘法市」を開催、また春には有名な八重紅枝垂れ桜の「不二桜」やソメイヨシノ、山桜などの200本の桜、秋には紅葉の名所としても高い人気を誇り、多くの参拝者で賑わいます。
平安京守護のため「官寺」として創建、後に「真言密教の根本道場」に
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794年(延暦13年)、桓武天皇による平安京創設の際に国家鎮護のため、平安京の正門にあたる羅城門の東西に官寺として2つの寺院の建立が計画されました。
そして796年(延暦15年)、藤原伊勢人(ふじわらのいせんど 759-827)が造寺長官(建設工事責任者)となり羅城門の東側に建立されたのが「東寺」です。(南北朝時代に成立した東寺の記録書「東宝記」に記述)
それから二十数年後の823年(弘仁14年)、桓武天皇の後を継いだ嵯峨天皇により東寺は真言宗の宗祖である弘法大師・空海に下賜され、以後は「国家鎮護」とともに「真言密教の根本道場」として栄えることとなったのです。
この点別名の「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」の「教王」とは王を教化するとの意味で、この別名には国家鎮護の密教寺院という意味が込められているのだといいます。
ちなみに羅城門の西側に建立された「西寺」は創建された後、右京の衰退とともに衰退・荒廃し現存していません(1233年に塔が焼失した記録、1527年に最後の記録が残る)。
西寺跡は1921年に国の史跡として指定され、跡地は唐橋西寺公園として整備されています。また直接の関係性はありませんが、公園の近くの南区唐橋平垣町に浄土宗西山禅林寺派の「西寺」が寺院として存在しています。
弘法大師空海ゆかりの「お大師様の寺」として庶民の信仰を集める

「東寺」は平安後期に一時衰退した時期もありましたが、鎌倉期以降は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになりました。
中でも空海に深く帰依したと言われているのが後白河法皇の皇女である宣陽門院で、東寺に莫大な荘園を寄進しているほか、現在も続いている2つの儀式、すなわち空海が今も生きているがごとく毎朝6時より食事を捧げる「生身供(しょうじんく)」や毎月21日の空海の命日に供養を行う「御影供(みえく)」などの儀式を創始したのも宣陽門院だと言われています。
「唯一残る平安京の遺構」として国の史跡および「世界遺産」にも登録

1486年(文明18年)の火災により主要伽藍のほとんどを失ってしまいましたが、その後戦国から江戸時代にかけて豊臣家・徳川家などの援助により金堂・五重塔などが再建されました。
このように幾度かの火災を経験しており、東寺には創建当時の建物は残っていませんが、南大門・金堂・講堂・食堂が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安期のままだといいます。
このため現在唯一残る平安京の遺構として1934年(昭和9年)には境内全体が「教王護国寺境内」として国の史跡に指定。また1994年(平成6年)12月には「古都京都の文化財」としてユネスコの「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産(世界遺産)にも登録されています。
「五重塔」は京都を代表するランドマークタワー

現在の五重塔は1643年(寛永20年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光により再建されたもので、高さ55mの日本最高の木造建築の塔であり国宝にも指定されています。
高さのある建造物が建てられるようになった現代においてもその存在は際立って目立ち存在であり、京都市のシンボルタワーとしても知られています。
「立体曼荼羅」をはじめとする数多くの寺宝を収蔵する密教美術の宝庫
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重文・講堂に安置されている国内で現存する最古の密教彫刻の一群は、大日如来を中心に国宝の五大明王など21体の仏像で構成。弘法大師空海が密教の教えを視覚的に表現したもので「立体曼荼羅」と呼ばれています。
また国宝・金堂は豊臣秀吉の子・豊臣秀頼の再建。同じく国宝の大師堂(御影堂)は、弘法大師在世時の住房といわれ、国宝の弘法大師像および念持仏の不動明王坐像を安置しています。
宝物館には真言密教の文化財が多数収蔵されており、毎年春と秋に特別公開されています。
毎月21日の「弘法市(弘法さん)」は大変な賑わい

空海の月命日にあたる毎月21日は「弘法さん」と呼ばれる縁日で、御影供の儀式に加え境内には骨董市(弘法市)が立ち、数多くの露店や屋台も出店して大変な賑わいを見せます。
開始当初は年1回の開催でしたが、1239年から月1回となり現在に至っています。このうち年始の1月21日の弘法市は「初弘法(はつこうぼう)」、年末の12月21日の弘法市は「終弘法(しまいこうぼう)」と呼び、特に12月21日の「終い弘法」には年末年始を控え多くの人々が詰めかけます。