佐女牛井跡

佐女牛井跡
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基本情報 Basic Info

名前
佐女牛井跡 (さめがいのあと)
エリア
ジャンル
建立
平安時代に源頼義がこの地に築いた六条堀川邸内の井戸と伝わる
室町時代には茶人・村田珠光がこの付近に住み、将軍足利義政に献茶をした際にこの水を汲んだ他、戦国時代には千利休も愛用した
第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)に空襲に備えた民家の強制疎開と堀川通の拡幅が行われた際に撤去・消滅
1969年(昭和44年)に醒泉小学校百周年記念事業の一つとして石碑を建立
住所
〒600-8357
京都府京都市下京区堀川通五条下る西側(堀川通六条上る)柿本町 左女牛井之跡碑
(京都東急ホテル南すぐ)
アクセス
駐車場
休業日
特になし
見学時間
見学自由
料金
なし
公式サイト

佐女牛井跡のみどころ Point in Check

京都市下京区堀川通五条下る西側、五条堀川を南へ下がった堀川通の西側のグリーンベルト内、京都東急ホテルそばにある井戸跡で「醒ヶ井(さめがい)」とも。

平安時代に源頼義(みなもとののりよし 988-1075)がこの地に築いた源氏の六条堀川館があり、その邸内の井戸であったいいます。

六条堀川館はその後も源義家(よしいえ)・為義(ためよし)・義朝(よしとも)の歴代の源氏の頭領が拠点としていたが、1159年(平治元年)の「平治の乱」で義朝が平清盛に敗れた際に平家によって焼き払われました。

その後、源義経(よしつね)が再興して静御前(しずかごぜん)と過ごしますが、1185年10月9日に頼朝に仕えた僧・土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん ?-1185)の夜討ちに遭い、撃退したもののその後義経が都落ちした後に館は焼き払われ、屋敷内の左女牛井跡だけが残ったといいます。

室町時代には茶人・村田珠光(むらたじゅこう 1423-1502)がこの付近に住み、8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ 1436-90)に献茶をした際にこの水を汲んだほか、戦国時代には武野紹鴎(たけのじょうおう 1502-55)や千利休(せんのりきゅう 1522-91)、織田信長の弟・織田有楽斎(おだうらくさい 1548-1621)といった名だたる茶人たちに愛用されました。

江戸初期の1616年(元和2年)は織田有楽斎によって改修された際には、内径2尺4寸(約73cm)の円井戸であったといい、その後1788年(天明8年)の「天明の大火」で埋もれますが、1790年(寛政2年)には茶道薮内流の藪内家6世・竹陰紹智(1727-1800)によって補修されており、その碑が8世・竹猗紹智(1792-1869)によって建てられたといいます。

現在の京都御苑にある「縣井(あがたのい)」や梨木神社にある「染井(そめい)」とともに「京の三名水」の一つに数えられ、その中でも天下一の名水として有名でしたが、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)に空襲に備えた民家の強制疎開と堀川通の拡幅が行われた際に撤去され姿を消しました。

ちなみに付近一帯が「佐女牛井町」と呼ばれているのはこの井戸にちなむもので、また堀川通の一筋東側を走る「醒ヶ井通」や、近くにある「醒泉小学校(せいせんしょうがっこう)」の名もこの井戸に由来しているといいます。

1969年(昭和44年)にはその醒泉小学校の百周年記念事業の一つとして「佐女牛井之跡」と刻まれた石碑が建立され、現在に至っています。

そして堀川五条やや南の現在地に井戸はなくなりましたが、近年になってやや北へ上がった四条醒ヶ井にある和菓子屋「亀屋良長(かめやよしなが)」の店の前に「醒ヶ井」と名付けられた井戸が復活しています。

1962年(昭和37年)に阪急地下工事の影響でいったんは枯れていた井戸を、1991年(平成3年)に社屋を新築した際にを掘り直したところ、復活したといい、左女牛井にちなんで「醒ヶ井」と名付けられたといいます。

現在亀屋良長では醒ヶ井の地下水を地下80mからくみ上げて菓子の製造に利用しているといい、また井戸水は一般にも広く開放されており、気軽に味わってみることができるといいます。

佐女牛井跡の施設案内 Facility Info

石碑周辺

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    「佐女牛井之跡」の石碑

     

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    駒札

     

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    源氏ゆかりの地の案内板

    源氏堀川館跡を示す

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    堀川通

     

関連

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    亀屋良長

     

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    醒ヶ井(さめがい)

     

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    醒ヶ井通

     

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    醒泉小学校(せいせんしょうがっこう)

     

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    左女牛井の庭

    西本願寺北東の堀川通沿いにある井筒左女牛井ビルの現代的な庭 左女牛井にちなんで2006年(平成18年)に作庭され、手水鉢や水琴窟なども置かれている

その他の京の三名水

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    縣井(あがたのい)

    京都御苑にある「京の三名水」の一つ

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    染井(そめい)

    梨木神社にある「京の三名水」の一つ

周辺

佐女牛井跡の
年間行事・カレンダー
Event Calendar

佐女牛井跡の口コミ Google_Reviews

左女牛井之跡碑
3.822件のクチコミ
Google Maps
2 か月前

書により「左女牛井之跡碑」を調べてみます。 この地にかって「源氏の館」があり、六条若宮八幡宮がありました。その記録は「吾妻鏡」に始まり、種々の古書に見ることが出来ます。 最初は「源氏」の館に在った井戸でしたが、そこに鎌倉時代に神社が建てられ、室町時代には足利義満が此処の水を高く評価した、とあります。 豊臣秀吉時代に神社が遷座させられ、戦国時代に井戸はうまっってしまい、「織田有楽斎」により修理されます。 天明の大火(1788年)にて又埋まり、又修理され、第二次世界大戦の戦時中に完全に消滅してしまったという過程のようです。 ____________ ❺【参考 史料京都の歴史 第12巻 1981年】 〇【京都府地誌 明治17年(1884年)】 佐女牛井町 この町の西側に、「佐女牛井(さめがいのい)という古い由緒ある有名な井戸」があります。あるいは「醒井(さめがい)」とも呼びます町の名前は、この井戸から生まれました。 語り伝えられていることには、「この井戸は、昔の源頼義(よりよし)の屋敷(源氏の代々の住居であり、いわゆる「六条堀川館」といわれます)の中にあったもので、水が非常に甘く冷たいので、お茶の専門家たちが最もこれを褒め称えて大切にしました。 戦乱の後に埋もれてしまいましたが、元和2年(1616年)に、「織田有楽斎(おだうらくさい)」が、改めて修理と整備を施したといいます」とのことです。 此の後「天明の大火(1788年)」で再び埋もれ、第二次世界大戦の戦時中に堀川通強制疎開により埋め立てられて消滅しました。 ____________ 「源頼朝(よりとも)」が、自分の祖父である「源為義(ためよし)」の館跡に神社をつくり(五条の若宮八幡宮社)土佐国の吾河郡を寄附したとあります。 ❶【参考 吾妻鏡 文治元年(1185)】 十二月大卅日己夘。 令拝領諸國地頭職給之内。以土佐國吾河郡。令寄附六條若宮給。彼宮者。點故廷尉禪室六條御遺跡被奉勸請石淸水。以廣元弟季嚴阿闍梨。所被補別當職也。 十二月の三十日、己卯(みずのとう)の日。 源頼朝が日本全国の土地を管理して税金を集める権利(地頭職)をもらった、 その中から、土佐国の吾河郡(高知県吾川郡周辺)という土地を、京都の「六条若宮」という神社へ寄付なされました。 その神社というのは、頼朝の祖父である源為義の、京都六条にあった屋敷の跡地を場所として指定し、「石清水八幡宮」から神様を分けて連れてきてお祀りした神社です。 そして、頼朝の側近である大江広元の弟の、「季厳(きげん)」というお坊さんを、その神社の最高責任者の役職に任命しているところであります。 __________________ もともと「左女牛井さめがい」は源氏の館にあった井と考えられます。源氏の館の東側に在る「左女牛」という地域の中の、西洞院に面した一等地を寄附した、ということとなります。 ❷【参考 吾妻鏡 文治3年(1187年)】 文治三年(1187)正月大十五日丁巳。 左女牛御地令奉寄六條若宮給。早可令奉行之旨。所被仰阿闍梨季嚴也。是六條以南。西洞院以東壹町也。 一月の十五日、丁巳(ひのとみ)の日。 左女牛(さめがい)にある領地を、「六条若宮」という神社へ寄付なされました。早くこれを実行しなさいという命令を、阿闍梨の「季厳(きげん)」へおっしゃいました。 この土地は、六条通りより南で、西洞院大路より東の、一町(約109メートル四方の広さ)であります。 ________________ ❸【参考 京を歩けば : だれも知らない古都 1983年】 【足利義満が寄進した水鉢の話し】 室町幕府の3代目将軍である足利義満は、この左女牛井(さめがいのい)の水をとても気に入って大切にしました。 そこで、八角形をした石の器(水鉢)を神社に寄進しました。 その器に左女牛井の水を溜めておき、神社にお参りに来た人たちの、手や口を洗ってもらい、心と体を清める為に使わせたのです。至徳3年(1386年)の銘が刻まれています。(現在は五条の若宮八幡宮の本殿前にあり) 茶の湯の水を「左女牛井」に求めた人も、まずこの水鉢に組み入れたから、用意した器にうつしたという事です。 ______________ ❹【参考 京都府史蹟勝地調査会報告 第3冊 1983年】 さて、この六条八幡社(現在の若宮八幡宮)は、源頼朝が建ててからだいたいずっと同じ場所にあったようですが、この本に記録されている歴史の絵巻物(縁起絵巻)を見ると、2階建ての立派な楼門や、屋根付きの回廊、お参りをする拝殿、神様が神聖に祀られている神殿、東と西のお経を納める経所、仏塔(宝塔)、神社の中のお寺(神宮寺)などがあり、とても堂々とした立派な神社だったようです。 また、神社で働く人たちの家が立つ敷地もたくさんあったのだろうと想像されます。 その後、応仁の乱(1467年〜)のころに火事で焼けてしまったようで、室町幕府の将軍である足利義輝や足利義昭によって元通りにしようと計画されましたが、昔の立派な姿には戻りませんでした。 しかも、天正11年(1583年)に2回行われた土地の調査(検地)の際に、豊臣秀吉が京都の神社やお寺の場所替えを行ったため、今の東山にある大仏殿(方広寺)のあたりへと移転させられました【六条若宮紀】。 そして、もともと神社があった場所は、今の西六条にある西本願寺の敷地になりました。 東山の大仏殿の場所へと移転したのは、もともとそこに六条八幡社の「御旅所(おたびしょ)」があったという繋がりから、そこへ移ったようです。 その後、慶長10年(1605年)に、現在の場所である五条坂の土地へと移転しました。

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9 か月前

京の三名水の一つですが、今は枯れてしまい井戸の跡形もなく石標を残すのみです。 草も生い茂り手入れがされておらず(タイミングの問題かな?)、とても寂しい感じを受けました。 一応、京の三名水の一つなので、案内板ぐらいは綺麗なものに更新してほしいな。 茶人である村田珠光がこのあたりに住み、足利義政に献茶したといわれ、千利休や武野紹鷗などの茶人にも好まれ「天下一の名水」と称されていたそうです。 ちなみに、京の三名水の残り二つは、京都御所内にある「縣井(あがたい)」、梨木神社の境内にある「染井(そめい)」です。

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3 か月前

かつて洛中三銘水などと呼ばれた「左女牛井(醒ヶ井,さめがい)」井戸があった跡地。以下、看板の文字を転記。 ◎「左女牛井跡 京の名水として平安時代より知られ 源氏の邸 いわゆる六條堀川館の中にとりいれられていた。 室町時代には南都の僧 村田珠光がこの畔に住み 茶道を興し 足利義政も来遊したという 江戸初期 元和二年五月 織田有楽斎はこれを改修した。内径二尺四寸の円井戸であった。 その後 天明の大火で埋もれたが、寛政二年、薮内家 六世 竹陰によって修補され、その碑が七世 竹猗によって建てられていたが 円井戸碑ともに第二次世界大戦最末期の民家の強制移動とともに撤去された。昭和四十四年 醒泉小学校 百周年記念事業の一つとしてここに碑を建て名水を偲ぶよすがとした。」 ◎源氏ゆかりの地を歩くモデルルートの看板『左女牛井(さめがい)之跡』 「源頼義 以来、義家、為義、為朝、義経までが拠点とした源氏六条堀川館(やかた)内の井戸であったと伝えられる。京の名水の1つであり、村田珠光や千利休も愛用したというが、第二次大戦中に堀川通の拡幅により消減した。」 ※薮内家(茶道・藪内流の家元)六代目は、寛政2年(1790)に利休200回忌を大徳寺で営み、同年、六条堀川にあった珠光ゆかりの佐女牛井の井戸を再興したのだそうです。(その2年前の大火で荒廃していた) ※建仁寺の近くにあった織田有楽斎の茶室「如庵」の露路の円い井戸も「佐女牛井」と名づけられており、側面に元和元年九月二日と刻まれています(現在は犬山に移築、国宝)。有楽斎はこの翌年にここ京・六条堀川の「佐女牛井」を修繕し、新しい井筒の外側には「佐女牛井元和弐年五月」、内側に「有楽再興之」と刻したといいます。 (如庵の有楽井筒は、京の左女牛井を修繕した際の旧井筒を、如庵の庭内に移して使用していたものだと伝えられている、と書かれたものも目にしたのですが、確証がありません) 天下一の名水とまで言われたのに今は飲めないなんて…と残念に思っていたら!! 少し北上した堀川五条〜油小路間のビルの一角に「さめがいの水」という公共の水道があり、蛇口をひねると「佐女牛井と同系と言われる水脈地下60mから汲み上げ」た水が出てくるのだそうです。 また、さらに北上した四条油小路西入ルの「亀屋吉長」という和菓子屋さん脇(醒ヶ井通り沿い)には「醒ヶ井」と書かれた井戸水があって、自由に飲んで良いのだそうです。こちらの亀屋吉長さんは、醒ヶ井の水を菓子づくりに用いているとのこと。 醒ヶ井通は、北は六角通から南は五条通まで(1.5kmくらい?)、南北に通っているようですが、通りの下に水脈があるのでしょうか。。。

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