浦嶋神社
浦嶋神社とは?(基本データ)
- 名前
- 浦嶋神社(うらしまじんじゃ)
- エリア
- 宮津・伊根
- ジャンル
- 建立・設立
- 825年(天長2年)7月22日
- 創始者
- 第53代・淳和天皇
- 祭神
- [本社] 浦嶋子(浦嶋太郎)
[相殿] 月讀命(つくよみのみこと) 祓戸大神(はらえどのおおかみ) - ご利益
- 縁結び、長寿、豊漁、航海安全、農作・養蚕守護、牛馬守護
- 例祭
- 8/7(本庄祭(例大祭))
他に延年祭(3/17)などが知られる - 神紋・社紋
- 五三の桐
- アクセス
- 駐車場
- 普通車40台(無料)
- 拝観料
- 無料(資料館は700円)
- お休み
- PIENO伊根店は水曜休
- 拝観時間
- 境内自由
├宝物館 9:00~17:00
└PIENO伊根店 11:00~14:00 - 住所
- 〒626-0403
京都府与謝郡伊根町字本庄浜191 - 電話
- 0772-33-0721
0772-33-0513(水の江里浦嶋公園) - FAX
- 0772-33-0103
- 公式サイト
- 浦嶋神社 浦島太郎発祥の社
宇良神社本殿 文化遺産オンライン
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本庄地区公民館 Facebook
浦嶋神社の地図
浦嶋神社のみどころ (Point in Check)
京都府与謝郡伊根町字本庄浜、天橋立の北方、丹後半島の東側にある伊根の舟屋から更に北へ車で約20分、経ヶ岬方面へと向かう途中にある浦嶋伝説ゆかりの社として有名な神社。
創始年代は第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう 786-840)の825年(天長2年)、浦嶋子(うらしまこ)を筒川大明神として祀ったのがはじまり。
その大祖は月讀命の子孫で当地の領主・日下部首(くさかべのおびと)などの先祖であると伝わっています。
伝承によれば、浦嶋子は478年(雄略天皇22年)7月7日、美婦に誘われ常世の国へ行き、その後300有余年を経て淳和天皇の825年(天長2年)に帰ってきた。
常世の国に住んでいた年数は347年間で、淳和天皇はこの話を聞き、当時の丹後の豪族であった浦嶋一族の業績を称えて浦嶋子を筒川大明神と名付けて神格化し、小野篁(おののたかむら 802-53)を勅旨として派遣し社殿が造営されたといいます。
なお浦嶋神社に伝わる浦嶋太郎伝説は日本最古の歴史書である「日本書紀」に記されたもので、全国各地に伝わる浦嶋伝承よりも最も起源が古いとされていて、「丹後国風土記」や「万葉集」にも同様の「浦嶋子」が登場していますが、これらの物語では中国道教の神饌思想の影響を受けていて、竜宮城ではなく神女に誘われ蓬山(常世の国)へ至るとおいう物語で、また浦嶋子は当地を治めた地方豪族の領主であり、民間伝承ではなく貴族や公卿などの支配層を中心に伝わったものであったといわれています。
この点、現在よく知られている「浦島太郎」は、
浦島太郎は浜で子供たちにいじめられていた亀を助けた恩返しとして海の中にある竜宮城へと招かれ、乙姫らのもてなしを受けた後、帰り際に「開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡される。
故郷に帰り着くと、龍宮で過ごしたと感じたよりも遥かに長い年月が経っており、知っている人は誰もおらず、失意の余り忠告を忘れて玉手箱を開けてしまうと、中から白い煙がもくもくと立ちあがり、浦島太郎は白髪の老人になってしまう
という話ですが、この昔話に登場する「乙姫」「竜宮城」「玉手箱」「亀の恩返し」などの要素が加わったのは室町から江戸初期にかけて綴られた小説集「御伽草紙(おとぎそうし)」によるものだといいます。
かつ領主であった浦嶋子が両親を養う漁師の青年という民衆の身近な存在として描かれたことにより大衆に広く受け入れられて全国に伝わるようになり、更にその後1896年(明治29年)に「桃太郎」や「花咲爺」などを児童文学として再生し日本近代児童文学の開拓者として知られる作家・巌谷小波(いわやさざなみ 1870-1933)が子供向けに書いた日本昔話で現在の浦島太郎の話に書き換えられ、1911年(明治44年)には「尋常小学唱歌」として有名な「浦島太郎」が作られ、日本人なら誰もが知っている代表的な昔話の一つとなったといわれています。
そして当社は「宇良神社」とも呼ばれ、平安中期927年(延長5年)にまとめられた当時官社に指定されていた全国の神社一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」においては「宇良神社(うらのかむやしろ)」と記されている式内社に比定されており、遷宮の際には神事能が催され、その都度領主の格別の保護が見られたといい、また南北朝時代の1339年(暦応2年)には征夷大将軍・足利尊氏が来社し幣帛、神馬、神酒を奉納するなど、古代より当地域一帯に留まらず広域に渡り崇敬を集めていたといいます。
現在の社殿は幕末1864年(元治元年)4月13日の火災による類焼・焼失の後、1884年(明治17年)5月に再建されたもので、丹後地方に分布する神明造系本殿の好例として2013年(平成25年)11月に「国登録有形文化財」に登録。
この点、拝殿正面の見事な彫刻は江戸期に活躍し「西の左甚五郎」といわれた丹波柏原藩(兵庫県丹波市)の宮大工・中井権次(8代目正胤)の作で、また社殿は北極星を向いて造営されていますが、これは道教の影響から北極星信仰によるものと考えられています。
また当社には浦嶋伝説にちなんだ室町期作の「玉手箱(亀甲紋櫛笥二合)」や、室町中期から桃山時代にかけての見事な文様が施されている国指定重要文化財の「乙姫小袖」、日本最古といわれる浦嶋太郎物語が細かく描かれた同じく国指定重要文化財の「浦嶋明神縁起絵巻」などが伝わっており、これらのいくつかは境内の宝物資料室にて展示されており、有料にて宝物の見学や浦嶋物語の歴史説明、掛幅を使った絵解きを聞くこともできます。
この他にも神社のそばには浦島太郎と乙姫のモニュメントが建てられた「水の江里 浦嶋公園」やレストランや休憩所となっている「浦嶋館」などがあるほか、周辺には浦嶋子の両親を祀る「大太郎嶋神社」や浦嶋子が常世の国から帰ってきた際に通ったとされる「龍穴」、更には浦嶋子の兄弟である「曽布谷次郎の屋敷跡」など、浦嶋伝説ゆかりの地がいくつか点在しており、当社と合わせてゆかりの地めぐりをするのもおすすめです。
行事としては毎年3月17日に五穀豊穣や長寿、縁結びなどを祈願するとともに、春を迎えて農作業を始める前に浦嶋の神から授かる福を分け合う「延年祭」の神事が良く知られています。
浦島子に仕えたと伝わる三野家の子孫たちが代々取り仕切って行われるお祭りで、まず拝殿に参集して神事が執り行われた後、くじの購入者に対する「福棒」と呼ばれるくじ引き、続けて参拝者に対する小餅や立花の振る舞いと続き、最後に本殿にて観世能の流れを汲むという伝統舞踊「翁三番叟」が奉納されます。
この点、この祭に欠かすことができないのが、「立花(タチバナ)」と呼ばれる縁起物の木で、朴の木(ほおのき)を薄く紐状に削って俵に見立てた花や繭(まゆ)に見立てた蕾(つぼみ)を作り、出来た細工を真綿にくるんでチシャの木に括り付けたもので、これは農耕(俵)と養蚕(繭)が漁業とともにこの海の里の産業であったことを示すものと考えられていて、これを花神饌として浦嶋大明神に捧げて五穀豊穣や商売繁盛を祈願し、神事の後には参拝者にふるまわれて皆で福を分かち合います。
また別名「福棒祭」とも言われるようにくじで「福棒」と呼ばれる縁起物を引き当てた人は願いが叶うとされることから、参拝者は福棒を当てるために多くのくじを買い求めるといい、くじ引きが始まると数字が読まれる度に皆が一喜一憂し大いに賑わいます。
そして祭りの最後に奉納される「翁三番叟(おきなさんばそう)」は元々は筒川地区河来見(かわくるみ)集落の三柱神社に伝わる伝統芸能で、創始年代は不明なものの江戸初期頃から日照りが続いたときの雨乞いの祈りや、屋根の葺替えなどの重要な神事が行われる場合に限って上演されたと伝わっていて、その後途絶えていたものを1988年(昭和63年)に地元の有志で結成された「翁会」が40年ぶりに復活させ、以降は毎年延年祭にて奉納されているといい、当日は「翁会」のメンバー3人がきらびやかな衣装を身にまとい翁の面をつけて伝統の舞を披露します。
浦嶋神社の施設案内
境内
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参道
南へ
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宇良神社の石碑
南へ
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由緒書
鳥居前の広場の右手
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力石
由緒書の隣
「力石の事」の駒札が立てられている
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鳥居
北面して建てられている
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参道
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手水舎
鳥居くぐってすぐ左
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北前船
手水舎の奥
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蔵
北前船の裏
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池と境内社
北前船と社務所の間の道を進んだ先
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社務所
北前船の奥、拝殿の手前左
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拝殿
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みの亀
拝殿内の左上方に掛かる
藁で編んだ亀を模した蓑が奉納されている
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中殿
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本殿
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井戸
本殿隅
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蓬山の庭(とこよのにわ)
拝殿手前右
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宝物資料室
周辺
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浦嶋神社前バス停
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浦嶋交差点
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「歓迎 浦嶋公園」の看板
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駐車場
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案内板
駐車場の隅
「浦嶋伝説・徐福伝説 伊根の舟屋をめぐるみち」
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水の江里 浦嶋公園
2014年(平成26年)9月にリニューアルオープン
大阪の人気イタリアンレストランPIENOが監修する公園内のレストランでは、地元産野菜を使ったイタリア料理のほか、地元名物「筒川そば」も楽しめる
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浦嶋館
食事・お土産
地元の農家が自ら持ち込んだ獲れたての新鮮野菜も販売
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本庄地区公民館
休憩所
浦嶋伝説ゆかりの地
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舟繋岩
本庄浜の沖合に浮かぶ岩山
浦嶋子が舟を繋いで釣りをした場所とされている
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大太郎嶋神社(三柱神社)
別名たらちね神社とも呼ばれ、浦島太郎(浦嶋子)の両親が祀られている
常世橋の上の小高い所にあり、地元では農業と漁業の神様として尊ばれ、中には立派な厨子が奉納されているという
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龍穴
浦島神社前から東へ650mほど進んだ所にあるパワースポット
常世の国に通ずる穴で、浦嶋子が常世の国から帰ってきた際に一息ついた場所とされている
昔はこの辺りまで海が迫っており、魚がよく捕れたという
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一本杉
浦嶋子が玉手箱を開けた所とされる
昔は小屋の辺りに一本杉が立っていたという
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曽布谷次郎の屋敷跡
浦嶋子の兄弟である曽布谷次郎の屋敷跡
長男である浦嶋子に子供がなく、血筋が絶えてしまったこともあり、二男である曽布谷次郎の屋敷跡の碑には、子供が授からない地元の人々が拝みに訪れるという
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雲龍山と布引滝
浦嶋子が常世の国に行く前に、鯉にまたがってこの滝を昇り降りする修行をした所とされている
現在は雨量の多い時にしか姿を現さないことから幻の滝ともいわれる
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今田三郎の屋敷跡と今田神社
浦嶋子の兄弟である今田三郎の屋敷跡
昔この辺りには「日谷」という集落があったという
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白鷺崎
昔はこの辺りまで海が迫ってたといい、浦嶋子が亀を釣り上げたのもこの場所とされている
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浦嶋神社(三柱神社)
右手には荒神さんも奉られており、当時はかなり大きな境内があったとされている
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鯛釣岩
浦嶋子が釣りをした岩
昔はこの辺りまで海であった事が「野尻」「魚見」などの字名に残っている
浦嶋神社の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
元旦祭
- 2/3
節分祭
- 3/17
延年祭
3/16 宵宮
夕刻 花納め行事
3/17 本宮
9:00 祈念祭
10:00頃 福棒(くじ引き)、餅撒き
11:00頃 翁三番叟奉納- 5/5
児童福祉祭
- 8/7に近い土曜
例大祭(本庄祭) 宵宮
3つの集落から若者たちによる提灯行列が出て、20時頃に神社に集結
お祓いを受け参道まで来ると大きな声をかけながら一気に拝殿まで駆け込む「宮入り」を行い、その後上半身裸で揉み合う「練り込み」が勇壮に繰り広げられる- 8/7に近い日曜
例大祭(本庄祭) 祭礼奉納報告祭
9時頃から昼頃まで、棒降りとともに太鼓に合わせて行われる大太刀、小太刀の突き、払いの立会などの「太刀振り」が勇ましく奉納される
- 8/7
例大祭(本庄祭)
約1200年続くとされる五穀豊穣・豊漁などを祈願して行われる神事
- 12/7
新嘗祭
月並行事
- 毎月7・17日
月次祭