京都府南丹市園部町小桜町、JR園部駅の西にある園部城の城跡およびその一部に整備された公園。
徳川家康が江戸幕府を開いて十数年後の江戸初期の1619年(元和5年)、但馬国の出石(兵庫県豊岡市)から移封となった初代園部藩主・小出吉親(こいでよしちか 1590-1668)は約2年間を費やして、この地に「園部陣屋」を築きました。
この点、小出氏は約3万石の外様大名で城主格のない無城の小大名であったため、戦国時代に豪勇で知られた波多野氏の家臣・荒木氏綱(あらきうじつな)が建てた「薗部城跡」に天守閣を築かない陣屋型の建物を建てましたが、小向山を取り囲んで外堀・内堀・中堀が設けられ、その姿は城そのものだったといいます。
歳月を経て、折しも戊辰戦争の最中に最後の園部藩主である第10代・小出英尚(こいでふさなお 1849-1905)は明治新政府側に与し、明治新政府から園部陣屋をより堅固な園部城として整備する許可を受け、1868年(明治元年)から1869年(明治2年)にかけて櫓門・巽櫓のほか、小麦山山頂に天守閣相当の三層の櫓などを築き、園部陣屋は「園部城」に昇格することに。
このことから園部城は日本の「城郭建築史上最後の城」ともいわれています。
京都にも近く、万が一御所が攻められた時の天皇の行在所とできるようその備えとして強化された城でしたが、しかし園部が戦場になることはなく明治政府が誕生すると、新たな時代の潮流の中でその役目を終えた園部城はわずか4年後の1872年(明治5年)にそのほとんどが取り壊されてしまいました。
そして激動の時代に再整備されるという例のない歴史を持つ園部城も、現在はその跡地に「園部公園」や「京都府立園部高等学校」が設置され、憩いの場、教育の場として住民から親しまれています。
現存建造物として今もわずかに残っているのは園部高校の敷地内となりその校門となった「櫓門」とその横にある「巽櫓」、それに「番所」と城壁の一部があり、また園部公園内に南丹市の交流の拠点施設として建てられた「南丹市国際交流会館」は近年新たに建てられたものであるものの模擬天守の形で建造されており、これらの建物が往時を偲ばせてくれます。
また園部城跡の北側に位置する南丹市役所などのある街の中心部は、江戸時代からの町家や商家が点在する城下町の風情を感じられる古い街並みが残っていて、ウォーキングを兼ね歴史散策を楽しむのもおすすめです。
ちなみにマリオシリーズを筆頭にゼルダの伝説、ドンキーコングなど、日本人なら誰もが知っているであろう数々の名作ゲームの生みの親として知られる任天堂の宮本茂(みやもとしげる 1952- )は園部町に生まれ、園部城跡に建つ園部高校の出身であり、この地で育った宮本氏は幼い頃から三層の櫓が建てられた「こむぎ山」を遊び場とし、マリオがどうやって跳んだり跳ねたりするかなどを自分自身が身をもって体験したと語っています。
「園部公園」は1896年(明治29年)に園部町と園部村が鉄道開通後の観光客を呼び込むとの目的から、政府に対し官有林であった旧園部城の一部を公園に編入したいとの要請を提出し、翌1897年(明治30年)に許可が下ると整備を進め、1899年(明治32年)に「園部公園」として一応の完成をみました。
更に翌年からは小麦山を中心とする山林への公園地の拡張が図られ、1906年(明治39年)に完了し開園式が行われています。
「京都の自然200選」にも選定されている豊かな自然に囲まれた広大な敷地内には多目的運動場をはjめ陸上競技場や体育館、テニスコート、屋内ゲートボール場(すぱーく園部)などの運動施設のほか、国際交流会館(模擬天守)や文化博物館中央図書館などの文化施設、コミュニティー広場やこむぎ山など市民憩いの場などもあり、桜や紅葉が美しいことでも知られています。