京都府相楽郡和束町園大塚、茶畑の広がる京都府南部の和束町の町のほぼ中央の小高い丘の上に町を見守るように鎮座する神社。
その歴史は古く、536年(宣化天皇元年)に現在境内社となっている熊野神社が和歌山県の熊野神社より遷宮されたのがはじまり。
その後、奈良時代の773年(宝亀4年)には奈良の春日大明神より別宮として春日神社が奉遷され、天満宮が勧請されるは春日神社が和束の総社となっていたといいます。
そして平安中期の983年(永観元年)、第64代・円融天皇(えんゆうてんのう 959-91)によって京都・北野天満宮より菅原道真の画像が奉納され、これを祀ったのを機に天満宮が和束の総社となりました。
中古は南都・興福寺に属してその支配を受け、探題・公文・下司等により神社が護持されてきたといいますが、明治時代に入った1873年(明治6年)には郷社に列し、その後も「学問の神様」として、また「五穀豊饒」の神様として現在も町民の厚い信仰を受けています。
1万3千平方メートルの境内地を誇る郡内でも有数の神社で、境内は府道5号線(信楽街道)に架かる朱塗りの橋と森を挟んで南北に広がっていて、菅原道真を祀る本殿の他に末社や脇社が10社鎮座しています。
境内の南側には割拝殿をくぐった先に本殿、そして本殿の左側に若宮社、右側に御霊社があり、また参道の南側には1月に「十日えびす」の開催される恵比寿社が鎮座。
このうち菅原道真を祭神として祀る本殿は、1336年(建武3年)に南北朝の動乱により焼失した後、1348年(正平3年/貞和4年)に再建されたもので、一間社流造の社殿建築および彩色鮮麗という室町時代の建築様式の特色が色濃く現わた建築法で造られていて、全国にも例のない建造物とされ国指定の重要文化財となっています。
また本殿の右手前には、天満宮の境内から出土した46億年前のヘドロと、「ハチマキ石と絆の石」と呼ばれるマグマの化石という珍しい史料も展示されています。
一方、朱塗りの橋を渡った境内の北側には、左手に梅宮神社、熊野神社があり、さらに奥には江戸前期の建造とされる春日神社があり、こちらも京都府指定文化財となっています。
行事としては毎年10月の第2土曜・日曜日に行われる「秋祭り(秋の例祭)」が知られていて、五穀豊穣と村の安泰を祈願する神事が執り行われた後、稚児行列および、子供みこし2基と大人神輿1基が境内を練り歩きます。