京都府綴喜郡宇治田原町立川、京都府南部に位置する宇治田原町の立川地区の氏神で、「田原祭(三社祭)」の三社を構成する神社。
天児屋根命(あめのこやねのみこと)を主祭神にその妃神である姫神(ひめがみ)、そして経津主命(賦津主命)(ふつぬしのかみ)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)と、いずれも藤原氏の氏神である奈良の「春日大社」の4柱の祭神が祀られています。
この点、主祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)は中臣氏・藤原氏の祖神として知られ、「古事記」や「日本書紀」の神話で天の岩戸に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を呼びもどすために祝詞(のりと)を奏上して神事を行いその出現を請うたことで知られ、これによって中臣氏は朝廷の祭祀を世襲しました。
また「天孫降臨」に際しては瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天降りに随行した五部神(いつとものおのかみ)の一神でもあります。
そして本殿も春日造で建築され、構造や意匠はともに高品質で、細部に桃山時代の風が見られることから建築時期は江戸時代の寛永期の頃といわれていて、町内神社建築でも最古級であると考えられています。
行事としては毎年10月の体育の日の前日の日曜日に開催される「田原祭(三社祭)」が有名です。
南の御栗栖神社(一宮)をはじめ、荒木の大宮神社、立川の三宮神社を合わせた旧田原郷三社の祭礼で、3日前の「神幸祭」および当日の「還幸祭」にて3基の神輿が本社と御旅所の間を往復する、宇治田原町内で最大、南山城でも有数のお祭りとして知られています。
平安中期の939年(天慶2年)に起きた「平将門の乱(たいらのまさかどのらん)」を平定した藤原秀郷(ふじわらのひでさと)(俵藤太(たわらのとうた))がその功績によって田原の領主となったことを祝ったのがはじまりといわれていて、元々は五穀豊穣を祝う秋祭りで、700年ほど前から続いているといい、奈良の春日大社若宮神社の例祭「春日若宮おん祭」に似た芸能(舞物)の奉納や駈馬神事、氏子の集団である15座の「宮座」による祭りの運営など、中世的要素が強く残ることから歴史的・資料的価値も高く、還幸祭で奉納される芸能(舞物)は京都府の無形民俗文化財にも登録されています。
また同じ10月の上旬には音楽や古典芸能が上演される「三ノ宮コンサート」が開催され、野点も設けられるなどし、多くの参拝客で賑わいます。